Silent History 139





目が覚めているのか、まだ眠っているのか感触がなかった。
今自分がどこにいるのか分からなくて不安になる。
目を開いたら空になった小さなベッドがあった。
ここはおれの部屋じゃない。
ここはデュラーンじゃない。
デュラーンより、遠い遠い国だ。
どこの国だったか。
考えて答えを求めるのが気持ち悪かった。
直面したくない現実を体のそこかしこが拒否していた。
頭が痛い、胸が苦しい。

いっそ夢であってほしいと思う。
悪夢でいい。
目が覚めたら、馬鹿だなあと笑うアレスとタリスが側にいる。

現実ならどうか、覚めない夢を見続けたい。
このまま意識が溶けて、息が細くなり、消えてしまいたい。
今は何も知りたくも聞きたくも見たくもない。

目が覚めて、白く塗られた天井と垂れた電球を見ながらまた眠りに落ちる。
朝の淡い光か夕方の斜めに入る弱い光か判別できないほど混沌としていた。
胃には何も入っていないが胸やけがした。
薄着のまま力なく立ち上がり、靴を爪先に引っ掛けて扉を潜った。
人の気配のない階下、裏玄関を抜けて通りに出る。

何度目の朝かわからない。
柔らかい土を踏んでいるように足裏の感覚はないのに、体は重かった。
このままどこに行けばいい。
どこにも属さない、何とも繋がらない、糸が切れたような個体になって初めて、存在の意味を考えた。
無力だとか、誰かに頼ってばかりのだめな人間だとか、そんなのは甘い泣きごとだった。
それらはすべてデュラーンの子という枠に収まっている自分に繋がっていた言葉だ。
今、自分を覆っていた箱は砕けて散った。
中に残っていたのは、一人では何もできない小さなラナーンという裸で脆弱な個だった。

デュラーンがあったからこそ、タリスという友人と繋がっていられた。
デュラーンの子であったから、アレスという友を得ることができた。
逃げて捨てて切ったはずのデュラーンは、深くラナーンに食い込んでいる。
閑散とした道の端で街路樹に縋りついた。
背中を押しつけてそのままへたり込む。
頭を膝に埋めて風の音を聞いていた。
涙も出てこない。
帰る場所を失ったものは、どこに向かえばいいのか。




「アレスはどうなんだ」
腕を組みながらタリスが隣で言う。
彼女はいつも唐突だ。
固まった意思の上で他人の意見を求める。
回答を口にしながらアレスはそのタリスの意思を探るが、彼女の考えは読めない。
軽いようでいるがその実真剣すぎるほど真剣で、弄っている幼馴染を心底愛している。

「いまさらだ」
「聞くまでもないか」
タリスが鼻を鳴らして腕を解いた。
手持無沙汰に体の横で垂らした両腕を振りながら地面に目を落とす。

「あいつが何ものだろうと俺の愛は変わらない。ずっとあいつの側にいる、俺があいつを守ってやる、とまあそんなところか?」
タリスが欠伸をしながら、口にするのも恥ずかしくて憚るような代弁をさらりとした。
朝は早い、彼女はまだ眠い。

「粘着質っていうか、執着が幼児並みっていうか。いいけどな、もう。慣れた、諦めた、呆れた」
「俺に突っかかってる場合か」
「言い足りないくらい。ストーキングの提案者だろう? 私は付き合わされただけだ」
上階の扉が開いた音を聞いてタリスが席を立った。
ラナーンと顔を合わせて何を言ったらいいのか咄嗟に判断しかねたからだ。
逃げるのか、と彼女を追って調理場に行ったアレスも結果同じことだ。
結局幽霊のように外に流れて行ったラナーンを二人で追うことになる。
今はそっとしておく、のは良いが放っておけるはずないだろうというアレスが持ち前の過保護精神を今回も例に漏れず発揮した。
息を潜めて、足音を殺して距離を保ちつつ後を追うが、神経質にならずともラナーンは夢の中にいるように周囲に目が行っていない。
木の下に蹲ったラナーンは動かない。

「いつまでもこうしてるつもりか。私は飽きた。ラナーンがどっかの川だか水路だかに身投げしないよう見張りを頼むぞ」
タリスはアレスが止める間も与えず足早に繁華街へ向かって歩いて行った。




町の中ほどまで出れば、流石交易の町と頷ける賑わいだが、少し離れると驚くほど喧騒が遠ざかる。
ラナーンがこのあたりをうろついても身の危険はそうない。

タリスは一人になるとすぐにレンへと連絡を取った。
彼女らが発ってからファラトネス、デュラーンを始め周辺諸国の状況を報告させている。
レンだけでは入手できる情報に限りがある。
そこで役に立ったのは、タリスの姉でファラトネス第三王女アルスメラからの情報だ。
夜獣(ビースト)の気配を察知できる娘アリューシア・ルーファとデュラーンへと旅立った。
デュラーン領イェリアス島にしばし逗留した後、アルスメラだけが本土に渡った。
容易にはデュラーンの内情を知ることはできなかったが、ラナーンの父であるディラス王は人を放ち息子に糸を付けようとしている動きは読み取れた。
後一つ、興味深い報告があった。

