- Pride



01




蒼い。

青い。

目を閉じても、その蒼が見えるほどに焼きつく。

蒼。

青。


空の色。

水の色。

海の色。


深く息を吸い込む。
頭が、クリアになる。




好きな色だ。

好きな場所だった。


そこでは、個が生み出す境界がいかに無意味で、薄いものなのかがよくわかる。
肉体と外界を阻むものが、壁が、溶けてしまいそうになる。

自分という個を喪失する。

それは悲しみでなく。
苦しみでなく。


ああ、なんてきれいな感情だろう。
なんて、澄み切っている。
こんなに、シンプルだ。

死に近い心の動きだろう。



死。



多量の情報の一斉消去。



失うことは、悲しいことなのだろうか。

誰かを失うってことは、その誰かから得られるだろう情報を喪失してしまうこと。
もう二度と得られない、固有情報。
その、悲しみなのだろうか。

だから、悲しい。

それが、死。
それは、喪失。




複雑になろうとしているけど、結局は単純なんだ。
人間というのは。




そう、心地いい場所だった。
その場所は。














「五時方向に敵機」
抑揚ない声が、操縦室に流れ込む。

わかってる。

返事はしなかった。
手足を動かすより容易い。
それだけ体に馴染んだということだ。

皮肉にも。
望まないままにも。

銃口がポイントを掴む。


「反応速度が鈍っているようね」
憎いぐらい抑揚の無い声が狭い空間に響いた。

ロックオン。
トリガーを引く。
目標消滅。


「次、来るわよ」


続いて、九時方向からポイントが接近中。
三機いる。
イエローポイントが、射程範囲内に入りレッドに変わる。

トリガーを引く度に、機体に振動が走る。
銃弾の破線が、消失点に向って延びる。

正面より狙い撃って一機目。
左に反れた次の機体に食いつくようにして横からキャノピーを狙う、二機目。

最後の一機は。
高度を上げて、ロックを振り切った。
二度、正面に捕らえる。
またもや振り切ろうと足掻くが、三度目はない。
進路を予測し、右方向に向って掃射。
三機目を撃墜した。


更に右方向より接近。
ポイントイエロー。

機体を転じて、素早く銃口を向ける。
こちらは二機。

だが。
同時に、左後方より接近する熱源あり。
警戒空域に侵入。
ポイントが黄色く点滅した。
囲まれた。

どちらも、射程範囲外だ。
空域内に侵入を待っていては背後から狙い撃ちされる。

体を後方の敵に向ける。
敵機に接近。
ポイントレッド。
鳴り響く警告音。
敵の左を取った瞬間、連射。

ほぼ同時に先ほど背後を取ろうとした敵は三機とも空中分解した。
振り返って、構える。
先ほど残した敵はまだ、片付いていない。

長距離用の火気ではない。
明らかに射程範囲外だ。

敵が散開する。
二機が二方向より接近してきている。

射程範囲内に掛かると同時に一機、撃破。
警告音が耳に痛い。
敵機の速度は速い。

ロックオンされた。




消滅する、点。

点滅していた点は、灯りが消えた。
鳴り響いていた警告音が、沈黙した。




撃沈。





「訓練終了。ハッチ、開放します」
先ほどの女声音とは違う、高い声とともに操縦席の上部が開いた。

蓋が開く。
光が流れ込んできた。

「まるで棺桶だな」
「あなた、『言霊』って言う言葉を知ってる?」
人工の白い光とともに、生の声が蓋の隙間から聞こえてくる。
逆光で長い髪のシルエットが浮かび上がっている。

この密閉空間。
死に近い言葉を口にしようとしまいと、ここで人生最後の瞬間を迎える確立は高い。

「純粋な感想を述べただけだよ」
「士気の欠落は死を招く」
完全に開いた上部のハッチから手が伸びてきた。
その手に軽く手を乗せ、操縦席から飛び出した。

「二十五機撃破。前回より十二ポイントアップ。おめでとうと言いたいところだけど」
不満気に眉毛を潜め、見下ろす。

「内容に問題点がいくつか。結果は画面で説明した方が早いでしょう」
長く茶色い髪を掻き揚げた。
この血生臭い場所で、彼女が唯一女であろうとする最後の砦、みたいなものだ。
髪を切らない理由を聞いたとき、一度話してくれたことがあった。




「瑛南(エイナ)、そちらに行くわ。準備して」
彼女が左上を振り仰いだ。
手を上げての合図に、上階ガラス張りの部屋から瑛南が同じように手を振って応じた。
挙げた手を、落とすように下げて振り返った。

「十分休憩。その後反省会をします」
「そのまま上に上がればいい」
休む必要などない。
体はそれほど疲れていないのだから。
ヘルメットを軽く捻るようにして外すと、爽やかな外気が髪の中に入ってきた。

「いいから、十分経ったら地下四階まで上がってらっしゃい」
そう言って彼女は水の入ったボトルを突き出した。
気持ちいいほどきれいに背筋の伸びた背中を、エレベーターの扉の向こうへ消えるまで見送っていた。
渡されたボトルのキャップを片手で開けて、冷えた水を口の中に流し込んだ。

喉が渇いていたみたいだ。
冷たい水が、舌に染み込んでいく。






パネルを指先で叩き、今日二度目になる分析室への扉を潜った。
祭香(サイカ)が書類を片手に振り向いた。

「時間に正確ね。こちらの椅子へ」
部屋にいたのは、先ほどエレベーターで先に部屋に行った祭香(サイカ)と画面の前に座っている瑛南(エイナ)の二人だけだった。
残りの人間は奥の部屋で白服に包まれてデータ分析を進めているのだろう。
人間の脈のように絶え間なく、機械の唸る音が聞こえる。

「瑛南、始めて」
「今日の単独訓練の映像です。画面左半分がレーダーでの画像」
機体の画面に映っていた画像に似ている。
中央が操縦していた機体。
現在画面右上で頭だけを出して静止している、下向き矢印が敵機を表している。

「右半分が立体映像です」
滑らかな曲線、鈍い銀色をした機体の一部が鳥瞰図で映されている。
これも今は、静止していた。

瑛南の人差し指がキーボードに触れた。
息を止めていた動画が、動き始める。

機体が左へ傾斜する。
画面の下部から黒い銃身が覗く。

画面は下降し、機体の背後に回った。
銃から見た視点が映し出された。

光の破線が奥へ伸びる。
三秒。
体勢を整えて、今度は五秒間連射する。

「二機撃沈」
瑛南の声のすぐ後に、画面が大きく動いた。
機体が水平に反転し、映像は一端遠くに引いた。
中央に機体を捕らえ、全体図が見渡せる。

敵機は画面の端にも現れていない。
機体が速度を上げた。

瑛南は計器と各画面に目を走らせながら、解説を続けている。
祭香は左の動く黄色いポイントを追っていた。
赤になる間際で、消滅する。
それまで消えていった点は、二十を数えていた。

