Ventus  28










エンジン音が聞こえる。
左からか。
まだ太陽は完全に隠れてはいなかったが、ヘッドライトは点灯している。

クレイは右に並ぶセラを振り返った。
彼女もクレイに同じく左に視線が固定されたままだ。
先が細くなった道路の消失点を睨みつける。

「何か見えるか」
「車」
琥珀の目を細めた。
細かいフェンスの網目がセラの邪魔をする。
小さな点は徐々に大きく、明らかになってくる。

「何台か来るわ」
「ああ、深緑の。トラックか」
小さなシルエット。
速度は遅めだ。

「どこか、停まる気かしら」
車の進行方向を見た。
一箇所に、つい先ほどまでいなかった人集りがある。
十人前後の制服軍人が、フェンスを開いていた。



「あんなところに入り口があったのか」
真横から見ていたから、気付かなかった。
迎えいれるつもりか、金網の扉を全開させて、集まった制服軍人たちは皆両脇に道を空けた。

「でも、車は入らないわ」
セラの指摘通り、小型車は何とか通過できたとしても、幅の広い貨物自動車では金網を破ってしまう。

「物資を運んでるのか」
「だとしたら、わたしたちが入ってきたところの、大きな門から入れるはず」
逆に小さな物資を運ぶにしては余りにも大掛かりな行列だ。

「トラックが、四台。一体何事かしら」
金網から手を離し、握りこむものを失くしたセラの拳は、堅く自分の手を握り締める。
穏やかな午後が、オフロードタイヤ装備のトラックにかき乱される。

深く考える前に、大型車両四台が次々とクレイとセラの前を通り過ぎていった。
黒に近い硝子繊維のボンネットで覆われており、中は伺うことができない。
トラックが停車した。
アイドリングしたままの運転席から男が顔を出す。

行ってみようかと言い合う前に、クレイとセラは人だかりに近づいていた。
立ち止まった位置からは、窓から顔を出した無精髭の男の表情も見える。

車高の高い車に座ったままの男と、フェンスの内側から出てきた男が、車のドア越しに短い会話を交わす。
何を話しているのか、声はエンジン音に負けてここまでは届かない。

道路に立って話していた男が、指で背後を指し示した。
その先には軍の施設がある。
先ほどクレイとセラが抜けてきた道の、右手にあった建物だ。
運転席の男が二度程頷くと首を巡らせ、運転席と後部座席を分離しているリヤウィンドウを覗き込んだ。
腕を振って、何か合図を送っている。

車体が揺れた。
驚いて、セラが一歩後退する。
背中をクレイが受け止めた。

何を運んでいるのか、問う前に答えは出た。
車体の後部、砂埃を被った布の下から出てきたのは軍人だった。
日に焼けた黒い顔。
痩せているというよりは、やつれている。

目は、開いてはいるが何かを見ているようでおそらく、何も映ってはいない。
背中には彼らの脚の長さ程もある荷物を抱えている。
擦り切れて茶色く汚れた布に包まれているが、見慣れた形をしていた。

