Silent History 173





「誰?」
怯えている風でない、子供らしからぬ落ち着いた声音だった。

「名を尋ねる前に名乗るものだ」
一呼吸挟み、アレスが相手を探る間合いを取った。

「ここは私たちの家なのに」
客としての立場とは言え、入りこんできたのはそちらの方だと言外に言っている。
だからそちらから名乗れ、とはなかなか口が立つ。

「アレスだ。デュラーンから来た」
「私はリーファーレイ」
「リーファー・レイ?」
「氏も名もなく」
一息に。

「ほかに連れが、ラナーンとタリスがいる。デュラーンやファラトネスについては」
リーファーレイが首を横に振る。

「君は、あの女性の子どもか?」
「私の方が長くここにいるよ」
声は愛らしく、瞳も姿も子どもらしいのに、言葉だけは妙に落ち着いている。
彼女と長く暮していれば、大人慣れをするのか。
そもそもアレスにはこの子どもが男児なのか女児なのか判別できない。
おおよそこれくらいの年齢まで育てば性別による顔の作りも形成されるはずだが。

「神徒か」
だとしたら分からなくもない。
事実ラナーンがそうだった。
性別の境をふらふら歩いているような奴だった。

思い返せば、アレスがラナーンを主と認め、生涯側で守り続けようとデュラーンの泉で誓ったときも、彼が男だとはっきり認識はしなかった。
神徒とは、それほど危ういものなのだ。

「まだ朝は遠い。部屋に帰って眠ったほうがいい。話は日が昇ったときにでも」
「眠くないの」
「昼寝をし過ぎて?」
「体が痛むの」
「どこか悪いのか?」
「病気とかじゃ、ないんだけど」
あまり深く訊くのを憚った。

「どうしてここへ? 理由、聞いてない」
「会いたい人がいて。というより、知りたいことかな」
「何にもないとこだけど。でもリルが連れてくるんだから悪い人じゃなさそう」
「悪さをするために来たんじゃないからな。君たちの家を荒らすつもりもない」
「今までと変わらず、静かに暮らせるならそれでいいよ」
達観した物言いに、アレスの調子が狂わされる。
大人びた口ぶりは、タリスの子どもの頃の様でもあった。
背伸びした強がりとは違う、雑知識が邪魔しない子どもだからこその素直な目でタリスは物事を見ていた。
真っ直ぐな鋭い言葉に大人は心を揺さ振られた。
出しゃばったりはせず、言葉を挟んでいい場面だけ、子どもらしい率直な思い付きを口にする。
側で見ていたアレスは、大人たちがタリスを追い払おうとすることがないのを見て驚いたものだ。

アレスと同年代かそれより下の子どもといえば、大人に構って貰いたくて纏わりついてはあっちで遊びなさいと振り払われていた。
ラナーンはといえば。
元より大人しい子どもだった。
ぼんやりとしている風でいて、その場の雰囲気を肌で読み取る子どもで、居辛くなると兄やタリス、アレスの側にくっついていた。

「ここにはあの人と二人だけ?」
「そう。アレスは星が見たいの?」
「眠れそうにないから」
アレスが言うと、リーファーレイは星見の間という広間に彼の袖を引いて導いた。
その名の通り、広間は空に向かって口を開いていて星が頭上から降り注ぐように瞬いている。

「すごいな」
アレスが首を反らして空を眺めていると、リーファーレイが再び袖を引き、彼の注意を床へと引き戻した。
広間の中ほどに石の椅子がある。
腰を降ろせば膝が伸びてしまうほど高さは低く、しかもベンチの厚みは均等ではない。

「ああ。なるほどな」
なだらかに端に向かって石の厚みが増している。
人が横になって休める長椅子の石の台が二つ並んでいた。
高くなっているところに頭を凭せ掛け、仰向けになれば首を痛めず星を眺めることができる。

「どうしても眠れないときはここに来るの。でも今日はあなたが話相手になってくれそう」
「俺でよければ」
「寝物語にあなたの話が聞きたい。でも、話し疲れたら眠ってくれていいよ。星を眺める夜は慣れているから」
「まだ、体は痛むのか?」
「痛かったり、そうじゃなかったり。でも、それも慣れているから」
「痛みは慣れないだろう」
「忘れる方法を考えたりしたから」
時折溜息を鼻から吐き出すことがあった。
それはリーファーレイが痛みに耐えている瞬間だった。

「リルの母親と一緒に星を?」
「そう。ねえ話して。この世界には知らないことがたくさん」
「なぜ外に出ようとしない? 神徒、だからか?」
確信ではないが、リーファーレイの中には神徒の血が流れているように思えた。

「よくわかったね。私が神徒だって。でもあなたが思っているより複雑なんだよ」
神徒はいずれも複雑だ。
リーファーレイも例に漏れず、理由があるからここに留まるのだろう。

「それじゃあ、話をしようか。物語の初めは、一人の王子様から始まる」
「王子様」
「そう。ラナーンという名のな。大人しくて、いつも友達のタリスや兄の陰にいるような子だった」
アレスは星空に向かって語りかける。

「ラナーンはある日、城に剣を教えに上っていた剣士の息子と出会うんだ」
穏やかで悠久の時は、しかしゆっくりと変質していった。
糸が切れたように、ラナーンは城の壁を越えた。

「俺は」
アレスは、デュラーンを離れることに躊躇いなど欠片もなかった。

「神徒は己の土を求める、そうだろう。だとしたら俺の土はラナーンだ。だから、迷うことなどなかった」
ゆったりとした序曲から入り、鮮やかに場面展開する話にリーファーレイはアレスと同じ星空を見、耳はアレスの物語を追った。
シーマとの出会いと短かった旅路、出会った神々、ラナウとラナエの姉妹、神徒の里。
物語は徐々に今、この瞬間に近づいてくる。

