Silent History 167





ラナーンの言葉が正しければ、彼。
彼の名はリルと言った。

マリューファや他の神徒たちとは違う。
彼らは口を噤んで生きていた。
定められた領内で息を潜めていた。
だが目の前に立っている彼は、神徒の内情を知り得ている。
ラナーンと神徒の関わりを知っている。

アレスは顎を引いて腹から持ち上がってきた不愉快を押し込めた。
危険な匂いはしない。
しかし。

「不機嫌を引っ込めろアレス」
タリスがたしなめる。

「顔には出していない」
「出ていなくても、私には見える。長い付き合いだからな」
この場で彼女は問い詰めなかった。
代わりに。

「後で話を聞いてやるから」
まるで母親のような口ぶりで続けた。
三人は椅子に腰かけ、彼の祖父、ジースから紹介された老人を待っている。
老人は散歩に出掛けている。
今度は昼に出直せ、などと追い払われはしなかった。

「さっきの二人は? 男の人と、女の子」
「友だち」
そういうより、ボディーガードだ。
別室に控えていたりするのだろうか、とラナーンは暇潰しに取りとめのないことを考える。
それを察してかリルが小さく笑った。

「会いたければ呼ぼうか?」
「いいよ」
彼は三人を椅子に座らせ、自分は柱に背を預けて三人を観察している。
腕を組んで何気なく立っている姿も絵になっている。
神徒の血が濃いということか。

ラナーンの血も神徒を濃く継いでいると、ラナーンの口から話の内容を聞いた。
アレスはラナーンの横顔を覗き見る。
タリスらファラトネスの姉妹にしろエレーネにしろ名高い美貌の持ち主だった。
技芸や教養豊かで内から溢れだす気品や澄み切った思想がそのまま肌の外に現れている。
気高く聡明で、時に子供のような純朴さが香る。
贅沢な話だがアレスの目はそれに慣れていた。
ラナーンは昔から愛される顔立ちではあった。
城の侍女たちに騒がれるほど成熟していなかったが、何かと構われることが多かった。
その幼かった丸い頬も、今は男としての骨格に変わっている。
細く長い首筋、薄い布との隙間には鎖骨が形よく浮き出している。
今は目に触れない布の下には、線は細いが骨に沿って滑らかに筋肉を纏っている。
肩から腕にかけてはもう少し力をつけた方がいい。
肌理の細かい肌は指先まで続く。
胸を反らせば背中に浮き上がる肩甲骨、そこから腰に続くラインは少年から青年への過渡期にあった。
デュラーンを出てから成長した脚。
アレスも身長が伸びつつあるが、それはラナーンも同じだった。
これが神徒の姿。

入口の方で人の気配と音がした。
リルが言ったように半時間も待つことなく老人が帰ったようだ。
散歩というから手ぶらな軽装を思っていたが、現れた姿は大きな袋を背負い厚い底の靴といった装備をしていた。
どこまで、何をしに行ってきたのか。
リルの顔に答えを求めてアレスが視線を振ったが涼しい顔をしている。

「着替えてくるからもう少し待ってくれるかな」
端に座ったラナーンの横を通り抜けたとき、老人からは青臭さが漂った。
土の、匂い?
ラナーンは奥の部屋に消えた老人の影を追う。
畑仕事でもしてきたのだろうか。

水音が背中からし、程なく老人が手ぬぐいを手で提げ、すっきりした顔で席に着いた。
それを見てリルが茶を淹れ直して最後に自分も椅子を引いた。

「里のみんなは元気にやっていたかね」
開口一番、その言葉は予期していなかったので三人はとっさに反応できなかった。

「行ったことが?」
「私じゃなくてね、こいつが」
孫の方へ顔を向けた。

「竜の話を聞きたい。神の話だ」
「聞いてどうする」
「神を知れば世界の仕組みがわかる。より高位な神だ」
「知って何をするんだ。世界を救うか? 勇者にでもなるつもりか」
老人の口調は穏やかだった。
憎しみも皮肉も隠れてはいない。
だからこそ、真っ直ぐな言葉は酷くアレスに突き刺さってくる。
神々を殺した勇者。

「勇者になどならない。世界を救おうとも思わない。夜獣(ビースト)を、魔を知って、俺の国を救いたいとは思う」
それから。
何をしたい。
何のために。
深く考えないままアレスはここまできた。
ラナーンがそこにいたから側にいた。
今も変わらない。

「神の香りが何なのか。夢の正体が何なのか知りたい」
知りもしない神に変なマークをつけられたり、わけの分からない夢を見たり、気分のいいものではない。

「魔、夜獣(ビースト)。ファラトネスは大打撃を受けた」
アレスの言葉にタリスの肩が小さく跳ねた。
また、長い長い話をしなくてはならない。

「夜獣(ビースト)が来た森は霧で覆われた。夜獣(ビースト)は閉じ込められたように流れ出てくることはない。今は」
しかしそれもいつまでのことなのか、その霧の実態が掴めていないので何ともいえない。

