Silent History 146





「ひとを動かすのは恐れです。ひとを狂わせるのもまた恐れ」
祈るように指を前で組み合わせた。

「恐れに背中を押されて道を誤った。世界を混沌に陥れる一歩は本当に簡単だった。指を差し、一言口を開いたのです」
巫女は腰を下ろしていた材木からゆっくりと腰を上げた。
滑らかな動きは舞踊のようで、持ち上げた指先は宙の一点を指して静止した。

「悪いのは、あいつだ」
悪いのは、あいつだ。
そうだ、あいつだ。
全部、何もかも、あいつのせいだ。

「ひとは何かに縋らなくては立ってはいられないもの。それが己の信念であったり、守るべきものであったり」
「ひとが絶望の中にあるとき、立つべき力になるのは、憎悪」
もう一人の巫女も立ち上がり、ラナーンたち三人を見下ろした。
怒りや憎しみは人の底にあった力を引き出した。
一つの指先は、二つ、三つと重なり伝播していった。

「あなた方は、神門(ゲート)をその目で見たと仰った」
目深に頭から掛けている布のせいで表情がはっきりとは読めない。
同じような巫女だとしても、カリムナの側女たちとは少し違っている。

「ああ。この目で見た。おぞましい光景だ」
アレスが眉を寄せた。

「今も夜獣(ビースト)が、次元の狭間からギチギチと音を立てながらこちら側に通り抜けてくる。ぞっとするな」
「そう。見るべきではない光景、目に触れるはずのなかった光景です」
巫女のひとりがこれから進むべき森を見つめている。
鬱蒼と茂る森は広葉樹林だった。
陽を受けて青々と光っているが、奥は陰が濃い。

「神門(ゲート)のあった場所は」
真っ直ぐに伸びた背筋、微動だにしない頭の中、口だけが動いた。

「森の中だった」
「あなた方はそれをどう見ましたか」
森がある場所に神門(ゲート)が存在する。
ソルジスで時間があればアレスは資料室で地図を広げていた。
新しい地図に年代を経た古い地図を並べて眺めていた。
周囲の地形、ルート、目的地など叩き込むという真剣さではないが、おおよそは頭に入れておきたかった。
話をする機会があったとしても、地理を知らなければ放り出されたような気分になる。
ただでさえの異国人が浮いて見える。
ヘランの最奥には神門(ゲート)が眠っている。
そのヘランの位置と森が重なっていた。
今は大部分の森が消滅しており、ヘランが据わっている。
森と神門(ゲート)が切り離せない関係だということに確信は持てたが、その先が明確にはならない。

「人が森を喰らい、夜獣(ビースト)が現れたと聞いた。それが罰なのだと」
「森を食らう」
「削り取った。実際にソルジスでは森が消えてヘランに置き換わっていた」
「隣国のカリムナは地精を吸い取る術を操ると聞きます。暴食の王だと」
アレスはそれについては否定しなかった。
カリムナは彼女らが想像しているような悪逆の王ではない。
ただの少女だったなどと、いくら説明しようと納得するはずもない。
事実だけをみれば、カリムナは地脈で富を得ていた。

「ヒトの強欲が森を削った。ヒトの傲慢で神門(ゲート)が現れた。そしてヒトの恐怖で神は殺められた」
巫女らは並んで森へと向き直る。

「ヒトの罪は神殺し。神門(ゲート)はすなわち神の門。神が守りし扉。そして森は結界」
巫女が腕を開き、異人たちを招き入れる。

「魔の世界と人の世界との狭間であり、緩衝地帯」
ラナーンが深い森の入口に一歩を踏み出した。
獣道のような細い道を縦に並んで進んだ。
木々に囲まれてすぐ空気の匂いが変わった。
湿気を帯びた緑の匂いに包まれる。
踏みしめる土は腐葉土が堆積し柔らかだった。
振り返れば密集した樹木に道がかき消されている。
一体どの方角に向かっているのかも危うくなってくる。
左手に現れた岩肌には濃い緑の蔦と苔が張り付いていた。
木の葉の天井を割って下りてくる光の眩さに息をのんだ。
陰の濃さがより陽の落ちる白さを際立たせる。

「木の葉が蒼い。こういうことを言うんだな」
タリスが息を吐きながら青の天井を見上げた。

「きれいだ」
ラナーンが先を指差す。
先導する巫女の肩口から顔を出してタリスが行く先を覗いた。
道幅が広がり、木漏れ日で淡く光っている。
靄を抜けた光線が温かい地面へと路を作り、幻想的な空間が広がっていた。

「絵本の妖精でも出てきそうだ」
少し興奮した声を上げたのはタリスだ。
見知らぬ土地で、襲いかかってきた女たちに連れられて呑気なものだと思う。
だがそう感じつつも半面で、まだ見ぬ光景に触れられるのにアレスも好奇心が頭を擡げていた。
デュラーンにいた頃、ディラス王の勧めを受けて近隣諸国に足を運んだ。
状況や情報を持ち帰る勤め、学びとる勤めと同時に新たな世界を踏み歩く愉しみも味わうことができた。
小さな冒険心を満足させることができた。
それが、気がつけば遥か遠い地までやって来てしまった。
帰る場所だったラナーンは今隣にいる。

「私たちは償いを探しています。魔はヒトの傲慢への罰。あなた方はその目で何を見ましたか?」
「感じ取るものがなければ、その目はただ開いているだけ。瞳はただ物事を映しているだけ」
「あなた方は何を見ましたか?」
巫女たちの穏やかな声は歌うように心地よく重なり合い連なる。

「あなたは神門(ゲート)を近づいた。何が見えましたか」
「本当は、秘されているはずの神門(ゲート)なんだ。厚い森の帳は破られた。俺たちが踏み入れるその前から、森は削られていた」
長い長い年月をかけて。

「忘れてはならないのです。継ぐために私たちは存在している。罪の痛みを、それの償いを求めるために存在しているのですから」
巫女の背中が止まった。
彼女に倣ってラナーンらは足を止めた。

「森は私たちの足を留めなかった」
少し安らいだ顔で彼女は足下を見下ろした。

「参りましょう。あなた方をお招きして良いようですので」
苔生した岩肌が奥まで続いている。
ほぼ垂直に地面へと開いた大穴の縁は崖になっていた。
真上から太陽が降り注ぎ、底部を歪に丸くほの白く照らしている。
崖に沿って石組みの階段が埋まっていた。
巫女は裾を軽く裾を持ち上げると軽やかな足取りで小さな石段を下っていく。
左手を大穴の内壁につきながらではあるものの、右手には支えるものなどなく涼しい風が下から流れてくる。
小さな足場を踏み外さないよう慎重に下りていく。

「落ちたひとはいないのか」
声が上ずりそうになるのをラナーンが必死に抑え込む。

「緊張なさらないように。落ちたひとのことは聞いたことがありません」
「もっとも、聞いたら怖くて通れないから誰も口にしないだけかもしれませんけれど」
冗談なのか本気なのか、もう一人の巫女も淡々とした口調で淀みなく足を運んでいる。
下層部まで辿り着いた。
壁に沿って螺旋階段を下っていくと、目が回るのか妙に浮ついた不思議な感覚に陥る。
下層は上層より冷やかだった。
風は下から上に吹いている。
最下層は砂地だった。
海の砂のように細かく白い。
全くの別世界に呑まれてしまった三人は、言葉を紡げないまま砂地に爪先を沈ませた。











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