Silent History 162





「調子はどうだい」
久々に会ったラザフは変わらない調子で、二階から降りてきたアレスを迎えた。
昨夜ラザフの家に戻ったときも何を聞くこともなく、風呂と寝床を用意していた。
流民の里に身を寄せていた数日の間も、部屋の掃除と寝床作りは欠かさなかったのか埃はひとつも被っていなかった。
寝起きで窓を開ければ一階の窓からもれた朝食の良い香りで目が完全に開いた。
着替えて洗面所で顔を整えてからアレスは階下に下りる。

「傷は俺もタリスもほぼ完治しています」
まだ少し時間のかかる朝食の前に、ラザフの妻が用意した茶を口に含んだ。
バシス・ヘラン脱出時に負った傷は今はほとんど痛まない。

「ラナーンも落ち着きました」
遠まわしだが聞きたいのはそのことだろう。

「デュラーンに戻ってディラス王に真意を聞けばことの決着はつくのだろうが、今は旅を続けたいと言っている」
「そうか。本当に繊細で壊れてしまいそうだったから」
「あいつは庇護されて育った。皆に守られて、俺も張り付いて大切に育ててきた。優しいが折れる痛みとを知らない」
挫折に苦さを知らないから痛みを怖れて内に籠ろうとする。

「踏み出す強さや現実にも揺るがない芯があってこそ生きる強さと美しさが生まれる」
柔らかいデュラーンに包まれるだけでは養われなかったしなやかさを身につけてほしかった。


アレスは今までの旅を思い返した。
夜獣(ビースト)を追って、神門(ゲート)を見つけた。
神門(ゲート)の守人である神は人の手によって殺され、神門(ゲート)も粉砕された。
堰き止められた夜獣(ビースト)の力は綻びを見つけ、流れ出そうとしている。
予兆はすでに各所に現れてきている。
デュラーンではクレアノール、ファラトネスでは大森林に強靭な夜獣(ビースト)が出現した。
神の階層、三女神。

「知りたいことはあるが情報が少なくて」
「歩き回っていれば何かしらひっかかることもあるかもしれないよ」
部屋は余っているから好きに使ってくれていいとラザフは言った。
タリスは昨日、妻の荷物持ちとして買い物に同行すると言っていた。
しばらくしたら部屋で眠っていたラナーンを伴って起きて来るだろう。

「ディグダとルクシェリースには行っておかなければ帰れないと思っているんだ」
「それはいい経験になる。ディグダは帝が国の頂点に立っているらしいが、十代の子供らしいね」
そうらしいというのは聞いたことがある。
帝の周りには執政官たちが固めているとも。

「ルクシェリースといえば」
眠れるサロア神だ。

「サロア神やシエラ・マ・ドレスタの動きは何か」
「いや、特には。うん、何も入って来ていない」
サロア神の眠りが解けようとしている。
その事実はまだ外には漏れだしていないようだ。
もっとも、単なる白昼夢なのだろうが、現実感のある夢だけに誰かに確認したかった。
単なる夢幻だという確証が欲しかったのかもしれない。

「気にかかることでも?」
「いや。思い過ごしならいいんだ」
広大な領土と強大な軍事力と資源でグラストリアーナ大陸に君臨する帝国ディグダ、中枢は帝都ディグダクトル。
救世主であるサロア神を掲げ求心力を強めるルクシェリース、聖都シエラ・マ・ドレスタ。
世界の双頭、拮抗した勢力の一方が傾けば世界は揺らぐ。
サロア神の覚醒が事実ならば、勢力は一気にルクシェリースに流れるだろう。
各地で出没している夜獣(ビースト)は、その地ごとで名は転じても根幹は同じだ。
討伐隊を派兵して浄化に当たっているディグダだったが、最強のカードであるサロア神を出されては忽ちに無力化する。
ディグダにとって古代の勇者、眠れる神の目覚めは脅威だ。
神自身の力の程もそうだが、何より彼女の信徒たちの力が恐ろしい。
斑色だった世界は一色に塗り潰される。

