Ventus  30










「セラ・エルファトーン、だったな」
低い声が右の方から聞こえた。
聞き覚えがあったので、不信に思うこともなく振り向いた。

「クレア・バートンさん。こんにちは」
先日会ったばかりだ。
それに、クレアの印象は強すぎるくらいだ。
太陽を見て目に残る残像のように、記憶に焼きついている。

「クレイの先ほどの試合、ご覧になりましたか」
「ああ、あっちの方で。退場するクレイを目で追っていたら視界にエルファトーンが入った」
「どうされるんです、この後。クレイの様子を見に行かれますか」
セラはそのつもりだ。
クレア・バートンは、時間にしてみれば短いものの、クレイ・カーティナーにとってアームブレードの師である。
もちろん、彼女もクレイの元にいくものだと確信していた。

「いや。行かない方がいい。私も、エルファトーンも」
「なぜ?」
次の試合まで、まだかなり時間がある。
少しでも側にいて、見守ってあげたい。
アームブレードは握れない。
技術的な助言を与えることもできない。
セラができることと言ったら、側にいる。
それくらいのものだ。

「不安定なんだ」
「精神状態が、ですか」
確かに、このところのクレイは少し調子を崩しているように思える。
時折、考え込むように目を伏せたり。
何か課題を始めたり集中し始めると、すぐに緊張が解けてしまったり。
セラはその理由を探ろうとするが、曖昧なままで具体的な点が掴みきれていない。

「心、それに連動する力」
「クレイは、強く見えて脆いから」
「心が弱れば、腕も鈍る」
誰でもそうだ。
だが、殊クレイはその傾向が強い。

「本気で掛かれば、私を押すほどの勢いを持つ。私はそれを評価し、クレイに未来を見た」
育ててみたいと思った。
その延長線上に、この大会がある。

「かつてのクレイは、そうではなかったらしいが、今は違う。強くなる。確信している」
「かつてのクレイを、わたしは知りません」
愛想がないのは常のこと。
不用意に近づけば相手にしないどころか、視線で焼き殺される。
近寄るな。
用などない。
不必要な人間だ。
お前に関係などない。
確固たる領域を設け、そこに決して踏み込ませはしない。

それが、クレイ・カーティナー。
そうだったのだ。
セラが現れる、その前までは。

「それは、そうだろう。知らなくて当然だ。エルファトーンが変えたのだから」
「人は、そう簡単に変わるものではないです」
変わろうという意思がなければ、変わらない。
細胞が日々生まれ変わるように。
見えないくらい、感じられないくらい微細な変化の連続。

クレイは、変わったという。
触れ合う心と心。
繋がる、手と手。
重なる目と、目。

その僅かな瞬間が、一瞬が変えていく。
ならば、わたしは。
わたしも?

答えは、セラには見えなかった。


「変わろうとしているんだろう、クレイが。エルファトーンという友人のために」
セラが、眉を寄せた。

「外に出ようか。少し、歩こう」
セラの背中を軽く叩いて、入り口に導いた。
背にした試合場ではまだ、一回戦が続いていた。






「あなたは、どこまでわたしのことをご存知なのです」
会場を後にした二人は、入場していく観客の小川に逆らって、多目的ホールの階段を下っていた。
今日は天気がいい。
階段前の広場では、刀箱を側に置き木陰に腰を下ろしている学生がいる。
二回戦待ちなのだろうか。
他には、見学に来たと思われる女子学生が、階段の手すりに凭れ掛かって談笑している。
広場の端の方でアームブレードの素振りをしている学生もいる。
乱れない太刀筋。
いい腕だ。

「それは、どこまで調べたのかを聞きたいのか」
「クレイがどう思っているかはわかりませんが、わたしはあまり自分の過去を掘り返されるのは好きじゃない」
「多くの人間はそうだろうな」
「わたしには隠すほどの過去があるわけではないです。でもやっぱりいい気はしないわ」
教師といえど、学生の過去を広く深く知る権利はない。

「クレイを調べたのは、彼女の能力の源泉を知りたかったから」
アームブレードを握らせたときの気迫。
初心者では、ブレードが孕む空気抵抗でよろけるだけで、真っ直ぐに触れるだけで精一杯だ。
間合い、技、戦略。
そういったものに気を回す余裕は持ち合わせていない。
クレア・バートンの受け持ってきた学生は一様にそうだった。
それが初心者のあるべき姿だ。
学生の中には、幼い頃からアームブレードに触れている者も中にはいたが、彼らは別格だ。
クレイは、見たところ完全に素人だ。
アームブレードの装着方法、防具を装備する様子を見ていて一目瞭然だった。
初回の動きも、やはり初心者のものだ。

