Silent History 183





賑やかな声を聞いているのは嫌いじゃない。
水音に彼の声はとても心地いい。

剣を傍らに置いてアレスは川辺に腰を下ろしていた。
天気はよく日差しは暖かだ。
山から流れてくる水は、手を浸してみたが思ったほど冷たくはなかった。
ラナーンとリルが仲良く泳いで潜ってを繰り返している。
ラナーンは常日頃俊敏な性質ではないが、水は彼の得意とするところで、デュラーンでも泉や
城の地下水路を思うまま泳いでいた。




「体、辛いか」
砂利の上に腰を下ろしたまま観察者を決め込んでいるアレスに、傍らに立っているタリスが尋ねた。

「平気だ」
そういうアレスの言葉が信用ならないのは、長年の付き合いでタリスは知っている。
視線はラナーンとリルに投げたまま、声に張りがない。
神徒の廃村でアレスが同調した一件が、相当体と神経にダメージを与えていた。

「三女神を感じるか」
あちらはアレスを捜しているらしい。
折角、神さまが三女神へと橋を架けてくれたのだ。

「感じるわけないだろう。だったらとっくに捕まえて締め上げている」
折角架かった橋も三女神からの一歩通行だった。
迷惑なことこの上ない。
神の香りが付いたとしても煩わしい以外に何の恩恵もない。
三女神の力がアレスを追い、地脈を引き付け、結果カリムナ一人のみならずバシス・ヘランの人間を滅ぼした。

平気だと言う言葉に反して、いつものような気力が薄い。
心身が疲弊している。
それと同時に得体の知れない神に付きまとわれて辟易とすらしている。
「あっちのことは私が見ているから、アレスは休め」
「大丈夫だ」
「頼れって言ってるんだ。いつもそうして自分で何とかしようとする。私たちを信頼してないのか」
タリスは今、溜めこんできた思いをぶつける瞬間だと直感した。
だが、弱っているアレスを前に矛先が鈍りそうになる。
それでもこれはアレスとタリスの問題であり、同時にアレスとラナーンの問題でもある。

「おまえがラナーンしか見ていない間に、ラナーンは外の、広い世界を見てきた」
「城を出てからってことか」
「そうだ。おまえが見てるラナーンはデュラーンにいたころのラナーンで時が止まってる」
「そういう風に見たことはない」
「言われたことは? 本人から」
アレスは黙り込んだ。
遠く、水が跳ねる二つの影に目を細めていた。
ラナーンはもう自分の足で立てるのだとタリスは言った。

「おまえはラナーンを庇護対象として見ているけど、ラナーンが求める繋がりはそれじゃない。分かるか」
何と抽象的な問題なのだと、アレスは頭痛を覚えた。
だが、聞き流していい加減な返事をしていいとも思えない。
煩いと耳を塞いでもいけない。
タリスもアレスにとって大切な存在だからだ。
タリスもまた、アレスとラナーンを大切にしていることを、アレスは理解している。

「男と女じゃない。守る、守られるじゃない。ラナーンはおまえと対等でいたいんだ」
タリスはアレスから剣を引き取った。
三つの剣、胸に抱え込んでアレスから距離を取る。

「ゆっくり休め。冷静になって、時間がかかってもいい。ちゃんと考えろ。私のことラナーンのこと、自分のこと」
アレスの視界から外れた位置に腰を下ろした。
今日一日でいろいろなことがあった。
タリスもまた情報量の多さに疲弊し、ゆっくりと整理する時間が欲しかった。
彼女もまた己のことを思い返す。
頼れ、頼れと言いながら、結局一番行動力と判断力に優れ年長であるアレスに寄り掛かってしまったのは事実だ。
そうではいけないと一番に察したのはラナーンだった。
自分のためにならない、何よりアレスのためにならないと悩んだ。
寄り掛かるだけでの生き方ではいずれ何らかの歪が生じる。
アレスを束縛し、ラナーン自身の我儘のまま振り回しては、彼を潰すことになりかねない。
ぼうっとしているように見えて、ちゃんと考えてるんだ、とタリスは嬉しいような苦しいような、安心したような寂しいような複雑な気分に頭が掻き乱される。
ずっと隣を歩いてきたつもりだった。
大人しいラナーンを、僅かばかり年上であっても弟のように、空気のように思っていた。
それがいつの間にか確たる個が生まれていた。
タリスの手の届かない意識が、ラナーンの中に固まっていっていた。
成長が、人と人との狭間を生んだ。
細胞壁のように、タリスとラナーンとの間に膜ができた。
互いの世界と価値観と差異。
それを認識しあうことで新たな繋がりが生まれる。

