Ventus  67










「歌は、解けたのか」
風が冷たい。
一週間前よりも更に温度が下がっているのが体感できた。

「少しずつね」
「急ぐ必要もないな」
クレイは背中を緩やかに丸めて横に転がった。
最近セラが気付いたことだが、クレイが安心しているときにとる無意識のポーズらしい。
右腕を枕にして薄目を開けて草の流れを眺めている。

「外でこうしてぼんやりできるのもあと少しね」
「来年は、もっと時間が合わなくなるから?」
「寒くない? クレイ」
「今日は陽が当たってるから」
小さく欠伸をした。

「本当は、図書館とか寮でこもってなきゃいけないんだけど」
「今更足掻いてもしかたがない」
クレイは本格的に昼寝に入るようだ。
セラの傍らで目を閉じた。

同じようにクレイが寝転がっていたのは一週間前。
あのときのクレイの眼は、セラには忘れられない。
今は落ち着いている。
いつかはクレイの傷は癒えるのだろうか。

「試験、始まってるのよ。なのに緊張感ゼロ」
苦笑したセラの腕を、クレイが軽く叩いた。
セラは大丈夫だろう、と見上げた。

「終わったら、わたしたち上級生になるのね」
「当たり前だろう」
「うん、わかってる。でも、寂しい」
今日で最後くらいだろう。
次に温かくなるまで、外でゆっくり話したりはできない。

「あのね、クレイ」
クレイの柔らかで滑らかな黒髪に手を伸ばそうとして、背後の草が揺れる気配に振り返った。

セラの背中が固まった。
まさかここに人が来るなど思わなかったからだ。
クレイも半身を捻り、腹ばいになって身構えた。
マレーラとリシアンサスは授業中だ。

足音は一つ。

「あ、れ?」
驚いた顔をしたのは顔を覗かせた相手のほうだった。
垂直に立った短い髪は、金色だ。
何より背が、高い。

草の間から上半身だけ突き出して固まっている。
広い肩幅だった。

「く。く、く」
驚いた表情のまま、歯の奥でくぐもった声を出している。
クレイとセラは目の前に現れた青年にどう対処していいのか、分からない。
セラは突然の来訪者を不思議そうに眺めている。
クレイはというと、険しく硬い表情で地面の近くから睨み上げていた。
目の前の彼は何か言いたそうだ。

「クレイ・カーティナー!」
林中に響き渡る、裏返った声で叫んだ。

「お友だち?」
「知らん」
事実だ。
こんな男と交流をもったことなど一度も無い。
確かに、セラが側で見ている限りクレイの交友関係はごく限られている。

「この間、試合で」
「知らない」
穏やかな時間をかき乱されて、クレイは不機嫌を隠さない。

「や、俺は予選すらだめだったけど」
出場者ではない。
じゃあ、何だ。
クレイの苛立ちがそのまま眉間に現れる。

「すごかった。いきなりペースダウンしたけどさ」
無邪気な目の輝きが眩しいくらいだ。
草を掻き分けて身を乗り出してきた。

「セラ、帰る」
クレイが草を払うこともなく立ち上がり、無言で男の側をすり抜けた。

「あ、あの」
青年の呼びかけも虚しく、クレイの背中は遠ざかっていく。
呆然と立ち尽くした男の表情が、本当に寂しそうに沈んでいく。

「えっと」
彼の表情の変化を横目で見ながらも、男にかける言葉が思い浮かばす、セラも居心地の悪い空気に巻かれていた。

「セラ、早く来い」
木の陰に半分体が隠れて、クレイがセラを呼ぶ。
捨てられたような顔をしている彼に声をかけることなく放置するのは少し気が引けたが、気まずい空気からは逃げたかった。
小走りでクレイに追いついた。




「そういえば、さっき何か言おうとしてただろう」
「あの男の人?」
少年のような顔をしていた。
小柄なクレイと並べると、背丈の高さが目立つが。
純粋に、クレイのアームブレードに惹かれたのだろう。
クレイの太刀筋は澄んでいる。
真っ直ぐで、空気に逆らわない滑らかな剣先は美しい。
その魅力は、セラにも分かる。
アームブレードに親しんで一年もまだ経っていない。
剣技はまだまだ未熟だし、相手の剣を流す技も磨く必要がある。
だが素質や感性はクレイにあっているのだと、セラは感じた。

