Ventus  03





水の音がする。

砂が押され、擦れあう音。

そう、これは錯覚。

これは、幻想。

ここは、わたしの街じゃない。




セラは、地面を見つめていた視点を持ち上げた。
石造りの滑らかな廊下が、弧を描いている。

風が通り抜ける。
遮る壁がないからだ。

石屋根のアーケードが、同じく白色の柱で支えられている。

均等に計算されて配置された柱と柱の間は、どのくらいの距離があるのだろう。

通るたびに考える。
歩幅六歩分。

数え始めて四本目の柱を過ぎて、右に目をそらせた。




波の錯覚の原因は、回廊に囲まれた巨大な樹だった。




長い回廊はいつも、早朝の学生を悩ませる。
あくびをかみ殺して足早に過ぎていく学生。
額に汗を浮かばせて、はねる髪にも気を止めず、走り抜けていく学生。
諦めて、歩調を緩める学生。




巨木は広大な広場の中心に腰を据えて、毎年入れ替わる彼らを眺めてきた。

守っているのだと、宿舎にいる三割くらいの学生は信じているだろう。
触れると、心の波が静まっていく感覚がした。



樹に名前はない。
品種のプレートも見当たらない。
ただ、あの樹とだけ呼ばれている。
必要なかった。
広場にある樹は、この樹しかなかったのだから。

背の高い城壁のような建物に埋もれるように、この樹は何年もそこにいた。





ここの建物は、見ているだけで面白い。
見上げてばかりいて、セラは首を少し痛めていた。


鳥が見下ろしたら、広場を囲む回廊は円形。
北側半分には、円に沿って学生寮が並んでいる。

建物は、四角ではない。

まるで、空間が歪んだみたいね。
セラがそう表現したように、建物もアーケードに密着して弧を描いている。

きっと、上から見たらクモみたいなんだわ。
歩いていても分かるほど、円を描く回廊のあちらこちらから
直線の回廊が、放射状に何本も伸びている。





風と大樹が生み出す軽快な音楽を聴きながら、半周を回った。
左手の男子寮を通り過ぎて、奥が女子寮になっている。
入り口は狭くはないけれど、寮前の廊下は込み合っていた。
ぼうっとしていたら、肩が当たりそうになる。

最初のころは、出会った人と鉢合わせて通せんぼしていたセラだったが
今はずいぶんと人ごみを歩くのがうまくなってきた。



ようやく、到着。
図書館から何分かかっただろう。
途中で学内バスを使ったにしても、計算するだけで疲れそうになった。
クレイは、黙ったまま。
セラも、口を閉じている。




