Ventus  36










空中で爆発音が響く。
笑い声がそこかしこで弾けている。

楽団が、透き通った音を絡ませあう。


クレイ・カーティナーは人の気配のほとんど無い寮内にいた。
学生が疎らに散っている食事を済ませ、着替えてから廊下に出た。
いつもと明らかに空気が違う。
静かだった。
歩き始めた足音が、妙に響く。

目を瞑っていてもその扉の前で止まれる。
数ヶ月しか経っていないというのに、何度その扉を開けただろう。
執着心。
そんな感情とは無関係な過去を綴ってきたというのに。

「用意できたか」
返事の変わりに、扉がゆっくりと開いた。

「五分も前からね」
軽やかな声だ。
不機嫌な顔はほとんど目にしないが、扉の隙間から覗かせた笑顔は、彼女の機嫌がいつも以上にいいことを示している。
見慣れた笑顔だ。
だが、その何気ない一つの仕草で、胸が温かくなるのをクレイは感じた。

「急ぎましょ。かなり出遅れてしまったみたい」
セラ・エルファトーンは自室の扉の間から体を滑り出すと、扉を閉めた。
鍵のかかる音が小さく鳴る。



友人のマレーラとリシアンサスは、セラとクレイが朝食に向うときにすれ違った。
手を振りながら、先に行ってるわねと食堂を出て行った。


「アームブレードの試合、見るんでしょう?」
セラが後ろで手を組みながら、軽い足取りで階段を下りていく。
もちろん、見るわよね。
そういった目で、ちらりとクレイの顔を覗いている。

「そうだな」
「あんまり興味ない?」
「どちらでも」
「わたしは見たいわ」
「じゃあ、行こう」
「何、それ」
アームブレード、試合出るほど好きじゃなかったの?
セラは最後の二段を飛び越した。
よろけることなく綺麗に着地する。

「何時からだったかしら」
振り向こうと首を捻る。
セラの横を風が抜けた。
黒髪が流れる。
猫のように、無駄の無い動きでクレイが最後の三段を飛び降りた。

「二時間後に開場」
目元が笑っている。
この微細な、クレイの表情の変化に気付けるのも、たぶん自分だけ。
セラの小さな自負だ。

「一回りできそうね」
「ああ」




芸術祭だ。
研究発表や、技芸を競うように披露している。

陸上競技、球技。
各人の能力を競い合って、あらゆる競技が一斉に催される。
勝者には栄光を。
そして、未来を。


その中でも、最も注目される競技がある。
アームブレードだ。

帝国ディグダの伝統武器を手に、学生が高みを目指す。
より強く。
より美しく。

披針形の武器が、空気を裂く。




「賑やかね、とっても」
「祭りは、セラの街ではなかったのか」
「あったわ。ずっと昔のことみたいね」
「帰りたい?」
答えようとして、言葉に詰まった。
なぜだか、セラ自身にも分からない。

「セラは、どうしてここへ?」
セラはクレイから目を反らせて、遠く群れる学生たちを見た。
故郷のファリア離れてから一年も経っていない。
出て行くことに、迷いがなかったわけじゃない。
しかし、その思いがセラを繋ぎとめるには弱すぎた。

「自分がとても」
ゆっくりと、瞬きをする。

「つまらなく思えたの」
クレイから離れて、先に進む。
背の高い時計を見た。
丸い文字盤の中に、装飾された文字が埋まっている。

「それが、わたしがここに来た理由」
街は明るかった。
穏やかで、居心地が良かった。

「思ったのよ。このままでいいのかしらって」
このまま学生を終え、大人の世界に溶け込み、結婚をして、子どもを持つ。
それも一つの道。
ファリアで生まれ、ファリアで過ごし、ファリアで生きていく。
そこから学べることはたくさんある。
今はそう思える。
でもその時は、そうではなかった。

