Silent History 182





リーファーレイに並んで歩きながら、眠りについた神のことを反芻していた。
歩いている先から流れてくる音をラナーンがの耳が捉えた。
水音だった。

「結構な水量だな」
どこだ、どこだと左右を見回しているうちに視界が開けた。
森が切れて川の縁が見えた。
高い崖だ。
リーファーレイは怖れることなく平然と崖の縁に立つ。

「三人がいる。あっちみたい」
川の中に座りこんでいる大岩の上に二人、リルは水の中で大岩に腕を乗せてへばり付いていた。
三人の顔も確認できないほど遠く小さい。

川沿いの細い崩れそうな小道を崖に手を這わせながらリーファーレイが石の上を跳んで渡っていく。
あまりに簡単に躊躇なく行くので続くラナーンも石から石へと跳んだ。
しかし着地で足元が安定せず崖も掴み切れずに右手の川へと体が傾いた。
水面までの高さは十メートル以上。
ただし崖が急な斜面になっているので、大きく壁を蹴って踏み切らないと水面に落下しない。
指先が細い蔓に触れる。
しかしラナーンを支えるにはあまりに頼りない。
ラナーンの右足が石を踏み外すと同時にその腰を掬いあげる力強い腕が体に巻き付いた。

「勢いだけで行くのはやめてくれ。頼むから」
額から滲んだ冷たい汗が顎に伝う。
アレスの左手はラナーンの頭上に掛かっている太い樹の蔓をしっかりと握りこんでいた。

「寿命が、縮む」
本気で心配している様が硬直した顔に現れており、ラナーン以上に足が竦んでいた。
一回り小さい体を崖に押し付けながら、慎重に危うい道を歩いていく。
一方タリスはラナーンより器用だ。
踊りで鍛えた絶妙なバランスで不安定な石の上を危なげなく渡っていく。
水面が徐々に近づいてくるにつれ、道幅も広くなる。
岩が砂利になるころには、リルにファランこちらに気づき、リルの母親が手を振っていた。
岩の側に浮いていたリルの頭が消えたかと思うと、水に膝まで沈んだラナーンの目の前に ふっと現れてラナーンは驚いた。

「何か見つかった? いろいろ、そんな顔してる」
「神さまがいた」
「本当に?」
リルがラナーンの肩を両手で掴んだ。
勢いに引かれてラナーンが川に引きずり込まれる。
二人仲良く水の中に沈むと、波を荒立てながら急浮上した。

「どんな?」
「木に取り込まれたような神さま」
「いたんだ」
「神徒の最後を見たんだ。またここに神徒が戻ってくればいいのに。リルはここには住まないのか」
「いつかは、ね」
母親のように。
この地は、聖地のようなものだ。
血はいずれ、ここの土を求める。

「神さまは眠りについたよ。たぶん、三女神の強い力に触れたから」
「三女神?」
「アレスを探してる。でも神さまがアレスの姿を見せたからきっと」
「三女神がアレスを探し出すって」
「そうすれば何かが変わる気がする」
「アレスが求められる理由は?」
ラナーンは彼を振り返った。
話題の主人公は川の水で顔を洗い流している最中だった。
ラナーンはリルに沈められたお陰であらかた砂を洗い流せた。
タリスも手足に水をかけている。

「それが、鍵なんだと思う。一番大切なピース」
ラナーンは腰の剣をアレスに預けて、リルと一緒に水の中に入っていく。
冷た過ぎずなく、泳ぐには調度いい。
川の中は久しぶりだ。
デュラーンでは地下水路が巡っており、広大な庭には泉もあった。
思う存分泳ぐことができていた。
上着を脱ぎ川辺に放り投げて半裸になる。
隣ではリルが肩まで体を沈めている。

「アレスは自分のことを知らないんだ。アレスはアレスの生まれを知らない。 自分の旅の始まりを知らない」
「始まり?」
「アレスは父親とデュラーンに来たんだ。流れ流れてね」
胸まで水が来たところで、ラナーンは水の上で仰向けに体を浮かせた。
雲が白い。
空が澄んでいる。
髪の中に水が染みていき、体が痺れていく。
耳が水に埋まる。
川の流れる音がした。

「アレスが遠くに行ってしまいそうで怖いんだ。でも、知りたい。知らなきゃ」
「ラナーン?」
息を止め、水の下に潜った。
重力から開放されて、水に体が押し流されていく。
耳の中が水の音で満ちる。
ラナーンを追ってきたリルの手がラナーンの腕に絡みつく。
川の深みに押し流されたラナーンの手を取り水の上に引っ張り上げていく。

