Ventus  15





リシアンサス・フェレタは白い机に肘をついて、一つ前の列の卓上を眺めていた。
特にその目線に意味があるわけではない。

次の休暇には家に帰ろう。
帰ったら何をしよう。
お土産はどれがいい。
マレーラも帰るんだろうな。

言葉にするより早く消えてしまう、取りとめのない考えばかり流れ、リシアンサスは夢うつつだった。
いつもの彼女なら考えられないことだ。



専門課程が本格始動する前。
高等部の緊張した空気も緩み始めた時期でもある。

興味の掻き立てられない授業であっても目だけは冴えていたリシアンサスである。
マレーラならためらわず手のひらに頬を乗せて、器用に眠っているだろう。

リシアンサスは襲い掛かるというよりむしろ、のしかかってくる睡魔の重みと闘っていた。
昨夜友人のセラ・エルファトーンに薦められた本が手放せなかったせいだ、と自覚はあった。

産業社会学と題された授業は半ばに差し掛かっている。
あと半分か、と教壇に立つ女教師を一瞥し、手の下で小さく欠伸をした。
教師の脚ほどある棒で地図を軽快に叩きつつ、各地の産物と気候について説明していた。

「なお、この地域で採掘される鉱物は加工され、刃(ブレード)になります」
教師から適度に離れた壁沿いに座っていたが、窓際に座ればよかったと少し後悔していた。

「触ったことはなくても、話に聞いたことはあると思います」
早く終わってほしい。
この後の休憩を挟んで、午後から二時限ある。

「その需要も近年増加の一途にあり、採掘量は昨年と比較すると二パーセント増。なぜこのような数値がでるのか。理由は説明するまでもないでしょう」
沈みかけていた意識が僅かに浮上した。
教鞭を振っている女教師、名前はなんと言っただろう。
記憶を探ってみたが、興味の薄いことだ。
すぐにはでてこなかった。

「さて、そこから南部に下がると」
話題は別地域に移ってしまった。
興味からは外れてしまったが、目は冴えた。
教室の前にあったネームプレートを思い出す。
授業名の下に、担当教師の氏名が表示されていたはずだ。

リシアンサスの頭の中では彼女とどう接触するかのシミュレーションが展開される。
授業が残り三分に迫ったとき、リシアンサスのテキストはすべて鞄の中にあった。
目の前にある端末と、教師の動きを交互に注意する。
モニターの右端で刻まれる時刻をカウントする。

授業終了の鐘が鳴ったと同時に、リシアンサスは鞄に手をやった。
立ち上がった周りは昼食を何にするか、休憩時間の方にばかり気が行ってしまっていた。
席を動かない者が半数。
ペンを忙しく動かしてノートを取っている。

リシアンサスは彼らの横をすり抜けて、教壇を目指す。
教師は手品のように指し棒を小さくまとめると、踵を鳴らして右手の出入り口へ向かった。




人が教室から流れ出した廊下で、リシアンサスはテキストを脇に抱えた教師に追いついた。

「質問があるのですが」
一度では振り向いてもらえなかったので、教師の腕を掴んだ。
咄嗟に名前を呼べば一度で振り向いてもらえただろうが、人込みで見失わないよう追いかけるだけで精一杯。
教室出口の壁に貼ってあったプレートを確認する暇もなかった。

「私? 何かしら」
「先ほど仰っていた、ブレードの原料の鉱物。それの採掘量の増加についてですが」
「質問があるときは、教師室へ。ここは教室ではありません」
彼女が言うことは正しい。
賑やかな廊下では説明し辛い。

「気になることがあるのならば図書館へ行きなさい」
「私が必要としているのは資料ではなく、先生の見解です」
リシアンサスは軽く首を傾けて、教師の目を見上げた。

教師は二秒ほど、リシアンサスを観察した後、上着から電子手帳を取り出した。
指先を手帳の上で走らせると、二つに折りたたんだ。

「三二号相談室を取りました。私は十分後に入ります」
リシアンサスの返事を待たず、踵を返して行ってしまった。
控え室に戻るつもりだろう。
そのままで校内を歩き回るには、腕のテキストが重過ぎる。








