Ventus  32










空を切る、クレイのアームブレード。

剣先は、対戦者セリア・アルテアの腕を捕らえることはなく、後ろに流れた。
セリアの左を抜けたクレイは、振り向きざまにセリアの右背後からアームブレードを水平に切り裂いた。
それを、セリアはアームブレードの片腕で受け止めた。
反応速度が速いのは、単に動体視力が優れているからという理由だけではない。
彼女がアームブレードを操り、身に着けてきた無駄のない筋力が、クレイに勝っているのだ。
だからこそ突発的な動作にも対応できる。


セリアの攻勢が始まった。
アームブレードに左手を沿え、クレイを押し潰しに掛かる。
重心が後ろにずれた隙を突き、背の高さで優勢に持ち込む。

一撃目。
もとより一本が取れるとは考えておらず、捨ての一撃だ。
クレイが上段で防御体勢を誘い、空いた胴部をセリアが斬った。

一本取られてしまう。

反射的に脇を締める。
瞬間に捻った体。





クレア・バートンがクレイ・カーティナーを、数ある学生の中より拾い上げた理由が、ここにあった。
未熟な技術、扱いきれないアームブレード。
だが、クレイには瞬間的な判断力に優れている。
目で見て、どうすれば回避できるかを一瞬のうちに計算する。
無意識のうちに。

勢いに押され、クレイが場内外の境界線ぎりぎり内側まで転がった。
滑らかな床上を、横倒しになった体が滑る。
靴底が床と擦れ合い、鳴くような音を立てた。
立ち上がろうとすると、目の前にセリア・アルテアの脚が見えた。
踵には境界線の白線が迫っている。
転がるように横に回避した。
同時に振り下ろされた剣。
防護具が付けられていたが、剣先はクレイの腕を掻いた。


服が切れた。
右腕が焼けるようだ。
アームブレードの腕を狙われた。

セリアから距離をとり、立ち上がって体勢を整えてたときには、セリアは追撃体勢に入っていた。
一直線に駆け込んでくる。
クレイはアームブレードを持つ手を握り締めた。
どう迎え撃つ。
迷っている時間はない。

クレイもセリアに向って前傾姿勢で飛び込んだ。
上から切り込んでくるセリア。
クレイは下から腰を捻ってアームブレードを跳ね上げた。

力の勝負。
速度の勝負。
クレイが勝利する。
ブレードとブレードがぶつかり合い、観客が振り向くほど大きな音を響かせた。
力負けし、セリアが宙を飛ぶ。
クレイの右腕は、痺れていた。

微かに震える腕を押さえつけようと、左手で右上腕に触れた。
汗とは違った濡れた感触が、手のひらに滲む。





赤い。

真っ赤な。



左手は、染まっていた。
呼吸も満足にできず、目を見開いたまま立ち尽くしていた。

その先でセリアは背中をしたたかに打って、力なく立ち上がろうとしている。
頭部に防具をつけていてよかった。
そうでなければ今頃、脳震盪で担架の上にいるだろう。
試合は、まだ放棄していない。



赤。
粘性を帯びた、この左手。
この感触。

暗い路地の、死にかけた電灯の下で、赤くなったり、黒くなったりしていた。

あの日。
あの、夜。

どうして?


この先に、行ってはいけない。
この先を、見てはいけない。
踏み入れてはいけない。

頭の後ろで警告音が響き渡る。
息ができないほど、頭痛がする。

手が震えている。
どうしようもなく震えていて、止まらない。

息をする唇も、強張って動かない。
目の奥が痺れる。


だめだ。
この先は。
これ以上は。


でも。


目を開いて。
前を見て。
何がある。
何が見える。

あれは、何をしようとしている?

あれ、は。





セリア・アルテアが、頭の霧を振り払いつつ、アームブレードを構えた。
剣先は振れているが、クレイを捕らえていた。





あれは、消そうとしている。

このままでは、また、私は。





クレイは左手を落とした。
力が抜けたまま、アームブレードだけを持ち上げる。



ころされてしまう。



「いやだ」





クレイの目の色が、変わった。

セラはそれを見逃さなかった。

「クレイ」
手の中で汗が滲んでいくのがわかった。

「怯えているの?」
何を恐れているの?
何を、見ているの?