「ポイント消滅。順調だったわ。ここまではね」
祭香の指摘したい箇所は、想像が付く。
訓練室での操縦では、祭香が納得しない。
それは、分かっていた。

「ここよ。瑛南、画像を止めて」
言い終わらない内に、瑛南の指が動いた。

「東から二機接近してきている。それを保留にし、北西の三機を撃とうとした」
「数も北西の方が一機多い。先に潰しておく方がいいだろう」
「接近し過ぎだわ。お陰で背中を向けた敵に時間を与えてしまった」
散開した二機は、こちらの機体を回り込んで撃とうとしていた。

「敵機を確認した位置か、少し北へ移動して網に掛かった瞬間に撃破する方がリスクは少ない」
最初、東の二機を削っておいて、振り返って残りの三機。

「敵機の性能を確認した?」
画面で、コードは記されていた。
目に入らないはずはない。

「東の二機が最新型。速度も装備も一段上だった。それを先に削っておくべきだったのでは」
「あなたが正しい。祭香」
思い返してみる。
なぜ、北へ進路を取らなかったのか。
明確な答えは出せない。

「そうすれば、敵にロックされずに済んだ。有効射程範囲はこちらの方が上よ」
「ああ。そうだな」
「調子が悪いようね」
答えなかった。
頭痛がするわけではない。
気分が悪いわけでもない。
説明するに十分な理由を持ち合わせていないだけだ。

「メディカルチェックを受けてきなさい。こちらから医務局には申請しておきます」
「必要ない」
瑛南が、二人のやり取りを真ん中に座って聞いていた。
目が、祭香に次の指示を求めている。
その視線に祭香がようやく気付いた。

「今言及すべき問題点は以上よ。今回行われた訓練の詳細については、データを手元に送っておくわ。復習しておくことね」
祭香が計器の張り付いた制御台に片腕を置いて、椅子を反転させた。

「後、機体を調整しておきなさい。今日は、実際に動かしてみるから」
瑛南もこちらを向いた。

「秋日(アキヒ)、もうドックに入ったって」
瑛南が大きな目で見上げた。

「ずいぶん気が早いこと」
半ば呆れて、祭香が息を吐いた。
与えられた休憩時間を惜しむこともしない。
機体が好きで仕方が無い。
そういった奴だ。
秋日というのは。

祭香の解散との合図で、三人はそれぞれ別行動に入った。








空になった水のボトルを目の前のボックスに投げ込んで、休憩室に向った。
渋々入った医務局でのチェックは手際がよかった。
休むつもりはないが、背にした医務室から一番近い自販機はそこしかない。

整備士が二人、作業着のままで長椅子のところにいた。
片手にパンを握っている男は、椅子の上で話すこと、食べることに口が忙しい。
もう一人は話に付き合いながら、立ったままコーヒーを口に少しずつ運んでいる。
その側を通り抜け、五台仲良く並ぶ自販機の真ん中の前に立った。

「なあ、新しい機体がもうすぐ来るってよ。聞いたか?」
二人で話しているにしては声が大きい。
こちらに話しかけているのだろうかと、できあがったばかりの飲み物を取り出しながら、肩越しに後ろを伺った。
パンを半分まで消費した男が、まるで松明をかざすように食べ物をこちらに押し出した。
話しかけるのなら正面に回って来い。
とは、思っても言わなかった。
無駄に絡む必要もないから。

「直接は聞いてない」
レポートもこちらに上がってきてはいない。

「んじゃ、まだ先なのかな、それとも」
男の目が天井の升目をなぞる。
先を聞かないまま、休憩室を出た。
ドックに足を向ける。
他に寄る場所は、もうない。








白いトンネルのような通路は、空調が常に稼動している。
トレーニングをしない限り、汗はかかないし、快適だ。
この施設に来る前は、空調が唸りを上げているような場所にいたことがあるので、恵まれた環境との差異がよく見える。
その頃は、落ちそうな旧式航空機のエンジン音が薄い鋼板の屋根を揺らしていたのを覚えている。
取り立てて人間関係に絆を築いた覚えはなかったけれど、施設には多少なりとも思い入れがあったのかもしれない。
砂埃と鉄の焼けた匂いは今でも思い出せる。
それを懐かしいと表現するのだろうか。
だとしても、否定はしない。

上司に別離の敬礼をした手の下で、半年後には修復されると聞いた鋼板屋根の小屋を最後に見ていた。
それからは似たような施設を二ヵ所移動した。
同じように、戦闘機を操縦していた。
空は好きだった。
体が崩れてしまうほど掛かる重力も、苦しかったけれど今は懐かしい。

実戦も何度となく経験した。
それが評価されて異動もした。
そして今、ここにいる。
なぜだ。

最新の機体を与えられて。






開ききった鉄扉のレールを跨いだ。
奥では既に整備班が入っている。
シミュレーションで動かした模擬機体のオリジナルが、ここで息を潜めている。
瑛南(エイナ)の言っていた、秋日(アキヒ)はその近くにいるだろう。
秋日はその、オリジナル付きの整備士だ。

ドックに収容されている機体は、一機だけ。
リフトで二階に上がった。

腕を組み、壁を背中に預けている作業員が一名。
すぐに秋日だとわかった。

扉が滑る音がした。
靴底が鉄の床を叩いている。
こちらに気付いているはずなのに、顔は横を向け機体を眺めたままだ。

「仲間ができるそうだな。よかったじゃないか」
「さあ。知らない」
「知らないってことはないだろう」
噂は広まっている、か。
だけど、聞いていない話の詳細を語ることなんてできない。

「硅(ケイ)。うれしくないのか」
「会ってもいない人間なのに、うれしいも楽しいもないと思うけど」
「ほんとに全然知らないのか」
知らないと言っているのに。

「戦闘のパフォーマンスが上がるという点では喜べるのかもしれない」
「それ以外には?」
「それ以外って」
「一人で戦ってきただろう? 今まで。寂しかっただとか、心強くなるとかってないのか」
寂しい?