「アームブレード」
声を低く、クレイが呟いた。

車から降りた兵は、順次施設への道に流れていく。
一台目が降ろし終えると、エンジン音が高く鳴り無精髭の顔は奥に引っ込んで車は速度を上げて走り去った。

二台目も同じく金網の扉前に停車する。
車体が大きく揺さぶられる。
強張った顔の男たち。
まるでベルトコンベアの上を流れていく機械部品を見ているようだった。


三台目が金網の隙間に停車した。
流れ出てくる、力ない兵士。
焼けた皮膚に張り付く、縮れてほつれた髪。
縫い合わされることがない、切られた服。

一人が目線を上げた。
通り抜ける数秒。
上げた視線はクレイの目とぶつかった。




硬直するクレイの体。
目を見開いたまま、動けなかった。
息が止まる。
動悸が激しく胸を打つ。
かすかな頭痛、これは何かの前兆。

ただならぬクレイの様子に、セラがクレイの肩を掴んだ。
そのまま肩を動かすが、クレイの目はセラを見ない。

壊れた人形のように。
魂の抜けた人間のように。
クレイの全神経は、汚れた男に釘付けになっていた。






私は、あの目を知っている。



がらんどうの目。

あれは、あの眼は。



どこかで見た。

どこで見た。




抉れるような落ち窪んだ眼窩、隈の張ったその奥で、鈍く光る硝子玉のような眼。
まるで光の届かぬ沼の底。


どろどろ、どろどろと。

殺意はない。

狂気ではない。

絶望でもない。


虚無。

否、混沌。

負。

何もかもが交じり合い、何もかもが当てはまらない。

それほど重い、重い眼をしている。






どろどろ、どろどろ。


黒いシルエット。

頭とその下に繋がる肩。

切れかかった電灯の弱い光の中、浮いては消える。



暗い裏通り。

人はいない。

だれも、いない。

叫んでもきっと、声は虚しく響くだけ。



掠れた声。

引きつった喉。

動かない腕。

固まった脚。

声が届いたとしても、だれも振り返らない。



来るな。

来るな。

くるな。

重く、粘性のある空気。

獣染みた、臭い。

まとわりついて、気分が悪い。

悪夢と現実の間。

どちらでもあって、どちらでもない。

間で生きるものの空間。

不快感。




くるな。

近づくシルエット。

くるな。

覆いかぶさってくる、黒。

くるな。

揺らぐ輪郭。

くるな。

その間に浮かぶ、鈍い鈍い光。




流れる水。

嫌だ。

黒い、水。

嫌だ。

ねえ、何が見える。

何を、見たの。

何から、逃げてるの。

あなたは。

おまえは。


嫌だ。

嫌。


いや。







あれは。

眼は。








脂を含んだ伸びた髪の下の三白眼はクレイを人だと認識すらしていないのかもしれない。
見つめる眼に、光はなく深みもない。
あるのは、不快感。

それだけ。







ゆっくりと、通り過ぎた時間。
ほんの数秒が、数分にも感じられた。
まるで目の前を過ぎていった男に、胸を掻き毟られ、魂を引き千切られたかのようにクレイは自失したまま動かない。

目を開いたまま、瞬きも忘れている。
息も、していない。

セラがクレイの腕を取り、顔を叩く。
名を呼びながら、答えてくれるまで何度も繰り返す。

細く、クレイの呼吸の音が聞こえた。
痙攣するように途切れ途切れに空気を吸っては吐く。
目は、宙に固定されたままだ。

呆然と立ち尽くすクレイを、フェンスからできるだけ離れた草の陰まで連れて行った。



「何があったの」
どうしたの。
話して。

言葉の三分の一も、クレイに届いていないと分かっていても、何度も問いかけた。
吐き出させなければ、このまま思いを取り込んだままだと。
根拠のない、確信だった。
クレイが止まってしまう。

まだ、あの眼を見ている。


「クレイ」
「あれは」
色を失くした顔で、引き攣る喉を震わせていた。

「あの、眼は」
薄く開いた唇の間から、空気が漏れる。

「あの眼を、知っている」
知っている。
確かに、知っていた。

どこで。
いつ。

「あれは」
わからない、でも。
確かなこと。

「人を殺した眼だ」
目の前で広がる、死の光景。
それを映した目。

生を見失った、眼。


それを、私は。
どこで見た。



クレイの短く早い呼吸の音だけが聞こえる。
頭を抱え込み、膝を崩してずり落ちた。
寸でのところで支えたセラに、縋りつく。

手が、震えていた。

「大丈夫。もう、クレイを怖がらせるものはいないわ」
四台のトラックは去った。
フェンスの前の人だかりは消えた。
粘性を帯びたあの眼は、どこかに行ってしまった。

「もう、消えてしまった。あれは、ただの目。ただの人」
クレイが見たのは、幻。

荒く上下するクレイの背中を、収まるまで撫でていた。
落ち着いて、しばらく経って、セラはゆっくりとクレイの顔を上向かせた。
よほど怖かったのだろう。
まだ血の走る目が、記憶の中の眼を見ている。

「ここから出ましょう」
クレイの腕を抱え、入ってきた入り口を目指した。
まだ口を開くことができなかったが、セラに腕を引かれながらも、自分の足で歩けた。
頭が痛む。
気分が悪い。


ゲートまで辿り着き、女性が退場手続きをしている間も、クレイは顔を伏せたままだ。
垂れた黒髪がクレイの横顔を隠してくれ、体調について質問を受けることなくゲートを出た。

少し歩くと地下への入り口が見える。
エリアG。
地下への階段の屋根に取り付けられた銀のプレートには、大きく駅名が彫られている。


地下は空調設備が整備されており空気は澄んでいる。
高い天井のせいもあって圧迫感はなかった。
電車が来るまでの五分間、クレイを椅子に座らせた。
その隣にセラも腰を下ろす。
少しでも気分が落ち着くかと、セラが重ね合わせたクレイの手。
手の下のクレイの指先は、冷たくなっていた。

セラは黙って、前を見つめていた。
クレイがあの男の目の中に、何を見たのか。
ずっと考えていた。

記憶を。
過去を。
それとも、まだ他に何か。


「電車だわ」
セラが腰を浮かした。
その手を、クレイが引き戻す。
流れ込んでくる電車の音が、構内を埋める。

繋がった、白い手と手。

「もう少し」
消え入りそうな声で、俯いたまま手を引き寄せる。
掠れた声が、痛々しかった。

祈るように。
希う。

「もう少しだけ、このままで」











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