Ventus  35










クレイ・カーティナー。

履歴は、初等部から記されている。

初等部を二年の半ばより途中入学とあった。
それ以前の履歴は白紙。

家族構成についても、欄は眩しいほどに白だった。
それに連なる現住所も空欄になっている。

個人情報を探るのに、電子端末を経由すれば足跡を残すことになる。
やましいことをしているつもりはないが、色々と疑われるのは厄介だ。
最も原始的な方法が、この場合一番リスクを回避できる。



第三七資料室。
電子化の波に呑まれ、紙の増殖と部屋の増築は収束した。
膨大な資料は完全データ化された一昨年以降、静かに保管期間の終わりを待っていた。

個人IDさえ提示すれば、資料室内に何時間いても構わないし、何を閲覧したのかも知られることはない。




暇そうな受付で閲覧許可を貰い、一人閉じこもって二十分が経っていた。
ほぼ白紙と言っていい彼女の経歴を隅まで眺めていても、ないものは、ない。

よくまあ、このような資料が重要書類扱いで学生個人情報の棚に保管されていたものだ。
ほとんど期待を寄せないまま、クリップで留められた紙を捲った。
乾いた音がする。

クレイ・カーティナーの成績が書き込まれていた。
どれもが中程度。
得意科目というのも見当たらない。
特に注意を引かれる点は、ない。
三枚目の紙を覗き込んだ。

「奨学金?」
国から出る補助金や、優秀生徒への全額免除といった奨学金制度は充実している。
学費自体、支払うのに窮するほど高額ではないが、あればありがたい。
学舎の中心に立ち、周りを見回しただけでも生徒の二割は国の奨学金制度を利用している。

奨学金を、クレイ・カーティナーが受けていようと、それは不思議でも何でもない。
問題は、その内容だ。

通常、奨学金の受給条件や規約といった詳細は、目が疲れるほど細かくかつ大量の文字で埋め尽くされているものだ。
だが、ここに記載されているものは、目に優しい。



「やけに、シンプルだな」
受給年月日は、今から約九年前。
彼女が入学した当初から受けているものだ。
返済なしで、かつ無条件。

「何者だ」
特待生でもない。
なのに、この条件は。

窓辺に片足をかけながら、太陽光に文字を晒した。
目はファイルの文字を走りながら、頭では他の事を考えていた。

どこから出ている。
彼女の後ろには、何がある。

彼女を含め、彼女にまつわることがイレギュラーに満ちている。



何も書かれていない、経歴。
見えないもの。
でもそこから見えてきた。


思いついたように、ファイルを閉じた。
確信ではないが、それに近いものを感じた。

「クレイ・カーティナーとの繋がりを白く隠せる者。それだけの権限があるもの」
そういうことか。

ここはどこだ。
学園だ。
だが、ディグダで現在唯一の。

「国営の学園だ」
それが保有する資料。

近くにあった机に、資料を置いた。
隠したいのは、国から流れてくる金か。
その源か。
正規の国からの奨学金ではなく、独自のルートで支給している。

「だが、そうまで隠したがる理由が分からない」
そうして、そこまでクレイにする理由も分からない。
九年前も昔に、クレイの中にどんな可能性を見出し、投資しようとしたのか。
巨大な学園、膨大な学生の中で、たった一人を選んだ理由は。


持参した端末を起動させる。
浮き上がる、帝国陸軍のロゴ。
立ち上がるまでの眺めていたロゴに、皮肉染みた笑いを浮かべた。
漸く正気に返ったと言ってもいい。

「何をしているんだ。私は探偵でも何でもないというのに」
妙に執着してしまう。
それも、すべて。

「あのような戦いをするからだ、あいつが」
動画再生アプリケーションが開いた。
再生ボタンにポイントを重ねる。


割れる声援の波。
アームブレードの弾きあう音が細く拾えている。
ショートボブの黒髪が、激しく揺れている。
瞬発力は尋常ではない。
アームブレードを振るうが、空気抵抗などないかのように、切り返しが素早い。
狙っているポイントは的確だ。

これが、クレイ・カーティナーの本来の動き。
練習では見られない。
何と表現したらいいのか。
別のものが彼女に吹き入れられた。

「ああ、そうだ。確かそれは」
以前、古い友人が言っていた。
世界には幾つも神を抱えている国があるという。
さまざまなものに神が宿り、またさまざまなものを司って神がある。

