Ventus  68










「あ」


声に首を大きく反らして、真上を見上げた。
姿を認めて大きく目を開いた。

「ひとり?」
「ごめんねひとりで」
小首をかしげた様子を少し微笑ましく思い、思わず謝ってしまった。
皮肉のつもりはなかった。

「いや、ええと」
今の発言は流石に相手に失礼だと思い返したのか、見下ろしている目が動揺で泳いでいる。

「今は先生に呼び出されて行ってしまったの。だから、今はひとり」
助け舟を出し、相手もそれに捕まった。

「もしかしたらって思ったんだ」
「よくわかったわね」

セラがひとり、放課後を過ごしていたのは、雑音に満ちたカフェテリアだった。
天井は六角形の枠に区切られたガラス張りのドーム状になっている。
暑季にはガラスが曇り、強すぎる日光から真下にいる人間を守ってくれるが、今は無色透明。
薄い太陽の光を透過している。

「なんとなく、直感」
「背中を見ただけで?」
「振り向いて、目を見て確信した」
一度会っただけだ。
それも一瞬。

草陰から覗いた驚いた顔。
子犬のように弾け飛びそうな元気さは、よくわかった。
何百では留まらない、学生の数と広大な敷地だ。

立たせたままというのも気の毒だった。
何より人の流れの邪魔をしてしまう。
反らし続けている首も痛くなってきた。

「座る?」
「あ、うん」
ひょろりと長い体が、白い椅子に収まった。
座っても大きな男性だと改めて思った。

髪は先日出会ったときと同じ、短く刈られた金髪が元気良く上に立っていた。

「勉強中? だったら悪かったな」
「ううん。違う」
セラは手許の本を閉じ、ノートを畳んだ。

「趣味としての調べもの」
「何を調べてるのか、聞いていいか」
「歌の解読。暗号を解いてるみたいなの」
「ふうん。飲み物頼む?」
「そうね」
セラの返事を聞いてすぐに、男が長い右手を挙げた。
持ち上げた手も大きい。

「クレイに何か用だったの?」
「いや、用があったわけじゃなくって。話をしたかったんだ」
「今までクレイと真正面から向き合いたいって人、いなかった」
確かに、前回目の前の男と出会ったとき言っていた、クレイの試合。
あれは目を引くものがあった。

剥き出しの殺気に、セラも当てられた。


「そうだ。わたし、セラ・エルファトーン」
名乗り終えて、手のひらを男の方へ向ける。

「俺は、カイン・ゲルフ」
「きれいでしょう」
「君が?」
「違うわよ。クレイの剣」
色素の薄い目が大きく開く。

腕の延長のような長いアームブレードが、空気の抵抗を感じさせないほど滑らかに動く。

「空気の流れを読んでるんだ」
「読めるものなの?」
アームブレードの大会にまでは出られなかったものの、目の前のカイン・ゲルフもアームブレードを学んでいる。

「教師はそう言うけどね。刃の側面で振れって」
カインが手の指をそろえて、目の前でひらひらと振った。

理屈では解かる。
アームブレードは披針形をしている。
先の尖った平たい葉のような形だ。
腕に装着すれば自分の膝を軽く越える長さを振り回すのだ。
武器としての造りは単純だが、扱いに技術の差が現れる。

「流れを読むのに長けてるんだな、彼女は」
「そうね。引きずられてないもの、ブレードに」
「わかる? いくら反転かけてもさ、軸がぶれないんだよ」
興奮の余りクレイを真似て振った腕が、通りかかったウェイターに当たりそうになり、慌ててて引っ込めた。

犬のように耳があったら、萎むように垂れていただろう。
その様子が何ともセラにはおかしかった。
目の前で堂々と笑うわけにもいかず、片手で口元を隠して笑いを凌いだ。

「不思議よね。無駄に力が入ってない感じがする。自然な感じが、まるで」
呼吸とともにブレードが振り落ちる。
自分の体重を上手く力に転換できる。

「風みたいに」
「風のように」

きれいに重なった声に驚き、互いに見詰め合った。
言葉が途切れてしまった空気を切り替えるかのように、注文した飲み物が二人の間で堅いガラスの音を立てた。




「クレイは、最初からそうね」
目の前に置かれた飲み物に手を付けず、目を閉じた。
思い出す、丘の上の姿。

「溶けそうなの。消えそうだった」
風で掻き消えそうな、ガラスのように澄み切った。

「さらさらの砂の上に書いた絵は、風で何も無かったかのように吹き消されてしまうでしょう」
手ですくおうとしても砂は指の間から流れ出てしまう。
開いてみたら、そこには何も無い。
まるで夢でも見ていたかのように、何も無い。

