Ventus  20










大太鼓を叩くように、密閉された室内に拍子が響き渡る。
薄紙を両手で張っていたら、破れてしまいそうだった。

それでも誰も文句を言わないのは、部屋にいる五十一分の五十が自分のことで精一杯だからだ。

彼ら全員が一様に同じ方角体を向けて、額に汗を浮かばせている。
彼らの目の前には、残りの一人である教師が中央に構えていた。


その教師は名を、クレア・バートンという。


彼女の愛刀は、納まるべき右腕には無かった。
クレアは両手を胸の前まで持ち上げると、腕を開いた。

心地よいほどの快音が、両手の間で破裂した。
音の無い換気扇の中で空気は静かに流れているが、音は壁に弾かれる。

「二列目五番目、腕が下がっている。水平に」

怒鳴るわけではないが、彼女の声は低くよく通る。
生徒へ程よい緊張を与える声の質だ。

注意を受けた生徒の腕が持ち上がった。
彼の右腕には、ディグダ特有の近接武器が装備されている。

アームブレードは、ディグダ帝国領内で産出される鉱物を加工して作られる剣だ。
他国で多く見られる、柄を握って刀身を振る構造の武器とは形状が異なる。
肘から指先に沿うように、刀身を腕に装着している。

アームブレードの重量は、他の鉱物と比較しても比重は極めて軽い。
それでいて、硬度と耐衝撃性に優れている。


クレアが指摘した生徒の腕は水平に保たれたが、向かって左壁際の女生徒の腕が震えてきた。

「三列目十番目。静止姿勢」

二人目の犠牲者の姿勢を正すと、そのまま十秒指示を出さなかった。

再び腕を持ち上げると、両手を叩く。
一斉に姿勢が変わる。
円を描くように剣先を振ると、全員がアームブレードを目の前に垂直させる。
肘を曲げて腕を前に持ってくる姿勢など、通常ならば気に留めるべき動作ではない。
一時間、アームブレードの水平移動を叩き込まれた後である。
腕を持ち上げる度に、硬直した筋肉が震えて力が入らない。
息を詰めて、一言を待つ。


「終了」


この号令がどれ程待ち遠しかったか知れない。
全員が崩れ落ちるように、アームブレードを床に下ろした。

刀身に然程重量を感じなくても、自分の腕を持ち上げるだけで筋肉は締まる。
アームブレードの基本動作の演習だから、なお授業は厳しい。
体が動きを覚えるよう、空気に粘性があるかのような、スローモーションでブレードを動かす。
勢いに任せて動かせないから、筋肉でブレードを持ち上げるしかない。
慣れない筋肉を使い、腕を持ち上げるのも辛かった。

「五分休憩の後、本格的な実技に移る」
最初の授業から数えて六回目の授業になる。
ようやく、アームブレード本来の動きができる。




「闇雲に振り回しても体力を消耗するだけだ」

クレア・バートンは初回の実技授業で、声高く轟かせた。

刃は幅があるから空気抵抗を考えて、斬らなければならない。
また、腕ばかり動かしていては関節を痛める。

「体全体を使って、アームブレードを使いこなさなければならない」
どうすれば空気抵抗少なく、運動量を消費せずにアームブレードを振れるか。

「そのためには、型から入らなければならない」
繰り返し、舐めるような動きで体に型を馴染ませる。
最初から六回、一度として組を作らせなかった意味がそこにある。





「そろそろいいだろう。整列」
クレアが腕時計から目を離した。


基礎戦術演習の担当教師を割り当てられたとき、訓練室内にいる五十人近い生徒は喜びの手を叩いた。
教師が女性だったからだ。
軍人から教師へ抜擢された中、女性は男性と比べ比率が低い。
その中で今いる生徒たちは、クレア・バートンの授業を受けることができた。

女性教師だから、体を痛めつける惨い授業はしないだろうと考えていた。
だが現実は、彼らが想像していた方向とは違った道が開いていた。
男女の性差の壁が、思った以上に低いことを知る。



