Silent History 190





帰って来て早々にふて寝したラナーンを朝食を終えたタリスが見舞った。
昼が近いというのにまだ起きてこない。

「お腹空いただろう? ほら、下に降りてこい」
「眠い」
「まだ怒ってるのか? 小さい男だな」
「怒ってない」
「あんなの女装のうちに入らないだろうが」
衣装ごときで拗ねるラナーンに苛立っている。

「好きでもない男から性の対象として見られる不快感って、女の人は大変だな」
毛布の中で背中を丸めて縮こまった。

「体には触られないように麻酔薬を仕込んだんだろう?」
そうだけど、とラナーンは声をくぐもらせた。
今回の役目を引き受けたのも、体には触れさせないという条件でのことだ。
依頼してきたあの紳士の男が、そのあたりはきちんと計画を練ってくれた。
麻酔薬、睡眠薬の手配、時間配分、屋敷の見取り図、ここに最後の役者のピースが嵌って完成した。

「十五分したら降りて来い。空腹は不幸に繋がる。お腹が満たされれば幸せもやってくる」
歌うように軽快にタリスは去っていく。
彼女の方が危うい橋を渡っていた。
薬の配分が少なく、男が血気盛んに襲い掛かっていたら、タリスがねじ伏せられていたかもしれない。
自分の女を道具として使うことを、タリスは演技だと楽しんでいたが、それも本心からかはラナーンには分からなかった。
ラナーンには同じ神徒の存在も重く心に圧し掛かっていた。
娼館だ、分かっていた。
疎い疎いと言われつつも、そこがどのような目的と場所であるのかは知っていた。
神徒が売り物として、客を取らされる。
彼らは、屋敷の奥底に深く沈められている。
牢獄以外の何物でもない暗い場所に。

哀れだった。
神徒であるという刻印を肌に刻まれ、ヒトならざるものとして扱われることが、哀しかった。



満ち足りない月。
月が満ちて、高く高く昇り。

「ガラス窓に映るころ」
光が飾り窓を抜けて寝台に深く影を刻み込むころ。

「神徒は運び込まれる」
晩餐会だそうだ。
娼館の主が、別の屋敷の男と酒を酌み交わす。
その仕上げに、神徒を一晩提供する。

屋敷に忍び込むのは不可能だ。
情報が収集できていない上、守りは堅牢だ。

夕刻から長い宴が始まり、娼館の主と屋敷の主は二人になる。
いつもは娼館の主が握っている鍵は、重鎮の男に預けられる。
月が高みに昇りかかった頃、鍵は開かれる。

彼らは屋敷の主の前に陳列される。
いずれがお好みか、と選ばせるつもりだ。
狙うときはそのときだ。
護衛は厳重に張り付いているだろう。

「車を破壊して神徒を引きずり出すか」
アレスが腕組みをして地図を睨みつけている。

「運転手を引きずり下ろして車を強奪すればいい」
それが一番スマートだとタリスは鼻で笑った。

紳士は地図を前に静かに脳内でシミュレーションを繰り返していた。
彼の椅子の右手には丸められた地図が数本立っている。

彼が作戦室と称している宿屋の談話室だ。
地図は宿屋の主人が伝で入手したもの。
主人も紳士と同類の仲介者と呼ばれる役割の人間だった。
リルがこの街に来たときも、紳士の紹介でこの宿に泊めた。

娼館から神徒が不定期に運び出されている情報は得ていた。
それも一年に一度あるか、ないかというものだった。
これまでの情報で、めぼしい屋敷の外観図や屋敷までのルートを調査してきた。
屋敷内への侵入はほぼ不可能だった。
何度か関係者を屋敷内に雇用人として潜伏させようと試みたが、屋敷の警戒心は厚く人事入替をほとんどしない。
密偵を送ろうにもチャンスはなかった。
道々での襲撃に焦点を絞っての調査に切り替えた。
それらシミュレーションの軌跡が、丸められた地図だった。
そのうちの一枚が今、机の上に広げられている。
娼館からは最短距離で屋敷までは向かわない。
迂回し、車を換えての移動だった。
誰かに狙われているのを前提とした動きだ。