実に味気ない。
趣味がどう、センスがどうという以前の問題だ。

何もない。

それは語弊があるので、細かく分類すると、机が一つと椅子が二つ。
さらに、右の壁に椅子が二つ並んでいる。
窓は奥に横に長く、右から左へ。
部屋も、紛う方なく四角だった。

左手にある壁には電子ボードが張り付いている。
その下には接続端子が頭を出していた。

飾りも何もない。
教室の方が装飾された教卓と机があるだけ、遥かに視覚へ刺激がある。
かといって、逆に花でも飾ろうものなら気持ち悪いくらいだ。

縦に短い窓から外を見た。
見えている方向に、寮がある。
ただし、残念ながら寮までの直線上には学舎が塞がっていた。
今は、寮の弧を描く、建物には稀な形状を見ることは叶わなかった。

一人一人の個室へ入っても、外壁から想像できる扇形の部屋は視界に入ってこない。
初年度、入寮した八割の学生が必ずする行為がある。
定例の儀式かイベントごとのようだ。

持っている定規の中で一番長いものを
扉とは反対側、奥の窓が嵌った壁へ水平に定規を当ててみる。
そうして初めて、ごく僅かに寮の部屋自体が曲がった造りになっているのが確認できるのだ。


比べてこの部屋は。
そのような小細工を施されるわけでもなく、相談をされるためだけに作られた個室だ。
もしくは尋問に相応しい。

リシアンサスは部屋の中央の椅子に腰を下ろした。
手から下げていた鞄は机の上に置いた。






八分経ってノックが聞こえた。
教師はきっちり十分後に入ってくると思っていたので、不意打ちに背筋が伸びる。

「昼食はまだね」
リシアンサスは校内の購買部に寄ることなく真っ直ぐにここに来た。
お昼を抜いて、今日は夕方まで体力が持つだろうか。

「私もまだです。なので、これを」
彼女は左手にあった白い袋を、リシアンサスの鞄の隣に乗せた。
包みは、教師一人分の昼食にしては大きく膨らんでいる。

「喫茶店の方がよかったかしら」
「いえ、そういうわけではなくて」

彼女は買ってきた袋の中身を机に広げていった。
ここは飲食禁止ではないのだろうか。
校則を真剣に読んでいるわけではないので、事実はわからない。
無地の壁と圧迫感のある装飾のなさからの推測だ。

「エルベール・フォスターよ」
彼女の名前だ。
入り口にあったプレートに、予約者の名前が部屋番号に併記されていた。
ついさっき、確認したばかりだ。

エルベール・フォスターは飲み物をリシアンサスの前に置いた。

「リシアンサス・フェレタさんね」
教師は垂れ下がった横髪を掻き揚げる。
自分の分を袋から取り出すと、手に取ったままリシアンサスの目の前に座った。

「どうして?」
先ほどの授業だけで百人はいた。
その中から、たった一人を割り出すなど、短時間では不可能に思えた。

「どうしてかしら」
自問ではない。
リシアンサスへの質問だ。

「あ、そうか」
リシアンサスは自分の胸を見た。
個人識別番号のプレートが小さく銀色に、蛍光灯を弾いていた。

番号さえ分かれば、性別と学年、氏名を調べられる。
フォスターは電子手帳を持っていた。
学園が所持しているデータと照合できる。

「質問は?」
「ブレード生産量の増加要因は何だと考えていらっしゃるんですか」
「一、経済成長の影響。二、学園の技術重視の教育方針によるもの。三、」
「どちらにしろ」
リシアンサスが、フォスターの言葉を遮った。

