Ventus  60










直感にだって意識がある。
感情にも理由がある。

近寄りたくなかった街。
怖かった場所。
嫌悪感。
すべては繋がっていた。
ひとつの記憶で。
消したい過去で。

それももう終わり。
セラが終わらせた。


「憂鬱だった。以前街に来たときは、こんなに晴れやかな気持ちになどならなかった」
「まだいろいろ引きずっていたから、きっと」
「ああ」
「マレーラとリシアンサス、来たがってた」
「先週一緒に街に出ただろう」
「みんなで、というのが楽しいのよ」
クレイにはまだ馴染めない感覚かもしれないが。

「かもしれないな」
予想外の反応に、セラは驚いた。

「あら、納得?」
「寂しくはならない」
ある意味クレイにとってマレーラとリシアンサスとの友人付き合いは、新鮮だった。
昔の友人はジェイ・スティン。
今の友人はセラ・エルファトーン。
接触があったのは彼女たちくらいのもだったからだ。

「マレーラとリシーは、わずらわしくない」
クレイがマレーラとリシアンサス、二人との相性がいいとも言える。
だが何より、二人はクレイと付かず離れずの絶妙な距離を保っていた。
その距離感が、クレイにとってはちょうどいい。

「わたしも、ふたりは大好きよ」




ディグダクトルの昼。
休みということもあり、大通りは人で混み合っていた。
セラは必要なものは揃っていて、特に買いたい物を求めて街に出たわけではない。
クレイはそもそも物に対する執着がない。

二人が休日、外に出たのはクレイの一言からだった。
連れて行きたい場所がある。


柔らかい風が通りを抜けた。
建物高くから長く垂れ下がる店のエンブレムが書かれた旗が、風でなびいた。
セラの長い髪も持ち上げられた。
髪の間からかすかに覗いた白い首筋に、まだ消えない薄い切り傷が見えた。

一生残る深手ではない。
しばらくしたら痕は消えるだろう。

だが、目にしたクレイは目を反らすこともできず、ただ唇を噛み締めた。
クレイが望んだことではない。
セラが彼女の手によって負った傷だ。

白い訓練室。
厚い壁で閉ざされた音。
沈黙と密室。
クレイの腕に装着されたアームブレードが、彼女の意思とは別の力で持ち上げられた。
セラの手で、抵抗できない力で、セラの首に押し当てられる。
刃を覆っていた保護具が取り払われ、本来の姿を現した刃。
人の命を奪うための道具。
それが、セラの首を落とそうとしていた。

鮮明に、写真のように浮かび上がってくる記憶は見たくないものだった。
だが、セラの行為がクレイを引き止めた。
セラの側こそ、クレイのいるべき場所。
存在することを許された場所だと気付いた。

「別に、痛くはないわ」
風で浮き上がった髪を片手で押さえ、セラは横目でクレイを見た。

「すまない」
「謝らないで。もっと他の方法があったかもしれない」
美しく舗装された道、同じ規格で造られた建物が並ぶ。
その枠の中に納まった、華やかなショーウィンドウ。
クレイが幼い頃は、このような道を堂々と歩く姿など想像していなかった。

「でもわたしには分からなかった。他にクレイを引き止める方法が」
思い浮かばなかった。
当たり障りのない言葉と上辺だけの接し方は、かえってクレイを遠ざけるだけだった。
真正面からぶつかって、クレイが手の届かないところまで行ってしまうのが怖かった。

怖い。

「でも怖がってばかりでは進めない。自信になるような能力なんてなかったわ」
故郷にいるときは、少し鼻が高くなっていた。
周りよりも少しだけ勉強ができたから。
ディグダクトルでも通用すると思っていた。
入学してすぐに、沸きあがってきていた意気は粉々に砕かれた。
帝都の学園。
ディグダクトルはディグダの核。
集まる人間もまた、突出した者たちばかりだった。
たちまち、自分がいかに平凡だったのかを思い知った。
故郷を振り返る。
他に誇れるものは何かあっただろうか。

「足が竦んだ。何をするにしても」
クレイに対しても。
この道、広い大通りと流れる人の早さ。
何もかもがセラを追い越していく。
セラだけが取り残されてしまう。
萎んでいく自信がすべてを奪い去っていく。

「でもね、そうじゃだめだって」
「強さだ。それが、セラの」
クレイが憧れた強さだ。
光。
クレイはそう知覚した。

「幸せだと思うわ」
セラの目は、穏やかで活気溢れるディグダクトルの街を泳ぐ。

「ずっとこのままいられたらいいのに」
それはクレイも願うこと。

「ディグダクトルに来て、いろんなことが分かったわ。時々思うの」
緩やかに傾斜する通りを下る。
長く右に湾曲する坂の下にある細い道を抜ける。

「わたしたちは、何て不安定な場所に立っているのかしら」
平穏に見えるディグダ、その都ディグダクトル。
それは大きな流れの小さな点に過ぎない。
時は絶えず流れ、物事は変化が鎖のように連なり成り立つ 。

「ディグダクトルの中は穏やかだ。でもディグダという枠全体で見ると、決して平和の一言で言い尽くせない」
かつてグラストリアーナ大陸の小国であったディグダは、徐々に勢力を伸ばし始める。
力の流れは大陸全土を飲み込む勢いで広がっていった。
ディグダに押しつぶされるように吸収された国々では、未だ帝国への抵抗が拭えない。
摩擦は時に大きく、小さく痛々しい音を立てる。
抑圧される各地の人、抑圧するディグダ兵。
いつしか命の重さを忘れてしまう。

「人間なのよ、わたしたちは。兵器にはなってほしくない」
クレイに向けての言葉だ。
いずれ彼女は軍に入る。

アームブレードの教師クレア・バートンに会うために向った軍の施設。
そこで見かけたディグダ兵の、心を欠いたような濁った眼がセラには忘れられない。

「正しいものは、自分の目で見極める。揺るがない何かがあれば、私は壊れたりしない」
建物と建物の隙間のような細い道。
空気が少し冷えていた。

しばらく歩いていると、いつの間にか地面の感触が変わっていた。
隙間なく敷き詰められていた石畳は、平たい石を埋め込んだ黒ずんだ石畳になっている。
壁には雨で流されることのない落書きが染み付いていた。

昼間ということもあり、どこからか子どもの笑い声が聞こえている。
近づいてくる声が大きくなってきたかと思うと、急に角から男の子が飛び出してきた。
セラの隣を器用にすり抜ける。
そのすぐ後にもう一人の男の子が飛び出すが勢い余ってセラの脚にぶつかった。
怒るでも泣くでもなく、少し驚いた顔でセラを見つめてすぐに目を反らした。
そのまま先に走っていった友人を追いかけて消えてしまう。

「珍しいんだろう。学園の人間がこんな場所、わざわざ来たりはしないから」
下級市民では学園には入れない。
集中的な勉強を満足に受けられない環境もある。
それを考えると、セラは非常に恵まれた環境にあった。
ディグダの中でも、国に反抗的な街でもなかった。

この地域はディグダの核ディグダクトルの中にありながら、存在を否定されているようなものだ。

クレイも、ジェイもここで育った。

「ジェイ・スティンは店にいるだろう。今夜歌うために、彼女の店に」












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