Silent History 150





「私たちは生きた」
抵抗すれば死を増やすだけ。
逃れて、隠れる生を選んだ。
それでも暴かれ、人としての尊厳をも奪われて死した者たちは数え切れぬほどいた。

「森に身を沈め、森に守られながら生きる道を選んだ」
「閉塞した世界。そんな場所で種は生きていけるのか?」
顔を伏せ気味だったイスフェラがアレスへ目を上げた。
透き通った少女のような仄かな微笑みだ。
皺に縁取られた白い肌に小さな目が輝いている。

「興味がおあり?」
「違う文化に触れると思考や見識が広がる」
「好奇心。素敵な言葉ね」
食事はゆっくりと始まる。
茶から始まり、菜を煮たもの、和えたもの。
肉は少なく、あっさりとしていた。

「限られた集落では血は濃くなってしまう。それを避けるため、私たちの先祖はある風習を定着させた」
タリスがイスフェラの言葉に首をかしげる。
ラナーンは口を動かしながら彼女の話の続きを待っている。

「種は外から貰うことにしたの。もちろん、私たちの身分もこちらの所在も伏せて」
決して誰にも明かさぬように。
外ではいかに振舞うべきか、ゆっくりと時間をかけて学んだ。
時間はいくらでもある。
焦ることはなかった。

逆は、とタリスが訊いた。
それに対してイスフェラが首を振った。

「胎を外から貰うことはしなかった」
子は里で養う。
宿した胎がしるしの者となるとは限らない。
外からやってくるしるしの者。
それは数十年に一度、あるかどうかの胎に頼る前に血は重なり、命は途切れる。

他との接触は限られたものに。
巫女のほか、交易者として外と交わりのある者。
彼らも間に信頼と伝統のある仲介者を挟んでいる。

「搾取されないのか? 外界に触れられず、仲介を通す立場は弱いだろう」
アレスの質問にも二人は穏やかだった。
ゾイフェが一度口を拭いながらアレスの問いに答える。

「何と申しましょうか。彼らと我々の繋がりというのは一種特殊なものなのです」
それは、信仰と絆。

「我々はサロア神側から見れば、裏切りのひと。ですが、神王側からすれば神に仕え、神に近しい者だった」
仲介者は総じて彼らに信仰に近い情を寄せている。
自分たちが彼らを生かし、彼らを飼い、彼らを養っているなどという奢りは持ち合わせてはいない。
里の者も、彼らの心情を利用しようとは考えていない。
彼らは常に対等と尊重の関係を続けてきた。

「それでも外に出て、深く他と交わろうという人間もいるだろう」
「稀に」
「稀、なのか?」
「私たちは私たちの過去と痛みを知っていますから」
イスフェラの顔が陰り、まるで見たくないものを遮るかのように目蓋を下ろした。

代わりに口を開きかけたゾイフェの腕に手を置き、静かに彼を制した。

「食事のときにする話ではないわね。今日は泊まっても大丈夫なのでしょう?」
一人不安気な顔をしたのはラナーンだ。
場所を弁えず言葉を漏らし、巫女二人に絡め取られた。
落ち着いて話しをしようと持ちかけ、結果的にここまで三人はやって来た。
今の事態を引き起こしたのは彼だった。

その隣でタリスは食事と状況を愉しんでいる。
機嫌の良さそうな余裕の浮かんだ顔は、決断をすべてアレスに投げ渡しているからだ。
少なくともラナーンにはそう見えた。
自分のせいでアレスに心労を募らせることになる。
タリスを巻き込んでしまった。
申し訳なさに頭を抱え込んで丸まりたい気分だ。

「食事をこちらで用意する旨は、あちらの方に伝えてあります。宿の用意も同意があればすぐに伝えます」
「聞きたいことはまだある。そっちも俺たちのことを知りたいんだろう? 情報は交換する、そうあの二人に聞いている」
神殿に向かった二人の女性だ。

「それでは」
イスフェラが片手を上げて人を呼んだ。
現れた少女に一言二言交わすと、少女の小さな頭が承知したと微かに揺れる。
指示はし終えたように思えたが、少女の方がイスフェラの耳元で囁いた。
年は十二、三。
幼い少女の言葉にイスフェラの顔色が濁る。
顎を引き少女との話しを終えると、濁った顔のまま客人へと姿勢を戻した。

「あの二人がずいぶんご無礼をしてしまったようですね」
イスフェラが深々と頭を下げた。

「それは、おれが悪かったのもあるし、それにきっと二人は痣だらけで」
アレスを加害者にしてしまった負い目のために尻すぼみになった。

「お互い様ということで、その件については置いておこう。投宿についてはそちらにお任せする」
「腹も膨れたし、この村落を少し見て回りたい。いいかな」
森の中、クレーターのようにくり抜かれた底にあるのがこの里だ。
周囲を一段高い岩壁と木々で囲まれているため、日の出は遅く日の入りは早い。
外ではまだ人々が動きまわっている時間だが、里では子供は家に帰った。
窃盗、暴行、殺人という犯罪の心配はないが、不慣れな者が夜道を歩けば足を滑らせ畑に埋まる恐れがある。

「灯り持ちの案内を付けましょう。明日、ゆっくりとご案内はしますが、一回りして神殿にお越しください」
ゾイフェが神殿にもうひと席設けておくと説明して羽織を手渡した。

