Ventus
65
ジェイ・スティンは長い脚を組み替えた。
ドレスの上から浮き上がったシルエットで分かる。
細く長い脚だ。
柔らかいソファの上で背筋は真っ直ぐ伸び、目尻の下がりがちな穏やかな瞳の奥で観察している。
「よくクレイが許したわね」
「クレイには黙って出てきたの」
街に買い物に出てくると言ったら、クレイも一緒に行くと立ち上がった。
一人でジェイのところに行くと言い出したら、全力で止めにかかるだろう。
「迷子にならなかったのが奇跡だわ」
ショッピングモールや華やかな店が並ぶ表の街は、整備されて美しい景観だ。
しかし、一端裏に入り込めば深く広く入り組んだ道とも言えない道が血管のように張り巡らされている。
どこかの道がまた別のどこかに繋がっていればいいが、歩いているうちに行き止まりなど珍しくない。
気が付けばあるはずの道は、単なる建物の隙間になっていたというのもよくある。
方角と目標を見失えば、およそ出られそうにない。
日が暮れれば通り過ぎる人間の顔も判別できないほど、闇が濃くなる。
相手が手に何を握っているかなど目視できなくなる。
「ちょっとだけ、待っていてもらってもいいかしら」
ジェイが奥の扉の向こうへ消えた。
薄暗い部屋は衣装室だ。
豪奢で煌びやかな衣装が数十と並んでいるわけではなく、背の高い横棒のハンガーに吊るされた衣装がカーテンのように垂れていた。
ジェイが消えた四角い室内は急に静かになった。
改めて見回してみるが、本当に物が少ない。
壁にへばり付くように置かれた鏡台が一つ。
脇机が一つ。
少し離れて、セラが座っている長いソファが二つ直角になるように組まれている。
本棚には薄い書籍が真っ直ぐに並んでいた。
それ以外に目立った家具はなく、装飾品も見当たらない。
舞台に立って歌う華やかな歌手。
ジェイは華美に着飾るのは嫌うようだが、それにしても部屋は簡素な気がした。
五分と経たない内にジェイが扉の向こうから、痩身をこちらの部屋に滑り込ませた。
猫のような滑らかな歩調でセラのいるソファに戻ってくる。
大判の封筒が片手で抱えられていた。
脚に絡むドレスを空いた右手で持ち上げて、脚を揃えてセラの隣に腰を落とした。
膝の上に置かれた封筒は厳重に紐を掛けられている。
茶色い紐の端をつまんで、丁寧に渦を解いていく。
ジェイの指が封筒の上で回るたび、セラの胸が高鳴った。
「本当は誰にも見せてはいけないの」
それは封筒が語っていた。
茶色く変色した紙が破けてもいないのは、ジェイが大切に保管していた証拠だ。
「あなたからディスクを貰って、何度も聞いたわ」
何度も、何度も、擦り切れるかと思うほど繰り返し流していた。
「聞いてるうちに歌詞を知りたくなった。耳で書き写そうとしたけれど」
「だめだった?」
「ええ。あの言葉が本当にディグダで使われていたの?」
ジェイが歌う美しい調べは、ディグダの古い言葉だ。
「あんな難解な言葉が、本当に」
「だからこそ、今はもっと簡易な言葉、誰でも扱える言語に変化していったの」
死んでしまった過去の言葉を掘り出してきた人物。
そしてそれを鮮やかに蘇らせたジェイ。
二人が揃って成し遂げられた歌だ。
「化石のようなものね。歌うたびにそう感じる」
「昔のディグダが閉じ込められた?」
「そうよ。歌には意味がある。忘れ去られた言葉は真実を語っている」
真実。
「大いなるもの、気高きもの、輝けるもの。余りて内に秘めたり」
「前に言っていた、歌の意味ね」
「でも不完全なのよ」
真意が読み取れず、セラは首をかしげた。
「言葉は真実だけど、歌はそのすべてじゃないの」
「わたしは、ただ意味を知りたいの。興味があったから。ディグダの言葉。その先に何も求めていないわ」
「ディグダは、セラにとって敵ではないの?」
大陸の一部に乗っかる小国だったディグダが、徐々に勢力を拡大し、今や帝国にまでなった。
幼い王、藍凌天(らんりょうてん)を上に、五つの賢人が国を支える。
大陸を食い尽くした揺るがぬ帝国。
飲み込まれ、腹の中に抱えた小国の中には、ディグダの圧制に抗うところも当然ある。
「わたしの街はまだ、反政府の組織はなかったから」
ディグダの圧力も比較的軽く、将来に対し多少の不安は残りながらも、何とか共存していた。
街の人間と駐在しているディグダ軍の兵士とが睨みあう様子も、ほとんど見かけない。
「忘れられてしまったディグダの言葉は、この国が今の姿になる前の言葉。敵も味方もないわ」
