Ventus  69










静かだ。
壁を一枚挟めば剣の弾ける音が耳を裂くように響くというのに。
ここは。



巨大な環の中に設けられた箱庭だ。
カイン・ゲルフは造られた自然と光の中、巨大なガラス窓が見える木の下を確保した。
自動販売機で手に入れた水のボトルを、三角に折り曲げた長い脚の間で退屈そうに揺らしている。
視線はガラスの向こうの通路から離さないでいた。
室内の庭にも関わらず圧迫感がないのは、吹き抜けになった縦、天井まで届く目の前のガラスのせいだった。

彼は待っている。

膝の上に肘を乗せた。
手のひらに、頬を乗せた。

待ち焦がれていた。

時計を見るのはやめた。
待ち合わせではないからだ。
眺める、というよりは見張ると言うに近い。

小さな林に遮られた廊下、カインがいる箱庭。
同じ平面に属し、境界はただ恐ろしく高い天井まで届くガラスだけだ。
踏み越えるのに厄介な手続きが要るわけでも、所持品検査が要るわけでもない。
たった一枚のガラスで空気がまったく違う。

そもそもが異質なのだ。
自然なら、外に出ればいくらでも木が生えている。
温室は点在している。
あえてどうしてここに造ったのだ。
この環の中に。
何かを間違ったのか、このアンバランスさが狙いなのか、カインには計り知れない深い意味が込められているのか。

「何か文学的か芸術的か、皮肉か暗喩か」
五分間ほど考えてみたが、すぐに飽きた。
自分なりに辿りついた答えがあったとして、誰かが「正解だ!」と両手を握ってくれるわけでもない。

「もしくは、何も考えてないかだな」
一人、植えられた木の下でボトルを傾けた。
水が小さな揺れる音をたてる。

この建造物が一番賑わうのは、涼季に入りきる前だ。
清女(きよらめ)の祭というのがある。
水差しを持った女性らが闘技場内を舞い歩く。
彼女らが去ると場内の地面は細い水で描かれた模様が残る。
それが開幕の儀式だ。
アームブレードの試合が始まる。
よって、清女の祭と呼ばれている。

戦術、技術、体力、敏捷力を統合し高みを目指す。
己の力を研鑽するための施設がこの環状の訓練施設だ。
清女の祭が始まるまで、この施設は賑わう。

しかし祭は終わった。
施設に学生が入らない日はないが、明らかに利用者が減っている。
ガラスを挟んだ向こうの廊下で、カウンター越しにカインをちらちら観察している受付の女性。
彼女も退屈そうだ。
欠伸は見せないが、暇を埋めるようにカインを目の端で見る。
確かに彼は少し奇妙だ。
木は外にも生えている。
外が寒ければ温室だって学園内にいくつもある。
それを、受付に寄り付きもせず放課後の時間をそこで潰している。

ここ数日に渡って。
試験が近いにも関わらずだ。

疑問に満ちた視線はガラスを突き抜けて、カインに伝わってきた。
関係ない。
カインは頭を乾いた木の肌にくっ付けた。
両脚を前へ投げ出した。
伸ばすとその長さが際立つ。
この場所は静かだ。

鳥もいない。
虫もいない。
風は吹かない。
陽の光ではなく、白い人工灯だ。
そしてこの青い芝生の地面の下には、無数のアームブレードが眠っている。
主の呼び出しの時まで。
巨大な倉庫だ。
深さは知らない。
数も分からないが、カインの一本もあるはずだ。

待ち人の一本は、あるだろうか。
それとも、今はその腕に。






「クレイ・カーティナー!」

立ち上がった手の中からボトルが滑り落ち、地面を跳ねた。
カインは気付いていない。

ガラスを声が抜けたのか。
そうは思えない。
だが彼女は振り向いた。
鋭い目で、睨むように。
大きな瞳で真っ直ぐに威嚇した。
あるいは警告。

ボトルが完全に動きを止める前に、カインはガラス扉に手を掛けていた。
クレイの殺気に似た緊張感も振り払うように、駆け寄った。
背中が引き締まる。
汗が滲んでいた。

クレイが植えられた林の中に作られた小道をやって来る。
カインに興味を持って近づいてくるのではない。
ただ環状の廊下を緩やかな半円描いて回るより、真ん中を突っ切った方が早いからだ。
目の前に受付が、林を挟んで反対側にアームブレードの倉庫がある。
当然であるかのように、立ち止まることなく突き進んでいく。
林の中に取り残され、廊下の向こうではクレイがアームブレードをカウンターで預けている。
ここまで完全にシャットアウトされるとは。
せめて一言ぐらい言葉を交わしたかった。
そのためにカインは待ち続けたのだというのに。

脱力し、ため息とともに口ずさんだ歌は穏やかな曲調。
耳に染み付いた繰り返しのフレーズだ。
掠れた声が、より寂しさを助長する。
足元に歪な影が浮かんでいる。

大きく刻まれる堅い靴音がした。
乱暴に叩き付ける様な音だ。
顔を上げた。
靴音の主が誰かを確認する前に、大きく仰け反った。
後ろに倒れなかったのは、背中に木が当たったからだ。
代わりに頭をしたたか幹にぶつけた。
痛い。
呻き声も上げられない。