「必要な人間は、周りにいたから。思ったことはない」
場所が変わり、戦い方も変わった。
機体も、上官も。
それでも変わらず整備士はいるし、敵も消えない。

「今度のパイロット、年はお前と近いらしい。仲良くなれるといいな」
「秋日は中身より、先に来る外殻の方が気になるんじゃないの」
「まあ、正直いうと、そうかな」
「秋日らしい」
口元が緩んだ。
機械オタクな、秋日らしい。

「友達になるには、第一印象が大切なんだ。笑顔だぞ、硅」
指先で自分の口の端を引き上げながら、真剣な目で熱く語る。

「そこまで深く付き合うつもりはない」
「でもフォーメーション組むんだろ。仲良くなってるほうがいい」
コミュニケーションは大切だ。
それは、そう思う。
互いが互いの動きを意識せず自分の戦い方をしたら、効率は悪くなる。
そんなのは想像できる。

「仕事でここにいるんだ。私情をそこに挟んだりしない。それに」
小さくため息をつく。
勢いでここまで言ってしまったが、秋日の前であまり言いたくない。

「何だよ」
「私は、これに好きで乗ってるわけじゃない」
睨み上げたのは、秋日に対してじゃない。
視線を、機体に向けた。
直立する、巨大な機体。
今は息を静めて大人しくドックに収まっているが、これだって大した兵器だ。

秋日の反応を、気配で探る。
怒鳴られるか、殴られるか。
だが、そのどちらでもなかった。

「失礼な。これ、じゃないだろ」
呆れた口調で、やんわりと反撃してくる。

「対地対空人型兵器、火駆(ほかけ)」
「改めて言われなくても」
「愛がないんだよな。専用機の癖に」
愛、だと。
自分が平均値だと思いこんでる。
きっと頭の中では、このフォルムを愛しく思わない人間なんていないんだって思っているに違いない。

「道具であって、それ以上じゃない」
「だけど、硅を守る服だ」
もうちょっと愛を注いでやってもいいんじゃないか。
不満げな表情を引きずって、火駆を見上げた。

ドッグの四層目から肩。
五層目から顔が飛び出している。




「中を見たい」
「いいですとも、お姫様」
秋日が言い切ってから睨みつけると、しまったという顔をして両手を小さく上げていた。


過去、秋日と会って少しして、私に対してその単語を使ったことがある。
そのときは間髪置かず、私は秋日の頬を殴り飛ばした。
平手なんて上品なものじゃない。
堅く結んだ拳でだ。
不意を打たれたのと、下から繰り出された私の力で吹き飛んだ縦に大きな体。
その時の頬の痛みを思い出したのだろう。


現場は、今いるドッグの第一層の床だった。
仲間の整備士に両腕を取られていなかったら、転がった秋日の襟元を引き上げて追撃していたところだ。


何を言われた。
何を言った。
どちらが悪い。
悪くない。
いろいろ質問されたが私は黙秘を貫いたし、秋日は何が私を怒らせたのか、はぐらかしつつ他人には漏らさなかった。

小さな会議室の椅子の上で、芸術的と形容される長い脚を組んでいた祭香が、その脚を解いた。

「もういいわ」
祭香の一言が飛んだ。

このようなつまらないことで時間を割いていても仕方ないでしょう。
騒ぎを起こすことは控えると反省しただろうし、私も疲れたわ。
さっさと終わりにして、それぞれ仕事に戻った方が効率がいいでしょう。
それが、祭香の言葉の後に省略されていた。

「二人は異存ない?」
「ありません」
声を揃えて即答した。

「よし。解散」



廊下に並んで出て、扉が背中で閉まった。
とても疲れた。
注意を受けている間、早く終わらないかという言葉だけ頭の中を回っていた。

談話室のソファが見える。
そこだけ温かい光が灯る。
そんな時間か。
そういえば、お腹が空いた。
一端部屋に帰って服を着替えて。
そう考えつつ談話室を通り過ぎようとしたとき。

「待て」
秋日が制止した。
反射的に脚を止めてしまったので、秋日の言葉に従うしかなくなった。

「二十秒、な」
何をする気だ。
靴を元気に鳴らせて、自動販売機まで飛んでいった。

二十秒。
ぼんやりする頭で、カウントした。

二八秒。
秋日が戻ってきた。
八秒オーバーだぞ。
彼は両手にカップを抱えている。

「熱い!」
取れって意味か。
差し出されたカップを指先で受け取った。
中身は、ミルクコーヒー。

「お詫び。吹っかけたのは、俺だもんな」
慎重に口をつけた。
甘いコーヒーが口の中に流れ込む。

「いや。私も大人気なかった、と思う」
いきなり手を出したのは、いくら何でもやり過ぎだ。

「まだ、子どもだろ」
睨み上げた。
だが生憎、利き手はコーヒーで埋まってしまっている。
嵌められたか?
目の前で秋日が歯を見せてにやっと笑っていた。






「そうか脚があったんだ」
コックピットの中で、作業の手を動かしながら呟いた。

ハッチの横にへばり付いていた秋日がこちらに顔を向ける。

「何? 脚部に問題でも?」
「独り言」
「珍しいな」
「動かしていい?」
「分かった。用意できたら知らせるから」

例えば、ドックに転がっているレンチ。
祭香のコーヒーを入れるカップ。
いつも肘をついている机。
着古して汚れた作業服。
放り出された手袋。

それに愛情を注げるか?
道具は道具だ。
無ければ困る。
だけど、その機能に見合う代替物があれば困ることは無い。

この火駆(ほかけ)も同じことだ。



「それに私は、空の方が好きだった」
火駆の機動力に不満があるわけじゃない。
スピードがあり切り返しは早いが、安定性に欠ける。
癖に慣れるまで、何度も機体を横転させた。
施設内の器物を壊したこともある。
だが、一週間でほぼすべての癖を把握した。
翌週には実戦使用に至った。
人間の適応力というやつだ。


機械のモーター音で振動する。
第二層、三層、四層、五層と床が左右に割れていく。
同時に、両端から機体を固定していた幾つもの拘束具が壁に引っ込んでいった。

完全にモーター音が停止したとき、無線通信を通して秋日の声がした。
閉ざされたドックの壁が裂けていく。
リフトに固定された火駆が前に滑り出していく。
一端停止した後、リフトはゆっくりと機体を上へ押し出していく。
頭上で左右に開いた鉄壁に、頭を突っ込んだ。

