Ventus  54










女子寮の管理人が訝しげに顔を上げた。
閉鎖された扉が軋む音がしたからだ。

几帳面な彼女は、今日あった仕事と起こった出来事を日誌にまとめ、明日の予定を確認する。
それが一日を締めくくる最後の仕事だった。
一日二ページ。
大きさの揃った性格をそのまま表した文字で端まで埋めると、次のページを捲る。
上段には、彼女の文字で書かれた予定が箇条書きにされている。

乾いた唇に指を当てて、緩めの灯りの下で日誌を見下ろしたときのことだった。




真夜中に、来客だろうか。

変質者。
それはあり得ない。
学園の関係者以外は、学舎や寮内はおろか学園の門を潜ることすら許されない。



風の音ではない、扉を揺する音。
学園の閉門時間に間に合わなかった学生か。
しかし、だとすれば外門の守衛室から連絡が入るはず。

では、学園内にいて夜中までじっとしていたのか。
それも妙な話だ。
守衛が巡回しているし、学舎は休日になれば原則、閉鎖されている。
使用する場合は許可が必要だ。
完全に監視、管理されているはずなのだ。

まれにある、学生の門限破り。
もちろん罰則は厳しく、よほどのことがない限り破ることはない。
狭き門を潜り、ようやく手にした学園生活を、些細な失態であっさり手放してしまうようなリスクを負う者はいない。




だが、今回はそのどのケースにも該当しない。
管理人には連絡が一切届いていなかった。


彼女は部屋の隅に置いてある机に椅子を寄せた。
卓上には端末とスクリーンが乗せてある。
外部監視カメラが映し出した画像に顔を近づける。


少女だ。
凶器を手にしているわけではない。
カメラに気付いていないようで、扉に手を掛けている。

少女の注意を引くために、外部監視カメラ上部に付いているライトを点灯させた。
管理人の意図した通り、少女の視線がガラスの扉の端にあるカメラの方へ向けられる。


「学生証を目の前にあるモニターに提示しなさい」
スピーカーへ管理人の声が通る。
ショートヘアの少女は、その指示に大人しく従い、胸から学生証を取り出すと、学生証を突き出した。
モニターが学生証に内蔵されたチップを読み取り、学園の抱えている学生データと照合する。
間もなく、データの一致を確認してから、管理人はスクリーンから顔を離した。

椅子に掛けていた上着に袖を通し、携帯端末をスクリーンの横から引き抜いた。
上着のポケットに入れ、管理人室を出る。




消灯時間はとっくに過ぎている。
ホールの電灯は、足元を薄く照らす淡い色の間接照明だけだ。
昼間の全面ガラス扉の代わりに鉄の板が防壁のように立ちふさがる。
実際、鉄板は防壁と言って過言でない。
強固な寮の造りは学生を守るシェルターにもなる。
その強度に至っては、残念ながら一管理人である彼女の知るところではないが。

防壁の向こうに強化ガラスがある。
今は完全に視界は灰色の壁で遮られていたが、よほど強く叩いているのだろう。
管理人室に彼女がいたときには、ガラスの振動と音ははっきりと聞こえていた。
それも今は音を止めている。
あのまま強く叩き続けていたら、こちらから通報しなくても警備員が飛んできただろう。

彼女は壁の右端に歩み寄り、左のポケットに手を入れた。
引き抜いた指には鍵が引っかかっている。
それを目の前の鍵穴に差し入れた。
防壁に小さく窓が開く。
四角く切り抜かれた窓の向こうに、まだ子どもの輪郭をした白い顔が浮かぶ。

「再度確認します。学生証を顔の横で提示しなさい」
実物の顔、学生証に映った写真、学生データから拾い上げた証明写真。
携帯端末に目を落とし、確認が終わってから管理人は二つ目の鍵をポケットから取り出し、最後の強化ガラスを開けた。

「あなたをこのまま部屋に帰すわけにはいかないの」
管理人は、もとの通りガラスの扉を閉ざし、鍵を掛けて鉄の防壁を閉じる。
夜の帰還者を管理人室へと促した。

「クレイ・カーティナーね。一年生」
「はい」
「今までどこにいたのかしら」
学園の外か、中か。

「街に」
「帰るときに、外門を潜ったのよね」
「はい」
「閉門時間を過ぎてからかしら」
「はい」
だとすれば、やはりこちらに連絡がくるはずだ。

「守衛に通してもらったのね」
「はい」
「個人データのとの照合は」
「先ほどのように、学生証を提示しました」
守衛は何をしているの。
守衛の怠慢に、管理人の眉間が締まる。

