Silent History 151





炎の灯りが天井に波打つ影を作る。
弧の長椅子が広間の中央で円座を組んでいた。
幅が広くて柔らかく、骨の無い椅子はファラトネスの宴席でのクッションにも似ている。
タリスは早速体を沈めていた。
床に近いその椅子が懐かしくも気に入ったようだ。

長が座し、先の長も隣に腰を下ろした。
円座より少し離れた座に、先ほど頭を垂れていた巫女二人が立て膝でクッションの上に腰を乗せた。
手にしていた灯火を滑らかな床にそっと置く。
彼らの前には酒杯は用意されておらず、完全に傍聴人というわけだ。

この間は普段何に使っているんだろう。
ラナーンは首をひと廻りさせてから、唇を薄く開いたまま大きく仰け反った。
高い天井、換気された空間、静寂と清浄。
祈りの間なのだろうか。
この間に続くと扉があるだけで、卓もなければ肝心の祭壇もない。
集会所のようなものなのか。
頭上に施された装飾が美麗だ。
派手さはないが繊細だった。

「造りに惹かれますか。さすがに、造形術で名高いデュラーン。血が騒ぎますか」
ゾイフェが立ち尽くしたラナーンを下から仰いだ。

「実は、それほど詳しくはないんです。建築とか、彫刻の技法とか」
「美しいものを美しいと感じる。それが大切なのです。我々には時間がたっぷりとありましたからね」
時間を惜しみなく使って作り上げた緻密な芸術は見事だった。
何気なく腰を下ろしたクッションも、糸で繊細に編み込まれた模様が刻まれている。

灯りは離れた壁に掛けられた灯火、他に皿に乗せられた灯火は囲むように円座の回りへ等間隔に並べられていた。
煌々と輝く白い光はなく、気を沈め落ち着いて話をするにはいい光度だった。

「物珍しいのは分かったから。まあちょっと落ち着いて座れ」
タリスが椅子の上で手を跳ねた。
昼間は一番落ち着きなく騒ぎ回っているのに、と少し呆れながらも大人しく柔らかい椅子に背中を埋めた。

円座の中に菓子や果物、酒に茶などが並んだ。
先ほど食事を済ませたばかりなのですぐには手が伸びない。
話を請われ、デュラーンを出てからの旅路を語り始めた。

ラナーンがアレスとともに逃げるようにデュラーンを出て、すぐファラトネスでタリスを拾う。
その後渡った国はリヒテル、タリスの姉エストラが嫁いだ国でタリスの剣を受け取った。
次のエストナールから本格的に三人だけの旅が始まった。
頼れる知り合いも血縁もなく、ラナーンら三人の地位は意味を成さない。
だからこその出会いもあった。
シーマという掛けがえのない友人を得ることができ、神の棲む島へも渡った。
人の歴史、人の描いた物語、それがすべてなのかと疑問を抱き、興味を持ち始めたのはその時からだ。
ソルジスに流れ、カリムナという御供に縛られたラナウとラナエの姉妹に出会った。
そしてこの国、サフィアスに飛び込んだ。
言葉を選びながら話し、質問へ答え、気付いたら三時間は過ぎていた。

「俺たちは神王派の人間を見つけ出したい。人間が紡いだ封魔の歴史、それとは異なるもう一編の物語を知りたい。それらの狭間にいるのが夜獣(ビースト)だ」
アレスの言葉に、杯の陰でタリスの目が鋭く上向く。
ファラトネスでの凄惨な夜獣(ビースト)の事件を忘れたことなどない。
夜獣(ビースト)を敵視し、殲滅を願えばよかった。
だが、彼女の信頼して側に置いていたイーヴァーもそれらと同じ、夜獣(ビースト)だった。

夜獣(ビースト)が湧き出す空間の狭間、それを守る神門(ゲート)、それに宿る神々。
それらを取り巻いていた神王派の人間たち。

「他がどこに流れて行ったのか知らないか」
「我々は互いに連絡を取り合うようなことはありませんからね。行かれた島でもそうだったのではないですか?」
確かに、集落同士を繋ぐ手掛かりは得られていない。

「私たちは逃げるのに必死でした。サロアに与する者たちは私たちを人と同列してはいない。隷属する者、人としての生き方を棄て、飼いならされた者とみなしました」
神々に庇護され、戦わない性質も嘲りの対象となった。
堕ちた人間。

「追われるがまま、逃げました。他の仲間が無事に逃げ切れたのかすら分からない」
身を潜め、声を殺してただ時が流れるのを待った。

「ただ、囚われた仲間は」
薄明かりの下でも良く分かる、青ざめたイスフェラは唇を震わせ声を止めた。

「その場で引き裂かれ、無事捉えられた者は皆、男とも女ともなく売り捌かれた。抵抗できない我々は、彼らからすれば扱いやすい人形のようなものだったのですから」
逃げる背中に手を伸ばし、助けを請い、許しを請いながら暴かれていく人たち。
神は最早人知の及ばぬ存在ではない。
神も夜獣(ビースト)も組み伏せた人間は増長し、振り下ろす拳に容赦はなかった。

「そうしてこの里に籠ったのか」
神の存在を疑ったことは?
サロアに傾倒することはなかったのか?