目の前に広がったのは、巨大な演習室だ。
何度も目にして焼きついた、灰色で四角い無機質な部屋だった。

慎重に上へ押し出されていくにつれ、視界が広がっていく。
肩、腕、脚が徐々に穴を抜ける。

軽い振動が伝わり、リフトが停止した。
リフトと機体を固定していた最終拘束具が解放される。

「よし、いいぞ」
秋日の声だ。
間接を伸ばし、手でリフトを押して地面に脚を下ろす。
シミュレーターでの起動訓練を終え、機体のバランスが取れず、前に大きく倒れたのを覚えている。
機体の調整も試行錯誤だったし、操縦者の技術も実戦に当たっていない未熟さが出た。

二足歩行の汎用兵器の歴史は浅い。
そもそも歴史なんて呼べるほど時間も技術も積み重ねてなんていない。

そのできて間もない兵器の地面を固めるべく、パイロットが選出された。

「望まないながら、私も」
直立した演習室の中、あるのは火駆一機だけ。




「起動試験を開始します」
画面上部に、女性の顔が現れる。

「私が通信担当です。個人識別コードその他は画面上のデータをご参照下さい」
識別コードの下に漢字が並ぶ。
彼女の名だ。
起動試験の時に、よく当たる。
歯切れのいい、的確な指示で動きやすい発声だ。

「〇三三〇時、哨戒機が識別コード不明の機体による、領空境界の飛行を確認」
画面上を流れる文字を、オペレーターが読み上げていく。

停止警告及び威嚇射撃を行ったが、空域内に侵攻。
警戒レベルを引き上げる。

再度、所属の提示を求めるも応じず、敵機が攻撃態勢に入り戦闘が開始。
沿岸基地より戦闘機三機が出撃。

「〇三四五時、本基地へ出撃要請が出される」
戦闘機二機と火駆の出撃を求めてきた。

「装備は」
「N四二二ライフルです。武器補充ポイントを表示します」
ポイントは二つ。

「以上です。ミッションに移行してください」




数秒間の沈黙。
目蓋をゆっくりと持ち上げるように、広がって明らかになってきた世界は、蒼だった。


海だ。


だが見蕩れている時間は無い。
レーダーで敵位置を確認し、海を前に捕らえバックステップで岩棚を飛び上がる。

早速一機、挑んできた。
背中を岩に押し付け、銃口を敵機の腹に向ける。

相手の銃弾が火駆の周りの岩を削る。
体勢が不安定だ。
今、この状況で敵機を落とせるとは思わない。

ちらちらと頭上の崖の端から姿を見せては、小雨のように銃弾を降らせていく。
このままじっとしてたら、格好の餌になってしまう。

慎重に。
火駆の指が、ライフルのトリガーに集中する。

左上から現れた。
すぐさま銃口を敵機の腹に固定し、撃つ。

掠った。
まとわり付く蝿を払った隙に、台地にまで上る。

足を開き、ライフルを改めて構える。
撃ち漏らしたさっきの敵機を追撃した。
弾丸は、敵機の腹部に命中。
煙を噴き上げつつ、海に落ちていく。
完全に水に飲まれるまで見届けはしなかった。

「次」
こちらから出向いていかなくても、赤の混じる塗装といい、巨体といい、敵の目に付きやすい。
獲物に集る獣のように、匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。

「来た来た」
集中して。
歯を噛み締め、目を見開いた。

放たれた銃弾はごく緩やかな放物線を描き、相手の羽をもいでいった。

「三機目は」
後ろだ。
体を反転させ、海を背にライフルを構えた。

狙ったのは機体胴体だが、体を捻りながら降下しつつ連射してくる敵機を掴みきれない。
銃口は相手の動きに振り回されている。

これだから、人型兵器っていうのは。
機体が重くて仕方が無い。
身軽に戦闘機を乗り回していた過去と、今とは違う。
機体も、戦い方も。

速さで勝てないのならば。

なかなか仕留められない三機目に弾丸を消費しつつ、敵機が回避した隙を突いて緩やかな崖の側面を滑り降りた。
機体を垂直に保ち、左手で崖を引っ掻きながら、崖縁より遠くへ体を流していく。

ポイントAは。
距離、二五〇メートル。

「見えた」

黒い輸送機が停まっている。
岩陰に隠れるようにしているが、画面上に示された武器補充ポイントと重なる。

傾斜が更に緩やかになったところで機体を走らせた。

「ポイントAと接触する」
「了解」
背後から、ロックオンされた警告音。

銃を斜め上に持ち上げた。
砂を巻き上げ岩を砕いて緊急停止すると、コンマ数秒で体勢を固定させる。

敵機から銃弾の雨が降る。
その前に、火駆の手が反動で揺れた。

「左翼を削ったか」
バランスを崩した敵機を追わず、ポイントを目指した。

黒い輸送機に滑り込むように駆け込み、武器を手にした。
すぐに輸送機から離れる。

点滅しつつ接近する機体が一機。
左。

「まだ生きてたのか」
左翼に傷を負っている。

「三機目だ」
声と同時に、手にしたばかりの武器を振った。
武器が敵機に叩きつけられる。
完全に羽を落とされ、傾斜して降下する機体を上からもう一太刀浴びせる。
分断され破片となって機体は崖に墜落していった。


「速さがだめなら、力だろう」
火駆は剣先を地面に下ろした。

火駆は、近接攻撃で最大限に威力を発揮する。
崖下から吹き上がった爆発音と炎が、火駆の機体を紅く焼いた。



「状況は」
画面の配置を見てもおおよそ想像が付くけれど。

「海上で敵戦闘機六機となお交戦中」
僚機は海上に二機が出撃している。

「私もそっちに」
言いかけて、画面上の違和感に気付いた。

「輸送機をこちらに回して」
「崖を降りれば、敵機を射程範囲に捕捉できます」
間近にあるポイントAで、手にしている近接武器からライフルに再装備すれば僚機を応援できる。
だが従うつもりはない。

「一端沿岸部の基地で待機する」
「説明を」
「敵機が一機、沿岸基地に向った可能性がある」
「敵機は捕捉できていません」
「輸送機を」
粘り勝ちだ。
敵戦闘機が一機墜落するのを画面の端で確認した。
僚機も粘っている。
戦況は厳しいかもしれないけれど、持ち堪えられるだろう。
同時に輸送機が大きな羽を広げて緩やかに降下してくる。

