Silent History 143





町の中心部へ向かう一本道に並んで歩いていると、木の切れ目からドーム型の屋根が覗いた。
ラナーンは他の三人から離れて一人、曲がった道の先へと走って行った。
丸屋根の端からは長い布が伸び地面へ縫い付けられている。
昔デュラーンにやってきた興行の一団が張ったテントを思わせた。

「あれは?」
「あれが目的地だよ」
「あれが、神殿」
三人がラナーンに追い付き、ラナーンを拾って先を行く。
歩きながらラザフが神殿を指差した。


案内なら私が行ってもいいのよ。
掃除の手を休めてラザフの妻が振り返った。
夫は食堂で書類を机に広げている。

ラザフは小さく鼻を鳴らして両腕を頭の上に立てて大きく伸びをした。
いや、いいよ。
昼過ぎにちょっと行って帰ってくるだけだから、とラザフは微笑み書類へと目を落とした。
朝に五人、受診の連絡を受けている。
それが落ち着いたら行けばいい。
そう遠くない場所だ。
急ぐ患者がいてもすぐに戻ってこられる。

午前の診療が終わり、昼食を取る時間もできた。
明日の定期往診を前に、資料を纏めながら妻が書斎に運んでくれた食事を口に運んだ。
食後の茶を口につけるころには書類を鞄へ詰めこむことができ、これで心置きなく散歩に出られる。
ちょっとした開放的な空気に小さく欠伸をした。
空になった食器を持って階段を軋ませて階下に戻ると、すでにデュラーン一行は食堂で寛いでいた。
アレスは買って来たばかりの地図を広げてラナーンとともに眺めていた。
タリスはというと、机に肘をついて町で買ってきた本に目を走らせていた。

これ、読みにくいな。
さすがにファラトネスの言葉とまるっきり一緒とはいかないか、と顔を上げてラザフに笑顔を見せた。
半分までは読み進められたが思うように文字を呑みこんでいけないのに、少々疲れてきたところだった。

ラザフが午後から神殿に連れていくつもりだという話は妻から耳に入っていた。
殊、ファラトネスの姫君に至っては散歩を待つ犬のように好奇心に目が輝いていた。
外観は女性へと成長していっているが、やはり中身は子供のようだった。

「昨日聞いた、神王とかの話は口にしないこと。混乱させてしまうからね」
ラザフがラナーンの耳元で囁く。
彼はラザフに一瞬目を合わせると、黙って頷いた。

住宅街に入ると人の密度が徐々に濃くなっていった。
道の上ではしゃぐ子供たち、大人は立ち話で身を寄せ合う。
手紙の配達人が柔らかい革の鞄に手紙をたくさん詰め込んで細い路地に抱えながら入っていく。
果物を乗せた貨物が石の道で車体を揺らしながら通り抜けている。
車は二人の白装束の女性を追い抜いた。
何かの制服のように他の人間より浮いた衣裳だった。
ラナーンの視線を読み取って、ラザフが声を落として説明する。

「巫女だよ」
「神殿に籠ってる、あの」
「籠ってはいないなぁ。通ってはいるけど」
デュラーンとは習慣が違う。
人混みを避け慣れている彼女たちの足取りは軽やかだった。

「デュラーンでは神殿の中に寄宿舎みたいなのがあったよね、確か」
「城の中にもあったな」
アレスが代わりに答えた。
デュラーンにいた巫女たちはほとんど神殿の外に出ることはなかった。

「あの服は少しカリムナの側女に似ている」
アレスが呟いた。

「あの二人、元気だといいな」
ラナーンが少し掠れた声を出す。
この国のどこかにいるはずだ。
巻き込んで故郷を潰して、主を消して、帰る場所を奪った。
そんなアレスらを憎まない方がおかしい。
しかし彼女たちには一欠けらの憎悪もなかった。
彼女たち側女にとってカリムナは信仰の対象だった。
カリムナの願いの成就こそ、側女たちの祈りだった。

「元気に決まってる。あいつらは強いんだ」
楽天的にも聞こえるタリスの声は、今は頼もしかった。
彼女たちもまたカリムナの神殿たるバシス・ヘランからほとんど出たことがない人間だ。
その二人が荒野を駆け、砂地を越えてカリムナの領域から抜けて他国へと脱出できた。
タリスの言葉通り、彼女たちは強い。

