Ventus  70










クレイ・カーティナーは冷えた風景と同化していた。
気配は意図的にではないが消えている。
人の動きがほとんど無いこの空間では、クレイの存在自体違和感を感じないものだった。

吐く息が白く濁る。
広がって散っていく。

さして珍しくもないが、何となく繰り返していた。
肺で温めた空気を、押し出す。
上に舞い上がるように消えていく不定形が面白かった。

いつも側にあるもの。
けれどいつもと違う感じ方をする。
どうしてか、陰鬱とした気分は抜けている。

朝だからか。
昨日はよく眠れたのか。
眠りの深度に自覚はないが、目覚めは良かった。

外でじっと立ち始めて十五分が経つ。
体が芯から冷えていくのを覚悟したが、意外と快適だ。
手袋着用、上着も厚手のものを着込んできた。
涼季とはいえ、ディグダクトルに雪は降らない。
時折吹く風さえ凌げれば、上着に包まれた体を震わせることもない。

静かだ。
音が完全に掻き消えたような、嫌な静けさではない。
鳥が鳴いている。
学園では絶えず聞こえてくるが、街にもいたのだと小さく感心させられた。

鳥にもいろいろいることに、改めて気付く。
鋭い泣き声はまだ目覚めない朝の空を貫いていく。

ここからは遠いアナウンスが聞こえてくる。
何を言っているのかまでは聞き取れない、掠れた声で電車が入ってくる放送が構内から漏れ出した。
俯きぎみに傾けていた顎を引き上げた。
細い茎で地面に食い込んだ、背の高い時計の柱から背中を浮かせる。
クレイは灰色の長い外套を纏う。
沈黙していた石像が動き出す姿に重なる。


駅前広場の端に構える売店では、店員がいつもの時間に到着し、いつものように店の扉を押し上げる。
上着から鍵を探り出し、腕を捻った。

改札を抜けた疎らな人の流れが、幾つかの支流となって分かれていく。
広場に繋がる階段からも人が細く流れ出す。




「ディグダの列車は時間通りで助かる」
「よかったのに。これから授業でしょう」
「到着する時間を聞いたのは私だ」
「ここに来るのも『私』だ?」
「説明する手間が省けるな」
セラが指を唇に持ち上げて、小さく声を上げて笑う。
つられてクレイの頬も緩んだ。

「少し、歩こう」
学園に繋がる路線はまだ起き出していない。
車を駅で呼んでもいいが、あまり気が乗らなかった。

「眠くない?」
「平気だ」
クレイがセラの手から鞄を取り上げて歩き出した。
取り戻そうとするセラの腕を柔らかく押さえた。

「疲れたのはそっちだろう。列車の中では眠れないんじゃないのか」
「意外とだいじょうぶ。地元に帰ってすっきりしたから、かな」
その言葉通り、セラの表情は爽快だった。

「でも、よく出られたわね」
「うん、申請はすぐに通った」
「理由は?」
「嘘偽り無く、セラ・エルファトーンを迎えに」
「すんなり通してくれるなんて」
平日の早朝、しかもただの同級の友人を迎えるために申請した外出許可。
学園が一学生を解放するなどと到底考えられない。
深夜早朝の出歩きなど、風紀に関わる。

「不思議ね」
「不思議だな」
「クレイの力かもね」
「何だ、それは」
日が昇り、光が差す、朝の霧が去っていく。

「私は何もできない」
「いろんな人をクレイは引き寄せるから」
「磁石みたいな言い方だ」



「朝の街ね」
セラが顔を少し上向けた。
背が高いガラス張りビルは、対面に立つ競ったように背の高いビルの窓を映し死んだように佇んでいる。

「昼間はあんなに活気付いているっていうのに」
道に人影はない。

「目覚めていくんだわ、少しずつ」
青い車が一台流れた。

「本当だ、起きはじめた」


狭い路地から地面が擦れる音がする。
セラが道を挟んで左に目を振ると、店の制服姿の若者が大きな塵缶を引きずり出していた。
汚れた手袋を脱ぎ、缶の蓋に落とすと大きく伸びをした。
彼の一日は始まった。