火駆の腕を持ち上げ、輸送機の下部に食いついた。



「火駆を生み出した国だ。戦闘機だって弱くない」
処理できるはずだ。
数分も経たないうちに、海上にいた敵機三機目撃墜の一報が入る。

「まもなく基地上空です」
「基地の外側に降下する」
「了解」
徐々に地面が近づいていき、火駆の全長半分の高度で両手を離した。

「戦闘機、なお確認できません」
「そろそろだ」
画面の端で、瞬くほどの反応があった。
実際に交戦した経験はなく、知識のみでの判断となるが。

「基地北東に反応。敵戦闘機一機です」
オペレーターの声が飛ぶ。
巡回機が撃墜に当たるが。

「近いな」
レーダーが捕捉できなかった。
しかも北東山間部を抜けての登場だ。

「こちらも捕捉。迎撃体勢を取る」
二機目だ。

対する僚機は、戦闘機三機を基地から放した。
火駆はライフル装備で待機。
構えたまま、銃口は交戦中の方角を向いている。

「火駆、九時方向より敵機」
ライフルの銃口を素早く向けるが、敵機が近すぎて定まらない。
ミサイルが飛んでくる。

「左腕被弾」
機体が大きく揺さぶられた。
ライフルから手を放し、地面に刺してあったブレードを拾い上げる。

追撃を仕掛けようと黒い機体を反転させた敵機に、下から上へブレードを跳ね上げた。
機首を潰し、浮いた機体に振り上げたブレードで地面に叩きつけた。
硬い外装を抉り突き抜け、機体は分断された。
機体とブレードのぶつかる音は、爆発音にかき消された。


「敵機全機撃破。周辺空域、引き続き警戒中」
「まさか、もういないだろうな」
「火駆はポイント二五で待機してください」
機体の被害状況を確認した。
対地ミサイルで左腕が損傷軽微。
以上。

「硬いよな」



再び、オペレーターの高い声がコックピットに届いた。
「ミッション終了」
「ようやく」
「お疲れ様でした」



画面が白濁する。

次に映ったのは、仮想空間ではなく、現実の灰色の箱。
四角い部屋の中に火駆が。
その中に私がいた。


大きな三角が赤線で引かれている。
枠の中まで火駆を動かしていった。

リフトが演習室に戻ってくる。
腕を固定され、続いて両足を拘束される。

こうしてぼうっとコックピットに座っていればいいだけだ。

機内の全画面が暗転する。

数秒間。
沈黙の瞬間。
外界と絶たれる瞬間。
火駆の息が止まる瞬間。

「静かだ」

火駆の振動も、音声もすべてが遮断された空間。
一人だけの場所だ。


閉ざした目蓋の向こう側に光が差したのに気付いて、重い目を開いた。

音が漏れ入ってくる。


シートの両脇を押して、体を持ち上げた。
ここからが本当のお仕事っていうやつだ。

作戦会議。
反省会。
分析会議。

いろいろな呼び方があるが。

「どちらにしろ怒られるのは変わりない」
ハッチを全開にし、火駆から滑り出した。






「祭香(サイカ)」
「お疲れ様。何か飲む?」
「水でいい」
「それで」
「それで、って」
聞きたいことはいろいろあるが、まずは分析会議だろうが。

「とりあえず、シャワー浴びてきたら?」
これでも上司なのか。
最初にあったときから、今までの上官のイメージとは画していた。

クーラーボックスに入っていたボトルを、祭香から受け取った。

「行ってくる」
「帰って来るまでに考えまとめときなさいね」
「はい、はい」




誰もいないシャワー室は、いつも通り髪の毛一本として落ちていない。
素晴らしい清潔さだ。
一体どんな几帳面な人間が清掃担当なんだろう。

冷たいタイルを裸足で踏みしめて、シャワールームのボックスに入った。

頭から熱い水を被る。
目を瞑るとさっき繰り広げた戦闘風景が、目蓋の下で回る。

汗で服が湿っていた。
それほど緊張していたということか。
湯で疲れと汗が溶けて流され、気分が少し浮上した。

流石に鼻歌交じりでシャワー室を出るということは無かったが、幾分すっきりした頭で談話室の椅子で休憩していた。

「風邪引くぞ」
「頭を整理中」
「髪の毛、まだ乾いてないだろ」
「そのうちに乾く」
「空調利いてるんだから」
「寒くない」
「悩みごとか」
一人で談話室の椅子に凭れかかってたら、そう見えるんだろう。

「違う」
「風邪、もう引いてるんじゃないのか」
「メディカルチェックは受けてる」
「これから、会議か」
会議といっては聞こえが良すぎる。
私に発言権はほとんど無いに等しい。

「祭香は悪い人間じゃないぞ」
「悪いとは思ってないよ」
「まあ、戦闘に対しては細かいといえば、そうかな」
「それも、プロフェッショナルなんだろう」
すべきこと、公私の住み分けはうまい。
割り切れるというか。
非効率とリスクを計算して回避する。
危機管理能力に優れているんだろう。
逆に、はっきりしすぎた性格が、敵を作ることが多いみたいだけど。

彼女は、孤独な女なのかもしれない。
孤独で、戦う女。

重い腰を上げた。
エレベーターは廊下の向こうだ。
エレベータールームまでの直線距離が妙に長く感じる。

もちろん、錯覚だけど。






会議室の扉を開けたときには、濡れた髪は半分以上水分が飛んでいた。
館内の空調、空気が乾き過ぎている。
そういえば、目が乾くのは空調のせいだと瑛南がぼやいていた。

「どう、質問事項は整理できたかしら」
座りなさいと、椅子を左手で引いた。

「起動試験で登場した新しい機体」
「ステルス機」
「そう」
レーダーに反応しにくい構造をした機体だ。

「常に可能性の最大範囲を想定して動く」
確かに、祭香が根拠の無い非生産的な戦闘訓練を行ったことは一度としてない。

「敵国のステルス機製造技術が進歩を見せているから、今回導入したの」
「突然現れた」
「実際に見たことはなかったわね」
見たことも、触れたことも、戦ったこともない。

「見たことはなくても、構造は勉強したはずだわ」
頷いたが、祭香は周りの六人を見回して説明を続けた。

レーダーは電波を発し、跳ね返ってきた電波を受信して物体を認識する。
向ってきた電波を上手く返さないようにした機体表面の構造が、ステルス機の特徴の一つだ。

「電波を拡散させるために凹凸を減らした異質な形。それがステルス機」
他に特徴は?
祭香の目が、こちらに飛んだ。

「塗装だろう」
「教科書通りね」
形を変えただけでは、電波を避けられない。
重要なのは、表面に施された塗装だ。

「電波吸収素材の進化がもたらす、ステルス性能の向上。それが今私たちが懸念してる問題よ」
「限界があるだろう」
「完全に消えてしまうことはないでしょうけど」
そこにある、物体だ。
認識できないはずはない。

