Silent History 184





皮膚は内と外とを隔てる。
膜、隔壁、境界。

まどろみの中でそれらは崩れ融けた。
ここは、感情の海だ。
意識の澱みだ。
思念は滓として底に漂う。
時に暖流として意識にぶつかる。

脈の音がする。
血の躍動だ。
生きている振動だった。

自分の意識も、融けて大海の一部になる。
澄んだ水に滴る血のように、薄く広がり同化する。
形而上の世界。
ここに時間という概念があるのかすら定かではなく。
あるいは星屑の中に漂っているようなこの瞬間。
時に海中で目の前を通り過ぎる魚群に遭遇するような瞬間。
それら事象は、瞬きよりも短い一瞬のことであるかもしれない。

ここでは言葉という記号さえ失われた。
言語という器に注ぎ込む前の原始的な意識の集合体が浮遊している。

そこかしこで火花が散り、静電気のように青い光が走る。
閃いたのは映像だ。
記憶の粉塵が集まり摩擦を起こしながら画像を瞬かせては消える。
遠いのか、近いのか、距離の感覚はここの空間にはなく、一瞬で消失していく。
過去の記憶か、未来のビジョンか、誰かが見た夢か、誰かが望んだ祈りか。
それすら定かではない。
情報の奔流に呑まれながら、真空の星の海を泳ぐように、どことも分からない場所に流されていく。

光の集合体に徐々に引き寄せられていく。
五感を失った今、視覚で光度を認識はできないはずだが、その分析ができるだけの処理回路と保存領域を所持していない。
柔らかで淡い光だ。
例えるなら水面に映り揺らめく半月。

光に光は引き寄せられる。
あらゆる光の粒子は収束し、分散を繰り返す。

光は情報の粒子だ。
無数の粒が身を寄せ合っている星雲に引きこまれていく。
微かに残っていたいまここに在る感覚も意識もやがては海に融ける。
世界の一部になる。

風に吹かれて砂が散っていくように消える。
ここは、地脈なのか。
人間が知覚できる枠の外の世界なのか。
あるいはここは、神の領域。

自分が自分である、自他を隔つ境界を喪失して、散っていった意識はどうなる。
あの光に統合されてしまったら、再構成して仕上がった意識は。
そのときいまここに在る自分は、どこにいる。

言葉も、文字ひとつではカタチにならず、単語や語句となり意味を形成する。
再構築された新しい世界で、自分という個はどのような意味になる。



風が、薄いヴェールとなって拡散した光を包み込み、取り囲まれる。
星雲への収束が止まる。

被膜が意識を覆った。
風に吹かれた粒子を散らすまいと。優しく包み込まれていく。

あたたかい。
そして、ここちいい。

満たされた幸福感、微かに香る懐かしさ。
内側からじわりと伝わってくる温もり、それは記憶と分離しても残る確かな感覚。
喪失する恐怖を覚えるもの。


一度粒子となった分解された意識は、薄い被膜の内側を巡る。
その被膜の向う側を粒が流れていく。
あれも、こちらの光と同質のものだ。
意識の欠片たちだ。

取りこまれかけた星雲、一際大きな粒子の集合体は何だ。
被膜を星雲へと泳がせる。



音。


高く、澄んで、響いた。
弾けるような、ぶつかるような、ガラスを爪弾いたような。

水の音だ。
滴の音だ。

被膜を通して、強い光の周囲を漂う粒子に触れた。
画像の断片が瞬く。

一瞬走る静電気だ。
昏い、暗い、闇い、箱の中だ。

青白い閃光が再び走る。
下へと滴る、氷から流れる。

これは、この星雲は。
粒子の渦の中に被膜を寄せた。

揺れている。
震え始めた。
流れてくるその昏い映像のなかで、氷塊が震え滴が表層を流れる。
青白い氷の揺り籠に、固められた恒久の眠りのなかに、人のカタチ、その手が浮かぶ。

それではこれは、彼女の群体か。
巨大で、強い、この星々は、神と呼ばれた彼女の。

膨大な情報量の波に巻かれながらも被膜を奥へと押し進める。
何という光の密度、何という濃度、光度、深度。
濁流だ。

光の奥には、厚い厚い層の奥に潜り込んでいくその先に見えるもの。
きっと最奥にはこれら光を引き付ける一等の光源があるはずだ。

だが。

何だあれは。
これら粒子の核は、より輝度の高いもののはずだった。
しかし光の壁の奥にあったのは、空虚な空間だ。
虚空の中央には弱々しい光源が浮かんでいる。

あれは。

粒子が被膜に擦れる度に、静電気が画像を投げ込んでくる。
白い手だ。
小さな足だ。
人の形だ。

だがこれは誰の目だ。
何の視覚だ。

気付いて、織りなす世界の様相が見えた。



あの光源こそ、彼女だ。
神として崇められ永久の眠りにつく彼女の粒子群だ。

ならば渡ってきた光の壁は。
彼女より遥かに、比較にならぬ光の奔流、渦巻く海流は、何だ。
彼女の姿形を捉え、彼女を取り混んでいる。


氷塊。

氷が、なぜ意識を保つ。
水に、なぜ意識がある。

仄かに輝く光の群体から被膜を離した。
再び、激しい奔流の中に浸る。
取り巻かれているこれは、水の意識の集合体だ。
ヒトよりも強烈なを放つ、ヒトより広大で、ヒトより流動。

それが何ものかを知っている。
ここに、俺がいるのではない。
ここに、呼ばれたのだ。

そうか、氷が融ける、氷が震える。
彼女が、目覚める。




呼ぶ声がした。
それはまた、きっと言葉という形ですらない。
引力か、差しだされる手のようなものだった。



ここは還る場所。
でもまだ、還るべき時ではないから。

聞いたことのない、少女の声だ。
風に融けて、感覚に触れた。
柔らかく、温かい声だ。


さあ、身を委ねて。
あの子が、待ってる。


お前は、何者だ。


きっとわたしも、引き寄せられてきたのね。
ここは、わたしの在るべきところになった。
でもあなたは戻らなきゃだめ。
悲しませては、いけないわ。
だから、ね。


夢の帳が上がっていく。











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