Silent History 144





外で肌を包む昼の暑さを残した空気は、地表よりすり鉢状に掘られた神殿の中に入ると澄んだものに変わった。
カーテンを抜けて視界が変わるのと同じ感覚だ。
水は流れ、重力に逆流しているというのに水の波が立つ音もしない。
人は長い階段を下りたり、階下に広がる円形広場に散らばっているというのに、皆一様に声を潜めている。
一言二言交わされる声は神殿の壁に反響して朧となる。
耳に残らないささめきは泡のように浮き上がっては溶ける。

外で見かけたような巫女が広場で跪く。
両肩を抱いて前屈みのまま一心に祈っている。
緩い階段を下るにつれ、広場を行き来する人の姿も鮮明になってきた。
煌々と明かりが取られるのではなく、青白く仄明るい優しい灯りが焚かれていた。
寒色に揺らぐ炎が壁に掛かるのに、ラナーンたちは見入った。

「灯りに木片を入れるんだ」
青白く下から照らし出され浮き上がる。
両腕を広げ、壁に縫い付けられた姿は半身をバシス・ヘランに同化したカリムナにも似ていた。

「あそこに藍妃が」
「正確にはあの女神像が藍妃というわけではない。藍妃の力の一端があれに宿る。繋がっている」
この町は藍妃の力の恵みで潤っている。

神殿内はあらゆるものが不思議な構造をしていた。
地下で沸いた水は壁の内側を抜け、遥か上方にで広げられた藍妃の腕と同化した内壁に沿って流れ落ちてくる。
下で受け止められた水は階段を上って外へと流れ出す。

「水は酒を作る。この神殿も醸造蔵を抱えている」
下りてきた長い階段の下で作られる酒は祭りで振舞われると言う。
天井から舞い降りようと固まった藍妃像、それに向かって聳え立つ捩じれたオブジェを取り囲んで白い巫女たちが集まってきた。

「ちょうどいい時間に当たったな」
「何か始まるのか?」
タリスがラザフと像へと進み出ては跪く巫女たちを交互に見る。
集まり始めたのは巫女たちだけではない。
広間に集まった民衆は像を取り巻く巫女たちの更に外周を囲んだ。

始まりの合図もないまま、巫女たちが誰ともなく両肩を抱えていた腕を解放し、藍妃像を仰ぐ顔の上へと持ち上げた。
真っ直ぐ伸びる二本の腕が開き、顔の前を通り過ぎ胸のあたりで止まった。
細く高い声が巫女たちの口から流れ出す。
糸のような声はやがて徐々に強さを増していく。
声を紡ぐとはまさにこのことを言うのだろう。
伸びた声が糸から紐へと変わると、弾けるように歌が始まった。
ラナーンたちには分からない、古いこの土地の言葉が歌われる。
重なり合い絡み合う彼女らの声は荘厳さと清らかさに満ち、体の芯まで震わせた。

彼女らの声に呼応して、静かに湧き出していた藍妃の水が飛沫を上げる。
細かな水が巫女たちの額と藍妃のように広げられた腕を濡らす。

地の底を流れていた樹霊姫はカリムナに引きずり出されてバシス・ヘランを破壊した。
バシス・ヘランにヘラン、それらが抱えていたのは神門(ゲート)。
夜獣(ビースト)が湧き出す場所。
かつて森があった場所。
神が棲む場所。

先に牙を向いたのは我ら人間の方だ。
今は遠い神の棲む島で、聞いた言葉だった。
彼も、ラザフと同じ医者だった。

巫女たちの歌が細くなり、余韻を残して終息した。

「人が森を喰らい、神を殺して、神門(ゲート)を壊した。そして神王は」
微かに呟いて目を閉じた。
巫女たちの歌が頭の中でまだ反響している。

「帰るぞ、ラナーン」
アレスに肩を叩かれて、顔を上げた。
持ち上げた視線が一瞬自分に向けられた視線と重なった。
確かめようと視線を戻したが、散り散りになり始めた巫女たちの誰だったのか特定できなかった。

