Ventus  02





鐘が三度、高らかに鳴る。


窓から見える塔の上にある。
クラシカルに、体を揺すってるのだろうか。


教室内を見回す。
扇形の構造をし、段を作っている先端に、教師が立っている。
彼女は、両手の上の教科書を閉じ講義の終わりを告げた。




一日の授業がすべて終わった。
大きく両腕を広げ伸びをする者、あくびをする者、夕食まで待てずに食べ物を買いに走る者など、教室内は蜂の巣をつついたように騒がしくなる。





セラ・エルファトーンは友人の席へと真っ先に駆け寄った一人だった。

「夕食までの時間、空いてる?」

出会って間もない友人だったが、ここまで親しく話せるのは、セラの人徳だった。
他の者ではなかなか近づくことはできない。
彼女の「友人」は、少々変わった人物だった。


セラが、友人の隣にできたばかりの空席に体を滑り込ませる。
広い教室には、もう半分ばかりの生徒しか残っていない。
あっという間に散っていってしまった。
生徒に取り囲まれていた若いメガネの教師も、すでに講師室へと引き上げていた。

セラは両肘を滑らかな机の上について、花のように広げた手のひらにあごを乗せている。

彼女に真横から視線を浴びても、動揺しない。
関心がないのだろうかとセラは思う。
たとえこの友人がセラにほとんど興味を示さなかったとしても
セラは、友人の傍を離れるつもりなど、まったくなかった。

そのくらいの押しの強さが、この友人には必要なのだと、直感していた。









セラ・エルファトーンは、この春に、高等部から編入してきた。
学園のあるこの街に来たのも、それが初めてだった。

そして、この友人に出会った。

隣で無表情に教科書を束ねているのが、セラの友人。


クレイ・カーティナーという。


初等部からこの学校にいて、友人がいる姿は見たことがない。
セラが一緒にいる、セラがクレイの後ろをついて回る姿のほうが異様だった。

それが入学してから今日までの、約一ヶ月間で手に入ったセラの持つ情報だった。

別に、特別知りたいってわけじゃなかったんだけどね。
セラは心の中で苦笑する。
ほとんどが、セラにクレイの経歴を教えてくれる代わりに、より詳細なクレイの情報をほしがっている者ばかりだった。

あからさまに嫌われているわけではないのだ、クレイは。


問題を起こしたわけでもなんでもない。
それ以前に、関わろうとしないからだ。
クレイからも、他の人間からも。




「夕食は、食堂でしょう?」

そこで食べなくてはいけないという規則はない。

「特に予定はない」

ようやく口を開いてくれた。
それだけなのに、セラの口が緩んだ。

一言だけ。

それだけを話させるにも、一週間はかかった。
セラは、自分の忍耐力に苦笑する。

セラとクレイが出会ったのは、入学して間もない『校外特別授業』でのこと。
声をかけたのは、セラの方だった。

目を瞑らずとも、目の前に再現できる。
それほどにまで鮮明な、記憶。










草原と、蒼穹。


クレイの肩まで届く黒髪は、風に煽られていた。

セラは目を見開いたまま、クレイの横顔を見つめていた。

もし、今この青空に夜のカーテンを掛けるなら。
それで、もしそれが大きな風に揺れているとしたら
きっと、彼女の髪のようだろう。

クレイは、セラを見ない。
何を見ていたのだろう。
真っ直ぐに、真っ直ぐに。
セラは、クレイの視線を追う。
蒼天の端、雲が流れていた。

セラは黙っていた。
クレイは、人を寄せ付けない。

そのクレイが前触れもなく、目線をセラへと滑らせた。
空と地上の境界を見据えていた、強く光る
漆黒の瞳で。










「わたしね、まだ校内のことよく知らないの」

クレイは、結び終わった教科書の束の上に、両手を乗せる。
何かスポーツでもしていたのだろうかと、セラに疑問を抱かせるほど、クレイの背筋は美しい。
小柄なのに、そう感じさせないのは、彼女からにじみ出る強さのオーラかもしれない。
セラは何度か考えたことがあった。

「校舎だけで、こんなに広いなんて。この街って、ことごとくわたしの予想を裏切ってくれるわ」

入学式では、クレイをクレイだと意識してはいなかった。
知り合いはおろか、友だちになろうなんて、考えてもみなかった。

クレイは派手な顔立ちではなかったが、どこか目を引く存在であり人と触れ合おうとしない。

まるで研ぎ澄まされた剣のようだった。
他方、セラはというと人懐っこく柔和な印象の少女だった。
口数が少なく一人でいることが常だったクレイとは相容れないはずの、両極端の人格。