「極寒の雪山に登山だと」
タリスは思わず奥歯から漏れた言葉を噛み潰した。
続く文章を二度読み返して顎を摘んで唸る。
紙片に記された文章から目を離すと、顔を持ち上げた先にあった青い屋根とそこから顔を覗かせた白い雲を見つめた。
氷が融けるようにゆっくりと左へ流れて行く雲。 億劫そうに避雷針を越えていく。
デュラーンで雪山といえば凍牙(トウガ)が一番先に思いつく。
険しい山は他にもあるが、デュラーン王族にとって凍牙は特別だ。
昔は祭祀が行われていたらしい。
現在は祠自体が凍りついて踏み入れるのが危険だと判断され、祭祀は城内で執り行われている。

ラナーンは兄のユリオスに導かれ、凍牙の祠から剣を持ち出したという。
続くアレスの目撃情報は、その剣は蒼い宝玉に姿を変えたなどと俄かに信じがたいものだった。
宝剣を失った祠に今更何の用があって足を運ぶのか意図が見えない。
ラナーンが持ち出した事実に感付いて確認しに向かうにしても、人を遣ればいいだけの話だ。
過酷な環境の中、多忙な王自ら赴くに足る理由にはならない。
だとすれば、強引に絆を断ち切ったラナーンの旅路への祈願のためか。
後悔でもし始めたか。
矛盾だ。
最初から、腑に落ちないことばかりだ。
納得できないのは図が組み上がるだけのピースが揃っていないからだ。



八方塞がり、身動きができないままで足掻いても混乱するだけ。
こういうときは、目の前にある事実だけを捉えればいい。
自分が何をすべきかだけに焦点を絞る。

ファラトネスからの路銀を受け取り、タリスは現状の報告をした。
冷静を装っていても、まだ酷く頭の中は散らかっている。
アレスはもっと掻き乱されているだろう。
いや、あるいは。
必要物資を買い揃えて、提げた袋が膨らんだ。
帰路の中、アレスを探す。
川縁の芝の中にラナーンが腰を下ろし、両足を冷たい小川に浸している。
目は流れを見ているのか、夢の中なのか、薄く開いたまま動かない。
どこか見える場所にアレスがいるはずだ。
顔を左右に振りながら背の高い男の影を探す。
ラナーンの視界に映らない木陰に男が腰を下ろしている姿があった。
可哀想なくらい健気な男だ。
呆れるくらい忠義な男だ。
彼がいくら心を尽くしても、その誠意は主という立場に向けられたものだと頑として認めない。

「自己嫌悪の塊みたいな奴だからな」
アレスが背にしている幹に手をついて、力の抜けた男を見下ろした。

「そんな主を持つと大変だ」
「ああ。タリスとは正反対だ。見事なぐらいにな」
買い物は終わったのか、とアレスはタリスの手から荷物を取り上げた。

「目新しい物を前にしても楽しくないんだ」
彼女の言う通り、いつもより荷物は軽い。

「ラナーンはデュラーンの殻を通してしかアレスを見ない」
ラナーンはアレスがデュラーンの役目や責任を感じて自分に付いてきているのだとばかり思い込んでいる。
自分はデュラーンの子であったからこそ、皆が信頼してくれ側にいてくれるのだと思い込んでいる。

「デュラーンやファラトネスを離れてすぐの頃よりはずいぶんと強く自信を持てるようになった。だけど本質は変わってない」
タリスは元来うじうじと悩むのが苦手な性質だ。
最悪の状況では、残った可能性に手を掛けて上に這い上がる。

「アレスもどこかで思ってるんじゃないか。今ならちゃんと真っ直ぐに本心を見てくれると」
デュラーンに縛られることなく、ラナーンとアレス、ラナーンとタリスという対等の位置に立てると。

「さあな。そこまでまだ頭の中が整理できていない」
「デュラーンに帰りたいか」
「時期が来れば。ディラス王は無理矢理ラナーンを自分から引き剥がしたんだ。何か意味があるはずだ」
「意味ね。そうだ、さっきレンからの報告が上がってきたんだ。クレアノールの夜獣(ビースト)、小康状態だそうだ」
「ファラトネスの方は」
「大森林一帯は相変わらず濃い霧に覆われている。夜獣(ビースト)もいない」
ラナーンが小川から足を引き抜いて立ち上がった。
濡れた足を靴に突っ込んで川から離れる。
繁華街とは逆、ラザフの家に体を向けたのを見届けると、アレスとタリスは安堵して視線を交わし、ラナーンの背中を追った。











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