Silent History 169





知っている?
この香りを。
体の中の熱を引き摺りだす、その芳香。

揺蕩う水のような神徒の心をかき乱す、神の香りを。
楽園の片端にひっそりと咲いていた花から生み出される魅惑の香りを。



白い頬を長い指が辿る。
皮膚のすぐ上をくすぐる感触に長い睫毛が伏せられた。
滑らかな親指は熱を吐き出して薄く開く唇を押し開いていく。

睫毛の下で煌めく黒い瞳は虚ろに、闇の中で灯る頼りない光を含んで濡れている。
歯を触れあわせて震えて動く唇は、何度も何度も、同じ言葉を繰り返している。
それは許しか、祈りか、あるいは。

弱い力で服を握り込み、押し返そうと試みるその腕ごと抱きこんで、耳の中に熱い言葉を流し込んだ。
我慢、しなくていいのに。

腕の中ですっかり熱を持った身体は、耳に触れた息で強張らせて体を反らせた。
腕の中から逃れようと足掻く、言いようのない初々しさと甘痒さに身震いがした。
嗜虐性の火が揺らぐ。

腕を緩めて背中に回し、羞恥心で横に背けた頬を引き寄せるように、そこから耳へと指を這わせていく。
辿りついた耳孔へと指を捻じ込むと、背中を走るこそばゆさで辛そうな表情を浮かべて目蓋に力を入れた。
外耳を弄り耳朶を摘み上げたとき、ついに涙は決壊した。

ああ、何とも可哀想に、辛いだろうに。
しかし、あと少し。

耳から連なる青い石に触れた。
懐かしい色だ。
美しく澄んだ色だ。
太陽の光を吸い込んだ海の色だ。
闇と融けあった空の色だ。

石に目を奪われながら、首筋へと手を滑らせた。
陶磁器のように滑らかなのに、触れれば熱を返す。
薄い被膜の下では赤が脈打っている。
緩やかな丘陵を描く鎖骨の上をなぞり、窪みを親指で押した。

開いた襟の下に手を突き入れて、進む指の動きを止めた。
流れたばかりの涙で湿る目尻に指を当てる。
目を閉じないでいるのは最後の抵抗だ。

辛いか?
肯定するように目蓋が動いた。
止めようかとも思った。
だが、もう少し引き摺りだせそうだった。

黒髪はしっとりと額に張り付いている。
形のいい眉から米神へ、髪の生え際を抑えるように掻きあげてやれば、
肌が触れるたびに体が小さく跳ねる。
瞳は定まらず、組み敷かれている肩越しに宙を仰いだ。

天頂には天窓。
淡い月影が二人の背中と額を照らす。
黒はより深く、白はより青く。

行き場が無く、背にしている机の角を握りこんでいた手が緩み、目の前の光を遮るように上へと伸ばされた。
ゆらり、ゆらりと水を掻くように空を手のひらが舞う。

酸素を求めて開いた唇の奥には、赤い舌が隠れ、覗く白い歯との対照が艶やかだった。
身体の内から外へ、ちりちりと焼き焦げ、拡がっていく欲望に対峙し、拮抗し、狭間を彷徨う。
せめぎ合う駆け引き、静かな闘争の残骸が湿った吐息として口唇からこぼれ出た。
暴かれる羞恥に身を捩る。
その恥じらいも、折れまいと踏み止まる意志も、染まる肌も美しい。


何を求めている?
何を呼んでいる?

自問できないでいるから、訊いてやっているのだから。
舐めるほど唇を寄せて、耳の上に言葉を乗せた。

その目は何を見ている?


再び目尻が涙で溢れる。
まるで子供だ。

そう泣かなくてもいいのに。
いじめたくてしてるわけじゃないのだから。

汗で湿りを帯びた柔らかい黒髪に指を差しこんであやした。


苦しい?
悪かった。

だが、君は見ただろう?
うねる欲望の波、その向う側を。


何度も髪を梳いた。
その触り心地が別れ難かったせいもある。

木の机に広げた服の上に転がされ、ようやく開放された彼は、怯えるように崩れた襟元を寄せて背中を丸めた。

部屋に帰る?
目元を拳で覆い、手の中に顔を押しこんだ。
沈黙の肯定だった。

強引を承知で、肩を丸めて抱え込んでいた腕を引き剥がし、引っ張り上げて体を立たせた。
素直に体を預けないので重くはあったが、勢いに乗せて腕を肩に引っ掛ける。
自分より小柄でよかったと思う。
薄暗い廊下を右に折れ、奥の部屋へと引き摺って行く。
歩を進める度に鼻先を掠る髪、ふわりと持ち上がる甘い香りにこちらの方が酔いそうになった。
引き摺ってきた熱の冷めない体を壁に寄り掛からせて、置いておく。
自立できないその体を片手で支え、もう片方の手は控えめに木の扉を叩く。
二つ目を叩こうと拳を浮かしたところで扉が動いた。
お待ちかねの、身元引受人だ。


「検分終了。調べるまでもないっていっただろう。後は頼むよ」
依頼人であって、かつ見学させろとこの男は言ったが、実際見ようものなら。

「卒倒するだろうね」
弛緩し息の荒い友人の、赤らんだ顔を覗き込んでいた男は顔を上げた。
睨んだつもりはないのだろうが、不穏な怒気が滲み出ている。
願ったのはあっち。
こちらは依頼を受けただけだ。
悪いわけではないのだから、苦情をまともに受けるつもりはない。

寝衣のまま、まだかまだかと待ち構えていたのだろう。
無表情を装ってはいても、感情は鮮やかだ。
しかし、読めないのは彼の心だった。
神徒の見極めを切望する、その水底にあるものがあまりに深くて探れない。


「見事に、神徒だったよ」
濁りの無い、純血種。

「これほどまで香が効くとは驚きだった」
髪を掻きあげて、汗が薄ら浮かんだ首筋に風を通した。
中てられない自信はあったが、少し引き込まれてしまった。

「血もあるだろうが、何というか。免疫力の問題かな」
経験値の問題だ。
あまりに波に攫われ過ぎる。

「忠告。雄の槍、雌の盾。しっかり固めること。それは特級、稀少だ」
少しは落ち着いたようだが、まだ力の入らない体に腕を回して、自分の肩に熱っぽい頭を凭せ掛けた。

「他の手に堕ちれば」
「それは老人から聞いた」
「分かっているならいい。明日、昼前には出発しようと思うから、ゆっくり休め。おやすみ」
背を向けて廊下を進むと、後ろで扉が微かに軋んで締まる音がした。
暗くなろうとも馴染んだ廊下、目を瞑ってでも歩ける。

闇に半ば隠れた廊下の最奥で、仄明るい光が扉の下に横線を描く。
虫が引かれるように、その扉へと吸い寄せられ、扉に手を掛けた。











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