歌の最中に噴き上がった水も穏やかさを取り戻している。
人々もそれぞれに口を交わしながら階段へと寄り集まっていた。
ラナーンも階段へと流れて行く集団に混じった時、いきなり腕を強く引かれた。
目の前にタリスとラザフがいた上、アレスも近くにいた。
しかも神殿の中だということで予測もしていなかった。
集団から引きずり出され、抵抗する暇もないまま階段裏へと連れ込まれる。
何本もの手がラナーンを絡め取り、口を塞ぎ腕を縛り動きを封じる。
視界の端でラナーンが消失するのを捉えたアレスはその残像を追った。
抵抗を始めるラナーンを奥まった陰の濃い場所へと連れ込んだ影は白かった。
巫女の内の一人だとすぐに気付いた。
絡み付く腕をようやく振り払って体を解放したラナーンにアレスが追い付いた。
二人いる。
アレスの気配に気付き、一人がラナーンの首へと腕を回している。
締め上げてはいないものの、アレスが動けばすぐさま締まるだろう。
それで彼女らはアレスの動きを止められると思っていた。

条件を口に出す前にアレスが一人を突き飛ばし、ラナーンに絡み付いている腕を引き剥がして文字通り放り投げた。
神殿に入るということで帯刀はしていない。
それでもこの男は片腕で大人の女を投げ飛ばした。
足を振り上げ拳を振り落とせば人の命の二人や三人簡単に奪える。
ラナーンを壁際に寄せて背を向け、階段裏へ強かに体を打ち付けて崩れている巫女たちを睨みつけた。

「もっとちゃんと抵抗しろよ」
アレスが肩越しにラナーンを叱りつける。

「この人たち、殺意はなかったよ」
襲われた自分の立場を分かっていない、とラナーンの発言にアレスが苛立つ。

「お前は鈍感だからな」
「何だと? アレスもタリスだって、二人でおれが何も分かってないような言い方するんだな」
心外だとラナーンがむくれる。
今はそのラナーンを放っておいて、アレスがラナーンの首に腕を回していた巫女の首元を引き揚げる。
女は小柄ではないが、長身のアレスに服の首を掴み上げられて足先がようやく地面に擦れるところまで浮き上がった。

「お前ら、何が目的だ」
傍らで床を這っているもう一人の巫女は腰が砕けて逃げられず、喉が震えて声も出せない。
釣り揚げられている巫女も、虚勢を張って口を閉ざしているものの震えが唇を伝う。

「なぜ」
乾いた舌が動き、女の口が掠れた言葉を吐き出した。

「神王の名を」
首元を持ち上げているアレスの堅い拳に手を這わせた。
引き剥がそうと爪を立てるが拳は緩まない。
抵抗の姿勢を見せる巫女の背中を壁に打ち付けた。

「聞いているのはこっちだ。答えろ」
「やめて!」
涙交じりの掠れた小さな叫びが下方から飛び出した。

「死んでしまう!」
「先に手を出したのはどっちだ」
壁と首元を押さえている拳とで、巫女の細い喉を挟み込んだ。
苦しさに呻いていよいよ抵抗が強くなる。

「もういいだろ! アレス」
「お願いよ!」
アレスは壁に向かって押し付けていた力を緩め、巫女の首元は掴んだまま床へと滑らせるように放り出した。
酸素を取り込んで背中を丸めて噎せる巫女に、涙でぼろぼろになった顔をした巫女が這い寄って覆いかぶさった。

「理由を言えよ。どっちが非礼かは言わずとも分かるよな」
「あの人が神門(ゲート)を口にしたからです。異邦人のあなた方がなぜ」
涙が乾かない顔を持ち上げてアレスへと詰め寄った。

「それで俺たちをどうしたかったんだ」
「私たちの敵ならば、捉えます。私たちはただ静かに生きたかっただけなのに」
「その割には大胆なことだ。話が見えないな。お前たちは何だよ。藍妃の巫女じゃないのか? それとも何か、神王派だとでもいうのかよ」
アレスの予想外に後者に反応した。

「嘘だろ」
「末裔?」
アレスとその傍らでラナーンが驚いた。
探していたものが目の前にある。

「いろいろ。知ってるも何も、直接見たり経験したら、何をどう言えばいいのか」
ラナーンが口籠った。
それも尤もだった。
何から話せばいいのか、そもそもこの二人を信じていいものなのかすら分からない中、迂闊に口を開けない。

「とにかく、お互い可能なら話し合った方がいい。ここはひとまず、ね。そう思うけど」
ラナーンが一人の手を引いて立たせた。
アレスへと目配せし、彼も渋々ながら冷えた床の上で背を丸めていた巫女の腕を引いて強引ながら立ち上がらせた。











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