「ただ以前と比較して、この機体はレーダーが探知しにくくなったわ」
「言いたいのは、その機体が戦闘機だったってことだ」
「機体自体に構造上の制約があって、空中戦には向いていないから?」
隠れて爆弾を投下するための機体だ。
多くの火力を搭載でき、かつ機動力に飛んだ戦闘機との空中戦には不向きだ。

「今回はあくまでシミュレーションの舞台での戦闘だったけど、今後あり得るケースよ」
対地ミサイルを搭載した攻撃機ではなく、空中戦仕様になっていた。
レーダーサイトを避けた航路を取ってきたとはいえ、探知するのが遅すぎた。
突如現れ、攻撃してくる。
振り向いたらそこにいたなどと。

「こちら側の目下の対策としては、レーダー探知技術の向上だけど」
祭香が腕を組んで、椅子の背に凭れた。

「機動力があり、圧倒的な火力がある火駆(ほかけ)に重きを置いているのも事実なのよ」
祭香が体を前に倒し、長机に置いてあった端末に顔を寄せた。

「瑛南(えいな)。データはまとまったかしら」
「ええ」
「では五分後に会議室へ」
「了解です」








思ったほどには祭香に突付かれなかった。
二、三箇所、行動について指摘されたが、戦闘内容はほぼ及第点だったようだ。
それ以上は何も言われなかった。

エレベーターで最下層へのボタンを押した。
両開きに扉が開くと、硬質な廊下が味気なく続く。

地下深くに埋まってしまっているため、窓一つない。
救いは、大人五人が並んで歩けるほど横幅を広く取られた廊下だった。

それも、白い蛍光灯で冷たく見える。
壁や床に、脈打つほどの生温かさを求めてはいないけれど、ここの空気は清浄過ぎる。

戦闘機に乗っていたときの油臭さが、少し懐かしい。


ここに来たばかりのとき、同じような廊下が格子状に走っていて、今自分がどのブロックにいるのかわからなかったことがある。

もちろん、今では壁の端に埋まっている小さな指示プレートを追わなくても目的地に辿り着ける。






祭香(サイカ)の話の要点を摘み上げると、戦術を変えなければならないということだった。
具体的にどうするといった話はでてこなかったが、祭香の脳内には渦巻く何かがありそうだ。

いつものように「解散」の歯切れいい一言で幕は強引に下ろされた。
祭香は、さっさと行きなさいと手を振って退室を促したが自分は会議室の机に肘を置きながら動く様子は無かった。



「終わったのか」
声を掛けられて振り向いた。
廊下には私の前に人は無く、振り向いた後ろには作業着姿の男がいた。
顎には無精髭が散っている。
名前は、忘れてしまった。

「まあ、ね」
「さっきの起動試験」
見てたんだ。
ああ、そういえば大きなスクリーンに映し出されるとか何とかって、瑛南(エイナ)が言ってた気がする。

「やっぱ銃器より、近接武器のが合ってるんじゃないか」
「使いこなせてないだけかも」
慣れてきたとはいえ、まだ体に馴染む感じはしない。

「違和感があったら、専属技師に言えよ」
火駆の主任技師は五人。
秋日(アキヒ)はそのうちの一人に付いている。
副主任にして、最年少の専属メカニックだ。

主任技師たちは自分たちをドクターと呼ぶ。
博士、研究者、そして火駆の主治医を自負しているから。

「じいさんたちは、休憩室で光合成を兼ねた打ち合わせ中」
プログラマーの二人は、白髪混じりの中年紳士と白髪の老人だった。
人手が足りないわけでは決してない。
彼らの下には、彼ら曰く「弟子」が控えているが、今のところ老人たちを凌ぐ経験と技術と知識を持つ者はいないだけだ。

老人が火駆のベースを築き、中年博士が発展させた。
そう、聞いている。

「秋日ならドックにいたぞ」
「そう」
「左手、反応速度鈍かったんだろ」
「分かる?」
「やっぱり、断然近接攻撃だって」
「偏ってられる状況じゃないでしょうが」
好き嫌い、得意不得意を言っていてはすぐに消される。
とにかく汎用ヒト形兵器ってのは、火駆一機だけなんだから。
今、ここにあるのは。

「ま、とにかく行ってこいよ。さて、と。俺も仕事に戻んなきゃな」
両腕を天井に向けて大きく伸びをすると、反対側のエレベーターホールに向っていった。




ZN-NTF〇〇、火駆(ほかけ)。
紅いフレームの機体は、眠っているようにドックで沈黙している。

いつも乗っている機体をこうして下からじっくり見上げるのは、何だか不思議な感じだ。
そのまま多分数分間、直立したまま眺めていた。
時計を見ていないし、カウントもしていない。
意識していない時間の流れを思い返しても、はっきりと掴めるはずもなくて。

秋日(アキヒ)に声を掛けられて、顔を動かした。
首がぎしぎし音を立てるように痛む。
結構な時間、斜め上に視点を固定していたようだ。

「もっと早くに様子見に来いよ」
作業服は洗われることがないのだろうかと思うほど汚れていた。
オイルの匂いが染み付いている。

「自分の機体だろ?」
「今のところはね」
いつ、中身が変わるかわからない。
すべて祭香(サイカ)かそれより上の人間次第というわけだ。

「愛がないなぁ」
気にならないものかね? と秋日が手を当てた腰を曲げて、覗き込んできた。

「これって兵器。生きて息をしてるわけじゃない」
「じゃあさ、生きて息をしてたら愛せるって訳か?」
言われて、少し考えた。
微妙な間を空けてしまってから、即答しなかった自分を恨んだ。

「気持ち悪い。道具が脈打ったりするわけないだろ」
だれがそんなのに乗るか。

「例えだよ。何回もシミュレーションやら起動訓練やら実戦やらで付き合ってるのに、どうして仲良くなれないんだ」
「いい加減、機械を擬人化するのやめたら」
「やってるのは、相性の話」
「そうは聞こえないね」
「人間も機械も、相互理解が必要ってこと」
これ以上その分野で議論していても終わらない。

