Ventus  11





乾いた空気が抜ける。
黄色がかった壁が真っ直ぐに続く。
石を組まれた両側の壁面は平らではなく、年月により削り取られ剥ぎ落とされて所々欠けていた。

古い土と砂のにおいがする。
ビルの窓に反射する目映いネオンや騒音は、ここにはない。


人の影は疎らで、時間の流れも速さを緩めていた。
まるで故郷の街を歩く休日のようだ。
錯覚しそうになるほど、懐かしさを感じた。
都会では否定されていた樹木や鳥が、ここには生きている。


「でもここも、ディグダクトルの一部なのよね」
「考えられないでしょう?」
リシアンサスが後ろを向いた。

「旧市街。ディグダだって昔はちっちゃな国だったんだから。急に成長しちゃったけどね」
百年も前は他の小国に押され、息も細くして生きていた。
存在すら認められないくらいに。

「その成長の名残ね、ここは」
システムの中心が現在の学園方面へ移ると、かつての街はここに置き去りにされた。
まるで幼かった頃を忘れようとでもするかのように思える。

「ディグダが大きくなるにつれ、首都のディグダクトルには人が集まってきた。でも人は新市街の方ばかり。ここは寂れてしまった。今こっちに目を向けているのは歴史研究家ばかりってね」

やがて朽ちるだろうこの場所に、マレーラとリシアンサスはセラを連れてきた。
まだ体力ある? マレーラの声に頷いてすぐに六本の脚は旧市街へ向かった。



「新市街って今の街を呼んでるけど、その言葉すら忘れられていってる」
今では旧市街の存在自体が、ディグダクトルの人間の頭にない。
そうして街は、忘れられて消えていくのだ。

「だったらどうして、塗りつぶしてしまわないのかしら」
セラは人差し指を口に当てた。

蔦の這う石壁に、子どものように左手を沿わせて歩くマレーラが、その呟きをすくい取った。
「得意だから? ディグダのずっとしてきたことよね。支配して、その前の色は塗りつぶしてしまう」

格子状に広がる通路は、きっと上空から見たら美しいだろう。
しかしディグダクトルにとっては、幼かった頃、過去の姿。

「そうね。ビルを乱立させて、この街を埋めてしまうことなんて簡単だったはず」
「でも、しなかった。なぜ?」
マレーラが笑った。
紅い唇から、白い歯が覗く。

「やっぱり、セラは外から来たね。私もリシーもそうだったけど」
故郷はディグダクトルより遥か南だった。

「だけど、いつの間にかディグダクトルに染まっちゃってる。疑問を持つことなく、教えられたままを受け入れてきた」
青といわれたら、青と思い込む。
これは赤だといわれたら、赤に見える。
完全に統率された、管理された空間だから。

「したく、なかったの?」
「そう考えられるわね。政府の偉い人の誰かが、いえ集団なのかも。残そうって言ったから」

なぜ?

「弱かった頃の、古傷なのに」
消したい記憶を、なぜ残そうとするのか。

「だからこそ、なのかもしれないわ」
口を挟まず、二人の話に耳を傾けていたリシアンサスが口を開いた。

「忘れないでいようって。昔のディグダを」
それはごく一部の人間だろうけれど。
残そうとする静かな抵抗。

「急激な変化を怖れて」
セラの目は真っ直ぐにリシアンサスを射る。






閑散とした広い土道を、強い風が抜ける。
舞い上がるコートの裾。
巻き上げられる髪に、セラはきつく目を閉じた。

吹き上がる砂埃に、口を開くこともできなかった。

収まらない風の中、セラは薄っすら目を開けた。
腕の向こうに見えた光景に、小さく声を上げそうになる。

あれは、幻?
答えを見出すこともできないまま
眼も耳も口も、すべてが風に遮られてしまった。







「セラ」
「すごい風だったわね。大丈夫?」

二人の声も聞こえない。
何も聞こえなかった。

セラは憑かれたように、ふらふらと歩き出す。
焼きついた残像だけを追っていた。

「どうしたのよ、ちょっと。セラ?」
マレーラが背中に呼びかけたが、振り向かない。

走り出したセラを、リシアンサスが追いかけた。
角を曲がり、二人は走り抜ける。

「だめよ、そっちは」
細くなった路地に入ろうとしたセラの肩を、リシアンサスが掴んだ。

「でも、人がいたのよ」
「あの風の中で?」
「歩いていたわ」
目の錯覚だ、とリシアンサスは口に出さなかった。

「だとしても、その先は行ってはだめよ」
細い道に日が入ることはなく、薄暗く陰を落としている。




セラの目には、暗く先の見えない路地に消えた人影が浮かんでいる。
吹き抜ける風の中、先を歩いていたリシアンサスの肩越しに白い服が横切った。


一瞬のできごとだったので、余計に脳裏に焼きついていた。
風に煽られた長いコート。
フードを手で押さえきれず、端からは銀髪が覗いた。

痩身が老婆だと知ったのは、横顔が見えたからだ。
鋭い目は前を見据え、風に押され負けることなくセラの前を通り過ぎていった。
その瞬間、ほんのコンマ数秒、目が合った。

