Silent History 174





アレスは困惑していた。
リーファーレイが朝焼けの中、跳ねるように森の小道を歩く。
初めて見たときから人間とは異なる空気を湛えていた。
しかしリーファーレイは神徒だ。
そして竜族でもあるという。
そもそも竜族とは何だ。

私は神だ。
そう聞けばすべては納得できたはずだ。
神が何であるか理解できていない、理解の及ばないものだからだ。
例えば、それは幽霊のせいだ。
お化けなんだよ、と言われればある種心の中で整理の引き出しに落ち付いてしまうような。
カテゴライズされる。
人知の及ぶところではない、に分類されるからだ。
しかしリーファーレイは自分を神徒だと言った。
神徒ではラナーンやアレスと同じヒトに入る。

「どこが竜なんだ? 鱗も尻尾もないだろう」
「期待を裏切って悪かったね」
悪びれる風も、嫌がる風もなくリーファーレイは無邪気に振り向いた。
決して慣らされて歩きやすいわけではない細くうねる山道を後ろ向きに跳ねて下る。

「他に、家族とかは」
「おばあちゃんがいたけど、今は一人。ねえアレス。神徒のこと、知りたいの? だったらあそこ」
リーファーレイが岩の上に飛び乗った。
樹の狭間を指差して崖下を見下ろす。
視線は館から更に山側に踏み入った窪みに刺さっている。

「アレスは目がいい方?」
「どちらかというと」
細めることもなく、注意して見れば木々に埋もれるように一点灰色に木が剥げているところがある。

「神殿があったところ。昔おばあちゃんが住んでたんだよ。でも家からは遠いし、あんまり行かないけど」
「行っていいのか」
「一人で行くと迷うよ」
「案内してくれるって?」
「うん。お客さんって珍しいからね。こんなに、話をするのも久しぶり」
滅多に人の踏み入れない場所。
外部から侵入した形跡もない。
人間社会から隔絶されたからこそ、原生林のような素朴で濁りのない生活が営まれている。

「リルはあれでいてお母さん大好きだから。誰も連れてこないし、近づけさせない」
複雑な事情を抱えた神徒だ。
リルたちが纏まって生活するより、より安全な場所で母を匿っていたほうがいいとリルは考えた。
実際、そうだ。
社会との接触が多いほど危険も多い。
当り前に生きること、普通に生きること、平穏に生きることが許されない。
それが神徒だ。
ラナーンは、そう思うとデュラーンと家族に守られていたのだろう。
父であるディラス王はラナーンに神徒の血が流れていることを知っていたのか。
それで城でラナーンを守り続けていたとしたら、今度はアレスたちがその役目を継がねばならない。

「それで君と共同生活?」
「リルはここで生まれたよ。私はそれを見てた。遊んだりもしたけど、すぐにここからいなくなった」
祖父が預かり、人間の社会に溶け込ませたのだという。
リルの父は、旅に出た。
リルと同じような旅だったが、彼はそれっきり帰ってくることはなかった。

「リルの旅は失踪した父を探す旅でもあったのか」
「少しはそうかもしれない。でも分からない。深追いしちゃいけないっていうのが神徒だから。絆や繋がりは、薄いほうがいい」
鳥の声が賑やかになってきた。
人間も、目覚めの時間だ。
タリスは早々に剣を片手に鍛錬しはじめているだろう。
ラナーンは布団の中で動いているころだろうか。

「ここは居心地がいい。彼女も、リルも、それからファランもみんな、私の血を気に止めたりしない」
「竜族であること? しかし、人間の身で人間の寿命を超えた長寿など、そんな」
「南海人、大陸人、北西人、そんな人種の括りだと思ってる?」
肌が白かろうが黒かろうが黄だろうが、人は人だ。

「そっか、知らないんだ。そうだよね、うん。そもそも想像の範疇にすらいないんだ」
「竜族が何だってことか」
「神徒は人だよ。人同士で争って必死に線引きしてるけどね」
「君は、その中には混じらないってことか」
「私たちには魔の血が混じってる。ヒトと魔との子」
「魔って、しかし、あれは夜獣(ビースト)だろう? どうして交われる」
「どんな夜獣(ビースト)に会ってきたか知らないけど、魔はひとつじゃない」
「イコール夜獣(ビースト)ではない、と」
「四足じゃない魔もいるってこと。どうしてそんなのが混じっちゃったのか知らないけど、普通に生きていけるわけないよね。ヒトとは時間がズレちゃうんだから」
祖母を失ったリーファーレイは時間を共有する相手を失った。
リルの母も、リルも、リーファーレイより先に消失する。