横に長い掲示板の隣に館内案内板がある。
自分の家とも言える場所に、案内板なんてと
セラは入寮してすぐ、荷物を手に呆れ返っていたが
すぐに納得できた。

六層構造の宿舎だ。
構内同様、迷子が続出した。



「そういえば、クレイ。食堂の棟あるでしょう」

六層建築より更に北。
回廊から一歩奥に入った、二寮の陰に食堂がある。
構造は、八層。

「あれって一階二階が食堂よね。三階は?」

「特別寮だ」

大学寮とは別の、選ばれた者の居住区だった。




高等部から高位学部に進学するのではなく
実力を買われて引き抜かれたエリート候補生。
実戦に使われるまでの準備期間をこの寮で過ごす。

彼らは賛美と好奇と、そして嫉妬の視線を浴びる。

それらは大いに、彼らの「選ばれし者」としてのプライドを刺激した。

高等部卒業後の道は、大きく開けている。
ディグダクトルの中央を占めている、政府直下の教育機関だ。
それだけディグダの、それを統べる帝都の権威を物語っていた。

ディグダクトル外部で職を得ることも容易であるし
政府内部の就職も可能だった。
むしろ、学園から籍を外れた学生たちの道は、内部就職がほとんどだ。

国が抱えこんでいるだけあって
行政機関に属することを前提とした、教育プログラムが組まれている。

一方で、教育機関に残り、学生として知識を深めることもできた。

整備された施設、豊富な資料はこれ以上ない研究の楽園だった。

選別されて限られた人数が収容されている学園。
なのに設けられた、寮の個室。
隔離された特別学生寮。

「人の思いや考え方が違うから?」

階段が近づいてくる。
広くて、緩やかだ。

「国土が広いんだもの。それだけ多くの地域から人が集まってくる。感じ方がみんなまるっきり同じってわけにも、いかないものね」

諸国を従える王者だ。敵も多い。

「初等部も個室全寮制なの?」

「寮はあるが外部通学は可能だ。個室ではない」

一階ほどではなかったけれど、二階も廊下は人で賑わっていた。

彼女たちの間を通り抜けて、奥へと進む。
クレイの部屋も、セラの部屋もさほど離れてはいない。

緩やかに湾曲しながら伸びていく壁の隙間から
小さく突き当たりの壁が見えるあたりでクレイは足を止めた。

セラの部屋は、向こうにわずかに見える壁から五戸目の個室だった。

クレイがカードキーを制服から取り出した。
スリットに通すと、小さく電子音が鳴く。
空調が冷やした金属の扉に手を触れる。

「あら、珍しい光景だわ」

セラは右手に顔を向けた。
クレイと一緒にいて誰かに話しかけられたのは、これが初めてだったから。
クレイは、顔にかかる横髪の奥で、目だけ注意を向けた。

「ミス・カーティナーがプライベートを見せるなんてところ、始めてみたものだから」

「わたしが強引に指定したの」

クレイが自ら誘ったわけでは決してない。あり得ない。

「でもクレイは許したのね。素晴らしい第一歩よ、おめでとう」

クレイは他人を自分の領域に踏み入れさせない。
常に凍てつく空気をまとっている。
その境界線に触れようものなら、視線で運動機能を麻痺させ、言語機能を停止させる。

セラに言わせると、それはクレイの特殊技能だ。

目からビームがでるのよ。青いんだわ。
ショートカットの少女は、セラに耳打ちした。
もちろん、側にいるクレイには聞こえていた。

「私はね、マレーラ。ここ」

クレイの右隣にある個室が、マレーラの部屋のようだった。
マレーラが指で叩いている銀のプレートが、部屋の所有者を記していた。

「暇ならいつでも大歓迎。そのときは、クレイも連れてきて」

マレーラが右手を開いて差し出した。
セラも右手をそれに重ねる。

「よろしく、マレーラ。わたしは」
「セラ・エルファトーン、でしょう? 知ってるわ」

クレイについて回る少女。それだけで、有名人だ。
セラも、うわさされているのを自覚している。

「こっちは、私の友人ね」

マレーラの肩の向こう側に、三つ編みの少女が笑顔で立っている。

「リシアンサス・フェレタ。マレーラとは家がすぐ近くなの」

ゆっくりしたテンポは、リシアンサスの標準動作のようだった。

「同郷の友人ってこと」
「リシーでいいわ。よろしく、セラ」

リシアンサスは、昨年クレイの級友だった。
しかし、名前すら呼んでもらえなかったと、リシアンサスは笑っていた。













部屋の簡素さはおおよそ予想していた。
クレイが小物や本棚に本を置くようには思えなかったので。

そのセラの予想は、大きく外れてはいない。

内部構造はほぼセラの部屋と同じのはずだ。
広く感じるのは、部屋には必要最低限の物しか置いていないからだろう。

クレイのベッドに腰掛ける。
机には教科書、二本の筆記具が。
その前の椅子にはクレイが、どちらも大人しく乗っていた。

真っ直ぐに伸びた背は、いつも変わらない。
クレイのスタイルだ。
クレイの強さだ。
でも、時には肩から力を抜いてみようとは思わないのだろうか。
クレイが顔を緩める瞬間とは、いつなのだろうか。

セラは、そう考えていることを口では言わなかった。
言ってしまったら、クレイの側にはいられなくなる。
まるで病原体を発見した細胞のように、拒絶されてしまう。



「わたしの部屋とはぜんぜん違う。もっと物が多いの」

故郷からディグダクトルに来るまでに、本は大半を整理したのだが、どうしても手元におきたい本や、最近購入した本が、棚を埋めている。

「クレイの部屋は、空気まで澄んでいるみたいね」

セラは、クレイの領域を心得ていた。
見えない自他の境界を知ることができるのは、セラの才能とも言える。




どうして、クレイは極端に他人を排除しようとするのだろうか。


セラは、考えずにはいられない。
クレイの思考を、推察することができない。


でも目を見ても、側にいるだけでもわかる、クレイの強さ。


いつも一人で
他人を認めず
だれも愛さないで
ひとを許容しないで


それは孤独で、同時に生きる強さだと、思っていた。

でも、それって寂しいことだわ。
だれかを愛して初めて、誰かといる素晴らしさを
大切なものを守れる素晴らしさを知るのだから。


「ねぇ、何を考えているの?」


聞かれて困る、一番の質問。
取り留めの無いことを考えて、雲みたいに流れては消えていく。
そのようなものを言葉にしようとするのは、難しい。



何も。



答えは、いつも決まっている。

上目遣いでクレイを見る。

多分、クレイは外を見ているだろうと思っていた。


でも、違う。
違った。

セラと目が合った。
その瞬間、体の中に風が吹き込まれた気がした。





風、そう。




はじまりの風だ。
クレイは草原の中、一人でずっと遠くを見つめていた。



あの日の情景が、クレイの漆黒の瞳を通して蘇る。
命を与えられ生き返ったかのように、鮮やかに。

光が眩しい。
緑が美しい。




         「あなたは なにを みているの」


消えないで。
お願いだから、消えないで。
わたしを置いていかないで。



引き止めたくて掛けた声。

クレイの答えも、セラは覚えている。





         「空を」




それだけだった。



きっと、何も答えてはくれない。
答えてくれても、クレイの心は覗けない。
そう思っていたのに。



知りたいという好奇心が。
セラの中の本能が、クレイへと執着を見せた。






「何を、考えているの?」



一つ瞬きをして、クレイは細く息を吸った。


「セラが、何を考えているのだろうということを」






「わたしは、クレイがどんな風に生きてきたのかということを、考えてた」



セラは目を細めた。

お互いに、わからないことだらけだ。
出会って一月しか経っていない。
それでも、セラは少しずつでもクレイのことを知りたいと思う。








いつの間にか、外からの光に黄が混じっていた。
タイミングよく、夕食を知らせる電子チャイムが廊下を流れた。

「行きましょう。お腹、空いたわ」

「ああ」






別に何も。
そう答えなかったクレイだから
セラは今、彼女と共にいる。











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