重石を腰に提げたような、緩慢な動きにクレアの怒号が飛ぶ。

「腰を上げろ。休憩は五分だと宣告した」
追い立てられ逃げるように、動きが一斉に引き締まった。

「各列奇数番、右に回れ。偶数番、左へ」
互いに向かい合う体勢になる。

「視界の真ん中にいる人間が、今日の相手だ」
つまり、向き合った者同士で、組めという。

「防具を装備しろ。大丈夫だ、ブレードには防護具を付けてある。斬られても骨が折れるだけだ」
急所を外せば、即死は免れると言いたいのだろうが、ほとんど気休めにすらならない。
刃を引くのではなく、刀身に防護具を装着する。
生徒では外せない強固なものだが、実戦闘で使用できるよう防護具の下には鋭い刃が眠る。

間隔を十分にとり、号令とともに打ち合う音が響く。

攻撃、防御、回避。
型は頭に入っているが、なかなか使いこなせない。

攻撃しようにも、空気抵抗を読めずに振るい、アームブレードに体が乗せられてしまう。
防御し損ねて、相手のブレードが腕に落ちる。
結果、装着している右腕に引きずられ、回避すらできない。

型も何もなく、がたがたの状態だ。
ぎこちない動きで、覚えたての遊戯のように、アームブレードばかりが踊っている。

「腰を使え。腕で振っても威力は出ない。深く踏み込め」
クレアが一人一人を監督し、見て回っては手を差し出す。

「力で打ってもブレードは動かないぞ。体を捻るんだ」
口で説明しても、理解はできない。
生徒たちはアームブレードに操られた、操り人形のようだ。
四角く殺風景な部屋は、操りの箱のようにも思えてくる。



十五分が経過した。
クレアは腕時計を一瞥すると、右手を大きく垂直に上げた。


「終了。剣を収めろ」
クレアの声に上から押さえつけられ、一度にアームブレードが下ろされた。



「個室の訓練室は休憩時間、放課後には開放されている。場所と開放時間を確認して、有効利用するように」
円形の訓練施設は、これから賑わい始めるだろう。

「次回にはすっかり授業内容が頭と体から抜けている、なんてことがないようにな」
防具を外して、アームブレードを仕舞うよう指示が飛んだ。

窓からは、柔らかい光が差している。
程よく汗をかいた後だ、涼やかな空気に当たりたい。

クレア・バートンは、訓練室前方の立ち位置へ戻ると、生徒へ振り返った。
壁際へ走り寄った彼らは、立て掛けているアームブレード用の箱へ、収納するのに集中している。
誰一人として私語を口にしないのは、背中に突き刺さるほどのクレアの視線が痛いからだ。
教師の指示なくとも、乱れぬ五列が仕上がっていた。


「では、解散」


ようやく、操りの糸が切れた。
クレア・バートンは室内を見回した。
川を流れ行く枯葉のようだ。
一様に入り口へ流れていく。
その様子を、ただ眺めていた。

彼女と同じく、一点を見つめている人間がいた。
壁に背を預け、人が引くのを待っている。
入り口に群れる生徒が数人になったとき、クレアは動いた。

一人残った生徒の隣で、同じように壁に背をもたせ掛けた。

「三列目六番目」

クレイ・カーティナーは、ナンバーが自分のものだと知っていたが、彼女の名前ではない。
返事は返さなかった。
クレアが、各人の顔と並びを覚えているのかと、問うこともしなかった。

「名前は」
答える気にはなれなかった。
以前のクレイならば、今や完全に人のいなくなった入り口へ足を向けていたはずだ。

胸から学生証を取り出す。
クレアが持っている端末で照合すれば、クレイの登録情報をすぐさま確認できるはずだ。
口で説明するより早く、効率的だ。
クレイの、でき得る限りの譲歩だった。

「口で聞きたい」
「クレイ・カーティナーです」

クレイ。
クレアは記憶を探る。
どこかで聞いたことのある、名前。

クレイはしばらく学生証を持ち上げたままだったが、胸に仕舞いこんだ。
クレアがクレイを見るばかりで、学生証に用を感じていなかったからだ。

「アームブレードは、初めてか」
「軍人を家族に持ったことはありません」
武器に触れる機会など、そうそうあるものではない。

「何か剣術を」
「別に」
スポーツとも縁が遠い。

クレイは、クレアの目を留めた一人だ。
腕でなく、体全体でアームブレードを動かしていた。
基礎は、体に染み入っている。




クレアは、クレイの目を見た。

黒く、ただ深く。
静かな夜の海のようだ。

クレイが何度か瞬いた後、クレアは理解した。

「そうか、心か」

無理に操ろうとしても、力はうまく作用しない。
心を消し、自我を消しているから、アームブレードの動きに体を合わせられる。

「無心」
いい意味で言えば、そうだ。
だが。

「クレイ・カーティナーだったな」
言葉を返すならば。

「カーティナーの中には、何が入っている」
心には、何がある?