「他にするべきことがあるんじゃないか。可能性を、考えたの」
このままで終わるべきじゃない。
そう思っていた。

とんでもない驕り。
醜いほど他人に見せられない傲慢。

「ディグダクトルの学校に行けるかもしれない」
勉強をして、試験を受けた。

「わたしなら、できる。ここでは終われないって」
都市には情報が溢れている。
欲しいものが、ある。
手に入る環境が、そこにある。
言葉には出さなかったが、特別になれると信じていた。


「脱け出したかったのね」
いろいろなものから。

「でも、何も変わらなかった」
都会に来ても、環境が変わっても。
セラはセラのままだった。
特別なものなど、何も手に入らなかった。
才能、個性、技術、知識。
すべてのものが溢れていて。

「それが、結論」
セラが体ごと振り返った。
笑顔だ。
だが、どこか物悲しい。

自虐的な、痛みを帯びた笑顔だった。




「わたしの個が埋もれてしまった」
何か特別なものを自分の中に抱え込みたくて、やって来たのに。

「あまりにね、周りの光が強すぎるの」
わたしは、わたしを哀れむなんて嫌だった。
セラは、目を伏せた。

なのに。

「不安になるの」
誇れるものなんて、何もなくて。

「不安なの」
周りに埋もれてしまう。
自分が消えてしまう。
見えなくなってしまう。

「クレイが、羨ましかった。他人の視線に屈しない。気にかけない。真っ直ぐな強さ」
「私は、強くなんてない」
「目を見れば分かる。最初に出会ったとき、直感したのよ」
分かった。
彼女の強さが。
きっとそれは、純度の限りなく高い、澄み切った心。

欲しかったのは、かき消されないくらい強い個性。
強い光。

周りが優れていようと、何をしていようと、どう思おうと関係ない。
わたしはわたしだっていう、クレイ。

「わたし、あなたになりたかったの」
今のクレイを築いたのは、クレイの過去の経験と記憶。
それらを共有し得ないセラは、クレイになれるはずもない。
わかっていた。
当たり前のことだ。

「だからわたし」
手を伸ばす。
触れられる距離に、今はいる。

「せめてクレイの側にいたいと願った」
クレイになれなくても、クレイの近くにはいたい。

「エゴなのよ。これは」
側にいたい。
自分のために。
自分に無いものが近くにあって、側にいて。
それで、救われると思った。

「劣等感の塊なの」
羨んで、卑屈になって。
側にいて、笑っていても。
見せたくない、汚れた感情。

「変わりたいのは、わたしだった」
セラは目を閉じる。
背中に当たる、木の幹。
乾いた草の匂い。

「助けてほしかった」
誰かが変えてくれるのを望んでいた。

「手を引いて、どこかへ連れ出してくれるのを待ってた」
変わりたいと願っていても、動かないままで。
変化は、誰かがもたらしてくれるものだと、目に見えない心の底では思っていた。