「ほう。それで」
老人は興味を持ったようで、机の上に肘を乗せ、立てた手に頬を押し当てた。

「魔は神門(ゲート)から現れる。神門(ゲート)は森の深部に眠る。触れてはならない禁忌の扉だ。だから、木を植えた」
再び森の壁を作ろう。
神門(ゲート)の繭を作ろう。

老人はタリスの顔を表情の消えた目で眺めた。
逆にタリスは彼が何を考えているのかさっぱり読めない。
ニスを塗った滑らかな木の机も、寒々しく感じた。
揃いの褐色の椅子も尻の下で硬く感じる。
見られている。
選別されている。
試されている。
リルは昨日、老人はいないと言っていただろうが、本当は家の奥にいたのかもしれない。
ジースの紹介状だけで会わせるわけにはいかない。
紙一枚で信用できる人間かわかったものではない。
だからこそ、彼は直接ラナーンに対面した。
そう、タリスは頭の中で道を作った。
ラナーンが神徒だから。
少なくともリルはそう認めた。

ラナーンは合格だった。
リルに気に入られたわけだ。
身内の加点を差し引いたとしても、タリスは断言できる。
ラナーンを気に入らない人間はいない。
温室ならぬ王宮育ちで世間知らず。
しかし正直者で無知を知っている。
今までの人生で得られなかった知を得ようと一生懸命な姿は愛しく思う。
自分にはデュラーン王の血が流れていないかもしれない。
事実に打ちのめされたとき、捨てないでほしいと、言葉に出さずとも全身で訴えていたとき、不謹慎ながら母性と庇護欲に身を震わせた。
頑なで素直で。
私が守ってやらねばと思った。
リルがタリスと同じ思いを抱いたわけではないだろうが、ラナーンに幾ばくかの信頼を置いても良かろうと判断してくれたのだろう。

「正しい答えなど分からない。ただ私たちは古の理を守り続けようと思う」
正しい答え?
神門(ゲート)と森のことか。
タリスは老人の皺が濃く刻まれた顔を眺めた。
日に焼けている。

「木を、植える?」
「そうだ。私も植えている。あれは人の目に触れてはならぬものだからだ。話を聞きたいんだったな。何の話をしよう」
「マリューファから、竜の話を聞いた。竜はいるのか? 神なら、神王に近しいはずだ。高位だと思う」
堰を切ってタリスが畳み掛けた。

「竜が棲んでいるというのは聞いたことがある」
「場所は」
「会いたいのか」
そのために来たのだ。

「神王妃って」
ぽつりとラナーンが口にした。

「マリューファのところで、見たんだ。神王妃の像があった。白い石だっで、とてもきれいな人だった」
エストナールからソルジスに抜けるまでの山道でも岩に彫ってあった。
神王妃を想い、神王妃に祈り、誰かの救いになっていた。

「神徒にとって、神王妃って何だ。神王妃なんて、歴史書に載っていなかった」
黒の王に妃がいる話は、デュラーンにいるときには聞いたことがなかった。

「神王妃は神徒だったとされている。どんな力を秘めていたのか、魔力が高かったのか知らないが」
「それが神王の妃に? 竜の花嫁だと」
所感を述べたのはアレスだった。
何を思って竜の元に嫁ごうと思ったのか、首を捻っても推測の欠片も出てこない。

「神王はガルファードに倒された。封印されたんだろう?」
「神王の神殿には、大きな神門(ゲート)があった。大神門と呼ばれていてな」




神王は神殿の奥に座していた。
広く静かな神殿、神々は神殿の各所に控えている。
彼らにはそれぞれ司るものがあり、強い力を有していた。
その力ゆえに、神殿からは出られない。
神王は世界の力を司っていた。
地脈などの力の流れが滞らぬように、世界を廻す。

しかし神殿の外では静かに暗い風が吹き始めていた。
人間は繁栄し、繁殖した。
木を削り、神門(ゲート)が露出する。
ヒトと魔、その狭間の空間が薄くなる。
ヒトは魔に触れた。
恐れた。
神々は殺められ、神門(ゲート)は粉砕された。
魔の出口は封じられた。

人々は己の力でもって魔を絶ったのだと昂ぶった。
火の灯った目は神々の王へと向けられる。
躊躇うことなどなかった。
すでにその手は神の血をたっぷりと吸っている。
夜獣(ビースト)を憎み、夜獣(ビースト)を恨み、だが一番の獣は何者か。
口にせずとも血走った目が語っていた。

神が滅ぼされた。
仕えていた神徒は蹂躙された。
ヒトは神王の神殿に迫り来る。
ガルファードそれにサロアら勇者が先駆けた。

そして神王は封じられる。
神王妃は、ガルファードの手に掛かって散った。

それが、ヒトの描いた史実に隠れた、もうひとつの物語だ。


「私たちはその物語の続きにいる。まだ、終わってはいないのだよ」
一度滅びて繁栄を取り戻した世界。
そして再び緩やかに歪んでいく世界。
二度目はあるのだろうか。
それでもこの老人は木を植え続ける。
それが彼にとっての正義であり使命、だった。
神徒としての生き方なのかはアレスやタリス、ラナーンには分からなかった。

「竜に会いたいのならリルに案内を頼むといい。私よりよく道を知る」











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