二人の巫女の背中を追うように歩いていると、住居が一段低くなり景観が少し変わった。
外壁の色も白に変わる。

「このあたりが巫女が居を構えている地区」
言われてみれば、空気が清浄に感じられる。
それは気のせいだけではなかった。
縁石の端から石段に至るまで、ほとんど塵は落ちていない。
流れてきた砂も掃き取られている。
一通り周囲を掃き清めてから神殿へと向かう。

神殿の屋根から放射線状に伸びた帯がはためいて風の音を立てる。
帯の真下には溝が敷かれており、神殿の内側から小川のように水が流れ出している。
行き着いた水は神殿を取り囲む深い濠へと落ちていく。
タリスが濠に架けられた橋へと駆け寄ると下を見ようと身を乗り出した。

「すごいぞラナーン! きれいだ」
石造りの手摺に体を乗り上げたまま横へと思いきり頭を振ろうとするので、ラナーンは落ちそうになるタリスの背中に飛び付いた。

「落ちるって!」
「何だ? 大胆なやつだな」
「危ないのはタリスだろう?」
身を起こす素振りも見せず、タリスは笑っている。
ラナーンはタリスの胴に腕を回して、上半身を引き上げようと必死に背中に張り付いている。
そのラナーンに首を捩じって意味あり気な流し目を向ける。

「ふうん。何だかな、鈍いというか、常識が飛んでるというか」
「常識がないのはいつもタリスだ」
「美少女に腰に手を回しながら、ねぇ」
「変な言い方、するなよ!」
子供のように動転し、慌てて手を離して後ずさる。
逸らした目、横に振った顔は黒髪に隠れながらもその下は真っ赤に染まっている。

「本当、おもしろいほど純粋培養!」
タリスが体を反転させ、飛ぶようにラナーンへ距離を詰めた。

「そんなだからラナーンは」
体を引いたラナーンの肩を引き寄せて、顔を覗きこむ。
耳元に口を寄せて囁いた。
訝しげな表情を浮かべたラナーンから身を離した。
放り置いて、踊るように端まで飛び、濠を覗き込んで指差した。

「狭いところで暴れ回ってると二人とも落ちるぞ」
アレスが固まっているラナーンの頭に手を乗せて、端ではしゃぐタリスへとならんだ。

「山を挟んだだけだからか、こういうところも似てるな」
ソルジスでカリムナの間も、部屋に溝が幾つも敷かれ中央にラナエが鎮座していた。

底まで見える澄んだ水が流れている。
山で清められた水なのだとラザフは言った。

「山に滲み地下を通ってここに湧き出した」
「しかし結構な水量だな」
揃って神殿の中に進んでいく。
円形の屋根を支えているのは円柱だった。
円い神殿に沿って屋根と地面を繋ぐ。

「これも女神のお恵みだろうな。実際水があるから酒もできる」
穀物を発酵させて作る酒はこの町の特産物だった。

「下るのか」
神殿の入り口からは下に長い階段が続いている。

「水が逆流してる」
幅広で緩やかな階段の両脇を水が駆け上がっている。
白波を立てるほど激しくはないが、逆にそれが奇妙で堪らなかった。
目の錯覚かとアレスは手摺に身を寄せて足下の浅い水路に目を凝らしたが、光の加減でもなかった。

溝を登り切った水は先ほど外で見た光景のように、放射状に広がった布の下、それぞれの溝を通って濠へと繋がっている。
地下へ続く長い階段、下ばかり気にしていたがふとアレスは顔を上げて立ち止まった。
アリーナの上部に何かがいる。

「あれ、は」
「あれが藍妃、その神体だ」
丸天井から人型の上半身が下がっている。
繊細な細工と彫刻が頭の先から胸部にかけて施されており、天井へと繋がっている。
彫刻したものを天井へ提げたという不安定感はなく、天井から掘り起こしたかのように一体化していた。
あるいは壁面から抜け出てきてそのまま固まったかのような像だった。
両手を広げ、その指先も装飾と一体となっている。

「大きいな」
圧巻される姿に、みな階段を下りるのを忘れて立ち尽くした。











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