Ventus  40










ミュージックショップ。
本屋。
文房具屋。
お気に入りの服屋。
雑貨屋。

行きたい場所は行きつくした。




「どうしようか、これから」
誰ともなく、切り出した。
遮られる物もほとんど無く、太陽は頭上から四人を見下ろしている。
寮に戻るには早過ぎる。

「行きたいところある?」
リシアンサスが、セラを見た。
セラはまだ街全体を把握していないので、具体的に行きたい場所は決められない。
マレーラとリシアンサスに付いて、見て歩くだけで十分楽しめた。

クレイに視線が移動する。
しかし、彼女に聞いても答えは決まっている。
予想を反することなく、クレイは黙って顔を微かに横に振る。

「そうねえ」
マレーラが氷を口の中で溶かしながら歪に区切られた空を見上げた。
ビルの狭間にある中庭。
空中庭園の一角に設けられたオープンカフェには、微風が抜ける。
曇っていたら寒いかもしれないが、今日は幸い天気がいい。
日の当たる庭は、過ごしやすかった。

「少し散歩しましょう。まだ行ったことのない場所がたくさんあるわ」
だめかしら、とセラがリシアンサスを見つめる。

「そうしましょうか」
階下のショッピングモールを巡り、一休みにカフェに立ち寄ってから三十分は経っている。
周りを見回すと、家族連れやカップルなど客層には幅がある。
一人客も散っていて、卓上にコンピュータを載せて画面を見つめている男性や、本を手に時間を過ごしている女性もいる。

それぞれがそれぞれの時間で動いていて、交じり合った場所。
ぼんやりと眺めているだけですぐに時間が流れていってしまう。
なかなか味わえない空間だ。

学園では、常に同じ間隔に区切られた時間の枠で、人間が動く。
同じ方向に人が流れ、同じ時間の中を生きる。



「ゆっくりこうして何にも考えずに過ごすって、ないもんね」
首を反らせて、空を見上げるマレーラの口の中で氷が鳴った。

「本当に考えていないのは、学園の中で過ごしている時かもしれないわ」
セラがグラスの中で浮かぶ、半分水になった氷に呟いた。

「何も考えずに過ごしていることにすら気付いていないもの」
知識を詰め込む場所だけだ。
朝起きて、食事をして、勉強して。
夕方になれば眠るための場所に戻る。

「刺激って大切よね」
リシアンサスも、マレーラの眺めている空を見上げた。
雲が白く、ゆっくりと流れている。
よくよく見つめていると、少しずつ形が変わっていくのが分かる。
崩れては、くっつき合い、離れては、新しい形へと生まれ変わる。

「気付く瞬間が大切なのよ」
街に出て、外から見て初めて学園の特殊さが分かる。
リシアンサスはセラと一緒に過ごすことでそれが理解できた。
長く学園で過ごしてきたリシアンサスとマレーラにとって、セラは外から流れ込んできた風のように思えた。

セラの考え方、思い。
それらすべてが、リシアンサスやマレーラの当たり前を壊していく。
そしてセラは、クレイまでも影響を与えた。
他者を完全に拒絶して、排除してきた彼女が今、マレーラやリシアンサスと同じ場にいることが信じられなかった。

「わたしも、いろいろ気付かされたわ」
セラがグラスの中の水を掻き混ぜる。

「いろんなことを学んだ。勉強もあるけど、人間とか友だちとか、自分のこと」
「例えば?」
マレーラが上半身を起こして、セラを覗き込む。

「待ってるだけじゃ、白馬の王子さまはやって来ないってことかしら」
「ずいぶんと逞しいお姫様ね」
クレイは足を組んで、口元に指を当てている。
隣のセラを見つめ目元は緩んでいる。

「そう。自分から、動かなくては何も変わらないって、分かったの」
目だけでそっと、隣を伺った。
最近、クレイはこうして笑うことがよくある。
硬直していた表情が、柔らかくなった。

セラが気付いたこと。
クレイが気付かせてくれた。

無反応、無関心、無感情の三拍子が揃ったクレイだったが、確実に変わっていっている。
セラを見つめる瞳が優しい。
多分、本人はその変化や仕草に気付いてはいない。

でも、きっと変わったのは自分の方だと、セラは思う。



「どうした」
知らず、黙ってクレイを凝視していたようだ。
クレイの静かな声で、セラは我に返った。

「何でもないわ」
「疲れたのか」
「いいえ」
両手のひらで包み込むように顔を乗せて、セラが目を伏せた。

「好きよ。こうして大好きな友だちと一緒に過ごせる時間。幸せだって思える瞬間」
長い睫毛の下で、琥珀の瞳が揺れる。

「大切にしたいって思うわ」
流れるように、目はクレイに向けられる。
飲み込まれそうに清らかで、温かい瞳をしている。
クレイのように、貫き通すような鋭さはないが、なぜだか心の中まで見通せる力を秘めている。
頑なな心をこじ開けるような強引さではない。
言うならば、海底に静かに差し込む、白い日の光のように。