「まあ確かにな。宝石箱を乗せているようなものだ」
それだけの商品価値がある。

「車を乗り換える瞬間」
紳士の提案にアレスとタリスが頷いた。
ポイントには赤い丸印がついている。
どういうルートで車を走るかが問題だ。

「車は二台出ます。前回使用したものと同一車種だとして、先行して一台」
それが待機ポイントで停車する。

「後発でもう一台。こちらに神徒が乗車」
待機ポイントに向かい、神徒を移し換える。

「盛れないかないところを選んでいます。以前はこの路地」
運転手一、護衛が二。
いずれの車も同数が乗っている。

「車を並べて停車、押し流すように神徒を移動させますので、チャンスは僅か」
「睡眠薬、盛れないか?」
「神徒の健康状態と体格の状況が入っていません。薬の量を誤れば」
「ならば健康かつ屈強なやつに使えばいい」
タリスは椅子の上でしばらく目を閉じてから、再び開いたときには彼女の組み立てたプランが展開された。
実に荒々しいもので修正の余地は大いにありだが、荒削りながらも筋は悪くなかった。

車が長時間停車しても不自然でない路地。
人目が少ないこと、かつ車二台が並べるだけの広さがあること。
それでポイントを絞った。
先行した車が停車し、また後発の車が到着する直前に睡眠薬を投入する。

「早すぎれば、連絡が神徒の車にいくかも知れない。そうすれば計画が中断する」
逆に。
「遅すぎれば、神徒の車が到着し大混乱だ」
タリスの構想は、こうだった。
神徒の車が到着する直前で、何とかして睡眠薬を先発の車内に投入。
中を沈黙させる。
後発の車が到着、違和感に気づいたところで神徒を強奪するというものだった。

「それで、どうやって何とかするって?」
月が満ちる、その日は二日後だ。

「車一台と、それから弓を用意してほしい」




寝乱れた髪を手で押さえながら、ラナーンが降りてきた。

「喉が渇いた」
「食事、とれそうか」
アレスが立ち上がった。

「アレス、あと頼む。私は出かけてくる」
紳士へとタリスは同行を願い出た。

「どこに?」
「下見、だよ。ちゃんとご飯を食べて、帰ってくるまで起きておくこと。じゃないと夜、寝られないからな」

外に出たタリスは、紳士に待機ポイント付近への案内を依頼した。
彼らも移送計画の前ですので警戒をしていると注意を促したが、タリスは長居はしない、その周辺でいいと押し切った。

「襲撃班に私は加わらない。彼らが車を停める停車位置ははっきりしている? その対岸の建物を見てみたい」
タリスの要望のままに、目的地に案内した。
彼女が指示していた建物は、空きテナントの多い薄いビルだった。
満足げに、周囲をさらりと一瞥してから中に踏み込んだ。
中は閑散とし、テナント募集の紙が貼り付けられたガラスが濁っていた。

「悪くない」
そのまま階段を探して二階に着いた。
緑のテープで窓ガラスや扉を覆っている空き部屋にタリスが張り付いた。

「鍵、開くかな?」
それは疑問ではなく依頼か命令だ。
紳士に、何とかして開けてくれと言っている。

「やってみましょう」
「できるのか? 器用だな」
古い鍵は、数分を要しないうちに開いた。

「幼い頃、近所のお兄さんに悪戯の流れで教わりまして」
古い鍵でよかったと言い添えた。
埃っぽい部屋だった。
窓が閉まって空気が淀んでいる。
二人は口を押さえて中に入った。
タリスは足早に窓に張り付き、窓を横に引いた。
不快に砂粒や錆びたレールを潰す音がしたが、少しずつ慎重に引いていく。
頭一つ分、開いたところで外を見た。
頭を突き出さないように注意しながら左右を確認する。
路地の幅、長さ、外の通りから見て、停車するのに都合のいい場所は。

「二階でよかった。三階だとこう、角度が。自信なかったんだ」
人差し指を突き出して、親指を上に立てる。
斜め左下に照準を合わせて口の中で数を呟いた。
しばらく黙っていたが、胸の中に空気を溜めこむ音を聞いた。

「よし」
窓はそのままにして、数歩離れた。

「もうひとつお願いがあるんだけど。ガラス板を一枚欲しいんだ。あれと、同じ感じで」
古く薄汚れた窓ガラスを指差した。

「あれと、同じものでいいのですね」
「そう。こちらからの注文は以上」











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