「でも、それでは変われないと、セラは知ってる」
伏せていた視線を持ち上げた。

「願うこと。思うこと。その意志が、私たちを変えていく。違うか?」
クレイが、手を前に出す。
開かれた手のひらは、セラの腕を力強く握り締めた。

クレイの手が、熱い。
セラは口を閉ざしたまま、首を振った。

「セラがいたから、私は今ここにいられるんだ」
セラの腕をクレイが大きく引いた。

「友人というものが、どういうものなのか、ようやっと分かった気がする」
セラ、マレーラ、リシアンサス。
点と点を結んだのは、セラだ。

「大切なものを見つけた」
それは、セラが教えてくれたこと。
それが、セラの力。

「まだ自分を過小評価するつもりか?」
セラは黙ったまま、クレイの黒い瞳を見つめている。

「セラはセラだ。だから価値がある」
クレイに無いものを持っている。
逆に、セラに無いものがクレイにはある。

同じにはなれない。
同じでなくていい。

「セラがいる。だから私だってここにいられる」
だって、あんなにきれいに笑えるんだ。
側にいて、これほど安心できる。
それは、クレイにとってセラだけだ。

「セラでないとだめなことなんだ」

人気者になりたいわけじゃない。
みんなの特別になりたいわけじゃない。

他の誰でもない、たった一人だけでいい。
クレイの、特別だというその一言で、セラの劣等感なんて吹き飛んでしまう。

存在を、認めてくれた。
それだけで、充分。

ここが、わたしの居場所。
歪んでくる視界を、目蓋を閉じて押さえた。








中央競技場。

本日は抜けるような晴天。
屋外競技上の屋根は大きく開き、地面は空を仰いでいた。



会場と同時に、人が雪崩れ込んだ。
入場規制をしている学生たちも、額に汗を浮かべ必死に整列を叫んでいる。

その波の中ほどに、クレイとセラがいた。
二人の後ろには、人が時間とともに連なっていく。


競技場の周囲四方には、巨大パネルが設置されている。
壁を挟んで内側で行われている競技を、外で観戦することもできる。

だがそれだけでは物足りない。
学生を含む観客たちは、我先にと狙っていた前列の席を埋めていく。

クレイとセラも、何とか席を確保することができた。
さすがに前列とは行かなかったが、競技場に入れ、椅子に座れただけでいい。
振り返ると、立見席も埋まり始めている。


「すごいわ。学生の大会でしょう?」
見る限り、制服を着た人間が三分の二。
残り三分の一は学生とは頑張っても言えない、大人が目に入った。

「学園の最高峰の競技会だからな」
未来の軍人。
未来の幹部となるべき人材が、より高い世界を目指す。
約束された未来がある。

「それに、出るのは学生だけじゃない」
「え?」
「現役軍人も出場するんだ」
「学生と一緒に競うの?」
勝てるはずがない。
相手は実力、経験を積んだプロフェッショナルだ。

「模範演技として軍人同士で、だけどな」
「何だ、そうだったの」
楽団の管楽器が高らかに鳴る。
周囲の声が、術をかけられたかのように、急に波を沈める。

どうしたの。
セラがクレイに目で話しかける。

クレイは顔を前へ向け、左右に目を走らせた後、一点を見つめて動きを止めた。
セラに指で小さく示す。

「ようやくご来場だ」
小声で耳打ちした。

直後に、反響する放送席からの声。

クレイが示した一点を、見逃すものかとセラは見入っていた。
布の張られた豪奢な屋根が、貴賓席だと主張している。

そこに、数人が入っていく。

「五老だ」
「あの人たちが」
初めて直接見た。
五人ともローブを被っていて、老若男女の判断が付かない。

「彼らが、ディグダを動かしている」
国政を預かる、事実上最高指導者たちだ。

五人いて、五人の意思決定でディグダの将来が決まる。

正面を向いていた彼らが、同時に椅子へ腰を下ろした。
長いローブはまるで、異国の呪術者を思わせる。
その彼らが儀式のように厳かに椅子に身を沈めている。

互いに顔を寄せ合い話をすることも無く、ただ正面を見据えて座っているだけだ。

「人形みたい」
セラが指摘するのも無理は無い。
微動だにせず、座って十分経つというのに、未だ首一つ動かす気配は無い。

再び放送が流れた。

「主賓だ」
「誰?」
「文書上一番偉い人」
「天」
セラの目が一際大きく見開かれた。
ほとんど人の目に触れることは無い。

天と呼ばれる、ディグダという巨大帝国の帝。
それが従者を伴い五老の更に上段を歩む。

「小柄な人ね」
「子どもだからな」
大人の従者に囲まれて歩いてくる天は、一人だけ小さかった。

「藍凌天(らんりょうてん)聞いたことあるだろう」
ディグダの王だ。
ディグダの軍力に呑まれ属国とされた諸国であっても、現帝の名は届いている。
ディグダの核、ディグダクトルとは比較的友好関係にあるファリアにも聞こえているはずだ。

「ええ。幼帝とは聞いていたけれど」
本当に幼い。
まるでお人形遊びだ。

膝の上に小さな手を置き、大きすぎる椅子に足が浮いてしまっている。
完全なお飾りだった。



「始まるわ」
セラが競技場に目を落とした。
楽隊が奏でる、序曲。

始まる、アームブレードの祭典。











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