「違う」
「え?」
頭の中で、始めて間近でクレイのアームブレードを見たときの光景を思い浮かべていた。
クレイの一言で散った。

「セラ」
「ああ、わたし?」
停止した思考を巻き戻していく。
いきなり男性が現れたので途切れてしまった会話の続きだ。
その彼から逃げるようにして、林を抜けてきた。
真っ直ぐ教室に向うには早過ぎる。
散歩も兼ねて、遠回りして教室まで歩くことにした。
そういうのも、たまにはいい。

「明後日から、故郷に帰ろうと思って」
「は?」
クレイの足が突然止まった。

「家に帰るの」
「何で」
「ちょっと、ね」
「どうして今なんだ」
「今、考えたいの。だから」
試験はすでに始まっている。
最終の試験は遅れて来週半ばだ。
長期休暇が始まっているわけでもない。

「授業はある」
「そうね」
「大丈夫なのか」
学園は規律に厳しい。
逸脱した行動には、退学という裁きが下る。
他にこの学園を望む優秀な学生はいくらでもいるからだ。

「黙って出て行ったりしないわ。ちゃんと先生に相談して、欠席許可を取ったもの」
「すぐ戻ってくるんだろう」
「うん、試験もあるし」
「そう、か」
セラを引き止めたい気もするが、理由が見つからない。
変な気分だった。
心の所在は心臓か頭か。
そのあたりがもやもやする。

「ディグダという国が知りたいの」
「ずっと住んできたんだろう。帝都ではないにしても」
セラの街も、ディグダの一部だ。

「でも見えてないの。だから、その核であるディグダクトルを知らなきゃいけないと思って」
それが故郷に帰る理由だ。

「他にもね、いろいろ。きっとはっきりした形にしたいのよ」
足はいつの間にか、灰色館へ向いていた。
流行ることのない図書館の旧第六分室。
灰色館は、俗称だ。
他の分室と比べ、林に沈み、人の流れから大きく外れている。
あったことすら気付くことなく、ほとんどの学生は卒業していく。
考え事をしたり、静かに本を読んだりするにはここが一番いい。
館主のヒオウ・アルストロメリアは話し好きだが、来訪者に執拗な干渉はしない。

「形に固まったりするようなものなのか」
「整理したいの」
外から見て、輪郭が見えてくるとセラは言った。
思い返せば、クレイもディグダクトルの街に戻った。
それまで入ることがなかった、生まれた街に踏み入れた。
その行動の動機は、やはり自分の中の何かを固めたかったからだ。

「セラは、ディグダの何を知りたいんだ」
「消えてしまった言葉と、ディグダが今のディグダになる前の姿」
幼さが残る顔立ちだ。
柔らかな温かい空気がセラを包んでいる。
しかし時々、十五の年齢にそぐわないほど真摯で真っ直ぐな目をすることがある。
ただ優しいだけではない、しなやかな強さはクレイをも怯ませる。
あるいは、その瞬間に出会えるのはクレイだけかもしれない。

「一年って早いわね」
セラが灰色館の扉に手を掛けた。
木の匂いがする。
ここは静かだ。

「いろんなことがあった。セラと会ってから一年なんだな」
もっとずっと長く一緒にいる気がした。

「不思議。だって、最初のきっかけって目が合ったってだけだったもの」
一瞬の視線の重なり。
それが今に繋がる。


もし、二人のうちどちらかが他の方向へ歩いていっていたら。
もし、クレイが振り向かなかったら。
もし、あのとき。
風が吹かなかったら。


「きっかけは。物事の始まりはそんなものだ。小さなものの連続それが今に至る」
「そうね」
小さなことで、今とは違う道を歩むことになっていた。
それもすべて、自分が選んだ道。
後悔はない。
選択したことが、今の悲しみと等しい幸せに繋がるのだとしたら。
後悔はしない。
過去を否定したら、今の自分も否定することになる。

「だってクレイと会えたから」
そしていつものように温かく迎えてくれる彼女、ヒオウとも。


こうして一緒にいられる、それがすべてだ。












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