Ventus  07





ヒオウがカップを持ち上げた。



「おもしろいお話ね」


その物語が納められた本は
セラとクレイの目の前、ヒオウとの間に置いてある。

隣には浅い籠に入った焼き菓子が盛ってあった。



「セラさんはご存知ね。クレイさんは?」

クレイは首を横に振る。

「だとしても、恥じることではないわ。余りに昔の、長い長いお話ですもの。聞かせてあげましょうか」

向かい側に並ぶクレイとセラの返事を待たないうちに、
ヒオウはカップを机へ下ろした。





「昔は、『魔』という生き物が存在したの。人を襲い、惨殺する。いつごろ現れて、どこから来るのかは分からないのだけど、次第に数は増えていった」


殺される人の数も、増える。


「風の流れみたいなものね。始めははっきりとは分からなかった魔も、数が増えて、やがてどこからやって来るのかは見えてきた」

微風では分からない。
ある程度勢いがついてくると、どこの穴を抜けて隙間風がやってくるのか分かるようになる。

「人は闇界と人界が繋がっていることに気づく。その境界に扉があることを」

世界を繋ぐ扉は一つではない。
さまざまな場所に点在していた。

「その内の一つが、何かの拍子に大きく口を開いたのよ」

決壊した。

「魔は人界に溢れ出した」

人を食いつくし、大地は濡れる。

このままでは人間は食い尽くされ、死滅してしまう。
戦慄し絶望する人間に光をあてた男がいた。



ガルファードだった。



「魔は無秩序ではなかったの。ちゃんと統率者がいた。黒の王。王は、魔を率いて人界に君臨していた」

統べる者を失えば、たちまち魔は崩壊する。
数を相手にできないでいる人間にとって、勝利の方法は一つだけ。



王を倒すしかない。



「ガルファードと彼が道中で得た仲間は、黒の王を目指した」

ガルファードたちは勇者と呼ばれた。
黒の王に立ち向かう勇者は数え切れないほど出現したが
彼らほどその名に見合うだけの努力と力を得た者は、存在しなかった。

「彼らは剣と魔法で、黒の王を闇界へ封じた」


勇者は英雄になり
現実は歴史となり、やがては神話となる。



悪は、真っ白な正義によって塗りつぶされる。
完全で完璧な正義。

ガルファードが黒の王を倒そうと
絶望から顔を上げ大地を踏みしめたとき
どれほどの人間が、共に立ち上がっただろう。

人々は拍手で勇者を迎える。



だが、それだけだ。



自ら立ち上がって、命を削ってまで平和を得ようとはしなかっただろう。
ただ、ガルファードの背を見守るだけだ。

できる精一杯の、温かいまなざしで。





「その後」

黒の王を扉の向こうへ封じてしまった、その後。

「ガルファードは行方知れずになった」

それは、それでよかったのかもしれないが。

「童話とするのだったら、『勇者はふたたび旅にでかけたのでした』で終わりなのでしょうけれど」

「歴史なんて、後の人間がいいように作り上げた虚構だもの。それがすべてだとは限らない。そもそも、ガルファードが存在したかすら、怪しいわ」

信じられるものは、残されている文献だけなのだから。

セラは視線を机へ落とした。
磁器のカップの中で、半分だけの琥珀色の水が揺れている。
冷めかかったお茶で口を湿らせた。

「何が真実か、なんて」










灰色館の主人は、カップの上でアーチを描く両手を組み合わせていた。
しばらく沈黙が続く。



「あなたは、物事を特別な角度から見ることができる力をお持ちのようね」

セラは目線を上げる。
ヒオウの目と重なった。

思わず目を反らして、クレイの横顔へスライドした。


黒い、引き込まれそうな瞳がセラを見つめていた。




「わたし。わたしが、ですか?」

何度かの瞬きの後、ヒオウへと微笑みかけた。
うまくいかなくて、口元が引きつってしまう。

「何もない平凡な私が、と。そう思っているわね」

外れていたら、何て失礼な、と不機嫌にもなるだろう。

けれど、ヒオウの発言はセラの真実を射ていた。