「ヒトとは一緒に生きられない。それだけじゃだめだったんだ。私たち、生きてることも許されない」
「神徒だからか」
彼らが壮絶な仕打ちを受けてきたことは、薄めた話を聞いただけでも息を呑み、涙せずにはいられなかった。

「竜の似姿だからだよ」
竜。
アレスは口ずさんだ。

「神王と似てるんだって。そもそも神王を目にしたことがあるのかさえ不確かなのに」
「神王は、黒竜王。神徒、それに似たもの、それで」
「二重苦だからね。神徒であり竜であり」
淡々と話すリーファーレイに、逆にアレスは当惑した。
常識と知識が突き崩されていく。
夜獣(ビースト)とは地を這うもの。
知性の高い凶暴な動物ではなかったのか。

「他の場所に、同じような」
「どうかな。知らない。竜族っていっても、一族のような感じだったらしいし」
ふわりふわりと山道を行くリーファーレイの姿を追いながら、アレスは脳をかき回され、精神は飽和状態だった。

耳を澄まして。
音が聞こえる。
リーファーレイが立ち止まった。


裏庭から建物の側面へ回りこむ。
庭もきれいに剪定されている。
小道の白い小石は散らばることなく整っている。

庭の片隅で、紺色の影が揺らぎ、折れて屈みこんでいた細長い影が直立した。
顎を持ち上げた横顔を見て、リルの母親だと分かった。
右手には包丁、左手には弛緩した鶏を手にしていた。

「あの人自身が食事を」
「私も作るよ」
「君も?」
「生きるためだから。命の糧なんだ。肉も、野菜も座っててできるものじゃないから。どうする? 手伝う?」
「ああ。そうしたい」
「助かる。今日はいつもより人が多くて、彼女も張り切ってると思うから」

裏口から厨房に入ると、紺の服を一枚脱いで青のさわやかな衣装に変わったリルの母が肉を捌いていた。

「私、洗濯してくるね」
リーファーレイが彼女が机の上に置いた紺の服を掬い上げる。

「お願い」
「こっちの大きいのはお手伝い。大いに使っていいよ」
「助かるわ。じゃあさっそく、そこの棚の上にある大皿とトレイを取って下さる?」
「これ?」
アレスが棚を開いて手を突っ込んだ。

「ファランにはリルを起こしてくれるようお願いしたところなの。来てくれてちょうど良かったわ」
トレイと皿を手渡して、リルの母の隣にある流しで手を洗い始めた。

「ところであなたいつの間にリーファーレイとお友達になったの?」






同居人で家族のようなものだと朝食の場でリーファーレイが紹介され、同席した。
神徒自体が訳ありの民族だったので、リーファーレイの細かな説明を受けなくとも、似たような境遇なのだろうとタリスとラナーンは呑みこんだ。
アレスだけが、リーファーレイは自分より遥か年長で、種族自体異なるのだという観念でどうしても見てしまう。
顔と目に出さないよう感情と仕草をねじ伏せつつ、リーファーレイを監察した。
どこからどう見ても小さな少女にしか見えない。
ラナーンと同じ黒髪は肩のあたりまで真っ直ぐに伸びている。
柔らかい布地の服に包まれて、背筋の伸びた姿勢の良さと顎を引いた知的で大きな瞳が、話をするラナーンとタリスの方へと飛び回っている。
大人しく、品良く話していても、子どもらしい可愛らしさと無垢さが抜けていない。
社会とは時間の流れを別にすると、時間はそのまま止まってしまうのかもしれない。
リーファーレイにとってこれまでの時間はどういう感覚で受け止めて流していったのだろうか、奇異の目というより好奇心で以てラナーンたちとのやりとりを見守っていた。

言葉を交わし、意思の疎通を図れる、理解の範疇を超えた存在。
それは人間のアレスにとっては神も竜族も同等だった。
リルが食事の席を立ち、隣のファランを見下ろした。

「泳ぎに行こうか。君たちはどうする? 川があるんだけど」
冷たくて気持ちいいとの誘いは魅力的だった。

「リーファーレイに案内してもらうところがあるんだ。午後にでもそっちに行くよ」
「そうか。それじゃ友人の接待はリーファーレイに任せようかな。母さんはどうする」
「そうねえ。川も気持ちよさそうね。お邪魔じゃないかしら」






「変身するのか?」
リーファーレイが竜の血を引くと話して即座にタリスが切り返した。

「しないのならただの寿命の長い人間だ」
どうなんだ、とリーファーレイに身を乗り出した。

「神徒だってただの人だろう? 歴史的に壮絶にいじめられてきた、ただの人だ」
タリスにとって神とはなんだ、とラナーンは聞いてみた。
タリスは小さく鼻を鳴らして回廊の天井にその鼻を向けた。

