Ventus  64










あと少しで一年が終わる。
気が付けばすでに半分は軽く消化していた。
来年になれば、無事に上級へ上がれれば、更に自分の進むべき未来を見据えなければならない。

今ある環境がどれだけ恵まれていたものだったのかと噛み締めることになる。

現実はもっと血生臭いものだった。
あれは夢だったのだと誰もが感じる。

今は、想像もしていない。
それはクレイも、セラも、彼女たちの周りにいる学生皆、そうだった。

この巨大な街は守られた場所、そして今彼女たちがいる学園は最も安全な暖かい光に満ちている。




セラは指の上でペンを回した。
下段に立っている教師は、巨大なスクリーンの前で次の試験について説明を始めていた。
要約すれば、全体的に拾い上げて問題を構成するから気を抜かないようにと言う話だ。
どちらにしろ、今まで勉強した箇所を必死で読み返せということだ。

引き続き、来週提出文のレポートについて話し始めている。
セラは心ここにあらずと言った様子で、端末の陰で手の上に頬を乗せていた。


何かが変わったようでいて、何も変わっていない。
セラは自分の中で理由を探る。
一席離した隣ではクレイが端末と教壇を交互に見つつ、授業に集中している。

クレア・バートンといった。
アームブレードの教師だ。
クレイを見込み、たまに個人的に剣技を見ているようだ。
思いついたようにクレイに連絡をしてくると、クレイ自身から聞いた。
彼女は、この先どこに行くのだろう。
進むべき道は、クレイにはもう見えている気がする。


学園に入学するには条件が必要だ。
入学してから卒業できるまでにも更に厳しい条件に拘束される。
成績、単位、学力。
それを乗り越えさえすれば、望む道を選べる。
学びたいものを学べ、就きたい職を手にできる。
実力に応じて地位も手に入れられる。

開けた道や未来を夢見て、セラは小さな街から出てきた。
しかし、切符は手にしているものの、どこに進んでいいのか分からなくなった。
クレイのように、他者の目を引く実力がない。
手を引いてくれる者などいない。
自分で決めて、自分で選び取った道に進まねばならない。
そのために用意された時間は余りに短い。


「あ」
ペンがセラの手を滑り落ちた。
机の上で跳ね、端から飛び出して床に澄んだ音を立てる。
小さなざわめきの波の中で、突き抜ける音だった。
教壇は遠く、教師はまだ口を忙しく動かしており、生徒は正面を向いたり隣に耳打ちしたりしていた。

長く横に繋がった机。
幸い一番廊下側の席に座っていたので、ペンは立ち上がらなくても手が届く。
左に腰を捻って、足元に転がった銀色のペンに手を伸ばした。

「ん」
指先に冷たい感触。
触れた床はざらざらしていた。

何度か瞬きをする。
今、何か。

「どうした、セラ」
隣にいたクレイが机の下に沈んだセラの背中に指を乗せる。

「ペンが」
頭が下になった姿勢のまま、くぐもった声で答えた。

「取れるか」
「うん。それは、だいじょうぶ」
床に顔を近づけて、苦しい体勢で動かないセラの腕ををクレイが引き上げた。

「他にも何か失くしたのか」
「ううん。違う。ただ」
鐘が鳴った。
授業終了の合図だ。

「引っかかったの。何か」
「何?」
「うん、それを思い出そうとしてるんだけど」
歯切れの悪さと話の曖昧さ、それを解そうとクレイはセラの表情を読みながら眉間に皺を寄せる。

「ほら、よくない? 一瞬、何かに思い当たったんだけど、すうって流れていってしまって」
「ああ、うん」
その感覚は、嫌と言うほど味わった。
掴みきれそうで、指先をすり抜けていく。
捕らえ切れなかったディグダクトルの街での記憶。
もどかしい感覚は、忘れない。

「でも、うん。きっとまた思い出すわ」
セラは引かれるものを振り切って、次の授業に話題を振った。




「今日は先生に会うの?」
クレア・バートンだ。
昨日、またメールが来たらしい。

長い廊下、右側一直線に並ぶ窓からは白い光が流れ込む。
生徒の笑い声とざわめきに溢れている。

「ああ。放課後、あの円形訓練室で待ち合わせだ」
「なかなか個人指導なんてしてもらえないって聞いたわ。いいことじゃない」
「だが、彼女が期待するほどの才能はない。アームブレードだってまだまだ初心者だ」
軍の家系に生まれたわけでも、アームブレードを幼い頃から与えられていたわけでもない。

「でも大会には出られたわ。それって十分評価されることだと思うけど」
「セラは」
「わたしは図書館」
「試験勉強か」
「ううん。ちょっとね、調べもの」
「後で迎えに行く」
少し黙り込んだセラは、すぐに小さく笑う。

「いいわ、わたしがそっちに行く。部屋が使えるのは何時まで?」
クレイは上着のポケットに手を突っ込み、端末を引き出した。
右手の指を画面の上で躍らせる。
随分と慣れたものだ。
この一年で、端末を通じて誰かと繋がることが増えたからだろう。
セラがクレイと出会ったばかりの頃は、画面の小さな文字を追って微動するクレイの目、少し下に伏せがちの横顔など目にしなかった。

人と人との繋がり、その環は知らず知らずのうちに広がっていっている。
水の波紋のように。
音の振動のように。

「二時間。二−〇二八号室だ」
「わかった。その頃に」
次の授業からお互いに離れる。
来年は、もっと離れることが多くなるかもしれない。
自分の道を進むために。

クレイと別れて一人で教室間を移動する。
寂しさにため息が出た。


「指針」
人の流れが川のようだ。

「目標」
水飛沫の一つ、小さな存在。
それが自分という存在の真実だとしても。
それでも。

「進路」
他や多に泳がされることなく。
凡庸だと嘆くことなんてしたくない。
もう、そんな生き方はしたくない。

「したいこと。今できること。わたしが望むものは、何」
多すぎる情報の波に流されないで。






「だから、ここに来たの?」
「ええ。知りたかったから」
「あなたは」
彼女は目を閉じた。
呆れているのだろうか。
こんな場所まで来て。
迷惑だっただろうか。

「不思議」
魅惑的な唇の端が、微かに持ち上がった。

「人の繋がりって、不思議」
「それは、確かに言えるわね」
「あなたを突き動かしているのは何?」
それが自分をここまで押しやった。
この場所へ。

「そんな大きな力じゃないわ」
でも。

「あえて言うなら、好奇心」
僅かばかりの。

「けれどそれこそが、一番大切なものだと思うわ」
大人びた外見だったが、子どものように無邪気に彼女は笑う。

「それがあったから、私たちは私たちでいられる」
「人間が、進化してきた理由」
その言葉に、目の前に座っていた彼女の目が少し見開かれた。

「ごめんなさい、ちょっとずれちゃったわね、話が」
「いいえ。そうかもしれない」
好奇心、執着心、それによって導かれて繋がっていく。
連なっていく。
続いていく。

今までの歴史。
これから起こる未来。

「いいわ、セラ。あなたの知りたいもの。教えましょう」












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