Ventus  25






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雨は上がった。
窓の外はまだ、水に濡れた草木が太陽の光を弾いている。


クレイ・カーティナーは窓枠に手を掛けた。
滑らかにガラス戸は溝を駆け上り、外界と室内との隔たりは、あっさりと取り払われた。

暑季も終わりに掛かり、雨で清められた空気は澄んでいる。
顔をまどから外に出す。
風はほどよく湿気を帯び、髪を梳く。


今日は少しだけ早く目が覚めた。
だからこそ登校するまで、こうしてゆっくりと外の空気を味わっていられる。

窓を開ければ広がるのは裏庭と芝生ではなく、青々と茂る葉だった。
三階まで頭を伸ばす木々は、外から寮内へ入ってくる視線を隠してくれる。

加えて、鳥が集まりやすい。
朝を知らせる可愛らしい声が、クレイの耳には届いた。
誰も目覚めていない朝。
この優しい声を独占できる。

いったい鳴く鳥は何の鳥なのか、クレイには分からなかったが、それでもよかった。
透き通る声は、知らず尖っていたクレイの心を宥めてくれる。




雨に濡れたセラは、熱を出していた。
二日間の休みの間、セラはベッドから離れることができなかった。
休みが明けて、三日目の今日。
昨夜、寮医を伴いセラの部屋へ訪れたときは、明日はちゃんと授業に出ると宣言していた。
寮医も、明日には起きられるようになると言って、薬を置いていった。


後、半時間ほど経ったら。
皆が目覚める時間になったら、セラの様子を見に行こうと、まだ声を上げている鳥の姿を探しながら考えていた。

必要な物以外、一切を排除した卓上には、半分手を付けた課題が置き去りにされていた。
提出は明後日、休日は訓練棟で過ごすことが多くなった最近は、アームブレードを手にする以前ほど、作業効率は上がっていない。
今日、休憩時間と放課後で済ませてしまわねばならない。
灰色館が一番はかどる。
館は忘れられた林の中。
騒音は茂る木々で遮られ、静かな空間を作り出している。
館名同様、灰色の美しい髪を持つ館主、ヒオウ・アルストロメリアは黙って場所を与えてくれる。

帰りに顔を出すつもりで、教科書と一緒に課題をまとめておいた。






七時五分。
遠慮がちに、クレイはセラの部屋の扉を叩いた。
脇には束ねた教科書が一式抱え込んである。

中からはくぐもった声が扉を抜けてきた。
扉に手を掛けると、鍵は開いている。

「無用心だな」
呼びかけたが、セラはベッドの中から出てこない。
目蓋の重い目だけを、クレイに向けた。

「まだ起きられないか」
「体は重いけど、もう頭はあまり痛くない」
セラは腕で上半身を持ち上げた。

「何か、飲むか」
「大丈夫よ。ありがとう、クレイ」
呼び止めたときには、クレイは小さな冷蔵庫を開けていた。
中には水のボトルが入っている。
グラスはすぐに見つかった。
冷蔵庫の上に伏せてある。

「薬は」
水を入れたグラスを、セラに手渡しながら枕元にある小さな台に視線を走らせた。
昨夜、寮医が処方した風邪薬が一回分ずつ、袋に分けておいてある。

「それは、食事のあとに」
「食べれるか」
「あまり食欲はないけど。午後には授業に出るつもりよ」
「無理は、しない方がいい」
「クレイ?」




眠ったかと思ったら、浅い眠りから浮上しうなされている。
そしてまた、泥水のような眠りに沈んでいく。
視界にクレイがいるのを認めると、消えそうな声で名を呼ぶ。
夢現つの中、セラは漏らした。

