Ventus  58










「人を、殺したんだ」
クレイには掴まれた肩を揺すり、逃れる力もなかった。
抵抗する気配すらなかった。

「私の中には鬼がいる」
痛々しい声、絞りだすような告白。
セラの頭の中は真っ白になっていた。

「私は獣(ビースト)だ」
食物連鎖から外れた鎖。

「獣(ビースト)と、同じだ」
ただ憎しみに駆られ、恨み、怒りそして人を殺める。




「あのときの、私は」
繰り返される夢は、夢ではなく。
紛れもない現実。
そして過去。

拭えない醜い自分。
汚れた自分の姿。

クレイは、自分のことを話した。
生まれた場所と育った環境。
出会った人。

「殺したいわけじゃなかった。自分でも分からなかった」
死も生も分からないほど幼かった。
ただ、目の前で起こっている出来事が怖かった。
覆いかぶさってくる大きな男たちが恐ろしかった。
殺されるのかもしれない。
殺意だけ、痺れるように幼いクレイに伝わってきた。

「嫌だった。怖かったんだ。目の前が暗くなる。嫌な臭いがした」
肌が触れるのが嫌で堪らなかった。
心の底から嫌悪感が湧き上がって来た。
気が付いたら目の前で男が倒れていた。

「誰かの命を奪うことの重さは、時間が立つにつれより深く重くなっていく」
奪った他人の命まで背負って生きていかなくてはならない。
それは他人に乗せられた重みではない。
自分の中で、自らが負った重みだ。
誰にも取り去ることなどできはしない。

「許されることじゃないかもしれない。誰に許してもらったって、クレイはクレイを許すことはできない」
そうでしょう?
セラの口調は柔らかくとも、秘める思いは強かった。

「それでもクレイは一つの選択をした。道を選んだ。だからここにいられるのよ」
誰かを消さなければ、クレイが消えていたかもしれない。
自分が消えないために、目の前から怖いものを消した。

「それが、誤りだとしたら? ここに来なければよかったとしたら」
ここは、温かすぎる。
平和で、穏やかだ。

「出会わなかったとしたら?」
「クレイはあなたの中のわたしまで否定してしまうのね」
過去だけでなく、それから連なる今。
目の前にいるセラまでも無かったことにしてしまいたいのだ。
そう思うと、セラは堪らなく辛かった。

「わたしはクレイに会えてよかったわ。ずっと一緒にいたいと思うもの」
クレイは違うの?

「セラと一緒にいるのが怖い。私は私のことが分からない。だから」
強いはずのクレイは、迷いのない剣はどこにいったのだろう。
目の前にいるこの少女は、とても脆い。

「セラ、もう側にいない方がいいんだ」
喉に引っかかる声は、喘ぐように。

「意味がわからないわ。そんなの、理由じゃない! わたしは納得しない!」
タリスの服を握り締め、今まで見たこともない強い眼差しでクレイを見据えた。

「わたしを消したりなんかさせない。わたしは、消えたりなんかしない」
今まで共有した時間は、セラのものでもある。

「私は、いつか大切なものを壊してしまう! 自分が分からなくて、不安で仕方ない」
セラに会わなければ、苦しい思いをせずにすんだ。
失う怖さを知らずにすんだ。

「セラに会ったから。私はきっと、セラを殺してしまう」
大切なものを、失ってしまう。

「いつまたあのときのようになるか分からない。そのとき側にいる誰かを傷つけるなんて、嫌だ」
彼女はまるで子どもだ。
幼く、弱く、怯えている。

「私は殺したくない。セラがいなくなる。また私に何もなくなる。嫌なんだ、そんなの」
自分が何者か分からなくなって、誰かを傷つける恐怖。

拭えない罪を背負った。
穢れを知らないセラ、きれいなセラ。
対して自分の手は赤く汚れてしまった。
ともにいたいと願うのに、願うことすらクレイ自身を苛む。
その手で触れる資格もない。

「相手が誰であっても、誰かを殺めたという罪の意識はクレイの中で膿み続けて消えることないわ」
決して逃れられない罪。

「現れてはクレイを苦しめる。それが死の重み、生の深さだから」
この先、ずっと。
セラの手がクレイの顔を正面に向かせた。

「きっと、クレイの傷は癒えることはない」
責め続けて、苦しんで。

「だからこそ、わたしはクレイの側にいるの。ずっと一緒にいるわ」
言葉は絆になるだろうか。
言葉の力がどれほどのものか、セラにも分からない。
言葉だけで誰かを繋ぎとめられるだろうか。
でも諦めたら、きっとクレイは遠くに行ってしまう。
手の届かないほど遠くに。
失いたくないのは、セラも同じだった。
クレイほど大切に思った友人は、今までいなかったのだから。

「約束」
軽く触れたクレイの左手は、冷たかった。
顔と同じ、青白く血を失っている。

「それでもまだ、クレイはわたしの前から消えようとするの?」
セラの指先が、クレイの右腕に装着されたアームブレードに触れる。
硬く、冷たかった。
人の命を奪うための道具。

クレイの腕とともに力なく垂れ下がるアームブレードに指を這わせた。

「それが一番いい方法なんだ」
もう誰も傷つけない、唯一の選択。

「別々の道を歩んで、出会ったことも忘れて。一緒にいない方がいい」
触れ合わなければ傷つけることもないから。
そして、自分が傷つくこともない。

視点の定まらないクレイの不安な瞳。
彼女はその漆黒の目を、獣(ビースト)の眼だという。

「わたしはそうは思わない」
授業などとっくに始まっていた。
ディグダクトルに来てからも、その前も病欠以外で休んだことはない。
手抜きもしない。
規則の逸脱を嫌っていたセラだった。

定まった枠に収まっているだけの自分。
逃れられない自分。
つまらない自分。
どこにでもいる、平凡な自分。
それが自己認識だった。

今は、その枠の中にいるよりも大切なものを見つけた。

「わたしを見て。わたしを信じて」
セラの指先が、アームブレードの防護具を解除した。
刃を覆っていた器具が外れ、激しい音を立てて床に落ちる。

放心していたクレイが大きな目を更に大きく見開いた。

「セラ?」
何するつもりだ。
声には出せず、ただセラの動きを驚きに息を飲み見ていることしかできなかった。

ゆっくりとクレイの腕ごと持ち上がるアームブレード。
横に倒されたまま、刃が顔に近づいてくる。
蛍光灯の下で白く光を反射する刃。
記憶の中のナイフの鈍い光が脳内で蘇る。

抉った肉の感触。
消えていく命の感覚。
血が溢れて流れていくにつれ、目の前の人間は人としての温もりを失っていく。
転がった体は蝋のように白く、もはや生きた個体ではなかった。
セラのそんな姿は見たくない。

生々しく蘇ってくる過去の波に、嫌悪感と同時に恐怖で指先が麻痺していた。
やがてアームブレードの刃はセラの目の前で上昇を止め、セラ自身の手で白く細い喉に押し当てられた。

クレイは身動きできない。
少しでも動けば、開放されたばかりの鋭い刃はセラの喉を掻き切ってしまう。

白い密室には二人だけ。
誰も邪魔はしない。
助けにも来ない。
音すら遮断されている。

硬直したクレイの目をセラは捉えた。
セラは柔らかいその指で、優しくクレイの白い頬に触れた。
右手ではクレイのアームブレードを自分の喉に押し付けながら。












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