彼女は振り向き様にカインの懐に踏み込んだ。
鼻先を掠める、目の前で浮き上がった黒髪。

「どこでその歌を知った」
腹の底から響く声だった。
戦慄する。
自分より遥かに小柄な少女に。

答えのないカインの首を締め上げる。
片腕を伸ばして。

「セ、ラに」
喉を押さえつけるクレイの片手に指を食い込ませて引き剥がした。
酸素を肺に叩き込んだかと思ったら、思い切り咳き込んだ。

「セラ・エルファトーンに会ったんだ」
「セラ、に」
喉が痛い。
片手で擦った。
背中を木に預け、ゆっくりと深呼吸した。

「死ぬかと思った」
冗談ではない。
意識が薄らいでいくのが分かった。

だが死にそうな顔をしているのは目の前のクレイのほうだった。
額を押さえて、うな垂れている。
そんなにカインとセラが出会ったことがまずかったのか。

「力の加減が。いや、そうじゃなくて」
「大丈夫か」
聞いてはみたものの、大丈夫そうではないのは明らかだ。

「すまない」
そのままカインの足元に崩れていった。
風船の空気が抜けていくように脱力して、座り込んでしまう。

「セラが歌ったのか。お前に」
「ああ。偶然会って、話をして」
「そうか」
「歌が気に入らなかったら謝る」
「違う」
片手で顔を覆っていた。

「不安定なんだ。やっぱり、セラがいないと」
混乱しているのか、カインにはクレイの話がさっぱり分からない。

「彼女はまだ帰らないのか」
クレイは黙ったままだった。

「どこに行ったのかも話したのか」
「家に帰るって言ってた」
クレイは小さく、ゆっくりと息を吐いた。

「セラからお前のことを聞いた。悪い人間ではないと」
ただそれだけだった。
どこからそんな根拠が湧いて出たのか、聞いても微笑むだけで答えなかった。

「いつ?」
「セラが発つ直前だ」
カインと喫茶室で会った後の話だ。

「歌は私とセラしか、ここでは知らない」
貧血のように膝から崩れていったクレイが、ようやく落ち着きを取り戻し顔を上げた。

「アームブレードを収めてきた後でよかった」
カインもクレイの隣に屈みこんだ。

「手にしていたら間違いなく切られていただろうな」
「ああ、きっと」
恐ろしいことを言う。
だが、本当だろう。
さっきの眼は、思い出すと背筋が凍る。
今目の前にいるクレイと別人のようだ。

「セラ・エルファトーンはきみの何なんだ?」
目が見開かれた。
だがそれもすぐにふっと緩む。

「さあ」
クレイを変えてくれたひと。
クレイを愛してくれたひと。
ただひとりの。

「私にも、実はよく分かっていない」
「どちらにしろ、大切なものがあるってのはいいことだ」
咳払いをし、喉から手を離してカインが頷いた。
赤い指の形が痛々しく残る。

「獣(ビースト)って知ってるか」
「ああ」
突然の話の飛躍に、カインは戸惑う。
目の前のクレイは上着のポケットに両手を入れた。
もう手は出さない。
そういった決意、自制心なのだろう。

「知らないやつはいないだろうな」
新聞にもマスメディアにも取り上げられている。
最近では軍が討伐隊を増強したとまで聞いた。
一学生に過ぎないカインの耳にも入るぐらいだ。
事態は思ったよりよくない方向に動いているのかもしれない。

クレイがカインから目を反らすように体ごと横を向いた。
両手をコートのポケットに隠して背筋正しく立つ姿は、カインの知っている孤高のクレイだ。
嫌でも目を引く。
鮮烈な印象を焼き付けられる。
きっと闇夜に佇むと目が金色に光るのだろう、などとおかしな想像に掻き立てられる不思議な瞳だ。
子供染みた突飛な想像も、クレイに対してだけはあながち嘘ではなさそうに思えてくる。
それ程に鋭く、惹きつけられる漆黒の目をしていた。

黒の闇に溶ける、黒髪。
真っ赤な唇。
大きく、しかし鋭利な輝きを放つ瞳。
小柄だが引き締まった、バランスのいい体躯。
俊敏なのはアームブレードの試合でよく分かった。
余すところ無く、体の筋肉を使っていた。


風。


セラ・エルファトーンが言っていた。
そうか。
今、目の前にして改めて納得した。
やはり彼女に相応しい。

その彼女が、空気に溶けるような柔らかさで呟いた。


「私は、あれだ」
人を引き裂く。
驚くほどの敏捷性と、聡明さと、残虐性。
カインは押さえつけられた喉に、絞まるような痛みが甦った。
声が出ない。
息もできなかった。



「獣(ビースト)」
ようやく声が出せるようになって、震える声を絞り出した。
だが、もうクレイ・カーティナーの姿はなかった。












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