「外門からここまでは、シャトルバスで」
言いかけて、管理人は言葉を止めた。
シャトルバスの運行時刻は終了している。

「歩いて」
驚いた。
歩けない距離ではないが、夜中、誰にも見つからずに四十分以上も歩いてきたというのだから。

「分かりました。事務処理上、聞いておくべきことは以上。各部署への報告は明日します」
クレイへの処置も、明日中に連絡が来ると彼女は言った。

「あなた。顔色がひどく悪いわ」
管理人がクレイの額に伸ばした指先を避けるように、一歩下がり体を引いた。

「大丈夫です。部屋に、戻ってもいいですか」
「ええ。医務室は開いているわ。風邪か何かなら、薬を」
「平気です」
彼女が管理人室を出て行き、姿が扉の向こうに消えると、知らぬうちにため息が漏れた。
冷房が強すぎたかしら。
両腕を抱きしめてから思い出した。
季節は涼季、冷房をかけてはいない。
骨から染み出すような、内側からの寒気が彼女を襲う。

「あの目。あの子は」
微かに震えていた指先を隠すように握り締め、電源が付いたままのスクリーンに椅子を反転させた。

クレイ・カーティナー。
彼女が調べられる学生のデータは、どの学年のどのクラスに所属しているかという程度だ。
それ以上はアクセス権がない。

「ただの学生、よね」
スクリーンの中に映し出される、クレイの顔写真。
大きいが鋭い瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜く。
まるでクレイの内面が浮き上がったように、印象に残る顔立ちをしている。

「でも、実際はもっと」
背中が寒くなるような、冷たい空気をまとっていた。
ぞっとするような、鋭い空気だった。

それ以上、彼女は関知できない。
そうすべきではないと、仕事に身を置く彼女が囁いていた。
端末の電源を落とすと、再び日誌の前に戻った。

クレイ・カーティナー。
一言書き終えて、その先をどう繋げばいいのかわからなくなった。
守衛は、本当に管理人への通達を忘れてしまったのだろうか。




翌朝、目覚めて着替えてすぐに端末から昨日の一件を、学生部に報告した。
通例ならば、昼までには回答をもらえるはずだが、昼食を過ぎても答えはなかった。
夕刻になり、管理人は届いたメールを確認した。

「クレイ・カーティナーの一件は、処置なしと判断する」
簡素な一行で回答は成された。








朝の光に溢れた廊下に、朝食へと向う学生たちの賑やかさに満ちる。

セラ・エルファトーンもいつもと同じ時間に、部屋の扉を閉めた。
制服の裾が、歩くたびに軽やかに持ち上がる。
外は快晴。
涼しげな風が、窓を開けて顔を出せば頬をすり抜けていった。
いつも他の生徒がまとまって動き始めるより前に食堂に向かい、食事を済ませている。
時間には常に余裕を持たせている。
今日くらいは、少し遠回りして学舎に向ってもいいだろう。
食後の散歩には気持ちのいい天気だ。



昨日、クレイの帰宅は遅かったようだ。
消灯時間を過ぎ、何度か足音を忍ばせてクレイの部屋まで行った。
だが、帰ってきた様子はない。
クレイの部屋にある端末に連絡を付けてみようとしたが、やはり帰宅してはいなかった。

クレイが夜、一人で出歩くようなことはなかった。
規律正しくというわけではなく、ただ出歩いたとしてもすることがなかっただけだろう。
執着という感情が薄い人間だった。

マレーラやリシアンサスとともに、セラとクレイは街に買い物に出かけた。
夕刻の帰り道、クレイは暗い街角に一人消えてしまった。
夜になって、寮の灯が消えても帰ってこない。
どこにいってしまったのかも、セラには分からなかった。
その夜、マレーラとリシアンサスは先に食堂に向った。
ぎりぎりになってもクレイは戻ってこない。
一人、人が疎らになった食堂での夕食は、味を感じなかった。




クレイが朝食を摂らなかったことはない。
少なくとも、セラに出会ってからは必ず食堂に向っていた。
今日も変わりなく、昨日や一昨日のように。
昨夜の一件が気に掛かるが、振り切ってクレイの部屋の前でセラは立ち止まった。

「クレイ。いるんでしょう。食事、行きましょう」
扉の前で呼び続けるが、返事はない。

「食欲がないんだ」
何度も呼びかけ、ようやく一言くぐもった声が返ってきた。

「食事、終わった頃にまた迎えに来るわ。授業は出るわよね」
今度は答えが返ってこない。
諦めて、一人の朝食に向った。
心配を振り切ろうとしても、不安が頭の中にこびり付く。
昨夜以上に味のしない食事を噛み砕いた。

朝食が終わり、授業に連れ出そうと鞄を手に再びクレイの扉の前で呼びかけるが、反応はない。




部屋の扉を閉ざし、セラに一度も顔を見せることのなかったクレイが現れたのは、授業が午後に入ってからだった。












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