Ventus  63










セラは大切そうに小箱を抱える。
まるで温もりがあるように、強く胸に押し付ける。

クレイに手を引かれ、逆さに転がされた鉄のゴミ箱の横をすり抜ける。
人に流されないように、人の波を掻き分けて進む。




「お祭りみたいね、ここは」
あたりが目映い灯りに満ちている。
学園の扉が閉まらなければ、もう少し夜になりつつある街を歩いていられたのに。
電車の扉に押し当てた。
冷たくなったガラスの向こうに華やかな世界と、闇の濃い世界とが混在している。
出会ったジェイ・スティンも不思議な人だった。
同じ場所で育ったクレイも、時折どこかを見ているような、何も見ていないような、何かを考えているようないないような。
不思議な目をしている。

「箱」
「なに?」
流れていく街から目を上げて、クレイに振り返った。
クレイの指はセラの胸元を指している。

「これはまだ開けない。食事が終わった後の楽しみにしておくわ」
「今開けても後で開けても、中身は変わらない」
「カタチあるものがすべてじゃないのよ」
大切なことだと伝えたかった。
クレイは分かっていないような目で、セラを眺めていた。

「分かるわよ、クレイなら。そのうちにね」
電車の振動を窓のガラスを通して感じる。

「次の駅よ」
セラの声に続いて車内アナウンスが駅名を告げる。

「クレイ?」
いつもならああ、であったり、そうだな、であったり返事が返ってくるものだ。
それが今日は反応がない。

「次で降りるのよ」
窓の外に視線を投げているクレイの肩を揺さぶった。
セラたちの車両がホームの端に滑り込んだ。
固まったままのクレイの横顔に不安になる。

「だいじょうぶ?」
「ああ」
鼻から深く息を吸い込み、伏せがちの目を上げた。
セラに目を合わせると同時に電車の扉が開いた。

学園前にある駅の改札を抜けると目の前に巨大な塀が続く。
石壁ではあるが、垂直に聳え立つ壁を乗り越えることは不可能である。
監視カメラや警報機が常に稼動しているらしいと生徒の間では噂が立っている。
設備に関して学園側から明かされることは決してないし、あえてセキュリティを破ろうと試みた愚か者はいない。
実態は噂通りかは分からないままだが、あながち嘘というわけではないだろう。

「美術館並の警備体制よね」
学生証の照合を済ませ、ゲートを潜ったセラが漏らした。

「それだけの設備があるんだろう。図書館の書物は国宝級がごろごろ地下に眠ってる」
「そうね。講義室、映写室、各部屋の機器は、入学して初めて目にするものばかりだったもの」

待つほどもなく、シャトルバスは停留所に現れた。
同じ宿舎地域に帰る私服の生徒で席は埋まっていた。
毎週変わらない光景だ。
学園に入れば馴染みの顔に出会う。
途端現実に引き戻される。

「外と中、どっちが現実なんだろうな」
「どうしたの? 急に」
ジェイに会って、昔と今とを見比べて感じるものがあったのか。
セラにしてみれば、ジェイのいた世界こそ自分のいた世界とはまるでちがう場所だった。
ジェイと共にいた時間で疎外感はなかった。
ただ手の届かない遠い場所には違いない。
ジェイは美しかった。
心の中は澄んで、だからこそあれだけ透き通った声で歌えるのだろう。

自由と束縛。
安寧と混濁。

周りにいる生徒、彼らにしても同じだろう。
また拘束された日常に戻る。
鬱屈した場所ととるか、そこは平和な守られた場所ととるか。


「どちらも現実よ。ディグダが内で何に目を覆い、何を隠そうとしていても」
クレイは、本当の現実に見てみぬ振りをするディグダの体質に憤ってはいるわけではない。
国に対する思いや、周りの環境に対する執着はそこまで芽生えていない。
ただ違いすぎる外と中の世界に違和感を感じただけだ。

「そうだな。おかしい。今までこんなこと、感じたりしなかったのに」
「きっと見えていなかったものが見えたからよ」
思い出と一緒に隠れていた世界も広がった。
意識しなかったものも同時に明らかになっていく。




クレイがセラの訪問を受けたのは夕食を終え、消灯との間。

明日からはまた授業が始まる。
必要な教科書を揃えて、壁を背にベッドに座った。
そういえば端末のメールチェックを今日は朝からしていない。
クレア・バートンからの連絡は思い出したように来るから気が抜けない。

幸い、二日前に返事を返して以降は連絡は来ていなかった。
立ったまま覗き込んだ端末の画面から顔を離したところで扉がノックされた。

扉の向こうで立っていたセラの片手には、ジェイから貰った小箱が未開封のまま乗っている。

「まだ開けてなかったのか」
中身だけを見せに来るものだとばかり思っていた。
招き入れられたセラは、微笑んで机の上に箱を置いた。
隣にクレイの顔が並ぶのを待ってから、箱の包みを解いた。
手のひらを大きく広げた大きさで厚みの薄い箱。
蓋を開ければ、丸い円盤が入っていた。

「これは?」
見たことのない板にクレイが眉をしかめた。

「ミュージックディスクだわ」
「見たことあるのか」
「小さな頃、家にあったの。最近は全然見かけないけど」
珍しそうに手に取って眺めた。
クレイが寝台に促し、セラがディスクを布団の上に乗せた。

