Ventus  14





手に入れなければ、失うことはない。
取り込まなければ、引き剥がされる痛みもない。

そうすることは
誰も自分の境界に受け入れないことは、容易だった。

ただ、目を瞑ればいい。
耳を、塞げばいい。

ずっとそうして生きてきた。

始めは意識的に。
やがては無意識的に。


それは社会の構図と似ていないか。

見なければいい。
見ようと目を開かなければいい。

そうすれば、安定を手にできる。
そう、知っている。


でも。


見ようとしていない世界は、気づかないうちに
入り込んでしまっているのかもしれない。

そして。

逃れようと抗っても、もう、遅い。











大陸の平面上、それは点でしかなかったとしても、確実に戦いは起こっている。
支配するもの、従属するもの。

主であるならば、まとめるべき対象に安寧を与えねばならない。
それが主従の掟であり、契約だ。

それは人が作り出した秩序。
そして人が作り出した国もまた、同じ。 



巨大国家ディグダ。
力で制圧したとしても、平穏は与えることはできない。


剣は唸り、地は血を吸い、弔われることない屍は喰われ朽ちる。


街全体が飢餓と病に侵され、明日の死を待つ一方
帝都ディグダクトルでは飽食と平安に満ちている。

誰がかの土地に目を向けるだろう、と。
自問する者すらいない。










リシアンサス・フェレタは目尻の下がった目蓋を、引き上げた。
友人のマレーラほど喜怒哀楽が明らかな方ではないが
黒髪の友人、クレイを隣に並べると、表情の豊かさ顕著だ。

「派手に水遊びしたのね」

マレーラも膝まで濡れて、制服の紺がより深みを増していたが
クレイ・カーティナーはといえば、胸のあたりまで水飛沫のドットが跳ねている。

「セラが引き込んだ」
クレイの手を取るや否や、脛まで水位のある川の中へ引きずり込んだのだ。

「向こうで二人、暴れてると思ったら、セラの悪戯?」
ほぼ直線の川の中、マレーラが小さく手を振っていたのを思い出した。
そのときから、遠目ではあるが観察されていた。

「寒くない?」
リシアンサスの指摘に、クレイは首を振った。

「ずいぶんと温かくなった」
主語も目的語も抜けている。
クレイの話し方に、セラだけでなく、マレーラとリシアンサスも慣れてしまった。

「もう、そんな季節。早いわね」
リシアンサスの頬が緩んだ。




季節は移る。
気がつけば張りのあった空気は和らいでいる。
コートの襟を立ててしまうほどの寒さに覆われる涼季から逃れつつある。

「どうしたの、マレーラ。黙っちゃって」
一番にリシアンサスやクレイに絡むのはマレーラのはずなのに、彼女の口は重かった。

「来月には必修授業に並んで専門課程が入ってくるよね」
「そうだけど、急に考え込んだりして、いったい」
リシアンサスが宥めるようにマレーラの肩に手を乗せる。

「そりゃね、すぐに別れてしまうわけじゃないけど、来年になると四人、ばらばらになっちゃうかもしれない」
「ならないわ」
セラが滑らかな口調で、しかしはっきりと否定する。

「まだそんな時期じゃないわ。本格的にそれぞれの道を選ぶようになるまで、あと二年はある」
出会ったばかりなのに、すぐに顔を見られなくなるくらい遠くには行かない。
それに、セラの頭には、何度も読み返した年間予定表が刻まれている。

「でも来月からは」
「方向性が見えてくるだけだ」
「今までみたいにずっと一緒っていうのじゃなくなるだけよ」

クレイが言葉を挟み、リシアンサスが補足を入れてもまだ、マレーラの顔からは曇りが消えない。

「何か不安なことがあるみたいね」
「そう、なのかもしれないけど。不安っていうか」

マレーラが川辺の砂利の上へ腰を下ろした。
木の間を抜けてきた陽光に素足を晒している。
冷たい川の水、冷やされた指先が乾いていくのを眺めていた。

「怖いの、私」

何が、と口にするのは容易かった。
しかしそのままマレーラは口を噤んでしまいそうで。
いつもと様子の違うマレーラに、リシアンサスも接し方を選んでいる。

「みんなは、触れるって喜んでるけど」
「ああ、戦術演習のこと」
それで少しはマレーラがいつもと違う様子の理由がわかった。

授業が離れて寂しい、それもある。
しかしマレーラの不安の根は更に深いところにあった。

「武器を使うでしょ」
ディグダの軍用武器の基礎を学び、使用できるまで技術を磨く。
学園は数多くの戦績優秀な軍人を排出している。
その理由は、学園の早期学習のシステムにあった。

