Ventus  57










「それで黙って出てきたわけ。理由も聞かずに」
だって、できない。
肩をすぼめて、視線を芝生の上に落とした。
聞かれたくない話、友だちだけの話をするときにはここは最適だ。
草の音が話し声をかき消してくれるし、わざわざ林の奥など掻き分けて入ってくる者もいない。
不都合といえば、園内の放送が届きにくいことぐらいだ。

「また、クレイをひとりにして」
リシアンサス・フェレタが細く息を吐きながら、セラに視線を流す。
厳しく責めているわけではない。
何もできないのはリシアンサス、その隣に座っているマレーラ、二人ともそうなのだ。

「また?」
その前にも、何かあっただろうか。
セラには思い当たらない。

「セラと会う前はずっとあんなだったもの」
他人との接触を避けるように暮らしていた。
目立つことも群れることもしない。
息を潜めるような生活だった。

「何にも見えてないのよ。っていうか、見てないの。周りの世界をシャットダウンしてさ」
マレーラが芝生の上で目を閉じて寝転がっている。
夕方の授業まで丸一時間空きの時間だ。
クレイも同じ動きのはずだが、姿を現さない。

「クレイの外の世界にいる私たちまでもが、切り捨てられちゃったってわけ」
両腕を頭の後ろで枕代わりにし、組んだ足はリズムよく刻まれる。




「思えば大した進歩なんだよ」
セラは小さく上下するマレーラのつま先を見ていた。

「それまで口を利くことは愚か、目を合わせることもないくらいだったんだから。私たちとクレイなんて」
「クレイにとって認識するに値するヒトではなかったのよ。周りの景色、その一部だったわ」
黙っていても、クレイは周囲に強烈な印象を与えた。
珍しい漆黒の髪。
だが、それ以上に研ぎ澄まされた刃のような目。
それに息ができないほど冷たい空気。
近寄れない、話しかけるなどできるはずもない。
問題を起こすことなどない静かな生徒だが、どこか異質だった。

それが、クレイ・カーティナー。


「そこにいきなり現れたセラがいきなりクレイの領域に飛び込んだ」
「さらには私たちもまとめて一気に友達まで昇格してしまったわけよ」
マレーラとリシアンサスがクレイの存在を知って、数年。
その年月を突然現れたセラが飛び越えた。
セラの存在はマレーラとリシアンサスの二人にとって、驚異だった。

「でも、本当に逃げたのは、外界を見ようとしないクレイじゃないわ」
柔らかい口調でリシアンサスが切り出す。

「立ち向かわなかったセラよ」
離れていくクレイ、それを追わずに背を向けた。

「何を恐れているの?」
「クレイが」
「変わってしまうクレイが怖いの?」
違う。
クレイは変わらない。
ただ。

「わたしを見ようとしないクレイが怖い。嫌われたくないの」
一人が怖いのは、セラの方だった。

「この学園は広くて、飲まれそうで」
この世界ではあまりに凡庸で、何の能力も才能もないことを思い知らされた。

「クレイがいたからわたしはわたしでいられた」
そのクレイを失うことなんてできない。
嫌われるのが怖い。

「あなたたち、全然違うようでいて、どこか似ているのね」
マレーラが顔を持ち上げて、芝生の低い位置からセラの顔を覗き込んだ。

「クレイを放したくないなら、力づくでも引き寄せなさいよ。その手を離してはだめ」
今を逃せば、クレイはもっと遠いところに行ってしまう。
そんな気がした。




セラが無言で立ち上がった。

「ちょっと、どこ行くの」
「決まってる。クレイのところよ」
「待ってよ、授業は!」
マレーラの制止も耳に入らず、駆け出していたセラをマレーラもリシアンサスも止めることができなかった。






走った。
前と同じ道だった。
あの時は不安で一杯だった。
今もそれは変わらない。

「でも」
何かが違う気がした。
不安、しかしその中にある決意。

変化、その理由は。


「言葉を貰ったからね」
リシアンサスとマレーラに。

「手を、放してはだめ」
離れていた手を手繰り寄せるように過ごした半年。
それを無駄にはしない。
なかったことになんてさせない。

「そう、そうだったの」
外された視線、振り払われる手が怖くて。

「分かったの。ようやく」
弱い自分は嫌だって思っていたくせに。
また、同じことを繰り返す。

「逃げてちゃだめなのよ。振り払われたら、また引き寄せればいい」
また離れようとしたら、もう一度。
何度でも。

「それがわたしの意思。わたしの心」






カードを受け取り、クレイの居場所を見つけ出し。
そして扉を開く。

重い扉が開かれていく。
大丈夫だと自分に言い聞かせる。
胸は早鐘のように体の中で鳴り響く。

広い部屋に人影はひとつ。

「クレイ」
目はセラを見ず、その存在すら認めようとしない。
悲しかったが、もう後には引かないと決めたのだから。




一人になりたいとき、何もかも忘れたいとき、アームブレードを手にする。
頭を真っ白にし、剣先の流れだけに集中する。
すると、不思議と自分が一人であることも気にならなくなる。
忘却もしくは、無我。
空っぽの心で振る剣は、軌道も乱れなく澄んでいる。