そのセラだから、クレイは受け入れられた。
誰でもない、セラだけを側に置いた。

それが、セラの力だ。


「そうだな」
クレイも、大切にしたいと思う。
この温かな場所を。
時間を。


目の前でマレーラが大きく手を上に挙げた。
店員が足早にこちらにやって来るのが見えた。






「当てもなく彷徨うには、時間が足りなすぎるわ」
ショーウィンドウに顔を寄せて、リシアンサスが呟いた。
愚痴ではない。

「懐事情はかなり厳しいのに、目移りしちゃうもの」
「確かに」
隣でマレーラが頷いた。
彼女も腕に買い物袋を引っ掛けている。

「セラはもういいの?」
「ええ。服も買ったし」
クレイが一番身軽だった。
自分の荷物はコートのポケットに収まる財布だけ。
左手に提げている小振りな紙袋は、セラが買い込んだ雑貨だった。

賑やかに店を渡り歩くリシアンサス、マレーラ、セラの三人にクレイが付いて行くといった構図が定着している。
嫌がる風でも、一人どこかに消えてしまうでもなく、黙って三人に付いて歩くあたり、興味はあるらしい。



そのクレイの動きが止まった。
静止画像のように、微動だにしない。

呼びかけても反応がない。
セラが五度目に名前を呼び、袖を揺さぶって初めて息を吹き返した。

「何か、見つけたの?」
「いや」
「でも」
「何でもないんだ」
心配そうにクレイの顔を伺うマレーラに、クレイは先を促した。
日は斜めに掛かっている。
夕刻にはまだ時間がある。

「駅に向いましょう」
リシアンサスが道路にかかる看板を見上げた。
青い看板の矢印は、進む道の先を示している。

「クレイ、調子悪そうよね。休んでいく?」
「大丈夫」
歩き始めてもまだ、クレイは何かが気になって仕方がないようだ。
車道を挟んだ向かい側へ、しきりに視線を振っている。

人通りが多くなってきた。
駅が近い。



クレイはそっとセラの腕を引き寄せた。

「ごめん」
右の手に、持っていたセラの荷物を返す。
そのまま身を翻して、車道を渡りきった。

「クレイ!」
セラの高い声に気付いて、一歩先を歩いていたマレーラとリシアンサスが勢いよく振り返った。

「悪いが、先に帰っててくれ」
「どうしたの、クレイ!」
「行かなくてはならない場所ができた」
「だったら」
わたしたちも一緒に行くから。
そのセラの声は、クレイとの距離を阻む車にかき消された。
低いエンジン音がクレイの足音すら消していく。
流れる車と人の波に、クレイの背中は見えなくなった。

「クレイ」
「いなくなった」
「路地裏、かしらね」
マレーラが口元に指を当てて、首を捻った。

「ほら、あそこ」
車が僅かに途切れた狭間から、向かいの歩道を覗く。
壁が途中で切れたように、道が奥に伸びている。
そこだけ一段と影が濃くなっている。





入ってはいけない場所。
セラの記憶に刻み込まれている。


乾いた風、砂の匂い。
セピア色の壁。
閑散とした土の道。
旧市街と今包まれているディグダクトルのビル群が同じ国で、同じ街だとは思えない。
その旧市街で見た人影。

マレーラとリシアンサスは幻だと信じていたが、セラの見た存在感のある人の姿が幻なはずはない。
一瞬のできごとでも、セラの目には今でも細部まで思い出せるほどはっきりと焼きついた。
その人影が消えていったのが、リシアンサスに追うのを止められた路地裏だ。

場所は今とは違う。
しかし、その場所から流れ出してくる湿り気を帯びた雰囲気はまるで同じだった。
黒く深い陰が、立ち入ることを警告している。
むやみに踏み込めば抜け出せない。
迷路のようにビルとビルの隙間を縫って作られた道が、枝を無数に張って伸びている。


「大丈夫。戻ってくるわ」
リシアンサスに促され、セラは駅へと体を向けた。
大丈夫よね。
後ろ髪を引かれ、思いを引きずりながらもセラは学園前行きの電車に乗り込んだ。

窓に手を押し当てる。
マレーラがドアに寄りかかって、セラと同じく外を眺めていた。
環状に市内を巡る電車が、ごく緩やかな弧を描いて学園へと流れていく。

「行かなければいけない場所、か」
マレーラの横顔に、傾いた日の光が差す。

「どこか心当たりあるの?」
マレーラの目が、セラの頬に刺さる。

ディグダクトル。
首都。
学園の外の世界。
そして、クレイが生まれて、育った場所。

あるのはきっと、クレイの過去。
全部は知らない。
でも彼女の苦しみを知っているからこそ、誰にも口に出せなかった。
過去の影に怯えるクレイ。
それはセラが目にしている以上に深く暗く、逃れられないほどの闇。
手を差し伸べてあげたくても、どうすればいいのか分からない。
何もできない自分がもどかしい。

「わたしは」
目の前を流れていく街並み。
見えない線で、下流とそうでないものとが分離されている。
瓦の屋根、石の屋根。
その隣に、崩れかかった屋根とひびの入ったビルが密集している。

「わたしが思うほどに、クレイのことを知らないの」
窓ガラスが、セラの息で白く濁る。
クレイは何も言わない。
一人で抱え込んで。
押し殺して。
それはクレイの問題だと。

「だから戦うつもりなんだわ。たった一人で」
押し付けた手のひらに力を込める。
この憤りは、何だろう。
苛々するのはなぜ。
セラは湧き上がる感情が説明できなかった。

「どうして」
一人で生きようとするの。
クレイの側にいたのに。
いたはずなのに。
それは、自惚れだったのだろうか。

学園が近づいてくる。
クレイと出会った場所だ。

なのに今隣に、クレイはいない。











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