Ventus  34










この季節独特の柔らかな日差しが、冷えつつある大気の棘を宥めている。


涼季。


二季存在する季節の中、学園祭が始まると本格的に涼季に入ってくる。


節目の季節。
古きものは流れ、新たな季節がまた巡ってくる。
花も木も、生き物も入れ替わる。


部屋の中の空気はまだ、空調に頼らずとも快適だが、外の風は冷たさを増していく。
紺一色だった学生たちの群が上着を羽織り、薄い茶へと変わっていく。




灰色館では、銀髪の館主ヒオウ・アルストロメリアが今日も本の修繕と整理の日課に手をつけていた。
今日は特別、いつもよりも動く手が軽かった。
若い友人が来ているせいだ。

「やっぱり、ここには人がいなくてはだめね」
書庫ではない。
ここは、図書館なのだから。
本があり、そして人もいる。
それが、あるべき姿。
求められた、姿だ。



訪ねてきた友人は、ヒオウの顔を見て、二言三言言葉を交わした後、本棚の陰に入ってしまった。
あちらには閲覧用の小さな机が窓際に沿って並んでいる。
そのうちの一つに友人は腰掛けると、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


顔色が良くなかった。
白い顔は、さらに血の気が薄く青みを帯びていた。

ヒオウはさりげなく理由を問うてみたが、友人は首を振り眠りが浅いことを仄めかしただけだった。


本の手入れが一段落し、ヒオウは重ねた本を両手に抱え込んだ。
どこに何の本があるのか。
どのような内容の本なのか。
いつ頃書かれた本なのか。
すべて頭の中に入っている。

電子化が進んだ大図書館並に、正確に素早く検索することができる。
迷うことなく本を元の場所に戻して回る。

窓辺に首を巡らせた。
暑季ほど強烈な光でなく、心地いい明るさが灰色館の周りを温めている。

最後の一冊を仕舞い終えて、再び友人の座っている机へ目をやった。
寝かせた腕に顔を伏せていた。

貴重な眠りを、邪魔をしない方がいい。

ヒオウは見守るように温かな目で微笑むと、背を向けて奥の部屋に消えた。








クレイは眠りと目覚めの境界線を、緩やかに越えた。

夢か現か。

その狭間。

世界は白い光に満ちていた。



過去に見た光景。
出会った場所。

あれほど頑なに拒んでいた記憶の断片が、繋がっていく。
温かな陽が、そして匂いが、記憶を呼び覚ましていく。


「おはよう」


低く、穏やかで、優しい声がした。

木の匂いがする。
白い天井。
温かい部屋の空気。
白い服を着ていた、男の人が椅子に座っていた。


知っている光景だ。
覚えている記憶だ。

灰色の髪をして、丸い眼鏡をかけている。
清潔感漂う口元の髭は、丁寧に切りそろえられていた。
丸い体と丸い顔。
年齢を当てるのは得意ではないが、おおよそ五十代の男の人だ。



ここはどこだろう。



体を起こそうとしたが、うまくいかない。
腕は力なく空を切る。

男の人が背中に添えた手を借りて、上半身を起こした。

霧がかった頭のまま、目の前に飛び込んできた状況を飲み込もうとする。
シーツに包まれた脚を見ていた。
目を上に上げると、奥に木の机がある。

遮光カーテンをすり抜けてきた弱い光が、木の上に斜線の模様を作っていた。

「気分はどうだね?」

声のする方へ顔を向けた。
黙ったままでいたが、彼はまったく気にしないようだった。

口髭の下の唇が、動く。



「     」



聞こえない。

彼は、何て言っている?



「        」



唇を見ていた。
唇を読み取ろうとするのに、何を言っているのか分からない。




彼は。

そうだ。

そうだった。

ここは、診療所。

彼は、医者だ。




「二度目だね。ここに来るのは」


霧が風に散らされたかのように、はっきりと。
彼の声が聞こえた。
言葉が戻る。
唇から、言葉が流れ出てくる。


二度目。


「覚えていないかな」

それまでに、来たことが?

