Silent History 161





ラナーンは集落のあちこちを歩きながら、ここで起こったこと、知ったことを反芻していた。
神殿、取り巻く回廊、神王妃の像の下、神殿の裏にある小さな植物園で足を止めた。
アーチを潜り、よく手入れされた小さい庭の花壇を端から眺める。
白く小さな花が微風で鈴のように傾げた首を震わせている。
見回してみるが色彩に乏しい。
垣根と奥にある硝子張りの温室からして植物園なのには違いないはずだが。
整列した花壇に挟まれた、アーチの入口から植物園を貫く小道を進んでいった。
右に緩く湾曲している土道は温かく箱庭のようだった。

神さまの箱庭の中の箱庭。
入れ子構造の世界を想像してラナーンは空を仰いだ。
外の世界は、おれたちが外だと思い込んでいるだけで、実は大きな箱の中にある小さな箱なのかもしれない。
箱の中の箱の中の箱。
知らないだけで、見ていないだけで、見えないだけで、それは存在しないことになっている。
地面に目を落とした。
いつのまにか止まっていた爪先を、意識的に持ち上げた。
何だろうな、音はあるのに静かだ。
耳を澄まし目蓋を落とす。
自分の呼吸の音さえ聞こえてきそうだった。
空気が鼻孔を擦る音、風が耳に擦り寄っては離れる音。
神の手で守られた小さな世界は実に美しく、穏やかだ。

足裏のちりちりと踏み締める砂利の感触と音を楽しみながら温室の扉に手を押し当てた。
さほど抵抗もなく硝子戸は押し開かれた。
蝶番が滑らかに来客を受け入れる。
中央の丸い花壇には体を捻った木が聳え、周りには蔦が絡まっている。
硝子の壁に沿って微かに衣擦れの音がする向う側に歩みを進める。
空の容器をどこかに乗せる乾いた音もする。
ここは土の匂いと太陽の匂いで満ちている。

「こんなところまで何をしにいらっしゃって?」
机の上に置いた鉢の上で手を動かしながら、背後に迫った気配に彼女から話しかけた。

「散歩」
朴訥に彼は答えた。
彼女に遠慮など要らない。

「今日外にお帰りになるのですってね」
仕事が一区切りついたのか、手を鉢から持ち上げて指の土を払った。

「明日だ」
「ここはいかがでした?」
「とても居心地が良かったよ。いろいろ考えた。いろいろ話もできた」
「外は騒がしいわ」
背を伸ばして彼を一瞥すると、汚れた手を前に突き出したまま水場へと歩いていく。

「それは少し同感だな」
彼は彼女の背中を追って歩いた。
彼女の隣に並び、澄んだ水の中に手を浸す彼女の手元を見つめていた。

「冷たい?」
「ええ。ここは地下からの湧水ですから」
石段の上部から湧き出た水は彫られた溝を流れ落ちて行く。
一番上の段の小さな貯水に触れようとして柔らかい制止がかかる。

「そこは飲み水。手を洗うのは三段目から」
「花が少ないな」
「ここは薬草園ですからね」
薬草を育てるところ。
鑑賞用ではないのだと、彼女の声を受けてゆっくりと首を巡らせたラナーンに念を押す。

「あなたは本当に何も」
「何?」
「いいえ」
「何だよ」
「ご同伴の方々の苦労が忍ばれます」
むっとするより、彼女の言葉の意味するところが分からず困った顔をした。

「観察力、洞察力、注意力。総じて」
「つまり鈍感とでもいいたいわけか?」
「ご明察。今の鋭さは奇跡でしょうか」
「遠慮ないな」
「私はあなたが嫌い、ですもの」
「さみしいな」
「思ってもいらっしゃらないくせに」
白の衣装が光を浴びて輪郭が薄くなる。
白い手が持ち上がり、ラナーンの顔の横で止まった。

