Ventus  55










ガラス張りのカフェテリアに、沈んだ表情でセラ・エルファトーンが座っていた。
机の上には私用の端末が乗っている。
飲み物を横に置き、学科の研究資料を作っている最中だ。
しかし、思うように手が動かない。

キーボードの上で止まったままの自分の指を見つめ、今日何度目か分からないため息をついた。
ひとつのことが、気力を奪っていく。
温かかった飲み物は、とっくに冷めていた。




アームブレードの試合。
そのあたりから、クレイの様子に緊張感が走っていた。
何かに怯えているようだった。


戦場から帰還した兵士の凍りついた眼を怖れていた。
どこかで見た、恐ろしい眼だと言っていた。

息を飲む速さ、勢いで相手を圧倒したアームブレードの試合。
傷が付いた頬を拭った手が真っ赤に染まる。
それを見た瞬間、クレイの動きは鈍った。
相手を見ていない。

欠損した過去の破片に怯えていた。




「嫌だ」
端末の上で拳を握り締めた。

「嫌だ、嫌だ、嫌だ」
震えるほど、力強く。

「こんなぐじぐじした気持ち。湿った気持ちなんて。そんなの」
苛立ちを抱えたままカップを握る。
生ぬるい珈琲を口に流し込んだ。
際立つ苦さに眉を寄せる。

「こんなの、わたしじゃないわ」
自分らしくない。
長いため息を一つ。
首を反らして、空に向って吐いた。
両隣では学生が同じように端末にかじりついている。

「空はこんなに蒼いのに、わたしの心は」
脱力した両腕は、椅子の両脇に垂れている。
透き通った空から、溶け出した光がカフェテリアのガラスをすり抜けて降りてくる。
目の上に手の甲を乗せた。
蒼い。
眩しい。

「なんて、ね。くさいセリフ。どうかしてるわ。そう」
体を起こして、背中を丸めた。
端末の横に肘をついて、腕に重い頭を乗せた。
微かに頭痛もする。

「どうかしてるのよ。わたしも、クレイも」
琥珀色の柔らかな髪が、頬に掛かる。

「きれいな心でいたいのに、うまくいかないね」
湿っぽい気持ちのままでいたくない。
ため息とともに、濁った気分を吐き出した。
横になった世界の中で、観葉植物が入り口で揺れている。
紺の学生服が、開放的なカフェテリアを上下に行き来する。
賑やかになってきた。
昼休みが終わりに近いのだろう。

セラは端末の電源を落とし、モニターを畳むと脇に抱えて席を後にした。






次の授業には、クレイも出るはずだ。
座席が前になるほど学生の密度が濃くなる。
いつもは真ん中あたりの列にクレイと並んで座っていた。
部屋に入り、三度見回してみたがクレイはまだ来ていないようだった。
授業が始まるまではまだ十五分ほど時間がある。
資料の作成を進めよう。
少ししたら、クレイも姿を見せるだろう。

開いたスクリーンの端に小さく表示された時計で授業までの時間を確認する。
二分前にはこのクラスを受けるほぼすべての学生が席についていた。
椅子に座り、腰を捻って後ろの友人と話をしていたりするものもいたが、立ち歩く影はない。
あえて入り口から遠く、人が疎らな部屋の見通しのいい後ろの席に座っていたが、クレイが座っている様子はない。

神経質でも取り立てて几帳面でもないが、時間はしっかりと守るクレイが、数分前になっても現れないのは珍しい。

教壇近くの戸口と、教室奥にある戸口の交互に注意していた。
もう、来ないのかもしれない。
セラが肘をついてそう考えていたとき、教壇から遠い方の戸口に人影が見えた。
開け放たれていた扉をすり抜けた。
黒い髪。
クレイだ。

手を挙げて叫ぼうとするが、チャイムに先手を取られてしまった。
クレイは部屋を見回してセラを探すこともせず、黙って空いている席に腰を下ろした。

砂を噛み潰した感覚だった。
口を利かない。
こちらに目を合わせようともしない。




クレイとセラとの関係がおかしくなったのは、昨日からだ。
クレイが遅く帰ってきた夜。
そして翌日。
珍しく遅刻してきた理由は体調不良だった。


いつの間にか始まっていた授業で、教師が教壇で生物学を教科書に沿って説明していた。
セラの目はクレイの背中を見つめる。
変わってしまったというよりも、元の距離に戻ったのかもしれない。
そう考えると、悲しくなった。

クレイと出会った頃を思い出した。
一緒にいたこれまでの時間を否定されたようで、胸が苦しくなった。


他人に干渉しない、干渉させない。
他人に触れない。
心も体も。
そのためにクレイは氷壁を築いた。
誰も自分の領域に踏み入れさせないための完全防壁。
近づいた者は、鋭く冷たい視線で排除した。

それはクレイが自分の心を守るための壁だと気付いたのは、しばらくしてからだった。


「怖いものから。クレイの過去から。クレイの夢から」
過去のことを夢に見た。
断片的な記憶に怯えていた。
自分が何者であるのかわからないと、苦しんでいた。

過去への扉は、クレイが生まれた場所へと繋がっている。
ディグダクトル。
クレイが無意識的にも行くことを拒んでいた、学園の外だ。

「クレイの見たものが何か、分からない。でも、わたしはあなたを守ると決めたから」
クレイの心が壊れないように、クレイがクレイでいられるように。


今から過去を発掘して、点と点を結んで一本の線になる。
線は他の線と繋がり、やがて無数の広がりが見えてくる。
一つの点から無数の可能性が生み出された。

教壇の後ろに下がるスクリーンに映し出された生物の進化過程。
複雑な樹形図の末端の一つに人間がいた。

「人間の種の起源を探っても、進化を繰り返しても、未だひとはひとのことを理解できないのね」






授業終了の鐘が鳴る。
電子音じゃない生の鐘の音に、学園は何かこだわりがあるのだろうか。
この学園は異なる二色が交じり合っている。
規律や規範を重んじる束縛の色があるかと思えば、ときに校外授業のような開放的な色も垣間見せる。
より効率的な知識と技術の習得、そのために組まれた密なプログラムと大きく体を揺らす鐘。
対極なものの共存こそが、バランスなのだろうか。
それでも、今は平和だ。

教師が教科書から目を上げた。
終了の声を上げたと同時に、学生の口の糸が解かれ、それぞれにしゃべり始める。
授業での質問事項を聞きに教壇に近づく生徒と、席を立ち上がる生徒、椅子に横に座って通路を挟んで話す生徒。
セラの視線はクレイの黒髪を捕らえた。
流れる人の波を掻き分け、ぶつかりながらも座ったまま固まっているクレイを目指した。

何を考えているの。
なぜわたしを見てくれない。
遠くに行ってしまわないで。
また手の届かないほど、遠くになんて行かないで。

人の流れが治まるのを黙って待っているのか、微動だにしない。
二人の距離の間にある、六本の通路。
椅子と机と人がセラを阻む。
人の影にクレイの姿が途切れる。
見失わないように、目を凝らす。
まだ遠い。

「クレイ」
騒がしい音にかき消されてしまう。

「クレイ!」
声で繋ぎとめようとして叫んでも、届かない。
人の流れの裏側で、クレイが立ち上がった。
振り向かないまま、消えていくように席を去る。

草のように入り乱れる生徒の波を越えて、ようやくクレイのいた席にたどり着いた。
しかし、クレイの背中はもうそこにはない。
握りこんだ椅子の背にはまだクレイの体温が残っているのに。

「わたしは嫌よ、こんなの」
木製の連なった椅子に強く爪を立てた。












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