殺されかけた敵地の中枢に踏み入れ、食事を口にした。
遅効性の毒で、里に取り込んだ異邦人をこの地で消してしまうという可能性もある。
彼らの話がどこまで真実なのか、はたまたすべてが偽りなのか、異国から来たアレスたちに判別し難い。
真実らしい嘘を握らせ、信用させ油断を生み、消去する。

慎重になるべきだったのかもしれない。
あらゆる可能性を視野に入れ行動しなければ、自分の決断がラナーンとタリスを巻き込み危険に曝すことになる。
神王と夜獣(ビースト)の真実が手に入るかもしれない。
謎解きのヒントが得られるかもしれない。
甘い蜜にまんまと呼び寄せられた。
アレスは臍を噬んだ。
今も流されて神殿に向かおうとしている。

「二人とも何を暗い顔をしてるんだ。辛気臭いぞ」
タリスがアレスへと視線を振った。

「私のセンサーは反応していない。安心しろ」
タリスは顎を引き鋭い目をして口角から歯を覗かせた。

「私は女を見る目はあるんだ」
後宮と揶揄される彼女の侍女たちは彼女の目に止まって重用された。
またファラトネス城に出入りする姉妹の侍女や侍従たちも調和を保っていた。
悪徳、悪行、背信、それらに対するタリスの感度は高かった。
誠実、実直、聡明。
それこそが美なり、と持論している。
年を経れば相応の度量を。
若ければ好奇心と向学心を。
彼女は侍女たちに言い聞かせてきた。
彼女の近臣ともいえる、抱え込んだ何十という侍女たちは、彼女にそうして育てられてきたと言っても過言ではない。
老若問わず、彼らはタリスの寵愛を受ける。

「ラナーン、腐るな。誰がお前のせいだといった。私は私の意思でここにいる。沸き上がる探求心。素晴らしいだろう?」
演技がかってタリスは両手を広げた。

「その後ろ向きな性格、ちょっとは治ったと思ってたんだけどな」
タリスは大げさに頭を振った。

「後ろ向き、か」
「女々しいぞ」
喝を入れるべくラナーンの背中を叩いた。

「実際何をどう動くにしても圧倒的に情報が不足してるのが現状だ」
「まあ、簡単にいえば、ソルジスを叩き出されて国境までやっとの思いで逃れ出て、方針も何もないって言いたいんだろ」
おまけに街で情報収集にしても神王なり神王派なりの足跡は見当たらない。

横並びで話し込んでいる間に案内がやってきた。
灯りを持っているのは細面の美人だ。

「お待たせしました。それでは参りましょう」
微笑んで発したその声は男だった。
引き攣った驚きの声を上げそうになったタリスは、声を奥歯で押し潰した。



風景は農村の態をしていた。
川から田に引かれる水路に架かる木を組み合わされた橋。
鳥に替わり夜の虫が鳴く。
この閉ざされた里には独自の安穏とした時間が流れ、まるで箱
庭のようだった。
この世界を退屈と思うか、これこそが楽園と捉えるか。

「神に庇護された地、だな」
タリスの呟きにアレスが目を向けた。
神の手の中にある平和。
アレスが瞬きをして額に手を押し当てた。
何かが引っ掛かる、小さな火花が散った。

生きているのではなく、生かされている。
そう感じた時、ひとは。

「ひとの傲慢、ひとの罪」
「アレス?」
「いや、なんでもない。考え事だ」

案内役の男が松明を手に、タリスに質問を受けた建物の説明をする。
資材、製造工程、箱が使われる用途などを細かく指で示して質問を浴びせる。
彼は迷惑がってはいない。
むしろ彼らにとってそこにある物は当り前の物。
赤子のように、あれは何なのか、どうやって使うのかなど興味を持って食いついてくるタリスが嬉しかった。

神殿に着くと装束を改めた巫女二人が深く頭を下げて礼の姿勢を崩さない。
混乱し、興奮したからといえ外の人間に手を出すなど何事かと叱られた後だった。
ラナーンが思わず彼女たちの前に屈みこもうとしたのを、案内の青年が留めた。

「彼女たちは反省中。神殿の中については長かイスフェラ様がご案内するかと」
「ああ」
アレスは高い天井を仰いだ。
材質は分からないが、石膏のように滑らかで白い柱が床と天井を繋いでいる。
過度な装飾はなく、緩急のついた曲面を活かした美しい造りになっている。
空気が一際澄んでいた。
吐いた息も反響しそうな夜の神殿は荘厳ですらある。

底の柔らかな布靴でそうと意識しないまま足音を忍ばせて歩く青年は、伸び始めた夜闇に溶けてしまいそうだった。

入口で頭を垂れる二人の姿は、神殿を守る石像のように微動だにしない。
その間を彼は滑り歩き、ラナーン、アレス、タリスはそれに続く。

大扉は開かれている。
神殿の広間で立ち尽くしていると、十歳ほどの子供らの足が床を叩く音が近づいてきた。
三人が客人の傍らを走り抜けようとしたとき、青年が走らない、早く部屋に戻るようにと静かに注意した。
うちの一人が足を止める。

「本当だ。にてる」
目を大きくして彼らの一人が、客人の側で足を止めた。
零れ落ちそうな目でラナーンを見上げた。

何に、と呼び止めようとラナーンは口を開いたが、少年はすでに友人とともに走り去っていた。











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