切り捨てたいのに、捨てられない。
捨てきれる勇気もない。
それが執着というものだと知った。

行き詰った道。
阻む壁。
行き先も、方角も、方法も見失ってしまった今、どうあればいいのかすらクレイには分からなかった。




「きれい。とてもきれいね、クレイの剣は」
静かに止まった剣先に続き、クレイの漆黒の眼がセラを捕らえた。

「でも、とても冷たい」
一歩一歩、セラがクレイの空間に踏み入れていく。
長い時間をかけて溶かしていったクレイの心が、他人との接触を拒む壁がまたセラの前に立ちふさがる。

「眠れないの? 顔色が悪い」
湾曲したアームブレードに包まれた腕とは逆の手首を取った。
細くて、冷えた手だった。

「放してくれ。痛い」
クレイは掴まれた手を引いた。
強く握っていたわけではない。

「何を見たの? あの場所で」
握った手は解放した。

「戻った方がいい。授業が始まる」
「そうね。でも、まだ戻れないわ」
「だったら、先に出る。入室カードは」
アームブレードに手をかけて外そうとしたクレイの袖を掴んだ。

「行かせない」
「話すことは何もない。街では、何もなかった」
何もなかったとは言わせない。
リシアンサス、マレーラとクレイ、セラ。
四人でディグダクトルの街に出てからの変化。

「一人で苦しんで、悩んで。誰にも頼ろうとしないで。だったら、わたしたちは何?」
クレイの服を放さない。
手を解いたらきっと部屋を出ていってしまう。

「今までの時間は何? このままではクレイ、潰れちゃうわ」
「放っておいてくれ。私の問題だ」
「もう一人じゃないのよ。その意味、分かる?」
分かってはいない。
血の気を失ったクレイの横顔を見るとセラの胸が詰まる。
クレイを苦しめたいわけではない。
追い詰めても自分が悲しくなるだけだ。

「クレイはマレーラやリシーを巻き込んだ。わたしだってクレイの生きていく道の一部になった」
交わることのないと思われた糸と糸。
糸は絡み合い、織り込まれていく。
人と人の関係性だ。

「そしてクレイはわたしの一部になった」
「別の体と心。痛みは共有できなくても、側にいることはできるわ」
理解し合える。
だから言葉がある。
他人との繋がりを持つための記号が。

「セラにはわからない。わかるはずがない」
袖を払い、背を向けようとする。
すべてを遮断して、世界と自分とを隔絶する。
そうやってしか守れない。
自分も、そして大切な、一番守りたいものも。

「そうやって、何もかも否定しないでよ!」
セラが叫んだ。
声を荒げることをしない彼女の声に、クレイは圧倒された。

「壁を作って来るものすべてを拒絶して。だったらわたしはクレイにとって何なの」
「分からない」
目を閉じた。
頭が痛かった。
胸も痛い。

「目を開けて、わたしを見て」
クレイの上腕に手をかける。
振り向かせようと、体を正面に向けた。

「目を開けなさい。その目に映るのは何?」
動揺し揺れる漆黒の目が、セラの顔をなぞる。

「セラ、私は。私と一緒にいたらだめだ。側にはいられない」
「それはクレイが決めることじゃない。わたしはずっとクレイの側にいたい」
「だめなんだ。お願いだ。一人に」
「嫌よ」
譲れない。
セラの目がクレイを射竦める。
そのセラの強さが、クレイは怖い。
押し込められた記憶が湧き上がる。
黒いうねりはきっと、クレイだけでなくセラまでも飲み込んでいく。

自分の見たくない現実、醜い過去を知ってしまった。
それごと愛してくれだなんて、言えるはずもない。

「理由を聞かせて。何を見て、何を知っても、あなたの本質は変わらないわ。クレイの生きてきた道は消えたりしない」
生まれてからこれまでの時間の中で紡がれてきた先に、今のクレイが存在する。

「今のクレイも、消えてしまうわけではない。だから」
憔悴した顔が痛々しい。
僅か数日で、クレイをここまで痛めつけてしまった。
そのものの深さが、伝わる。

「私は、人を殺した」












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