ディグダを敵視したら、そこで育ったクレイも否定することになる。
「これが、歌の歌詞よ。専門の書物があって照らし合わせて始めて意味がわかるの」
ディグダの中でも限られた人間、位の高い人間だけが扱えた特別な言語だとジェイは説明した。
「だから言葉は一般には広がらなかったのね。特別な言葉だから」
難解なのには理由があった。
「それにはきっと、特別な意味が込められているって思う。神秘的だわ。歌いながら伝わってくるの」
ジェイに歌を教え、封筒に封印された歌を渡した人間は引き継ぎたかったのだとジェイは考えている。
言葉少なな人だった。
「私は学園には行けない。でもセラならきっと意味を見つけられる」
秘められた意味を、解きほぐすことができる。
利益に囚われず、知的好奇心に澄んだ瞳で、神秘の箱を開けられるはずだ。
ジェイは確信している。
「大切に預かるわ。写しを取ったら、返しに来る」
「きっと解読にはとっても時間がかかると思うけど、次に来たときに、その一部を教えてね」
「必ず」
セラが受け取った譜面をそっと指を添える。
インクが掠れた紙は、強く押さえれば破れてしまいそうだ。
聞いた音も難解だったが、譜に書かれた文字は完全に記号だった。
単語のごく一部に、現代語に通じるものがありそうな気はするが、断片的過ぎて読み取れない。
ジェイに手渡された厚紙の間へ丁寧に挟み込み、鞄の中に入れた。
セラが外套を手にしたのを見て、ジェイも上着を取りに行った。
二人で並んで楽屋を出る。
机の上に逆さに上げられた椅子の間を抜ける。
まだ開店には随分時間がある。
「次に来たときはいろいろ案内するわ」
治安は悪いが、いい店はたくさんあると、ジェイが説明した。
通り過ぎていく店のうち、ここの店主がこういう人柄だ、この店のこの商品が気に入っていると挙げていく。
歩いているとよく分かる。
学園を取り巻く街では恐ろしいほどの速さで情報と物が流れていく。
一方で下町では古いものが古いままで残っていく。
入り組んだ街並、入り乱れた物に焦点を当てて見てみるとよく使い込まれている。
色落ちした街角の飾りも壊されていたりするが、中には細工の優れたものもある。
「ジェイー」
高い子どもの声と賑やかな足音がして、二人は振り返った。
「どこ行くの?」
あっという間にジェイの上着を掴んで三人の子どもに取り囲まれた。
「お友だちを送りに行くの」
「歌のひと?」
ジェイの腰までしか背丈のない少女が、首を反らせてジェイを見上げている。
「ううん。今日はもう帰ってしまうの」
「つまんない。新しいひとかと思ったのに」
「ライラは学校の帰り?」
少女は高く飛び跳ねた。
「うん。ミシアとロレンと一緒」
「おうちに帰って、お手伝いしたら行くから」
ロレンという少年が鞄を楽しげに振った。
「待ってるね」
「またあとでね!」
小さな嵐のように、三人はあっという間に裏道を駆けて行った。
「歌を教えているの。と、いうより一緒に歌っているって言うほうが正しいかも」
週に三回ほど、ジェイの店の奥にある広い楽屋に子どもたちが集まる。
夜お店が開くまでの時間に、皆で歌を歌う。
「みんなとってもいい子たちばかり」
定期的に開店前の店の舞台を利用して、歌の発表会をしたりするのだと、楽しそうに話していた。
話しながら歩くと、あっという間に街を抜けた。
行きはとても長く不安だった道と同じだとは思えない。
「次は、クレイと一緒に来て。一人だとやっぱり危ないわ」
「だいじょうぶよ」
セラは微笑んだが、彼女の手を取るジェイの顔に影はある。
「私が心配なのよ。お願い、ね」
「わかったわ」
確かな返事が聞けて、ジェイの頬が緩む。
「もうひとつ」
建物の長い壁に挟まれセラの手を握ったまま、ジェイが続けた。
「クレイを、守ってあげて」
「うん。何ができるかなんて、わからないけど」
「側にいるだけでいいのよ。クレイが自分の本当を話したのはセラだけだから」
「でも何もしてあげられない」
「理解してくれるひとが一人でもいる。それだけでとても強くなれるのよ」
「それはわたしも同じだわ」
ジェイはセラの手を離した。
熱が、まだ手の中に残っている。
またね。
セラを送り出し、小さく手を振ったジェイにセラは微笑んだ。
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