「顔かしら?」
指は頬を緩くつねった。
思いもしない行為にラナーンは摘まれたまま目の前の彼女の顔を凝視した。

「可愛らしいのは認めるけれど」
あの二人がよくついてきているものだと言いたいらしい。
頬から彼女の指を剥がした。

「保護者らしい」
そういうと彼女は納得がいったように口元を緩めた。

「マリューファ。おれたち、神さまを捜しにいくんだ」
「神さまが見た世界を見るために?」
「世界を知るために」
「それは楽しそうですね」
ああ、楽しいと思う。
知ることは、世界が拡がることだから。

「タリスがおもしろい話を聞いたんだ。竜族って知ってるか」
この里の老婆から聞いたらしい。
数年前、空を竜が泳いで行ったと。
神王は竜の姿をしているという言い伝えだった。
あれは神だ、あるいは神の使いか。
目の奥で淡い炎を揺らめかせながら、老婆は晴天を見上げ長い体を波打たせる記憶の姿を重ねた。

「外に行くのでしたら」
マリューファは指を水に浸し、乾いた石の上に水文字を描いた。

「ジース?」
「そう。彼のお婆さまも竜の姿を見たのだそう。何十年も昔のことですけれど」
顔を上げてマリューファの目を食入るように見つめたラナーンから目を外した。

「詳しいことは存じ上げません。私はそのお婆さまにお会いしたことはございませんし。彼はそういう神秘的な物語が好きなものですから」
どこまで信頼できるお話かわかりません。
そう言いながらも、彼女の顔は綻んでいる。

端から乾きはじめた水文字にもう一度目を落とした。

「単なる夢物語かもしれませんけれど」
子供を慈しむような微笑みは楽しそうでもあった。

「奇跡で創られたような場所に立ってるんだ。大抵のことは信じられるよ」
乾きはじめた文字を頭に焼き付ける。

「彼のところへはいかないのか。愛してるんだろう?」
恋をしたことはあるか、と彼女は浴場でラナーンを問い詰めた。
身を焦がしているのは彼女だ。

「その言葉が意味することをあなたは知りません。それって本当に残酷」
酷く痛そうな目をラナーンに向けた。
水場の石に爪を立てる。

「あの人をこの里に迎えるか。家族と引き剥がし、それでも森が受け入れてくれるかなど分からない」
あるいは。
彼女は言葉を詰まらせる。

「子を宿し、私だけがここに戻ってくるか」
愛している。
愛しているからこそ辛い。

「どうしてそうなるんだ。その男の元に嫁げばいいだろう?」
「私はここを愛しています。私だけじゃない、ここの人たちすべてがこの地を愛している。離れても皆必ず恋しさに戻ってくる」
だからこそ、この里は細くも今まで生き延びてこられた。
男とこの地、二つを愛しどちらも捨てることができない。

「この地で育ったものを口にし、この地で生きてきたものは、この地の土と還るのです」
「それを神の呪縛、神が仕組んだことだと、神の車輪から逃れられないと感じはしないか?」
「私たちは神より齎されたこの地で生を許された。神の手から逃れようなどとは思いません」
「でも外の人間は、神から逃れようと車輪を壊した」
「そうして壊れた車輪は軋みを上げて歪み回っている。外の人は何か敵を作って戦ってしか生きられない。何て哀しい種」
「不安なんだ。すべての力をコントロールできる神王を畏怖した。恐怖が狂気を駆り立てて行く」
「誰が世界の軸となり、世界を回しているかは大切ではありません。そこでどう生きるかなのです」
絶対の力に対する恐怖、行為のすべてが誰かが作ったものだと思ったとき。

「考え方の相違。どちらが悪いわけでもありません」
でも。
彼女は静かに口にした。

「聞いてみたい。神をその手にかけ得た自由な世界。そこで生きるひとびと、命が紡がれた子供たち、彼らは皆幸せですか?」
闇を怖れ、魔を怖れ、神を怖れ、駆逐した。
その世界にまた魔が現れる。
夜獣(ビースト)は人を襲う。