「意志の疎通ができて長生きしてる訳のわからない生き物」
後ろから小さい爆発音が聞こえた。

「何だ?」
タリスとラナーンが驚いて背後を振り返る。
アレスが吹きだした口元を押さえて笑いを堪えている。
珍しい光景に二人は顔を見合わせた。

「酷い表現だが。その通りだと思って」
ラナーンも小さく笑ってリーファーレイへと視線を向けた。

「神徒だとか、デュラーン人じゃないとか。そんなの同じなのにね。同じ肉と骨で構成された人間なのに。何だか」
深く悩み過ぎた気がする、と目元を緩める。

「これはまた、鬱蒼とした。まさかここを通るのか? っていうより、道は?」
四人が行き当たったのは濃い茂みだ。
獣道すら埋もれてしまっている。

「そう。だから迷子になるからって言ったでしょ?」
リーファーレイは裾を両手で持ち上げると助走なしに跳び上がった。
空中で右足を伸ばし障害物を跨ぐ。
横に倒した右脚に追い付くように流れる左脚。
安定した上体。
茂みの奥から顔を出して三人を促した。

「見たか?」
思わずタリスは拍手を送りそうになった。

「ああ。すごい距離跳んだな。あの子の体、どうなってるんだ」
「竜っていうくらいだから身体能力が私たちより凄いんだろうな」
言いながら、タリスは後ろに下がった。
大きく三歩、助走をつけて踏み込んだ。
リーファーレイに劣らぬ美しい姿勢で立木すれすれを横切りよろめくことなく着地した。
ラナーンも躊躇ったが、タリスと同じように後ろに体を引いて跳び上がった。

「ほら。アレスも来い」
助走をつけて軽やかに、と思いきや、振り上げた脚を大きく振り下ろした。
茂みを揺らしつつ、あっさりと茂みをひと跨ぎする。

「嫌な奴だ」
タリスが一瞥して前を向いた。

「嫌な奴だな」
ラナーンもタリスの背を追った。

リーファーレイが掻き分けた木々をタリスが受け取り、その穴にラナーンも体を滑り込ませる。
アレスも肩を丸めて木の中に潜り込んでいく。
秘境もいいところだ。
そうして歩くこと半時間。
道が整っていたら更に半分の時間で到達できただろうその地は、館よりも更に風格を増していた。
蔦が絡まり、木が窓に頭を突き入れている所さえある、自然に融合した完全な遺跡だ。
地面の草は伸び放題で膝まで埋まっている。

リーファーレイは前に出て深呼吸をするように胸を張って両腕を伸ばした。
目の前に聳え立つ巨塔を包み込むように指先を広げる。
服の肩紐が解けて服が地面に落ちていく。
旋風がリーファーレイを取り巻いた。
全裸となった彼女の後姿にマナーとして目を背けようとしたラナーンとアレスだったが、その目は彼女の背中に釘づけになった。
肩甲骨が盛り上がり、黒翼が皮膚を裂いて生まれ出る。
どこにそんな収納スペースがあったのかと驚くほど瞬く間に翼はリーファーレイの体よりも大きくなった。
蝙蝠のような黒い大きな翼。
翼をはためかせて風を起こす。
その向うに、小柄なリーファーレイの姿は消えていた。

「竜だ」
唖然とラナーンが一歩踏み出した。
その肩をアレスが押し留める。

リーファーレイは巨体を立ち上がらせると翼を大きく広げて、後肢で地面を掻いた。
舞い上がる体は上昇していき神殿の最上部の縁へと消えて行った。

「あそこまで来いってことか」
ラナーンが生唾を飲む音をアレスは聞いた。
驚くだろう。
実際、アレスも指先まで痺れている。
タリスはどうだ。

視線を投げてみれば、彼女は胸の前で両手で拳を握り、屋上を凝視していた。
その横顔の嬉しそうなことと言ったらない。
爛々と輝く目で、さあ行こう、早く行こうと震えている。
歓喜の震えで武者震いとは異なる。

「竜か。本当にいたんだなあ」
「しかしあれは魔、夜獣(ビースト)の血だぞ」
「それなら問題ない。私のイーヴァーなんて百パーセント純潔に夜獣(ビースト)だ」
そうだ、彼女に偏見はない。
彼女のペット、彼女の言葉を借りれば友人の四足歩行の獣、イーヴァーは今ファラトネス城内に居候している。

「イーヴァーも美しかったが、あれも素敵だ」
恍惚としてさえいた。

「ファラトネスに招こうとか、思ってないか」
「検討に値するとは思わないか?」











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