何もないのが怖い、と。
先の見えない未来に向うのが怖いと。

そして、セラは言った。
クレイになりたかった、と。

セラは夢を見ていたのだろうか。
クレイの目を見て、ごめんなさいと、口にした。

何を謝る必要などある。
何をセラは、抱えている。
優しく笑う、セラの笑顔だけがセラのすべてではないことを、知った。
何もできない自分の無力さを、噛み締めた。


セラは、そのことは覚えていない。




「病気だということは、寮医から教師に連絡が行く」
「本当に、平気」
「そう、か」
顔色は優れないが、二日前よりは随分と元気になっていた。
薬が効いたようだ。

「もう行って。わたしは午前中ゆっくりと休んでから、学校に行くから」
「わかった」
ベッドの上から見送るセラを振り返りつつも、クレイは扉を閉めた。






始業ベルが鳴る十五分前に、端末の電源を入れた。
教室内は、ざわめき始めているものの、収容人数の五分の三程度。
残り五分で一斉に雪崩れ込み、席が埋まるのがいつものパターンだ。
隣にいるはずのセラが、今日はいない。
手持ち無沙汰だったので、課題を端末の前に広げた。
画面に目をやると、寝起きのいい端末が立ち上がり、メールソフトが展開した。

校章のロゴが、画面左端に居座っている。
メイン画面には新着メールが一通届いていた。
件名は、「報告」とある。

報告されるような以来は誰にもしていない。
心当たりはなかったが、とりあえず開封してみる。

「クレア、バートン?」
アームブレードの教師からだ。
最初の一行で名乗り、二行目で本題に入っていた。

「アームブレードの大会予選にエントリーした。予選選手番号は一三−〇九。事前説明会明後日。選考は二週間後」
内容は、簡潔だった。
出場する気はなかった。
休日にはアームブレードを慣らしに、訓練棟に足を運ぶことも合ったが、大会に出場するためではない。
クレア・バートンもクレイの意思を知っていたはずだ。
何かの手違いでエントリーしたとは考えにくい。

「そもそもエントリーなど、他人の名を語ってできるものではない」
つまり、確信犯。
一体、何を考えているんだ、あの女は。

クレイの実力など、高が知れているとついこの間認めたばかりだというのに。
クレアにかすり傷一つ負わせることができなかった。
完敗だ。

本人に聞いてみるしかない。
夕方に会いに行くが、どこにいるのかと返信した。

競技会の件は一時保留し、画面から目を落とした。
両腕の間には、先週積み残した課題が残っている。
今はこちらに集中しなければならない。
クレイは頭を切り替えた。






「うん、大丈夫」
白い扉の前で、大きく深呼吸した。


人が引いた食堂で、消化の良さそうな食事を頼んだ。
いつもの倍は時間を取って食事を済ませ、円庭を一周する回廊に出た。
中央廊下に辿り着くまでの半周、誰にも会うことはなかった。
誰もいない廊下を独り占め。
ほんの少しの優越感。
今頃皆は、まだ授業を受けている。
今頃自分は、もう少しでお昼休みか、などとぼんやり考えているはずだった。


昼休み。
ざわめく教室の中、クレイ・カーティナーは窓際、一番奥の席にいた。
俯いて、堅い表情で手を忙しそうに動かしている。
対角線に離れた入り口からでは、叫んでも声は届かない。
それでなくとも、クレイは机の上に全神経を集中させている。

「おはようございます」
そっと近づき、クレイの背後に回って肩に手を置いた。
クレイがその手を掴む。

「もういいのか」
「うん。だいぶん元気」
「熱も、引いたみたいだな」
クレイが重ねた手の下は、寝込んでいた時ほど熱を持っていない。

「課題の邪魔しちゃいけないわね」
最早指定席になっている、クレイの隣の席に腰を下ろした。
昼休憩開けの授業で使う教科書を広げた。

「もうすぐ終わる」
九割は完成している。
後は誤字脱字を見直して、終了。

「クレア・バートンからメールが来た」
セラが教科書から目を離した。
クレイは俯いたまま、課題を読み直していた。

「今朝のことだ」
開封したのは始業前だが、受信時刻は六時一八分を刻んでいた。

「清女(きよらめ)の祭典。アームブレードの競技があるが、その予選が二週間後に開かれる」
セラは教科書を捲る手を止め、表紙を閉じた。

「私に予選へ出ろと、クレア・バートンは言ってきた」
「断ったの?」
「既にエントリーされている」
「断るの?」
「そのために、放課後クレア・バートンを訪ねるつもりだ」
クレイは顔を上げた。
セラに振り返り、口を開こうとする。