丘の上で、風に髪を弄られ遠くを眺めていた、立ち尽くしていたクレイは急速に風化していく何かに思えた。

「儚い」
目を離せば次の瞬間、そこにいないかもしれない。
見ていたことすら夢かもしれない。
そう思わせた。
夢幻の時間。
永遠の瞬間。

「でも、本当に鮮やかな存在感に変わる」
一瞬にして。
鮮烈に。
今でも、どれくらい時間が経っても忘れることはない。

「黒の髪と赤い唇。漆黒の瞳がわたしを見たわ」
真っ直ぐに。
それまでの儚さが消し飛んだ。

誰が、何が二人を引き合わせたのか。




「あのときから、クレイは。風だった」
「クレイ・カーティナーの存在は知ってたんだ」
ひどく近寄りがたい存在だった。
話しかけたら弾き飛ばされそうだ。
実際は近寄ることすら許されないだろう。

「間近で見たのは、あのアームブレードの大会でだ」
あえて表にでることをしない、目立つことを嫌っていたクレイだ。

「うーん、違うな。嫌うとかそんなんじゃない。そもそも、そういうことに関心がなかったんだなきっと」
カインが自分で否定した。
誰かより勝っていたり優れていたりということに、クレイはまったく興味が無い。

セラが薄黄色のグラスに手を伸ばした。

「檸檬水、好きなのか?」
この寒いのに、グラスは水滴をまとっている。
カフェテリアのドーム内は空調で暖かだとはいえ、一歩出れば長居したくない寒風だ。

「珍しいのよ。故郷には無かったから」
「温かいのもある」
「冷たいのがいいの」
檸檬に蜂蜜の甘さが絶妙なのだ、ここの檸檬水は。

「ここで飲むのは、最高だ」
カインが大きく仰け反って、ドームの天井を仰いだ。
高い天井だ。
精一杯伸ばした自分の腕が一体何本あれば到達できるだろう。

「何でもおいしく感じるな」
解放感があって、読書をするも良し勉強するも良し雑談するも良しだ。
声を高くして話に没頭する学生もいない。
丸く小さなテーブルは、顔を寄せて話をするのにちょうどいい大きさだ。




セラがグラスの氷を混ぜながら、鼻歌を小さく歌う。

「その歌」
カインが温かいカップから口を離して固まっている。

「知ってる?」
首を横に静かに振った。

「いいね」
「いいでしょう」
「教えて」
「ここで?」
余りに食いつくので、セラがようやく折れた。
周りに素早く目を走らせ、周囲の席との距離を確認して、浅く息を吸う。
掠れる小さな声だったが、柔らかい歌が流れる。

ジェイ・スティンが気持ち良さそうに歌っていた歌だ。
彼女から贈られたミュージックディスクの歌だった。
何度も聞いた。
毎日、飽きもせず、繰り返し流した。
すぐに歌は覚えた。

「もう一度」
カインが肘をつきながら、催促する。
歌が終われば、何度も。

「いい歌だ」
「すっかり冷めてしまったわ」
セラがカインのカップを指差した。
セラのグラスの氷も溶けてしまっている。

「あー、もう一杯。注文する?」
「ううん。わたし、もう行かなくちゃ」
天井からの光は、人工のものに代わった。

「食事? には早いか」
「家に帰るの。今日の夜に発つわ」
「こんな時期に?」
試験は間近だ。
休暇もずいぶん先になる。

立ち上がって、机の上の本とノートを重ねて腕に乗せた。

「付き合ってくれてありがとう」
「それはこっちだ」
カインも立ち上がった。

「クレイは訓練塔によく行くの」
「え?」
「じゃあね」
唐突な情報に、呆然としているカインに片手を振って背中を向けた。
セラの背中がどんどん小さくなっていく。
カインは腰が抜けたように、椅子に体を落とすと飲みかけの冷めたカップに指を絡ませた。

頭の中は訓練塔とクレイとセラで一杯だ。
持ち上げたカップの中身が、唇に流れ込む。

「冷たい」












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