「私には何も見えないんだがな」
信念や、情が。

「守りたいものは、あるか」
空っぽの心では、何も生まれはしない。
力も。

「あなたには関係の無いことだ」
クレイはアームブレードを肩へ掛け、背を伸ばした。

二歩踏み出したところで、クレアが呟いた。

「面白い」
クレアの目に留まる相手に出会ったのは、久しぶりだ。
背中が騒ぎ始める。
仄かな、緊張。

目の前で背を向けているクレイは、彼女よりも華奢で小さい。
まだ子どもの特徴を備えるクレイに、彼女は内心緊張している。
そう自覚している自分に、驚いてもいた。

「カーティナーの中に何が詰まっていようが、確かに、私には関係ない」
クレアは壁にアームブレードを立て掛け、腕を組んだ。

「興味があるのは、カーティナーの素材だ」
クレアの目は、クレイを射掛けるように鋭い。

「だが、私は何の興味も無い」
アームブレードにも、教師にも。
体を動かす以外にできることがなかったから、今の道を選んだ。


クレイは教師を置いて、振り返りもしないまま教室を出た。



「どちらにしろ、また会うことになるんだ」
クレアは首を伸ばした。
壁に当たって、後頭部が小さく音を立てた。










扉を開くと、世界が変わった。

滑らかにスライドし、壁へと音もなく吸い込まれていった。
プレートのナンバーを確認するまでもない。
上ってきた階段からの歩数と、曲面へ等間隔に埋め込まれた扉の景色。
細部まで、体に浸透している。

空気が柔らかい。
あるはずも無い現象だが、そう感じた。
室温が扉の外よりも、僅かに高かったせいだろう。
不快ではない。

甘い匂いがした。
机の前に、セラが立っている。

「お帰りなさい、クレイ」

その言葉も、違和感なく耳に染み込んだ。

「ああ」
「お茶を淹れたの」

絶妙のタイミングよね、とセラは笑顔で首を傾けた。
いつものように、髪が肩から滑り落ちた。

機嫌のいい証拠だ。

セラは買ったばかりのカップをもう一つ取り出すと、ポットの隣に置いた。
クレイをソファ代わりのベッドへ促す。
葉が開くまで、とセラは勉強机の椅子へ腰を下ろした。

「クレア・バートンに捕まった」
アームブレードの女性教師だと補足はしたが、彼女の気迫は伝えることは叶わない。

「私の中は、空っぽだと」
探るように、クレイの目は空中を彷徨う。

「守りたいものは何か、と聞かれた」
セラは体の向きを変えると、ポットを手に取った。
答えないセラの、磁器の蓋を押さえる白い指先を見ていた。

「クレイが持って帰ってきてくれた葉っぱなの」
奨学書類を取りに行ったとき、教師が上着に押し込んだ茶葉だ。
琥珀色をした茶をカップに注ぎ、クレイに手渡した。

「見えていないだけよ」
クレイが茶の波紋から、セラへ目線を上げた。

「それはゼロじゃないわ」
守りたいもの。
守るべきもの。

「でも見えないなら、無いのと同じだ」
目を反らさない、クレイ。
セラは丸い目で、小さく首を傾けた。

「見つけるの」
見ようとするの。

「無くなってから気付く。それじゃ遅すぎるでしょ」
失って気付く、その大切さ、その重み、その愛を。

「それってとても、悲しいことだわ」
取り戻そうにも、取り戻せない、現実。

「セラは、守りたいものは」
手の中の茶は、下に危険でない温度にまで下がった。
セラは、カップを口に付ける。

「その世界、すべて」
大切なもの、すべて。

「よくばりかしら?」
完全無敵の微笑だ。

「いや」
セラは、強い。
自分の弱さを知り、受け入れようとしている。

「それが、セラなんだって、思って」
熱めの茶を、口に含んだ。

「美味しい」
口腔内の残り香を、味わう。




「しまった」
小さく叫んだ。
セラの目が、天井へ上る。

「お茶菓子を忘れたわ」











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