「わたしは」
クレイの言葉が口から出る前に、セラはそれを阻止した。

「クレイの剣が見たい」
「でも、試合などしても」
「負けてしまうのが怖いの? どうして嫌がるの?」
「ややこしいことに、巻き込まれるのが嫌なだけだ」
「クレイの力が認められたのに。嬉しくは、ない?」
認めるのは、クレアか、その他大勢の他人か。
どちらにしろ、他人の評価など不要なものだ。
クレイにとって。

「わたしは、嬉しかった。クレイが興味を持てるものを見つけてくれて」
「興味」
「そうよ」
「わからない」
自分のことなのに。
好きなもの、嫌いなもの、大切なもの、そうでないもの。

「信じられない? クレア・バートンという人が」
セラは会ったことがない。
会わせたくなかった。
なぜかは、はっきりとしなかったが。

「よくわからない人間なんだ。だから」
クレアの頭の中が読めない。

「だったら断る前に、聞いてみたら?」
「セラ」
「わたし、会ってみたいわ」
「それは、でも」
「会わせるのはいや? でも興味はあるもの。クレイに、アームブレードを教えた人間に」
粘り勝ち。
勝者はセラだった。
午後の二時限を消化したら、クレアに会いに行く。

病み上がりのセラに、大人しく帰るように言えばよかったかもしれない。
だが、気付いたときには遅かった。


返信の返信には、簡潔な場所だけが書いてあった。
用件は一行。
この調子だと、以降のメールでは単語で充足するのではないかと思わずにいられない。

「どこって?」
「学校の敷地内じゃないな。行政施設?」
「地図と照合してみればわかるんじゃないかしら」


人の流れは一様に、入り口に下っていっている。
教室内に残った数人の中に、セラとクレイはいた。
二人の端末を見比べながら、場所を特定する。

「ここ、よね。ちょっと待って、これって」
「軍の施設だな」
「そういう人なの?」
「そういう人間なんだ」
軍人と教師の兼任者。
本職はどっちか、本人しか分からない。

「拡大できるか」
「ええ。ちょっと、遠いかな」
「ここに地下鉄が走っている」
画面の上を、クレイの指が細く湾曲した線をなぞった。

「高等部前から乗って、六つめの駅だ。ここからだと半時間で行けそうだ」
「じゃ、行きましょうか」
「早いな」
「太陽はいつまでも上で待っててはくれませんからね」
端末の電源を落とすが早いか、セラは机に両手をついて立ち上がった。






「地下鉄は」
「初めてだわ。ファリアにいたときは、地下で人間が生活をしているなんて、まるで物語の世界だったでしょうね」
改札を通過し長いエスカレーターを下ると、地下はセラが想像した以上に明るい光に満ちていた。
セラは高い天井や窓のない壁を見回してばかりだ。

「今度、リシーとマレーラに連れて行ってもらうといい」
「どこ?」
「ディグダクトルの地下だ。上は、何度か行ったことがあるんだろう」
「地下にもお店があるの?」
圧迫感を与えないよう、店と店の間は広く取られ、広間や噴水、緑地帯も完備されている。

「時間の感覚が麻痺すると、マレーラは言っていた」



突風が吹く。
伴う、轟音。

「来たな」
銀の斜体が、目の前を流れていった。

「地下環境は整えられても、この騒音問題はまだ積み残してるみたいだ」
地下を揺さぶるように響き渡る音に、クレイが眉を寄せた。

「エリアG?」
「確か、な」
扉が左右に開いた。











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