「左手の調整」
諦めて本題に入った。

「ああ、そうそれ。聞かなきゃなあと思ってた」
「ちょっと動きが鈍くなってる気がして。他は悪くないんだけど」
「うん、そうだろうと思ってた」
「右と同じくらいに調整してくれるか」
「そうだな、そろそろかな」
何か言葉に裏がある話し方をするわりに、隠していることを表に出さない。

「で、何なの」
「つまりだな、左の感覚が鋭くなってきたってこと」
利き手側は使い慣れているせいか、反応が早い。
逆に左は右に比べて反応速度が若干低く出ていた。
「左腕の機体性能が鈍く感じ始めたのは、それに気付くほど感覚が育ったってことだ」
それだけ、私の体が火駆に馴染んできたってことか。

「硅(ケイ)の体に合わせて機体の方を弄ってきた。成長するんだよ、肉体と同じく感覚も」


「祭香(サイカ)が何を考えているのか分からない」
「何か言われたか?」
「何も言われないから分からない」
祭香はぎりぎりまで何も言わない。
口調は親しみを持てるかもしれないけれど、実際はやっぱり上官だ。
馴れようとはしない。
秋日(アキヒ)とも何だか付き合い方が違う。

馴れ合おうとは思わないけど。
何て言うか、上手く表現できない。

「やっぱり気になってるんじゃないか」
一体何を気にしてるって言うのか。
秋日、主語が無いから分からない。
聞き返すのも面倒で、そのまま黙っていた。

「戦術、それに新しいパイロット」
「別に。私はやれと言われたことをするだけだし、パイロットだって」
「でも関係してくるだろ、自分に」
そうだけど。
そうかもしれないけど。
無関係って言ったら嘘になる。
でも、それは任務の上でのこと。
それ以外は、関係ない。
それ、以外。
与えられたもの以外に、何が?
私に、何が。

複雑に混線してきた糸を、乱暴に振り払った。

「とにかく、来るものは来るし、来ないものは来ない。それだけ。終わり」
「そう?」
「ところで、左腕の調整」
「じいさんたちとも相談しなきゃな」
システムの老人たちは、まだ休憩時間だ。

「そうだな、あと一時間くらいで下りて来るだろ。それから仕事にかかろう」
秋日は腕時計から目を離した。

「訓練室に行くのか?」
「一端部屋に戻ってからね」
「祭香に休めって言われなかったか?」
「祭香には言われたけど、医務室では何も」
「休んどけ」
「平気。後で」
ため息をつく秋日を振り返ることなくドックを出た。


自室に戻って愛想の無い灰色の机に目をやった。
端末の端についているランプが黄色で点滅している。

「伝言?」
室内の電灯をオンにしないまま、机に向った。
端末の電源を入れ、スリープから目覚めさせる。
五秒後に完全に起動再開した。

『硅(ケイ)、執務室に来て。それから、携帯端末は携帯してこそ意味があるのよ』
メッセージは以上。
言われて、胸のポケットを服の上から探ってみた。
硬い異物感は無い。
重みも無い。

「上着」
ベッドに放り出してあった上着を上から押さえつけた。
腰のポケットから、小さく硬い感触がしする。
それを今度は確実に胸に放り込むと、薄暗い部屋を後にした。

伝言は四分前。
緊急でないことは分かったが、何だろう。
瑛南(エイナ)がまとめたデータから、何か作戦行動中のミスでも見つかったか。
しかし、記憶を探り出す限り、思いつくことは無かった。

可能性を何パターンも重ねながら、祭香のいる執務室の扉を開けた。

「次は全館放送で名前を呼んであげるわね」
入った途端、脅しがかかる。

祭香は正面にある大きな机の向こうで、祭香が顔の前で指を組み、背筋正しく座っていた。
かすかに逆光の中、人影は二つ。
一つは奥にいる祭香、もう一つは見知らぬシルエットが真っ直ぐ伸びている。
背の高い誰かはこちらを向いたまま、祭香の目の前から右にずれた。

顔の横にかかる髪は無い。
影が深くかかっているけれど、すっきりとした顔立ちをしている。
男か、女か。
はっきりとは判別できずにいた。

「いろいろ考えたわ。どれが一番いいのか。どうすれば、最小のリスクで最大の効果を得られるのか」
祭香の斜め前にいる人間に退室を促すことなく、話を始めた。

「いろいろな提案が出た。賛否両論。決定には重い責任が圧し掛かってくる。でも私はこの結果に満足よ」
結論を後回しにするのは、祭香らしくない。

緩い蛍光灯とブラインドの間から漏れる落ちかかった光が交じり合う。
細いもう一つの影は微動だにせず、表情も変えずこちらを真っ直ぐに見据えている。
居心地がいいはずはない。

「人間だもの。戦いの特徴が出て当然。戦闘効率を考えた場合、個々人の特性を活かした戦闘にするか、汎用性を求めるか」
祭香は組み合わせた指を解くと、寛いだように黒い椅子に背を預けた。

「私たちは個性の特化を優先させた。なぜだか分かる?」
分からない。
そう答えると、祭香は失望した風でもなく、想定内の答えだと言うかのように微笑した。

「私があなたに一番理解して欲しかったのはその点だったのだけど。いいわ、この会話にもそろそろ飽きてきたようね」
顔には出さないようにしていたはずが、しっかり見抜かれている。

「紹介しましょう。私の前にいるのが、七花(ナノカ)。新しいパイロットよ」
噂で聞いていなかったら、さぞかし間抜けな顔を晒していただろう。
そのうちに現れると思っていた新人が、祭香に呼ばれたと思ったらもう目の前にいる。

「明日、正式に異動を通達するけれど」
祭香が机に両手を付いて立ち上がった。

「七花、こちらが硅(ケイ)」
視線が振られてはみたものの、どう応えていいか分からない。

「ほら、ぼうっとしてないで自己紹介」 「
ZN-NTF〇〇に搭乗している、硅。事前の資料で勉強済みだと思うけど」
七花が手を前に差し出した。
求めている意味を、一瞬受け取り損ねて、開かれた手のひらを凝視してしまった。
握手。
敬礼はしても、手を握っての挨拶は久方ぶりだった。
固まった表情のまま、七花の手に重ねた。

