Ventus  27










ガラス窓一枚挟んで、外には何もない。
視界を遮る背の高い木も、八階までは届かない。

展望休憩室と名乗るこの場所は、その名に恥じることなく素晴らしい眺めを披露している。
四角い展望室の三面を総ガラス張りにし、残る一辺は薄く長い半透明の一枚板で仕切られていた。
展望室と通路との境界だ。

点在する五十近い小さな丸テーブルの内、窓際の一つに三人はいた。
クレイ・カーティナー、セラ・エルファトーン、クレア・バートンだった。

二等辺三角形の角状に、彼女たちは円い机を囲んでいた。





セラが首を傾けた。
耳に掛かった髪が、音を立てるように頬に滑り落ちる。
琥珀色の濡れたような瞳が、クレイの横顔を見つめていた。

ただ、見つめるだけだった。
真っ直ぐな瞳を、以前も見たことを思い出す。


『クレイは誰も、何も受け入れないのね』


唇は動かない。
クレイにだけ聞こえる、クレイの抱え込んだセラの記憶が囁いた。


受け入れている。
ちゃんと。
だから、セラがここにいる。


『誰かを受け入れなければ、何も先に進まない』


他人を、自分の領域から排除するばかりの過去だった。
セラが、来るまで。


どうして嫌がるの?
何を恐れるの?


セラの目は、痛いほど心を突き通す。
真実を見抜く目をしている。


「動かなければ、何も変わらないわ」
瞬間、セラはクレイを見つめていた目を反らす。

「わたしは。そう、思うから」
呟くような声のまま、口を噤んだ。

「決めるのは、私じゃない。カーティナーが決めることだ」
目の前でクレアが静かな声がした。
もうエントリーは済んでいる。
出場するかしないか、踏み出すかどうかはクレイの選択次第だ。

「セラ・エルファトーン、だったな」
「はい」
「会いたかったんだ。だが、こんなに早く会えるとは思わなかった」
「会えるのを確信していたような言い方ですね」
機嫌がいいらしく、クレア・バートンは口元を引き上げて笑った。

「会えてよかった。理由が分かった気がした」
「理由?」
「それじゃ、私は行くから」
言うが早いか、クレイとセラを椅子に残したまま、クレアは立ち上がった。

二歩進んで、二人を振り返った。

「時間があるなら、敷地内を一回りして帰ればいい。ゲートには私が連絡を入れておく」
クレア・バートンに規律遵守という文字は刻まれていないのか。
先日の、クレイ相手の個人指導も、規律違反擦れ擦れだった。
加えて、仮にも国の軍事施設を歩いて回れと。
部外者を勝手に敷地内を散歩させることが規律で許されているはずもない。

言いたいことはたくさんあったが、まとまりきる前にクレア・バートンの背中は消えていた。
浮かしかけた腰を、二人は再び椅子に沈める。



「変わった人ね」
セラが首を傾けた。

「大いに、な」


手のひらに顎を乗せたまま、セラの視線が一瞬宙を浮く。
最近、クレイといてもよくあることだ。

「どうした」
「なぁに?」
「いや、何だかそういう顔をすることが多い気がして」
ぼんやりと、クレイが前にいても、何も目に入っていないような表情で。

「不安、なのかもしれないわ」
そう、いつだって不安なの。
クレイに聞こえるか聞こえないかの声で、呟いた。

セラの顔が、正面を向く。

「行きましょうか。施設内を見学できるなんて、滅多にないチャンスよ」
立ち上がりながら、セラはクレイの肩に手を置いて促す。

「そうだな」
立ち上がった二人は展望休憩室を後にした。





「軍人だらけだ」
「軍の施設ですもの」
薄茶の制服に身を包んでいる。
裾の長い上着。
胸下から腰にかけて、胴帯を締めていた。

出口を潜り、階段を下った広い道を、軍人たちが行き交っている。
セラとクレイに目を止める者はいない。

「でも半数は、戦場にでない人。施設の管理に当たる人よね」



戦場。
セラの口から出たことに、クレイは敏感に反応してしまった。
学園にいて、ほとんど気にかけることのなかった言葉だったからだ。


「見えないかもしれない、感じられないかもしれない。でも、いつだって戦ってる。この国の、どこかで」
国は、いつだって補充すべき兵を欲している。

空に射掛けるように真っ直ぐなセラの目を、クレイは見たことがない。
どこか物憂げで、手に届かない遠くを見つめている。

「わたしたちは、その渦の中にいるのね。平和の薄絹に包まれて」
「まるで、胎児のように」
「いずれ、始まるわ」
その言葉は、そう遠くない未来を示していた。

望もうと、望むまいと。
それは、やってくる。

「千五百年も昔、あんなに血を流したというのに」
「セラ。それは本の中の話で、真実はどうだったかなど今は誰も知らない」
「そうね。でも、わたしにはまるっきり作り話なんて、思えなくて」
「戦うことで歴史を作ってきたんだ」
潜めた眉の下にあるクレイの目は、戦いを肯定はしていない。
だが、その歴史も事実だ。