セラは、級友と繋がりを広げていく一方で、クレイの後を追いかけてもいた。

「図書館に行ってみたいの」

入学したら、すぐにでも行こうと思っていた場所だった。
しかし学生とはいえ、予想外のハードスケジュール、慣れない学校生活、友だちに囲まれてはゆっくりと校内探索ができない日が続いていた。

寮生活というのも理由の一つだった。
明確に、学生のセラと私生活のセラとを線引きできないでいた。
寮というシステム自体、未経験のセラにとってまだ馴染めないものだった。



「気づいたら、ずっと寮と学校の往復だったもの」

大人数での授業も校内も、セラを圧倒してばかりだった。
できたばかりの友人たちは、一ヶ月か二ヶ月は慣れないと言っていたが
セラは一日でも早く、行動範囲を広げたかった。
好奇心が疼いている。

「他には」

クレイが、口を開いた。
セラが目を細める。
小さな宝物を見つけたみたいに、うれしくなる。

「クレイ・カーティナーさんのお部屋」

実は、提案を断られるだろうと予測していた。
黙ったまま席を立つか、せっかく向けられた視線を反らされるか。

「わかった」

セラはクレイの腕を手にとって、勢いよく立ち上がった。









初等部から在籍しているクレイは、高等部校舎にも何度か足を踏み入れたことがある。
セラの好奇心ではなく、初等部中等部で必要だった資料を探しにくるぐらいのことだったが。
セラよりも内部を知っているのは確かだった。

「中等部とは構造が違っている」

だから、細かな案内はできないんだと、クレイは言う。

クレイは方向感覚が狂いやすいわけでも、道を覚えることが苦手でもなかった。
彼女が呟くほど、構内の構造は複雑だった。
そして、広い。

毎年、結構な人数が迷子になり上級生に道を尋ねる姿が、春の恒例だった。
過ぎ去った、初等部、中等部、ここ高等部でも変わりはない。






「視聴覚室」

白い引き戸の前でクレイが止まる。
滑らかに開閉する扉の上部にある、銀色のプレートに刻まれている。

「来たことはあるの?」

「中は、さっき講義を受けた部屋の半分ほどの大きさだ」

入れるのは百二十人ほどだと、クレイは注釈を加えた。

十分過ぎるくらいの広さだと思う。
しかし、先ほどの講義室よりは小規模だった。

それでは収容しきれないほどの人間を、この学校と街は抱え込んでいる。
改めて施設全体の巨大さと、人の多さを思って、セラは息を呑んだ。

「中は」

「いいわ」

セラは首を横に振って、廊下のクリーム色をした石壁に視線を伝わせる。
いくつか教室があり、廊下ではまとめた教科書を片手に立ち話をする学生がいる。
左に湾曲した通路の突き当たりに、半分ほど隠れてしまっていたが、下へ続く階段が見える。

クレイがそちらへ向かって歩き始めたので、セラもすぐに後を追って、クレイの隣に並んだ。


クレイは、振り返らない。
歩調を緩めない。
それが彼女の特性なのだと、初めて会ったときからセラにはわかっていた。



関心がないのだ。



クレイについて解釈や、分析をするまでもなくすぐにわかる。

それでも、あのとき。



セラは、クレイの白い顔を盗み見る。

他人、大多数ではなく
クレイをクレイと認識した瞬間。

校外授業で行った、草原と風の中。
あのときクレイの瞳は、セラを映していた。


コンマ数秒だけ向けられた、セラへの興味。
それを、セラは追っていた。
それが、セラをクレイへと向かわせていた。




階下への白階段が近づいてくる。

校舎の一階と合流し、小門を抜けると、一面緑に包まれた。
中庭だった。

「校舎の裏側って、表とはまるで違う」

セラが声を高ぶらせていうのも、無理はない。
表玄関は、白い彫刻が細やかに施されている。
見上げれば首が痛くなるほどの大門だった。



「帝国」との名を掲げるだけあって、中心都市の学舎の規模も尋常ではない。
人の多さも、建物もすべてにおいて、巨大だった。
セラが首都に踏み入れて感じた第一印象だ。

それに、この青々と茂る緑。

植林されたはずなのに、装った自然を感じさせない。
自然林に囲まれて育ったセラでも、違和感なく受け入れられた庭だった。
林を通り抜けると、低木に両側を挟まれた小径に入る。
舗装されていない、土道だった。

セラは、靴の下で鳴る砂の音が楽しかった。
街でも構内でも、コンクリートの石道ばかりで、砂に触れる機会が少なかったから。

「ねぇ、クレイ。図書館で迷子になるって、本当かしら」

分室は、各校舎に点在しているが、今目指しているのは本館だ。
帝国の首都にある、国内随一の学校の図書館。
それだけでもおよそ規模の想像はできるけれど、セラの好奇心はそれだけで満足しない。
首都に来る以前にも、噂で友人から幾度となく耳にしていた。