突出した人材を見出す点からしても、初年度からの演習は効果が認められている。

初めて触れる武器が、軍用の近接武器だった。
モニター越しに見る、ニュースや宣伝で映る、各国へ遠征している治安部隊が一様に手にしているのは、その近接武器だ。

「あんまりね、気が進まないの」
マレーラのように消極的な学生は少ない。
声高らかに、治安部隊の行動の是非を問う運動が、学園の門外で見かることもある。
それでも、極少数だ。
みな、ディグダの力をどこかで恐れている。

場所は巨大帝国ディグダの中枢、ディグダクトル。
その更に中心、行政府に隣接する学園だからだった。

「こんなこと、大きな声でなんて言えないけどね」




規制された情報、統制されたシステム、一本のベルトコンベアに乗るかのように、作られては送り出される兵。
まるで、学園は生産工場のように思える。

この四人のだれかが軍人になってしまうかもしれない。
剣を取れば、その未来が近づいてくるようで、恐ろしい。




「わたしたち、知らないことがたくさんあるよね。でも、だから知らないままでいようなんて、思わない」
「セラ?」

足はもう乾いてしまっていた。
靴を履く気になれなかったのは、セラの話に集中したかったからだ。

セラは抱え込んだ膝に、顎を埋めた。

「先のことなんて、わからないけど、わたしは知りたい。この国が何をしようとしているのか。どういう道に進もうとしているのか」


「何も、変えられない」


クレイの声に、マレーラとリシアンサスが顔を横へ向けた。

「帝国は大き過ぎる。私たちは無力だ。兵として、誰かを斬ることしかできない」
「誰も傷つかず、平和で。それは理想だけど、でも全員が幸せになんてなれない」

等しい幸せなど、ありえない。
平和を求めて剣を振れば、その剣に倒れる者がいる。

「誰かを斬ることだけが私たちのできることじゃない」
今はまだ、何も知らなくて、無力かもしれないけれど。

「クレイが言う、巨大な帝国と強力な力。それは変えられない。支配するものとされるもの。それも現実だし、現状よね」

リシアンサスの穏やかな目に、静かに光が宿る。
目の前の水面を映す目は、きっと少し未来を見ている。

「でも、変えようって思っているのは私たちだけじゃないわ」
統一された理論、規則。
その波に流されまいと、また疑問を投げかけているのは、クレイたちだけではない。

「みんないろんな国や地域から集まってきたもの。価値観はいろいろ。ただ今は、学ぶべき時間」
リシアンサスは、立てていた膝の下からレポートを取り出した。

「これも、勉強」
中身が詰まったレポートのファイルを軽く振ってみせた。



「今すぐ何かできるわけじゃない。それに、今何かを決めなくてはならないわけじゃない。わたしはそう思うわ」
セラは目の端で、マレーラの表情を窺った。






「マレーラ。わからなくなったら、不安になったら、聞けばいいじゃない。クレイと、それから」
リシアンサスは立ち上がった。

「セラもね」
「わたし?」
セラが瞬きを繰り返した。

「聞いていいのよ、納得できなければ、答えが見つかるまで。それに、自分に自信を持って」
揺りカゴのような、穏やかで温かい学園で育ってきたリシアンサスとマレーラ、それにクレイ。
その中に編入という形で突然入ってきたセラが、習慣や規則に疑問を持つことは不思議ではない。

むしろ。

「それは正しいのか、って問うことが大切なの。私たち、忘れてしまっていることが多いけれどね」




『教えられたままを受け入れ』
『疑問を持つことなく』
『染まっていく』

以前マレーラから聞いた言葉を思い出していた。




「自分に、自信を」




そして、灰色館の主も。

『あなたは、物事を特別な角度から見ることができる力をお持ちのようね』

彼女の柔らかくて、しかし何でも見通しているかのような声を思い出す。




「そう。思うことに自信を持つ」

その目に、その思いに。






「一緒、なのね」

セラは顎を持ち上げた。

「わたしも、マレーラも、リシーだって。ねぇ、クレイ。クレイも」
「知らないって、見ないで過ごすこともできるけど、目を開いたとき広がった光景が手遅れだったなんて、嫌なのよ」

戦火は、広がっている。
ディグダに向けられ振り下ろされる剣の数よりも
遥かに、ディグダの剣に倒れた人の数の方が大きい。

どちらの被害も概数すら公表されてはいなくても、ディグダにいれば話は伝わる。
統制されても、規制されても、湧き上がる憤りと変えようという意識の昂ぶりは止められない。


平和が広がっているからこそ感じる不安。
ディグダの陰を思うのは、セラやマレーラだけではない。






「今は、何もできなくても。たとえこの先、何も変えられなかったとしても」
無力のまま、何もできないままかもしれないけれど。


「わたしはわたしのできることをしたい」


それが、セラの静かな決意だった。
マレーラも、リシアンサスも、きっとクレイも同じ。


できることを、するだけだ。











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