「どれにしても、結果は一つに通じているじゃないですか。すべて一本の理由の上にある点だわ」
「そうね。それが質問に対する答えです」






フォスターが飲み物を傾けた。

「同じような質問を九日前にされました」
教師は惣菜の蓋を開けてリシアンサスへ押し出した。
少し緊張しているためか、さっきまであった食欲は消えてしまっている。
せっかく教師が買ってきてくれたものだ。
残すには申し訳ないので、手元に引き寄せた。

「マレーラ・ピースグレイ」
名前が出て、食べようとした手が止まってしまった。
ご存知? とフォスターの目が固まったリシアンサスを捕らえる。
違う、彼女は確信している。
リシアンサスとマレーラの繋がりを知っている。

「言っていることがいっしょだと、彼女は言っていたわ」
「マレーラに、何て言ったんです」
「ディグダは戦いの国。それは今も同じです」

戦って育ってきた国だ。

「軍需、根幹はそれよ」
「戦争、なの?」
「平和に映るでしょう、この世界、この国は」

ディグダに取り込まれている国々。
国土拡大の手は水際で留まったものの、抱え込んだ地域の紛争は激しさを増している。


「ディグダは和平ではなく鎮圧の道を選んだ。実際、力を以ってして踏み固めてきた国土だもの。今更言葉など届くはずもない」
「治安のために。いえ、その建前のために兵を送る。制圧するための武器、兵を育てる訓練用の武器。それがアームブレードなんですね」
「そしてこの穏やかな学園は、ディグダにとって優秀な部品を組み立てるための工場」
「それは」
反論できなかった。
表現は直接的で容赦ないが、言っている意味は間違ってはいない。




「どうしてあなたはここにいらっしゃるんです」
部品工場と評したこの場所で、教師という役目をあえて選んだ理由がわからない。

「誤解があってはいけないから、説明させてもらうけれど。私はディグダが嫌いなわけではありません」
「他の道を選ぶこともできたはずですよね」
「そうね。この職業でなければ見えないことを見たかったからかもしれません」
「見えてきましたか」
「見ていない自分を体験できないので、はっきりとはわからないけれど」

リシアンサスはいつの間にか緊張取れているのを感じていた。
胃も快調に動き始めている。
部屋の無音にも慣れてきた。

「ディグダがどういう人間を作りたいのか。それは作る立場に立つことで理解できました。同意は、できないにしても」
「教科書に書かれたことしか話せなくても?」
ディグダの思想に抑圧される。

「それでもあなたは来たでしょう。リシアンサス・フェレタ」
エルベール・フォスターは食事の手を置き、指を口元で組んだ。
派手ではない。
しかし、赤い口紅が彼女の内に揺らぐ炎のようだ。

「お友だちになりたいわ」
リシアンサスは、彼女のテンポについていけない。

エルベールには最初からその意志があった。
公的である彼女は、名を名乗ることで個であろうとし、リシアンサスに興味を持った。

「もし、あなたが私にまた会いたいと望むのであれば、次回はエルベールと呼んでほしい」
「ええ。明日にでも思うでしょうね」
リシアンサスも、踏みしめている大地が何から生まれるものなのか、知りたいと思うから。
エルベール・フォスターの見てきた世界を、彼女も見たいと思うから。

「変われるのは、変わりたいと願う人だけです」
「目を開こうとしなければ、世界は見えないということですか」
エルベールは頷く代わりに目を伏せた。

「まだ何も始まっていないの。何も動いてはいない。そう見える。でもそれが、平和なのかもしれない。知らない者にとっての」
それは知る者の驕りでなく。

「平和でありたいと思う。でもそれが何なのか、私にはまだわからない」
「考える余地があることはすばらしいことよ、リシアンサス・フェレタ」
悩み 、つまづき、探し続けて人は変わっていくのだから。

「答えはテキストには書いてないでしょう」
彼女はとても楽しそうに微笑んでいた。











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