アレスは眉をしかめた。
そうだ。
異教徒は滅せられる。
かつての神王の信徒たちが残虐に弄られ葬られ、生き延びたものたちは息を潜めて生きてきたように。

「気分が優れませんか」
「いや。ちょっと、外を歩いてくる」
タリスら二人が下りてきたら頼むと言い残して席を立った。
玄関に向かうところで立ち止まって振り返る。
朝食は後で貰うと言うと考えを練っているようなゆったりとした足取りで表に出て行った。

朝食ができあがったちょうどいい頃合いに、アレスの予告通りタリスがラナーンを引き摺るように手を引いて下りてきた。
寝覚めのよくない王子様にラザフが微笑ましく目を細める。
体つきは少年から青年に変わりつつあると言うのに、目をこする仕草は幼く手を引いているタリスが姉のように見える。
アレスが大切に育ててきた王子様、そう表現していたが事実らしい。
デュラーンの壁の中で温かい光を浴びて育てられてきた。
競うことを厭い、恨みや妬みを知らずに育ってきた。
その彼が突如として外界に飛び出し、壮絶な光景を数々目にしてきた。
タリスは甘やかし過ぎる、お互いに独り立ちしろと苦言をならべているが、アレスが過保護に立ちまわるのも分からないではない。
どこにも、世話を焼かずにはいられなくさせる人間というのはいるものだ。

食卓を囲んで大家族の朝食を終えるとラザフは仕事にかかった。
三人で片づけをしている間も外を気にしてはいたがアレスが戻ってくる気配はない。
台所で皿に盛った朝食をラザフの妻が見下ろしているのを、タリスが横から皿を攫う。
食卓の一席に置くと紙を貰って一言書き置いた。

「これで心置きなく出かけられる」
「でも鍵はかけなくちゃならないだろ?」
「そんなのラザフのところに回って入らせてもらえばいい」
隣なんだから、と視線で示した。

買い物の準備を済ませて三人で並んで表にでた。
雲が掛かっているが歩くにはこのくらいがちょうどいい。
街に出て歩き始めれば、ラナーンが物珍しそうに周りを見回している。

「おもしろいものでもあるのか?」
「ここらへんなんだと思うんだけどな」
「何が」
「見つけたら教える」
何だそれは。
タリスは指に食い込んだ左の荷物を右に持ち替える。
ラナーンの顔が道に立っている表示に顔を向けたまま、歩調を落とした。

「ここかも」
「見つかったのか」
「分からない、けど。タリスお願いがあるんだ」
「言わんとしてることは何となく」
タリスに買った荷物を手渡した。
後は薬屋にラザフの手紙を届ける用事が残っている。

「悪い」
「いや荷物のことはいいんだが、おい!」
ちょっと待てとの一言を最後まで聞くことなくラナーンは路地に駆けこんだ。
帰る道は分かるだろう、だがあいつを一人で放り出したのがまずい。

「アレスに、殺される!」
「あの、このあたりは治安がいいですし、道も入り組んでおりませんので」
人に聞けば道は教えてくれる。
路地は多少窮屈だが、何より巫女が良く通っている。
歩いているだけで攫われたり、傷つけられたりはまずないとラザフの妻は青ざめたタリスを宥めた。

「ああ。ああ、そうだ。そうなんだ」
タリスが頭を振る。
どうもアレスと長くいると常識がねじ曲げられていく。

「そうだ。過敏なんだ。それを一番わかってるのはあいつかもな」
ラナーンが消えた路地をタリスが眺めている。
三人ともが何度も危険な目に合っていた。
アレス仕込の剣の腕は確かなものだが、何分覇気がない。
緊迫感も警戒心もない。
アレスが過剰に心配するのも、何かと世話を焼くのもタリスには分からないでもなかった。