セラの言葉を止めるには十分な効果だ。



「あなたは、占い師なの?」

ヒオウは微かに首を捻り、微笑した。
その様は妙に子ども染みていて、好感を抱く。

「図書館の司書ですよ」

「きっともう一つの顔は心理学者ね」

「館長さんって本のお掃除だけではないの。暇そうに見えてお仕事はあるのよ」

ヒオウは腰を伸ばした。
卓上の刺繍布の下からポットが現れた。

白磁に銀の葉模様が細かく描かれている。
ヒオウは、空になっていたセラとクレイのカップへお茶を注ぎいれた。


セラは謙遜でなく、言い切れる。



特別なものなんて、何も持っていないと。





何もない、空っぽのわたし。





大陸の中心部へ来て、セラはそれをより深く確実に感じていた。

「セラさんは、ちゃんとクレイさんを見ているでしょう?」

静かに注がれたお茶の湯気を眺めていた。
セラはこれまでの二ヶ月間を思った。

何のためにここにいて、これからどう過ごしていけばいいのかを考えていた。

特別な何かなどセラに備わっていないと、
改めて思い知らされたのはディクダクトルに来てからだった。
何を以ってしても、セラより上に人がいた。

クレイの前では言えないけれど、
誰よりクレイを理解しているはずもないのだ。





「側にいても、わからないことがあります」

「私とセラは違う人間。わからなくて当然だ」

クレイの言うことは正しい。




人間はそれぞれ独立稼動している。
電子空間のように空間を共有していない。


共通言語を駆使しても
人の感じ方、思いまで完全に伝えきれるなんてことはない。


理解していると言っても、それは理解しているつもりでいるだけなのだから。




「今はわからなくても、いずれはわかるようになるわ。お互いにお互いを理解しようという気持ちがあれば」

理解しようという気持ち。


そんな日は本当に来るのだろうか。
学生生活は、短いというのに。
セラとクレイが、後何年一緒にいられるかわからないというのに。
クレイは、セラと離れても変わらないでいるだろうか。


今は、考えたくはなかった。

セラは、クレイにとってゼロに近い価値しかないと、考えるのは嫌だった。

自分が、その他大勢であること、
誰の目にも留まる存在になり得ないことは、十分わかっているから。


疎まれる人間にだけはなりたくない。
それが、願いなのかもしれない。


人気者になりたいわけじゃない。
みんなの特別になりたいわけじゃない。






ただ、誰かの特別になりたかった。
誰かに必要として欲しかった。




一人は、寂しいから。




エゴなのだろう。

一人が嫌だから、誰かの側にいる。
たまらなく、醜い心なのかもしれない。

その気持ちを隠しても、クレイの側にいたかった。
このディグダクトルは、セラにとって余りにも広すぎるから。









沈黙が漂っていた。


セラは黙ったまま、何を見るともなく机の上に視線を置いていた。
クレイはそんなセラを横目で観察している。


「あなたは、本当に不器用な人ね」

ヒオウは両肘を机について、顔をクレイへ寄せた。

「器用だと、思ったことはない」

かといって、不器用だから困った覚えもなかった。

「極端に人と触れ合うのを拒否しているのは、なぜかしらね」

「さあ」

どちらから先に距離を置いたのだろうか。
クレイからか、その周りの環境からか。

気がついたら、これが平常だった。

「セラ」

名前を呼ばれて、硬直した肩が生を取り戻す。

「はい」

「始めよう」

「あ、えと。課題」

まだ意識が現実に戻りきってはいない。
セラの目から、クレイは視線を外さない。

「ああ、平気。だいじょうぶよ。始めましょ」

深呼吸を二回。
セラはクレイとは反対側に重ねていた本へ、手を置いた。




ヒオウは、目元へシワを寄せていた。


占い師か、魔術師かの神秘的な微笑で。











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