「人間って難しい」
複雑で繊細で、でも美しいと思う。
タリスは美しい造形が好きだ。
人間の繊細な躍動が好きだ。

「精々足掻いて、痛みを覚えるといい」
そうやって人は、他人との間に糸を張るように繋がりを築いていくものだ。
シナプスのように。

「私は考える」
未来と、今できる現実を。

「私だって、負担になるだけの存在なんて嫌だ」




音が水音で溢れる感覚が懐かしかった。
水面を走って肌で弾ける風、草と土の匂い、五感が時折デュラーンでの感覚の記憶と重なる部分を拾いあげる。
類似、重複、懐古、そして郷愁。
デュラーンの話が出て、城は水で満ちていたことを思い返した。
幼いころ、デュラーンに連れられてやってきた。
いろいろな国を巡ったらしいが、国名も数も幼いアレスの記憶には残っていない。
ただデュラーンに来て、その美しさと雄大さと穏やかさを好ましく思ったのは微かに記憶していた。
違和感も抵抗感もなく、その空気を受け入れた。
それは父親も同じだったと思う。
やがてその土地の国王と謁見する機会に恵まれ、デュラーンの空気が国王ディラスの人格によるものだと納得できた。
この人たればこそ、と幼いアレスはディラス王を仰ぎ見た。
畏怖は与えず、しかし威厳は重低音のように奏でていた。
人物の重みを見た。
壮大で荘厳で雄大な、それはデュラーンの土と絡み合い、今、水音に溶けて思い出として浮かび上がっていた。
過去と現在が混じり合っていた。

いつもなら、ただ前を見て走っている。
そうあらねばならないと言い聞かせながら、自らを奮い立たせながら、顎を上げて前を見据えている。
タリスの言葉は堪えた。
タリスとラナーンが抱く、個の意識を蔑ろにしていた訳ではない。
庇護すべき存在だと、下に置いていたわけでもない。
二人に支えられて生きてきた。
三人が共に支え合って生きてきた。
ただ先導するのが自分の立ち位置だと思っていた。
それは、誤りなのか。
いざ頼れと言われても、何をどうすればいいのか分からない。
タリスやラナーンへの扱いを変えて、距離が開いてしまうのが怖い。

「大切なものは守りたい、それは間違っていないはずだ」
強くあろうと願った。そうあろうと努力した。
その中で、誰の個も殺してはいないと自覚している。

「救ってってばかりじゃない。俺だって助けられている」
ラナーンがいたから、彼が殻の外に出たいと願ったから共に外に出た。
手を差し伸べた。
彼が願わなかったら、いなかったら、アレスはいまここにいない。

「俺の決意は揺るがない」
両膝に腕を渡して、手の橋の上に顎を乗せながらふつふつと沸く考えを整理していた。
パズルを手際よく嵌めるようにうまくいかないのは集中力が欠いているせいだ。
纏まりがなく、考えは散らばったままだった。
光る水面を見つめているうちに、感覚も反応が鈍ってきた。


聴覚が塞がる。
視覚が霞む。
疲れているせいだと思った。
嫌な予感がした。
徐々に五感を喪失していく感覚は以前体感したものに似ていたからだ。
体が重くなる。
皮膚感覚が薄れ、自己の境界が消えていく。
皮膚を失い、肉が融け、自己が液体になりやがて 気体となり拡散していく感覚だ。

そして夢を見る。











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