「プラグは、あるわね」
セラが電源を探す。
部屋の構造はどれも変わらない。
私物が少ないクレイの部屋は掻き分けることなく、机の横にある電源を見つけた。
クレイとセラ、二人は寝台の上のディスクを前に床にしゃがみこんだ。

細いコードの先はディスクより小さなプレーヤーに繋がっていた。
プレーヤー側面の再生スイッチを探り当てる。

円盤が小さな回転音を上げて回り始めた。
その音はやがてディスクから流れ出る音にかき消された。
縦に長い影のようなホログラムが浮かび上がる。
映像は砂混じりのようにかすかに乱れている。
ホログラムは少しずつ色を帯び始めた。
形が明らかになっても、輪郭は濁ったままであったし、色彩も鮮やかさを欠いていた。
だがそこに映っているもの、また映像の製作者が撮ろうとしていたものはしっかりと見えてきた。

「ジェイ・スティン」
「ああ、彼女なのね」
今日目に焼き付けた彼女の印象よりも少し若い。
髪を下ろしてはいたが、不鮮明な映像から伝わる雰囲気は今とあまり変わらない。

「少し、緊張してるのかしら」
不安そうに左右に視線を振っていた。
長いドレスは黒か紺。
裾を気にしながら立ち位置を微調整して、左に視線を流して合図を送る。
多少、焼けた木が爆ぜるに似た細かい雑音が混じる。

「今のミュージックカードだともっと鮮明な映像が映るから」
あえてディスクで保存する者はほとんどいない。

「ミュージックチップだとノイズは入らないし」
正面を向いたジェイが口を開いたので、セラは口を閉ざしてディスクに集中した。

溢れ出てきた音の洪水。
しなやかな糸で織られた織物のようだ。
録音時のノイズなど消し飛んでしまうほどの声量と美しさだった。
先ほど直接聴いたジェイの歌声は脳の芯が痺れた。
それに似た感動が、火を灯したようにまた胸を温かくする。

聞いたことのない歌だった。
だが同じ語調で、柔らかな音程だ。
伸びやかな声と穏やかな瞳からは歌う前の緊張は窺えない。
徐々に音階を上げて盛り上がっていく辺りなど背中がざわめく。

歌が終わってからも何度も繰り返して再生した。
三回目になるとさすがに飽きたクレイはベッドを離れて、電源を付けっぱなしにしていた端末の前に座った。
メールが一件来ていた。
返信にキーボードの上で指を動かしている間も、セラはベッドに両腕で凭れながら歌に聞き入っていた。
クレイは止めるつもりはない。
耳障りな音ではないからだ。
やがて曲の流れが頭に入ったセラが、歌に鼻歌を合わせる。
クレイは横目でそっと様子を窺った。
まどろんでいるのだろう。
腕に顔を乗せて気持ち良さそうにしていた。
思えば、セラがこうして自室にいる姿もすっかり馴染んでいた。

マレーラに連れて行ってもらった新しい店の菓子を持参しては、クレイと一緒に楽しんでいる。
面白い本があるといい、クレイの机の上に置いて帰ることも良くある。
根が真っ直ぐだからか、妙に堅すぎる性格のせいか、渡された本は一通り読んでいる。
他の部屋より簡素だと評された本棚の端に今も立っている。
音を立てないようにそっと傾けてみた。
休み前に半分までは読んでいる。
セラは感想を求めない。
だからこそ、本を読む速度が上がる。
最初は何か一言でも返したほうがいいのかと思ったが、予想に反し、セラは黙って本を受け取った。
思えば人差し指の先に触れる、頭だけ覗いた栞もセラから貰ったものだ。
挟むものがないと、紙を手で千切ったものを挟んでいた。
ある夜セラが帰った後、ふと筆立てに目をやったら、いつの間にか見慣れない栞がペンと一緒に立っていた。

クレイにしてみれば、セラの行動は計り知れない。
もともと他人の洞察力に優れた人間でないことは承知の上だが、それにしても彼女の次にとる行動は読めない。

それはそれでいいじゃない。
そのほうが楽しいし、簡単に見切られてしまってはたまらないわ。
そう言いきれるセラはある意味最強だと思う。
自分が平凡である劣等感に苛まれていたセラは今はいない。

他人を見ないクレイと、他人を意識しすぎるセラ。
対照的な二人は、なぜか磁力のように互いを引き合う。



「いけない。眠ってしまうところだった」
「それは困る。私が担いで部屋まで運ばなくてはならなくなる」
セラは大きく両手を伸ばして伸びをし終わると、ゆっくりと腰を上げた。
手には再生の終わったミュージックディスクを忘れてはいない。

「おやすみなさい、クレイ」
「おやすみ、セラ」
去り際にセラが扉の隙間から半分だけ顔を出した。

「次眠ってしまったらせめて背負ってお部屋に帰してね」
それだけ言い残して、返事を待たずに扉を閉めた。
急に静かになった部屋は、冷気が戻った気がした。
時計を見れば消灯三十分前。
画面のカーソルはいっこうに進んでいない。

「時間が惜しい、か。それも悪くない」
自分で自分が笑ったことに、クレイは気付いていなかった。












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