「頭は冷えた?」
「水の中は好きだ」
リルに体を抱えられながら足先がつく流れの緩やかな場所まで泳ぎ着いた。

「城の中には、おれの部屋の地下にも水が引いてあって良く潜ってたんだ」
宥めるようにリルはラナーンの頭を肩に押しつけたままにしてくれた。

「水の音が好きだ。頭がぐちゃぐちゃになったときとか、泣きたいときとか、水の中って落ち付くから」
「混乱してるね。今足掻いても焦っても、どうにもならないんだから仕方がない。だったらできることを考えた方が楽になるよ」
幸いにしてヒントはちゃんとひったくって出てきたじゃないかとリルは言う。
西へ。
何たる漠然とした、とも思うが四方八方、そのうちの方角は見えてきた。

「それだけじゃないだろう」
「なに?」
「ちゃんと、アレスのことを考えるようになった。もしかして初めてじゃないのか?」
「いつもちゃんと考えてる」
「それは嘘」
「親友だから」
「空気みたいに思ってたからじゃないのか。近過ぎるから何も見えてなかった」
神はアレスを追っている。

「アレスにも足がある。いつでも、どこにでも行ってしまえる。そう気付いて怖くなったんじゃない?」
「怖い?」
「後は自分で考えること。彼を黙っていてもついてくる忠実な家臣でなく一人の人間として見ているのなら」
「ちゃんと、見てる。だからこそ、アレスには一緒にいる以外の選択肢を、自分の生き方を選ぶようにと言った」
「突き放しても戻ってくるという自信から」
「違う」
神徒の里にいた、マリューファの声が聞こえた。

「嘘つきだって。言われたのは二度目だ。その時は、アレスに触れるのを、他人に触れるのを怖がっているって言われた。嫌われたくないって。 でもそんなのは誰だって同じだろう」
「私はファランに触れることを怖れたことはないよ。人間は神さまとは違う。交感しあえないから言葉で触れあう。真意は言葉でしか表現しえないから」
マリューファは正しい。
リルも正しい。

「ときに他人との触れ合いは摩擦や痛みを伴うけれど、触れあわなければ心は遠いままだ」
ラナーンは俯いたままだった。

「知りたいと願い、理解しようと努力する。彼を大切に思うのなら。彼を一つの存在として認識したいのなら。放したくないのなら」
「おれはアレスのこと何も知らないんだ」
川の流れに沿って、川下へとゆっくり歩いていく。
斜め前方、川の中ほどに山のように構えている岩の上には、リルの母親が心地よさそうに伏せていた。
両岸から森が迫って来て、葉が擦れあう音も水の音にかき消される。

「彼がどこからデュラーンに流れ着いたのか、何をしにそこに来たのか。気がつけば隣にいて、当り前のようにいつも並んでいた」
過去も由来も知る必要がなかった。
そこにあるアレスがすべてだったからだ。
いつだって受動的だった。
与えられるものを享受して、何を与えられるか、自分がアレスに何をできるのかを考えてこなかった。
主張しない、自分本位の生き方だった。

「でもアレスにだって思いも考えもある。悩みだってする。アレスのことを知らないままだったら、手を差し伸べることすらできない」
彼の思いを理解できないままだ。

「三女神に会えば、どうしてアレスを求めているのか聞けばわかるのかな」
「あっちだってアレスに会いたがっているんだろうから。いつか会える。もっとも、その三女神が本当にヒトのカタチに似たものかは知らないけどね」
神さまを探す意味が、もうひとつ見えてきた。

「西に行くよ。本当に漠然としすぎているけど」
「他には何を見た?」
「見てはいない。でもあそこには神門(ゲート)がある。生きた神門(ゲート)だ」
荒ぶる神門(ゲート)を鎮めるには莫大な力が要る。

「でもどうしていいか分からないんだ。あるべき姿は見えてもそこに道はない」
「絶海の孤島か。結構じゃないか。よくぎりぎりのところで吐いてくれたものだ。大国の厄災。それだけ分かれば十分だろう」
リルが先に川の中へと頭を突き入れて泳いでいく。

「ご丁寧に標を投げてくれた。迷うことなんてどこにある。真っ暗闇の中、灯りは一つ。なら目指すはそこだ」
立ち泳ぎをしながらリルがラナーンを呼んだ。
叫んで満足したのか、ファランと母のいる岩へと一直線に泳いでいった。
確かに、ここで悩んでいても変わらないものは変わらない。
ラナーンは岸辺のアレスを振り返った。
剣を並べ、その横に腰を下ろしたアレスがラナーンに手を振っている。
ひとつ、時間が動けば、状況は動く。
すべては繋がり、決して一軸だけで形成されてはいないからだ。
一滴の変動は周囲へと波及する。

ラナーンは前を向いた。
水の深みにゆっくりと体を頭を沈めていく。











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