「私は、七花。搭乗している機体はZN-NTF〇二『水片(みなかた)』」
近くに寄って、初めてはっきりと七花の顔を見ることができた。

真っ直ぐに通った鼻筋、理知的な鋭い目。
髪は綺麗に後ろで束ねられていた。

無菌室で育った、機械みたいな女だった。
すぐに離れてしまった手も、心なしか冷たかった。

「あなたの機体、火駆(ほかけ)。その名に恥じず、速いそうね」
「比較する機体が無かったから、どうか知らない」
変わってるわね。
そう言った七花の独り言を聞き流した。

「さて、二人にはフォーメーションを組んでもらうわ」
有無を言わさぬ、これは命令だ。

「七花を呼び寄せたのも、そのため」
「よろしく」
「詳しくは、明日。とりあえず二人とも、夕食食べてきなさい」
祭香はなぜか、怖いくらい満面の笑みだ。

「行っていいわよ」
手まで振って見送っていた。




飾り気が全く無い廊下に、乾いた二つの足音が響く。
他に人がいないのは、廊下の奥には祭香(サイカ)の部屋しかないからだろう。

誰も好き好んであの部屋に踏み入れない。

「あなたの戦闘データ見せてもらったわ」
「いつ?」
「私がここに来てから」

「いつからここに?」
「何も聞いてないの?」
沈黙は肯定。

「どういうつもりなのかしら、祭香(サイカ)は」
全く以って同感だ。
説明もなしに、いきなり新パイロットを突き出す意図が理解できない。

「私、昨日ここに来たの。それまでは、向苑(コウエン)基地にいたわ」
示した基地は、ここより北西。
湾を飛び越え、四つ並んだ島の三つ目にある。

「遠いところから遥々」
「ゼロの機体性能でシミュレーションを受けたの。データとしては知っていたけど、実際にどんなものか、体感してみたくて」
表情は相変わらず石膏で固めたみたいに変わらなかったが、声は僅かに高揚していた。

「あれほど不安定な機体があるのかって、正直驚いたわ。ゼロを動かせることが不思議だった」
「そう」
私は他の機体でシミュレーションを受けたことは無い。


「さっきからゼロ、ゼロって言ってるけど、火駆(ほかけ)のこと?」
「ええ、そう」
こちらの反応を意外そうに受け取った七花は、眦を上げて瞬きをした。

ZN-NTF〇〇。火駆というコードが付く前から私はその存在を知っていたの」
だから、ゼロ。
火駆が火駆になる前の機体。

「なぜ私の機体、水片(みなかた)にセカンドのナンバーが振られているか、分かる?」
廊下が十時に交わっている。
そこで七花は足が止まった。

七花の隣をすり抜けて、右に曲がった。
七花の足音が、後を追ってくる。

もうすぐエレベーターホールだ。
そこで、予定を思い出した。
エレベーターの上三角ボタンを押してから、後ろにいた七花を振り返った。

「ドックに行かなきゃいけないんだ。食堂は、地下二階だから」
「いいわよ。今日はほとんど動いていないから」
どうも、七花のテンポが苦手だ。

「私もドックに行くって言ったの」
七花が手の平で、下三角のボタンを叩いた。




「広いわね」
顎を上向けて、全方向を見渡した。

「あれが、ゼロ」
細く白い、蝋燭のような脚が駆け出した。

「赤いわ」
純白と深紅の塗装が施された機体が、滑らかに光を映している。

「綺麗ね」
ZN-NTFシリーズ。
性能と外装は変わっても、兄弟機だ。
水片(みなかた)という二号機を操縦しているのだから、驚くのは今更な気がするんだけど。

火駆(ほかけ)のハッチに視点を固定していた。
乗りたいのだろうか。
あれほど、ZN-NTF〇〇は扱いにくいと言っていたというのに。

「水片が製造される三年以上前の機体よ。最新のメンテナンスとアップグレードを繰り返したとしても」
「ここには天才がいるからな」
七花(ナノカ)の言葉尻を掬ったのは、耳慣れた声。

「秋日(アキヒ)」
「硅(ケイ)、紹介は?」
会う度に、紹介してやらなくてはならない。
明日また紹介されるのだから、与えられた自室で大人しくしておけばいいのに。
七花(ナノカ)に対して、表に出せないため息をついていると、視線が突き刺さった。
当の本人だ。

「あ、じいさんたちだ」
秋日が手を伸ばして音が鳴りそうなほど腕を振っている。

「誰だ?」
「たぶん、新顔。な、硅」
「七花(ナノカ)。ZN-NTF〇二のパイロットだって」
「七花です。ご紹介の通り、ZN-NTF〇二『水片(みなかた)』のパイロットです。年齢は、十七歳」
「ほう、硅よりも一つだけお姉さんというわけか」
「人型兵器の父。お会いできて光栄です」
機械技術の最高峰にいる二人は、それぞれ差し出された七花の手に手を重ねた。

「本当は、水片(みなかた)と一緒にご挨拶できればよかったのですけれど」
生憎、メンテナンスの関係上、水片の到着は三日後となっている。

「挨拶だけで悪いがね、今から火駆の調整に入らなきゃならんのでな」
年長の老人が七花から目を離すと、火駆の不具合箇所の説明を求めた。
視界の端でちらちらと見える七花は、火駆を下から眺め回していた。

一通り目処が立ったところで、年下の博士が七花の方へ歩き出した。

「火駆が気になるようだな」
「ええ。同じシリーズですので。でも、性能はまるで違う」
「そう。戦い方によって。人だってそうだろう」
「博士の子どものようなものなのですね、火駆は」
「水片だってそうだ。他のシリーズだって、少なからず私の手が入っているからな」

「硅!」
視線と耳は博士と新入りの方に向っていて、秋日の声は聞こえていなかったみたいだ。

「五回は呼んだぞ」
「ごめんごめん」
「動かしてみるんだろ」
「うん。博士が調整に入れるようなら」
博士との話が途切れたのを見届けて、声を上げた。

「七花」
「何?」
「私はまだここにいるから、食事は一人で行ってきて」
「ゼロ、動かすんでしょ」
「そう」
火駆に背を向けて、こちらに歩いてきた。

「いいわ。私も見るから」
「面白くないぞ。訓練でも何でもないし」
「私は興味あるの。で、どこにいればいい?」
視線を私と秋日、二人に投げかけた。

「地下六階。あそこ」
秋日が指で示した先には、横に連なった窓ガラスが張ってある。

「特等席だ」
「行ってくるわ」
表情が冷え固まった割りに、物事への執着はあるようだ。

「やっぱり、変わってるのは七花のほうだろ」
聞こえない距離に行ったのを見計らって、言ってやった。








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