「我々は守られています」
異物となる人は森がフィルターとなって選別、排出してくれる。
一瞬でも入り込めば大危機に陥るような疫病は入ってこない。
大きな天災もこの地を揺るがすことはない。
大きな手に包まれるようにひっそりと里は在り、その中で人は命を繋いでいた。

話し半ばで中座した気配のあった巫女の一人が、アレスの視界の端で再び動いた。
ゾイフェの側へ滑るように忍び行き、耳打ちした後直ぐに自分の席へと引き下がった。

「湯の用意ができたようですが、こちらで入られますか」
寝所の側にも湯は張ってあるらしいが狭いという。
タリスが笑顔で身を乗り出した。

「酒浸りで湯に入って大丈夫か?」
「今日はそれほど酔っていない」
アレスの心配を振り切って立ち上がった。
傍らで彼女を見上げたラナーンの腕を引いて強引に立ち上がらせる。

「湯殿はどっちだ」
タリスがゾイフェに尋ねると、彼は控えていた二人の巫女を呼び寄せた。

薄明かりが回廊に差す。
神殿の外周を包んで並ぶ柱が等間隔で影を伸ばし、静寂と相まって不思議な空間を生み出していた。
回廊に腰を下ろし足を外に投げ出して、柱に体を凭せ掛けて一夜をぼんやり過ごしても心地いい。
そんな穏やかな夜だった。
守られている感覚とは、この温かさを言うのだろう。
この里の人間が許しを得て外に出ても必ず戻ってくる、その理由がラナーンには分かる気がした。

「どうかなさいましたか」
歩調が緩んでいたラナーンに巫女の一人も歩みを合わせた。

「名前を、聞いていないなって思って」
「どの名前です」
ラナーンと同じく外を眺めた。
高台にある神殿からは里が一望できる。
山の木々に隠れ、まだ低い位置に留まる月からは濾過された淡く白い月光が里に漏れ入る。
低い家屋には暖色の灯が入っている。

「君の名前」
「あなたはすぐに去る人。名など、交わす必要はないでしょう」
「おれの名前はさっき聞いただろう」
「マリューファ」
「ありがとう」
微笑んだラナーンの顔が幼く見えた。
並んで歩き始めた彼女が口を開く。

「先代の長、イスフェラの名の由来をご存じ?」
「何も。聞いていない」
「遠い昔、遥か遠い、神王の神殿に仕えていた巫女の名前」
「逃れてこの里を開いたとか?」
「いいえ。亡くなったわ。神王妃を守って」
神王妃。
おそらく神王の信徒たちが仰いでいた女神だ。
エストナールからソルジスに入る山で見かけた。
岩肌に彫られた女神像と隠す様に削られた跡。

マリューファがラナーンの手を取って柱へと身を寄せると、外の一点を指差した。
壁に張り付くように緩く弧を描く、神殿の端を示している。

「神王妃の像はあそこに」
「マリューファの名の由来は?」
彼女は柱から身を離し、廊下の先に目をやった。
アレスが立ち止まってこちらを気に掛けている。
マリューファが歩き始めると、アレスも背を向けて廊下の先を行った。

「それも、亡くなった巫女の名前?」
「私たちは巫女となったその時にそれまでとは違う、新しい名を貰います」
等間隔に壁に並んだ炎の揺らぎがマリューファの横顔に影を落としては流れる。

「神王に仕えた巫女の名。散っていったとしても決して忘れないように」
「神王ってどんな神だったんだ」
「神王の御座す大神殿に入れる者はいませんでした。かつての巫女や神官たちが使えていたのはその下方の神殿」
二層になった神殿の土台にあたるところに神王に仕える者たちが住んでいた。
誰も神王の姿を見ることはない。
神王は大神殿より外に出ることはなかった。

「大神殿には神王だけ?」
「いいえ。他にも神々が神王に侍っておりました。神々の階層をご存知ですか」
「知らない」
「実は私たちも詳しくは知り得ていないのです。ただ、無数に、階級が定められており知り得る知識も行動もそれに基づくとだけ」
下位の神々は大神殿から神殿へ行き来でき、神殿に降りてくることがあったという。

「上位の神々は抱える知識も権力も膨大、その分下位の神々のように行動の自由はなかったと聞いています」
もっとも、とマリューファは続けた。

「その権力とはそもそも何に対してのものなのか、というのは我々人間の知り得ないことなのですが」
「じゃあその頂点だった神王がいったい何をしてたのかも良く分かっていないのか」
「神王は大気に溶け、地脈を走る力を統べていました。流れが滞らぬよう、恵みを隅々にまで」
ラナーンの中にカリムナのイメージが浮かんだ。
ラナエは流れていた地脈の一筋を引き上げて借りたに過ぎない。
一筋がバシス・ヘランの繁栄を支えると同時に崩壊させた。
圧倒的な力だった。

ラナエを通して見た地脈の大河。
それらは神王が掌握していた力のほんの一部だ。
スケールが大き過ぎて、ラナーンには想像も及ばなかった。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送