「過去を?」

それは、あの時と同じだった。
軍の施設で、壊れかけた軍人を見たときと、同じ瞳。

恐れていたことが、起こってしまった。
クレイが、過去を思い出してしまう。
そのきっかけを作ってしまう。
それがどのような過去かはセラには分からないけれど、ただ。

「クレイが、壊れてしまう」
必死になって築き上げた、防壁。
それに包まれた、クレイの過去と脆い心。
孤独で、たった一人で外界と闘ってきた。
すべてを遮断し、何人たりとも、いかなる外界からの侵入も阻止してきた。

「それを壊したのは、わたし」



愛想はない、笑わない、怒らない、泣かない、しゃべらない。

温かい日差しの中、砕けていく氷の音に混じったマレーラの声が浮かび上がってくる。



そのクレイを変えたのは、リシーでも私でもなく、セラなんだから。

そうだ。

「わたしが、クレイを外に連れ出してしまった。わたしが、わたしのせいで」
手のひらを見て硬直している、クレイ。
蒼白な、横顔。

「わたしが、一人でいたくなかった。クレイに側にいてほしかった。だから」
壁を壊し、クレイの心に触れた。
すべては、セラの一緒にいたいという気持ちのせい。

「それは、間違っていたの?」
クレイを凝視して、開いた目尻から涙が伝った。

「クレイを、壊してしまうのは、わたし?」
拭われることのない雫は、白く血の気を失った手の甲へ落ちていく。

「クレイ」
その目の前で、倒れていた対戦相手が重い身を起こした。
見届けなくてはならない。
この先、クレイが過去を受け止められなくても。
どのような変化の波が押し寄せようとも。

「わたしのせいならば」
冷たい欄干を、強く握り締めた。

「クレイを、苦しめてしまうのが、わたしだというのなら」
今は、見ていることしかできないかもしれない。
でも。

「決めたもの。わたしが、クレイを守るわ」





クレイが静かに息を吐いた。
剣先が、背後の地面を向く。
セリア・アルテアに体の左側面を見せ、腰を落とす。

乾き始めた、右袖に広がる赤。
左足は、しっかりと床を踏みしめている。

セリアが動く。
クレイも動いた。

飛び出したクレイの剣先が、セリアの側頭を掠める。
振り切ったクレイのブレードを避け、セリアがクレイの頭部を狙う。
クレイが反らした顔の鼻先を、セリアのブレードが抜けた。

振り戻そうとするセリアのブレードを、クレイが払った。
クレイが先にブレードを引き戻し、開いた脇に二太刀目を叩き込む。
苦痛にセリアが呻きを上げ、怯む。

クレイの冷たい顔は、更にセリアへ追い討ちをかける。
反撃を試みようとする腕を、上から叩き落した。




しにたくないのならば。

クレイの眼は、過去を見る。



また、あのときと、おなじように。

あの、暗い、汚い、湿った通路で。
クレイの眼は、動くセリアではなく、シルエットのうごめく人影を追っている。



振り向いたセリアの胴へ、鮮やかにブレードを埋めた。


観客の視線が一斉に審判に注がれた。
真っ直ぐに審判の腕が上がる。

クレイが、二戦目を制した。

これで、一対一。
本当の勝負、次で決まる。

応急救護班が駆け寄り、セリアの意識確認とクレイの腕を包帯で縛ると引き上げていった。

意識確認が必要なのは、セリアよりむしろクレイの方かもしれない。
セラは、すぐ側にいながらこちらを見ないクレイに、すぐにでも駆け寄りたかった。

クレイの心は今、ここにはない。
クレイの顔から、表情が消えた。
きっと、周りの歓声も何も、聞こえてはいない。



まとわり付く、黒い人影。
思い出してはならないと、叫ぶ。

だから鍵をかけたのに。
幾重にも、幾重にも。



三戦目の合図で、クレイはアームブレードを上段に構えた。











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