「神憑り」
神が乗り移る。

その時は、そんなものが果たして現実としてあるのだろうかと。
人の力は、限界を決められていて、それ以上のものは発揮できるはずがない。

現に、アームブレードを手にし、戦場を駆けてきた。
人間は実力以上のものを出せないことを知った。
そして、実力なき者は落ちる。
戦場では、消えていく。

だがクレイ・カーティナーの試合場での動きを見ると、その「神憑り」を信じてしまいそうになる。

急激な変化が、彼女に起こった。

何かが、切れた。
スイッチが入った。

「もしくはその逆」
彼女の枷が外れた。
押さえつけられていた、何かが。

習った形をそのままなぞる動き。
試合の始めは、そうだった。

それが、急に。

「ここか」
対戦者のブレードが、クレイの皮膚を裂いた。
違和感に腕へ手をやったクレイが、手のひらをしばらく見つめる。

「この直後だ」
これを境にして、クレイの感覚に鋭敏さが増した。
攻撃も、容赦がない。
相手が恐怖に引きつっていようが、アームブレードの力は弱まることなく叩き込まれる。

相手を再起不能にまで追い詰めた、クレイのアームブレード。
切り替わった、スイッチ。
乗り移った、神。

「まるで聖域のように、白く隠された過去、か」
まったく。
苦笑するしかない。



「理解できないことだらけだな」
それに。
クレイ・カーティナーは変わった。
一年前のクレイ、今のクレイ。
他人との接触を、極度に拒んでいたクレイ・カーティナーが始めて受け入れた他者。

「セラ・エルファトーン」
クレイ・カーティナーを調べると、よく登場する名だ。

出身はファリア。
地方の比較的小規模な街で生まれた彼女は、今年学園に入学してきた。
特筆すべき点はどこにも見当たらない。
どういう接点があり、クレイ・カーティナーと知り合ったのかは記されていない。
だが、興味をそそる。

他者と接触が皆無といえたクレイに、今年になりセラ・エルファトーンの名が寄り添う。
二度だけ、会ったことがある。
柔らかい空気をまとった、クレイとは正反対の少女だ。
特に目立ったところのない一生徒が、クレイ・カーティナーの側に付いている。

異物でしかなかった他者を、受け入れた。
セラ・エルファトーンにそのような要素があったと。




端末の電源を落とした。
脇に抱えながら、左手には資料が握られている。
資料をファイルに収めると、頑丈そうな扉を抜けた。


「もういいの?」
受付の女性が、老眼鏡をずらして見上げてきた。

「ええ」
「では、IDカードを」
出館手続きを行わなくてはならない。

「はい、クレア・バートンさん。結構ですよ」
手渡されたカードをしまいながら、卓上カレンダーに目を落とした。
二日後から赤い直線が引かれている。

「そういえば、明後日から祭りだったか」
清女の祭り。
学園の文化祭。
一週間に渡り行われる長い祭りは、厳しい規則に拘束された学生の一年に一度の大イベントだ。
すっかり終わったつもりでいたが、アームブレードの本戦はその時に行われる。

「そうよ。周りが騒いでいるのに、気付かなかったのかしら」
「ああ。ちょっとこのところ考え事が多くて」
「あなた、アームブレードの先生でしょう?」
受付の女性が眼鏡フレームの上から、クレア・バートンを見上げた。
指先は端末の画面を小さく叩いている。

「教え子が出るんじゃないの?」
「ええ、まあ」
「明後日、晴れそうよ。良かったわね」
競技場のルーフを全開にして競技ができる。
自然光の下、清女の舞は実に映えるだろう。



「探し物は、見つからなかったようね」
頬杖を付き、眼鏡を外した。

「わかりますか」
「今まで何人も見てきたものね。それも、もうすぐ終わりかしら」
迫る、保管期限。
電子保管庫へ移された文書データが一斉処分された後、ここは解体され新しい学舎になるか、資料保管庫になるか。
いずれにしろ閉鎖されるこの場所から、彼女は去ることになる。

「見つからなかったけれど、それで良かったのかもしれない」
「そう?」
「実はあまり期待してなかったんです」
知ってしまうには、何か深すぎる気がして。

「人生なんて、紙や電子空間などに簡単に保管できるものではないわ」
見えるものは、その人の人生のほんの一部でしかない。
それだけを見て、すべてを判断するには危険すぎる。

「ありがとう」
そう呟いたクレア・バートンを上目遣いで目をやると、眼鏡をかけなおし端末のキーボードに手を乗せ作業に戻った。






資料室の扉を左手で閉めた。
廊下は古びたコンクリートで覆われている。
どこもかしこも冷たく、埃の匂いが混じる。

砂の感触がする窓枠に手を置いた。
濁った硝子の向こう、外は曇り空だった。

手のひらを見下ろした。
彫られた手相。

二三度握っては開いてみたが、手は手だ。



「血、か」
クレイは腕から滲んだ血を拭った。
手には血が付着していただろう。

「喧嘩でもしたのかな」
過去のトラウマか。
どれも憶測に過ぎない。

手を合わせ砂を叩き落しつつ、クレア・バートンは窓の続く廊下を戻って行った。











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