老女の足は止まらなかった。
しかしその僅かな時間は、彼女の姿をセラに焼き付けるのに十分だった。
真っ直ぐに伸びた背が、忘れられない。




「人がいたの」
「誰かしらね、こんな場所に」
人の姿はおろか、今は気配も消えていた。

「リシー、どうしてこの先はだめなの?」
角を曲がった老女は忽然と消えた。
追ってたどり着いたのは、この細い薄暗い路地だった。
彼女は路地へ入っていったと考えるのが自然だ。

「帰りましょ」
リシアンサスがセラの腕を引いた。
左に並んだマレーラも、何も言わない。








街灯が並ぶ通りに出る。
目の前は新市街だ。
夕暮れの時間になり、背の高い街灯に柔らかな火が灯る。

「裏街、なのよ」
「入ってはいけない場所、ってこと」
街中へ入り、ようやくリシアンサスがセラの腕を解放した。

「スラム街なのね、あの先が」
「迷路みたいに入り組んでる。入ったら殺されるか売られるか。どちらにしても帰ってこれないわ」
ならば先ほどの女性は?
二人に説明するが、眉を寄せるばかりだ。

「それが見間違いでないとしても、一人で女の人が入って行ってはね」
「服装だって、上層階級みたいだったんでしょう? どういう理由にしろ、深くは考えない方がいいわ」
純白の滑らかな布を纏っていた。
肌も白く、年は重ねていたものの美しい人だった。
女性はセラの数十歩前を歩いていったのだ。

「スラムは新市街にだって広がってる。見えないだけで、一つ筋を曲がれば入れるんだから」
警察も踏み入れない、無法地帯。
それが帝都ディグダクトルの裏側であり、重ねてきた確かな歴史の一つでもある。




「ところで、どうだった? 旧市街は」
「ホームシック、ぶり返しそう」
似ているから。

「空気のにおいは違う。でも土壁、道。似てたわ」
「何だかほっとするのよね」
三人肩を並べて歩く。


「一日が、早く感じる。一週間が、瞬きするくらい」
決まった課程を繰り返すからか、楽しいからか。

「まだ、わたしたち知り合ったばかりだけれど、祈るのよ」

神様を信じてるわけではない。
入り混じった人種、交じり合い無数にある宗教、そして神。
ディグダクトルに神様はいない。
それでも祈る。

「どうか、時間がゆっくりと流れますように」
今ある時間を大切にしたい。

永遠なんて、ないってわかっていても。
望まずにはいられない。













扉を叩く。
二回のノック。
反応はない。



「クレイ?」


呼びかけると、中で足音がした。


「いるのよね」

扉が薄く開いた。

「セラ」
「ただいま」



そのまま黙ってクレイの目を見る。
話さない。
目を反らさない。


「ああ。おかえり」
数秒後、視線の意図をようやく読み取り、クレイは小さく言葉を返した。
返事をもらえて、満足げにセラは目を細める。


「入れる?」
クレイが扉を半分まで開いて、入り口を空けた。

「食事は」
「クレイもまだでしょう?」
シワの寄ったベッドへ腰を下ろす。
まだ温かい。

「眠ってたの」
だったら起こして悪かったかもしれない。

「いや。考えごとを、していた」
「もういいの?」
頷くクレイを見て、セラは後ろに回していた手をクレイの目の前へ差し出した。

「おみやげ」
小さな箱が、セラの手のひらに乗っている。
水色の細いリボンが十字にかけられていた。

「開けてみて」
クレイがリボンの両端を引っ張り、白い小箱の蓋を持ち上げた。

「かわいいでしょう?」
紙を細く切ったクッションの上に、砂糖菓子が六つ納まっている。

「この部屋って、あまり物がないじゃない。飾るものよりも、食べ物の方がいいかなって」
小さなプレゼント。

「うれしかったのよ。ディグダクトルの街を歩くのが。今度は四人で行きたいわ」
動物の形をした砂糖菓子を一つ摘み上げ、口へ運んだ。

「甘い」
「きらい?」
「いや」

セラは隣に座っているクレイを置いて、立ち上がった。

「セラは」
クレイがセラの背中を呼び止めた。

「何か買ってきたのか。自分の、ために」
「いいえ」
振り返って、クレイの手から箱を取り上げた。
右手に奪われた箱は、机の上へ置かれる。

「今度、クレイと一緒に行くもの。その時に買うの」
行きましょ、とセラがクレイの空になった両手を取る。

「食事。マレーラとリシーは行ってしまったわ。そこでお話してあげる。おみやげ、砂糖菓子だけじゃ足りないでしょう?」
後ろに体重をかけて、クレイを引き上げた。













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