「おれには答えられない」
「いじわるな質問をしてしまいましたね。謝ります」
「気にしていない」
「祈りましょう。あなたが神に触れられますように」

里を抜け、石の階段を上り、深い森に出た。
森のどこかに封印を結び直された神門(ゲート)がある。
神は森への立ちいる者を選別し、森と民とを守る。
やはりここは神の里だった。
彼が見捨てれば忽ちに夜獣(ビースト)は溢れ、里ばかりでなく町村にまで辿りつく。
恐怖も病も飢餓もない、神の奇跡で保たれている里は枯渇し人々は死に絶えるだろう。
神に飼われた人々。
神の手の内で生きることを望んだ人々。
彼らは受け入れた人間たちだった。

神がなくとも生きていけると知ったなら。
誰かが、神が厄災を人に与えているのだと声を上げたなら。
世界は転覆する。
いや、転覆した。
それが外で起こった始まりだった。

腐葉土の柔らかい道を踏むラナーンの足先が止まった。
森の外は近い。
後に連なっていたアレスがラナーンの背中に手を当てて声をかける。
前を歩いていたタリスが案内役の巫女を呼び止めラナーンを振り返った。

神を殺すまでの恐怖。
畏怖から憎悪への転化。
世界が動くにはあまりに変化の力が大きすぎるように思えてならない。
だからこそ、実感が無い。
いかにしてサロア神が立ったのか。
勇者として期待を背に立ちあがったガルファードのことを伝説以外に知らない。
史実としての彼らをラナーンは知らなかった。
闇を打ち払い、自由と光をもたらした美談。

デュラーンは、ファラトネスとともに高い軍事力を保持し一勢力として存在感があった。
両国、周辺諸国はサロア信仰が薄く、デュラーンは水神を祀っている。
デュラーン・ファラトネス一帯は土着信仰、精霊信仰を吸いあげて形成された多神教国家だった。
ゆえに、信仰のルーツは同一神であることも多く、近隣諸国間の軋轢は比較的少なかった。
友好国同士が国家を越えて婚姻を結ぶこともしばしばあった。
ファラトネスでは、第二王女であるエストラが近隣のリヒテルに嫁いでいる。
宗教戦争の緊張がなく、サロア信仰からも遠いデュラーンで育ったラナーンには、神を裁いたサロア神が幻想のものとして以外捉えようがなかった。

神王の配下にある三女神。
樹霊姫(ジュレイキ)は土を。
焔女(ホムラメ)は炎を。
藍妃(ランヒ)は水を司る神々だという。
デュラーン城の最奥で水に沈んでいた神像のルーツを辿ればおそらく藍妃に辿り着くだろう。
凍牙の洞窟では氷柱が道を塞ぎ、奥には凍結した剣があった。
デュラーンの術者が施したものかとも思ったが、封印するほどの宝剣ならば凍牙などの僻地に置きはしない。
逆に、厭うようなものならば兄のユリオスが示したりするはずがない。
アレスが出会ったという神、それが藍妃なのではないだろうか。
ファラトネスの大森林で湧き出た夜獣(ビースト)の群れ、脅威を抑え込んだのは森を包み込んだ霧だった。
タリスに聞けば、霧はまだ溶けることなく森を濁らせ、ファラトネスの研究員を派遣し大気の採取や調査を行ったが、取り立てて何も見つからなかったという。

藍妃はそこにいたのか。
接触できればすべてが解けるような気がする。
しかし三女神は大気や地脈に溶ける、いうなれば精霊のようなものだと聞いた。

タリスに手を引かれながらラナーンは木漏れ日の中を、流れてくる光に向かって歩いていた。
神がいま、どこにいるのか分からない。
途方もない探索に思えてくる。
三女神はどこを漂っているのだろう。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送