「過去は魔を。今は人を。繰り返していくのね、歴史を」
それが、人だ。





幅の広い道は、先ほど通ってきた道だ。
人の数は、前に通ったときよりも増えている気がする。

夕刻を気にしているのだろうか。
皆、足早にクレイとセラの前を過ぎていく。

「いずれ私も、軍服を着てアームブレードを持って人を」
殺めることになるのかな。

一番可能性の高い、未来。
黙っていてもやってくるだろう、未来。

「クレイが望めばね」
軍人になることを。
そして戦場へ赴くことを。

「望みなど、私は何も。まだ見えてなんていない」
空が徐々に赤みを増している。
白い壁が、淡紅色に染まる。
セラとクレイのベージュの上着も紅く染まる。

髪の陰に隠れて、セラの目は見えず、表情は読めなかった。

「セラは、何になりたい」
「わたしは」
生温かい風が、二人の服の裾を弄った。
声は、かき消される。

「わたしは」
クレイは細めた目で、弱い太陽の光が照らし出すセラの花弁の唇だけを見ていた。

「わたしも、ほんとは、まだ見えない」
弱さを隠すように、セラはクレイに背を向けた。
だから不安になる。
特別な何かを持っていれば、強くなれただろうにと思ってしまう。
思ってしまってすぐに、自己嫌悪。



ねえセラ。
この世の中にいるのは、持てる者と持てない者の二極だと思い込んでいない?
心の中の自問は、虚しくセラの中で響く。


先を行くセラに、クレイが追いついて左に並ぶ。
一歩先に出て、セラの顔を覗き込んだ。

「どうかした?」
「泣いてるかと思った」

泣く?
わたしが?

少し経っただけなのに、空はもう半分が赤になる。



「泣いてないわ」
「なら、いい」
クレイの横顔も、赤い。

建物と建物の間は広い。
「ディグダクトルの街は、地下にも街が広がっていると聞いたことは」
「リシーが言ってたわ」
セラがディグダクトルに来てできた友人、マレーラ・ピースグレイとリシアンサス・フェレタ。
少し前、彼女たちと街に遊びに出たときに、リシアンサスが地面を踵で叩きながら教えてくれた。
この下にも街があるのよ、と。

「地下鉄が血管のように伸び、発展するに伴って地下も賑やかになっていった」
「クレイ、行ったことは?」
「私が学園に来る前は、そこまで発展してなかった」
「街には行こうと思わない?」
以前誘ったときも、拒んでいた。

「きっと、いい思い出じゃないんだ。それがどんな過去だったかも、忘れてしまったけれど」
不快感だけが、爪痕のように鈍痛を残して。

「でも、いずれは行かなければ。いつまでもこのままではいられないから」





建物の角が、周囲を取り囲むように植えられた二列の木の隙間から見えた。
始めに潜った入り口の建物とは反対方向に進んでいる。
クレア・バートンに勧められた通り、一回りして帰るつもりだった。
長居をする場所ではないし、隅々まで見て回るにしては広すぎる敷地だった。

「セラ、疲れてないか」
「大丈夫よ。クレイは疲れたの?」
「いや。ああ、クレア・バートンと話すと体力が削られていく気がする」
気を張っているからか。
先日は、手合わせを吹っかけられた。

「あの人は、私の過去を知っているらしい」
「教師として知ることができる、クレイの履歴を」
「ああ。それに、セラがセラだとわからないまま、私の側にセラがいることを知っていた」
「つまり?」
「私に友人がいる、という事実」
リシアンサスに言わせれば、それは奇跡。

「いったいどこから知り得たのか」
探っても見つかるはずない答えだ。
考え込むほど、クレイの興味を引かなかった。



建物と建物の広い谷間を抜けた。
先にも舗装された道と建物の列が続いているかと思ったが、目の前に現れたのは、銀のフェンスだった。

「ここで、終わりか」
軍の敷地と一般道との境界だった。
こちら側は軍人、厚いフェンス一枚を挟んだ向こう側は一般人が通る道路がある。

フェンスの並びに、何人かが立っていた。
何があるのかと、クレイとセラもフェンスに指をかけて見回すが、何も起こっていない。

フェンスはクレイの左右に長く伸び、施設の敷地が横に長いことが分かる。
一般道は比較的細く、片道一車線だ。
舗装も痛んでおらず、通行人は少ない。

道路の奥は雑木林になっていた。
公園かもしれない。



歩道を主婦らしい女性が少年の手を引き、こちらにやって来るのが右方向に小さく見えた。
左からは年配の男性が、ゆっくりと歩いてくる。
フェンスに並ぶ人間たちが珍しいのか、ちらちらと横目で見ながら、ペースを崩さず歩いていった。

まるで、檻に入れられた珍獣の扱いだな。
クレイはフェンスから顔を離し、右手だけ網から指を外した。











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