「だが回を重ねていくうちに、その吸収力に驚いた。何者か、興味を抱くのは自然の流れだ」
だから調べた。

「知っているのね。彼女がどこから来たのか」
クレイの過去を。
クレア・バートンは前を見たまま答えなかった。
沈黙は、肯定。

広場から、林に囲まれた道に入る。
両脇の樹は背が高く、トンネルになっていた。
舗装された土道は、踏みしめると柔らかく平坦だった。

「クレイは、ディグダクトルに住んでいたと言っていたわ。スラムと呼ばれる場所に」
「そうだ。学園に入学したのは初等部から。編入という形で入っている。それまでは外に住んでいた」
「街に」
決して足を踏み入れてはいけない場所。
マレーラとリシアンサスに引き止められた、裏道の向こう。

「クレイについて調べられるのは初等部に途中入学して以降の情報だけだ」
それ以前、彼女がどこで生まれどう育ち、どのような環境に身を浸してきたのかなど一切不明だ。

「両親がいるのかいないのか、それすら真っ白だ」
セラは、ヘレン・カーティナーの名を飲み込んだ。
クレイの育ての親だった女性だ。
親というよりむしろ、同居人だったという。
セラも、それ以上詳しいことはほとんど分からない。

「それに、なぜクレイ・カーティナーが学園に入学することができたのか。それも謎だ」
援助はどこから出た。
身元を保証できるだけの、後見人が必要になる。
成人していない子供なら、なおさらだ。
だが調べてみても、クレイ・カーティナーの後見人の姿は欠片すらも見当たらない。
不自然なほどに情報が削られている。

「過去からはクレイ・カーティナーがどのような人間かを知ることはできなかった」
それが、結論。

「だから、遡ってみた。過去から、現在へ。そうして見つかったのが、セラ・エルファトーンの名。君のことだ」
長い並木道を二人で並んで歩いた。
道幅は広く、準備運動とばかりに周辺を走っている生徒も少なくない。
風はよく抜ける。
光は程よく透過されている。

セラは琥珀の目だけを、クレア・バートンに向けた。


「わたしをほじくり返しても、何も興味を引くものなど出てくるはずはないのに」
「だが、エルファトーンはクレイ・カーティナーに何らかの影響を与えた」
「側にいれば誰だって影響を受けたり与えたりしあってる。クレイだって、人間だもの」
同じように刺激を受け、微細ながらも変化を続けている。

「明確な変化が生まれた」
セラに出会ってから。
小さな変化が積み重なり、今やクレイは数ヶ月前のクレイとはまとう空気が違う。
入手した資料には、そう記されていた。

セラは片手を伸ばし、垂れ下がった広葉樹の葉に指先を触れた。
柔らかな葉が、セラの指をくすぐる。

「なぜクレイはエルファトーンを選んだのかな。なぜ、外界を受け入れるようになったのか」
「わたしが知るはずもないわ。知りたいのは、わたしのほう」
「クレイは大切なものを見つけた。それは、確かだ。それが強さになり、同時に弱さになったとしても」
「強いだとか、弱いだとか。そんなの関係ないわ」
セラは下ろした腕を、体の脇で強く握り締めた。

「そんなの無くたって、わたしたち生きていけるもの」
ここは平和な世界。
温かい場所。
それじゃ、だめなの?
それは、望んではいけないの?
わたしは、クレイを守りたいだけ。
それは許されない願いなの?

「そうも言っていられない。クレイはやがて、軍に入るだろう」
「どうして言い切れるの?」
「エルファトーンは、クレイがアームブレードを握ることは反対か」
セラは立ち止まった。
並木道はまだ先に四分の一ほど残っている。

「そうじゃない」
アームブレードを手にするしないの問題ではない。

「誰だって嫌だわ。誰かの命を、奪うなんて」
セラの中で、蒼白のクレイが何度も何度も繰り返し流れている。
汗と汚れと血と土とで汚れたディグダ兵。
それを見て自失したクレイの横顔。
戻ってこないかと思った。
呼びかけても、答えない。
目を合わせてくれるまでの、孤独。
もう、そんなのは嫌だ。
もうそんなクレイを見たくはない。

「平和にするために戦うんだ。そのために人を殺す。必要に迫られて手を掛けるんだ」
これ以上、誰も殺させないために。

「戦場に出たら、殺さなければ殺されるだけだ」
死の恐怖の前では、同情など消し飛んでしまう。
生きたい。
死にたくない。
その、本能だけだ。

「エルファトーン。今、ディグダは戦争をしてるんだ。首都には数字としては上がってこない。だが今、この瞬間にも何十、何百という人間が死んでいる」
ディグダ兵、ディグダが制圧している国民、双方でだ。
それが、現状。
隠そうとしても、隠し切れない。
消そうとしても、消しきれない現実だ。

「ディグダは急激に成長しすぎた。中に問題を腐るほど抱えたままな」
「それに、クレイを巻き込もうというの? あなたは、それが目的でクレイに目をつけたの?」
クレアを敵視した、痛いほど鋭い目が静かな語調とともにクレアを締め付ける。

「平和に生きたい。誰もが望むことだ。今はディグダクトルは平和かもしれない。だが、いつかは」
セラは踵を返した。












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