「きみが初めてここに来たときのこと」




白衣に包まれた彼は、穏やかに微笑する。

「無理もない。きみは、そのとき」




音が途切れる。




まただ。
何かが邪魔をする。

その先を、知らなければならないのに。
彼の言葉の先を。

でも、聞こえない。



「もう少し、眠っているといい」
乾いた、温かい手が目を覆う。
額に乗せられ、体はベッドの中に沈みこむ。

三台あるベッド。
使われているのは一台だけ。

「風を、入れようか」

窓枠に、皺の寄った手を当てる。
木の、軋む音がした。







温かな手が、クレイの髪を押さえる。
定まらない焦点で、顔を上げた。

白い手が、クレイの腕に触れる。
淡い光を放つ。
光に包まれた。
優しい、白い手。

「まだ、眠っていていいのよ」
でも、もう起きなくては。

「クレイ」
半ば夢の中にいる。
目の前の、光に浸った世界。
木の机と、弱い日差しが漏れ入る窓。

過去と現在が重なる。

夢と、現実が。







「動かないでいい」

制するというほど強い口調ではない。
なだめるように、優しい言い方で、白髪交じりで灰色の髪の医師はクレイの動きを止めた。


「客が来ているんだ。寝ている間に申し訳ないが、きみのことを少し話したよ」
体は少し、軽くなった。
医者の手を借りずとも、両肘を使って体を起こせる。

「きみのことに、興味を持ったようでね」
窓際の机に収まった椅子に、もう一人誰かがいるのに気付いた。

白いローブに頭から包まれている。
顔は見えない。
若いのか、歳を取っているのか。
男性か、女性か。
それすらも判別できなかった。


「休んでいてくれていい。そう、きみがいたいだけ、ここにいてくれてもいいんだよ」
白衣の医師が大きな尻で埋もれそうな円椅子の上で向きを変えた。
クレイの方を向き、手を広げる。

「きみにはもう、帰る場所がないというのなら」

思い出した。
自覚した。

そう、もういないんだ。
ヘレン・カーティナーは。
悲しみがあふれ出てくるほど、熱い感情は湧き上がって来なかった。
冷え切った、乾ききった心が、そこにあった。


ローブの人が、立ち上がりクレイに近づいてくる。
ベッドの脇に置き去りにされていた円椅子を少し引くと、衣擦れしか聞こえない滑らかな動きで腰掛けた。

まだ幼い小さなクレイの手に自分の手を重ねる。
お互いに、しゃべらなかった。
医者は側で黙って見つめているだけだった。
温かい室内、物音も立たないほど静かな空間だった。
それでも、その時間はとても心地いいものだった。



時間が再び動き始める。
ローブの人が、医者に顔を向けた。
何らかの意思を医者は汲み取ったのだろう。
立ち上がり、白いローブを身に着けた人が座っていた机へと、ゆったりとした足取りで歩いていく。

こちらへ振り返り、目の前にまで来たときには、手の中に白い紙が握られていた。


「きみがどこに行こうと、どこに留まろうと、それはきみの自由だ」
医者は手の中の紙を、クレイの手の中に握りこませる。

「そこにある場所もまた、きみの先にある道の一つだ」

書かれた場所は、街の中央を示していた。
政府機関に隣接する、その場所。



学園。



与えられた、一つの選択肢。

道。

場所。






そして、クレイはしばらく後、医者の家を出て手の中の道を歩むことになる。
あの家は、まだそこにあるのだろうか。









「クレイ」
伏せていた目を、開いた。
瞬きを繰り返し、そこが灰色館だったということを、ようやく理解できた。

「眠っていていいの。まだ時間はあるんだから」
「いや、もう起きるよ。セラ」
腕の上に掛かるセラの手に、クレイは自分の手を乗せた。




現実は、ここにある。
この、手の中に。











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