「一日一日、同じようだけど違う時間が流れて」
「人間と同じだな。眠って起きて、また口を閉ざして眠る」
人が街を生かしている。
人の流れが動かしている。

「今、この瞬間にしか感じられない感覚だな」
「歩いて正解だったわね」
セラが今にも飛び跳ねそうな軽やかな声で返した。
巨大なディグダの中心都市の起床に立ち会えた喜びに満ちている。




「あいつに会ったよ。前に森の中であった」
「あ、つんつん頭の男の人。確か、カインって」
「カイン・ゲルフ。セラの言った通り、悪い人間ではない」
「そうね。体は大きいのに、子供みたいに無邪気なの」
「変わったやつだ」
セラに聞こえるか聞こえないかの呟きを吐いた。

「歌を歌っていた」
セラが歌っていた歌を口ずさんだ。
音程が外れた鼻歌混じりの歌だった。

それ以上のカインとの接触について、クレイは語らなかった。



学園まで、もっと時間が掛かるかと思っていた。
人を避けて通る必要が無いというのもあるが、感覚の違いだろう。

セラが巨大な門の前で立ち止まった。
クレイも隣で脚を止める。
門の頂点に埋まる、二重の環に囲まれた学園の紋を見上げた。
ただいま、と心の中だけで呟く。

「門が開いていてよかった」
西門の一角、事務員通用口の鍵は開いていた。
小さな鉄扉を潜り、脇にある管理室へIDチェックを済ます。

外の人間から、中の人間へ。
着替えるように切り替わる。

「帰ってこなかったらどうしようかと思った」
二人で並んで砂道を歩いている中、ふとクレイが漏らす。

「ここはわたしにとってもう一つの家だから」
帰るべき場所だから

「ねえ、クレイ。ディグダには光が埋まってるんですって。 神さまの欠片ですって。本当かしら」
「歌か」
セラがその言葉に頷いた。
そういえば、クレイが提げているセラの鞄は重い。
本を持っていったのだろう。
本当かそうでないかなんてどちらでもいい。

「そうかもしれない。そう思うことが素敵なのよね」
見えないこと。
だから大切だったりする。
愛しく、脆く、儚い。
でも大切だったりする。
セラが立ち止まった。
細く息を吸い込む。

「ただいま、クレイ」
「おかえり」
微笑み、返した途端、クレイから涙があふれ出た。
止まらない。

セラの顔が滲む。
世界が歪む。
クレイ自身も不思議そうに頬を拭う。
拭っても拭っても、止め処なく流れる。
おかしい。

「不安定なんだ、ずっと」
セラがクレイの正面に向き合う。

「いろいろ、思い出したから」
「ふいに、体が小さくなった気がするんだ」
周りからの圧迫感。
悪寒。
その場に蹲ってしまう。
体の震えが止まらない。
喉が絞まったように。

「だいじょうぶ」
尋ねるのではなく、言い聞かせるように。

「だいじょうぶ」
何度も。
その場所は温かい。

「わたしはここにいるから」
子供のようなクレイを立ったまま抱き寄せた。
背中に温かい手を押し当てた。
クレイは声を押し殺して泣いていた。

「ずっと、側にいる」
肩の震えが、いかにセラの不在がクレイを不安定にしていたか伝えていた。

「ごめん、セラ。ごめん」
クレイの涙がセラの首筋を濡らす。

「強くなるから。必ず。だから」
「泣いていいよ。我慢しなくていい」
陽の光、温まっていく大気。
太陽の下で、冷たい風に巻かれながら、学園もまた目を覚ましていった。






そして季節は巡る。

時は回る。

同じに見えても。

それでもひとは変わり続ける。

小さな変化を積み重ねながら。












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