「ここに来た理由は竜を探しにって?」
「神王の手掛かりを探しに。神王は竜の姿をしていたという。この森の中に棲む竜は神王に近いのかもしれない」
「神王のこととか、神徒のこととか知りたいのなら遺跡に行けばいいよ。壁に彫刻があったし、きれいだし」
「遺跡?」
「昔神殿だったみたい。ここは神徒の居住区」
道理で部屋が並んでいた訳だ。
ホテルか学校を思わせる小部屋の配置だった。
学校にしては装飾の行き届いた遺産的、芸術的な技巧が凝っている。
それから一時間ほど二人は黙り込んだ。
重く居辛い沈黙ではなく、静寂の中に星の音が聞こえてきそうだった。
夜の鳥が鳴く。
風が木々を渡る。
闇が視野を狭くする分、四感の精度が上がり見えないものが見えてくる。

「アレスも来る?」
リーファーレイが体を起こした。
毛布を巻きつけたような緩やかな衣装が長椅子から滑り落ちる。
星見の間は半円状に壁で囲われていた。
リーファーレイが体を折れば隠れてしまいそうな高さの壁が広間の端で途切れている。
リーファーレイはそこまで歩み行き、石の長椅子から立ち上がったアレスを振り返った。
壁際に歩み寄ったアレスがリーファーレイの足元を見ると長く細い階段が下層へ繋がっている。
下にあるのはテラスだ。
手すりのない階段は空中を歩いているような錯覚があり、踏み外せば下層のテラスへ落下して大事になる。
リーファーレイは慣れているのか軽やかに段を下る。
火を入れた灯りが段と闇との境界を照らすが、リーファーレイにとっては目を閉じても歩けそうな軽快さだった。

辿り着いた下のテラスは深緑のテラスと呼ばれている。
その名の通り、木々の頭がテラスの周りに集まって、テラスは緑の海に浮かぶ船のようだった。
しかしリーファーレイは説明しただけでテラスを横切りまた壁の切れ目へ進んで行った。

「いつもこうして夜中に出て行くのか?」
深緑のテラスから下に伸びる階段は裏庭へと続く。

「目が覚めれば」
庭を歩き、外へ向かう門の錠を外した。

「やはり夜中に女の子を外に連れ出すのは気が引ける」
「逆だよ。連れ出すのは私。連れ出されるのがアレス。性別なんてここにいれば関係ないし」
「これで行くのか?」
およそ目の前に広がる山道を歩けるような靴と服ではない。

「大丈夫。道の形は覚えてるから」
飛び出したリーファーレイをアレスが追う。
慣れているからといって、今まで一人、少女が山をうろついて無事だったほうが奇跡だ。
山の麓にしろ、谷を抜ければ滑落する危険もある。

「灯りは?」
「先に夜光花があるから平気」
リーファーレイの言葉通り、道の脇に仄かに発光する花が咲いていた。
しかし手元を明るく照らすほどの光度はない。

「強い光はここには必要ない」
リーファーレイが倒木の上に腰掛ける。
脇に咲く夜光花が木の表面を照らし出す。
アレスが表面から上に向かう突起を指で跨いだ。

「芽が」
「木が死んでも次の木の土になる」
木の上に種が降り、木の上で芽吹く。
倒れた木のその場所に、倒れた木が受けていた光を受けて。

「倒木更新っていうんだったか」
「同じ場所で同じ風景を見れば、それらが決して同じものでないことが分かる」
同じ風、同じ光を受けても木々は日々変わり続ける。

「命の連鎖なんだよ。この地は命で溢れている」
アレスは改めて驚いた。
大地では夜の羽虫の声があたりで湧き上がる。
空からは鳥の声が降りてくる。
肌には湿り気を帯びた空気が行き過ぎる。

「夜から朝に変わる時間だ」
リーファーレイが木から立ち上がる。

「朝鳥が発つよ」
折り重なった柔らかい腐葉土の上を踏み歩く。
火が爆ぜるように小枝が小さく音を立てる。

木々の間からリーファーレイが外に顔を出した。
アレスもその隣に並ぶ。
日がゆっくりと地表の闇を白く溶かしていく。
その瞬間を待っていたかのように、鳥が細く声を上げた。
キーン、キーンと声を投げたように空気に流れていった。
夜の虫や鳥の声は薄まり、朝鳥の声が絡んでいく。
朝の白みが濃くなり始めたころアレスの目はようやく鳥の姿を捉えた。
二羽が三羽になり、石の館の上を輪を描いて飛んでいく。

「鳥の柱だ」
「風を探してる。風を読んで、風を捕らえて渡る。そうしてまた戻ってくる」
上昇気流を捉えて高くに昇り、遠くまで流れる。

「風を捉える、か」
繰り返し、繰り返し、次の年も、また次の年も。
しかしいずれも同じではなく。

「目を覚まし始めた」
夜の声は消え、朝の声があちらこちらで立ち上がっている。

「君はいったい何度鳥が渡るのを見た? 何度倒木からの芽生えを見た? 君はリルの母よりどれだけ長くここにいる?」
「ずっとだよ。ずっと見てきた。ずっとここにいた。何年も、何十年も」
「君は」
「竜族は長生きなんだよ。私に、会いに来たんでしょう」
「ああ」
「でも、私は神じゃない。神徒だよ」











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送