そのセラの故郷も、広大な帝国領土に収まる
体内のほんのひと欠けらに過ぎない。

帝国全土の文献を一挙に集めた、巨大図書館に踏み入れることができる。
思うだけで、胸が高鳴った。











小国属国を掌握する、巨大帝国は「ディグダ」。

そしてクレイとセラのいる、帝都を「ディグダクトル」という。












ひしめき合って立ち並ぶビル群は、競争するかのように天を突いている。

鳥から見たら、神さまが見たら
棘が空へ襲い掛かる、なんて恐ろしい国なんだろうと震え上がるだろう。
居住区、商業区を抜けると、中心部に学園とディグダの中枢である 政府各省庁と関係機関がある。


帝国ディグダの脳幹である。




小道が終わると、林に囲まれた広場に出た。
密生する木々と広場との境界に、茶色の木製ベンチがところどころに配置されている。
右側のベンチには中等部の制服を着た少年が、あどけない顔で眠っていた。
膝の上には、図書館で借りたのだろう厚い本が乗っかっている。

小高い丘の頂上に、薄茶色の巨大建造物がそびえ立っていた。

「あれ、なの?」

丘の斜面に沿って、幅の広い石階段が広場へと伸びている。

正面玄関でないことは、確かだ。
それでいて、この規模。
セラは、目を見開いていた。

「地上五層構造になっている。小中高、どの図書館よりもはるかに詳細で高度な文献ばかりだ」

「歴史関係は?」

「二階にある。二階面積の四分の一が、歴史書で埋まっている」

階段を上りながらのレクチャーだったので、セラは息が軽く上がってしまった。

「地上が、五層。地下はすべて書庫だ」

そこで、クレイは言葉を切る。
クレイも見たことがない領域だったからだ。
特別な事情がない限り、大学教授であったとしても
書庫に入ることはない。
開架室だけで、十分ことが足りる。

二人は、扉をくぐった。
入ってすぐの玄関広場で、セラは吹き抜けの五層を仰ぎ、細く長く息を吐き出した。

一分ほど沈黙した後、ようやっと口を開いた。

「司書さんも大変だわ。これだけの量の本を管理するのよ。一階分だけでも」

セラは、クレイを振り返った。

「一生かかっても、読みきれないわ」

クレイとセラを中心に、取り囲むようにして並ぶ無数の本棚。
階段の手すり。
すべてが明度を落とした色彩で、故郷の小さな図書館を連想させた。

「あのカウンター、木製だわ」

司書が控えているカウンターだけではない。
椅子や机など、備品も木製で統一されている。
木のにおいがする。
自然を排除してしまったかのような都会の風景に、
ディグダクトルに移ってばかりのセラは、圧倒されてしまっていたけれど
この図書館は、落ち着ける場所、故郷を思い出せる場所だと予感していた。

書物の海、沈みこんでしまいたい。
セラはクレイの隣をすり抜け、一歩一歩奥へと進んでいく。

入り口正面の棚から、眺めるセラ。
クレイは彼女の後を、何も言わずについて歩く。

「クレイはここによく来るの?」

目は本の背表紙から離れない。

「必要なときだけだ」

授業で資料が必要なときだけ。
それ以外、近づこうともしていないだろう。
セラの推測は、誤っていない。

クレイは、関心があるもの以外、触れようとも見ようともしないだろう。

そもそも、関心というものが存在するのだろうかとすら、疑いたくなる。


クレイの人格への分析を中断し、セラは急に振り返る。

「今日はここまでにしておくわ。今度のお楽しみ。もっと、時間のあるときに」

いいのか、とクレイの瞳がセラへ向けられる。

「このままいたら、収集がつかなくなるもの」

海に、おぼれてしまう。
あまりに深く、魅力的過ぎるから。

「借りればいい」

「目移りするわ。それに、他に行かなきゃいけない場所があるでしょう?」

初めて見る、クレイの私室。
ずっと楽しみにしていたのだ。
嫌だとは、言わせないから。
セラは目を、クレイの目から外さない。

クレイの闇色の瞳。
そのなかに、映るセラの顔。

澄んでいる。
澄み切っている。
なのに、クレイが今までどのように生きてきたのか
何を考えて生きているのか、セラには読み取れない。

でも、いつか。

いつか、クレイがわたしを見てくれるように。
わたしに興味をもってくれるように。

あきらめないから。

結んだ唇の端を、引き上げた。

「行きましょうか」

立ち並ぶ本棚に背を向けた。













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