「守ってもらうのはありがたいし嬉しい。だがそのために誰かが身を顧みず傷つくのは嫌だ。一貫して変わらないあいつの意志なんだ」
荷物を持ち直して、用事を済ませてしまおうとラザフの妻を先に促した。

「デュラーンにいたときからそうだ。ラナーンはいつだって周りを気遣ってばかりだ。兄上やエレーネ、アレスや私。自分のせいで誰かが負担に思うのを極端に恐れる」
兄に国を任せた負い目からにもタリスには思えた。
心の内はラナーンにしか分からない。
あるいは、ラナーン自身もよく分かっていないのかもしれない。

「折り合いをつけて行くしかないんだ。誰かの肩に寄り掛かり、また自分の肩も誰かに貸せる。相互扶助だな。頭では分かってるんだよ、ラナーンも」
そうだ。
私たちはもう子供じゃないんだ。
吐き出すだけ吐き出して、ようやく頭が冷えた。

楽しいことは好きだ。
賑やかなことには飛び込んでいきたい。
アレスはラナーンに絡むこととなると頭が白くなる。
その一点だけで周りが一切見えなくなる。
だからこそ、自分が錨となりアレスを叱咤しなければならない。
局地では冷静であろうと努めてきた。
それも見えぬところで重圧と責任となっていたのだろう。
その事実にタリスは我が身のことながら少々動揺していた。

「すまない。身内の話ばかりで」
「いいえ。聞けて良かったわ。あなたも不安なのでしょう? あの二人が互いの何かに怯えて、擦れ違う。側にいるあなたも同じで」
「そうかもしれない。どうだろう。ただ考えるようにはなった本当にガラスを踏み歩くように静かで繊細なものなんだ。人の繋がりってやつは」
「楽に生きたい?」
「面倒だと思うことはある。今までだってこれからだって側にいるんだからって」
「でもだからこそ、今は絆を大切にしなくちゃいけないわ。あの子には、今信じられるのは二人しかいないのだから」
「ああ。そうだな」




見つからなければ諦めて帰ろうという軽い気持ちだった。
一人で見知らぬ場所を歩き回るより、日を改めて三人で回った方が確実だとも思った。
しかし思い返したのはタリスから離れてからだから手遅れだ。
マリューファから聞いた通りの名を見つけた。
ここだと思ったら食いついていた。
気が付いたら家探しに没頭していた。
このあたりのはずだ。
不思議と心細さを感じないのは、頭上から降り注ぐ陽光と掃き清められた石の道だからだ。
壁に埋まるように扉があり、うっかり見逃してしまいそうになる。
窓の窪みに小さな鉢が並んで花を咲かせている。
夜になれば壁の高い所から垂れている灯りに火が点るのだろう。
仄明るい石道も情緒があって歩いてみたいと想像に胸が温まった。
家の扉の脇には小さな札が掛かっている。
どの作りもこぢんまりとしていておもちゃのようだ。
エレーネが持っていた人形の家を思い出した。
彼女をここに連れてくればかわいらしいを連呼して目を輝かせるだろう。
目の前の扉が開いて男が顔を出した。
丸眼鏡の学者風で大人しそうな男だ。
分厚い本が似合いそうだと思っていたら、予想に違わず石段を下りて現れた腕には本を三冊抱えている。

年はアレスより上だろう。
穏やかで落ち着いている。

「迷子?」
訝しげな空気を微塵も見せず、柔らかい声でラナーンに話しかけてきた。

「見ない顔だ」
「探しものをしていて。人、なんですが」
「それならよかった。ここは人通りが少ないからね。尋ねようにも人がいない」
崩れかけた本を持ち直した。

「お出かけですか」
「ああ。本を返しに行こうとして。でも急いでいるわけじゃないから、探している人がいるなら手伝うよ。名前は?」
「ええっと」
思わぬ方向に話が流れ始めている。
これは、幸運か。

「もう見つかりました。きっと、それはあなただから」











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