Silent History 137





山を縫うように車は走る。
車が一台ようやく通れるような細い道を突き進む。
道ってのは平らなものじゃないのか。
誰か何とかしようと思わないのか。
いい加減尻が痛い。
最初は大人しくしていたタリスもある一線を越えたのか、口が閉じることはない。
揺れる車体を両足で踏ん張りながら、背中を酒壺に押し付けて固定する。
決して乗り心地がいいとは言えないが、一刻も早く国境を越えてしまいたい一行にとってはこれで十分ありがたい。

小石を踏み潰して車が上下に跳ねる度に、尻を床に打ち付ける。
時折腰の位置を変えながらラナーンも酒の壺が転がらぬように背中で支える。

「あ」
ラナーンが腰を浮かせたので、両脇のアレスとタリスがその声に反応する。

「外、見えるか?」
「木ばっかりじゃないか」
森の中、木のトンネルの中を走っているのだから、窓の外に流れるのは茶色い幹と木の葉ばかりだ。

「枝の奥、か」
アレスが首を窓の方へと捻り目を細めた。

「町だ」
木のカーテンを透かして眼下に見えるのは、ソルジスの町だった。

「ラナエの隣にあるカリムナ領だ」
残念ながら山中にいては町の活気を知ることはできない。
眼下の世界は小さく、美しかった。

やがて鬱蒼とした森を抜け、車は突如現れた線路と並走していた。
車の後ろから追うようにやってきた列車に追い抜かれていく。
延長線に見えてきた寂れた駅を抜けて線路に沿って山を下って行く。
家屋も点在しており、標高が下がって行くにつれ集落にまとまっていった。
山の麓まで下ると車は線路とともに町へと流れて行った。
町の深部でエンジンを止めると、運転手は車を降りて後部へと回り、三人はようやく日の下に足を着けた。

酒壺を両腕で抱えて慎重に運び酒屋の裏手に並べて行く。
一仕事を終え、水を片手にようやく落ち着いて周りを見回した。
山を越えただけなのに別世界だった。
鉄道網は整備され、道路も発達している。
往来は賑やかで、華やかだった。
ここはソルジスと交易していると運転手は話してくれた。

「カリムナのいる国で?」
「ソルジスのカリムナだっていろいろなんだよ」
閉鎖的で秘密主義なばかりではない。

「そこのカリムナは手工業を確立させようとしている。綿花を栽培して紡ぎ織る」
上質な糸で織られた柔らかで細やかな布地を織る。
その上に刺繍を施していくのだという。
ヘランに引き籠っていた彼らは細工物の扱いに長けている。
カリムナはそこに目を付け産業を確立した。
前衛的で開放的な姿勢の裏では、カリムナ依存からの脱却の努力が薄らと見え隠れしている。
カリムナはヘランに幽閉されてるも同じというのは本当だった。
ラナエは他のカリムナの事情など知ることなく消えていった。
カリムナの器とそれに依存する人民とを引き剥がすかのように、ラナエは自らの命で以てカリムナの存在を消した。
もしラナエが他のカリムナと交わりが持てたならば、彼女の生き方は変わっていたかもしれない。



タリスを先頭に目的地へと急ぐ。

「医者なんだと。レン曰く」
「こんなところにまでレンの人脈か。あいつは一体何者だ」
アレスが感心の溜息をつく。

「それは私も聞きたい。帰ったらじっくり詰めてやる」
詳細はタリスも知らない。
素性の分からない人間だが、それもレンの知人というだけで差支えはない。
疲れている体で慣れない交通機関に詰め込まれるのは御免だというわけで、三人仲良く歩道を歩いてタリスがレンから聞いた住所へと向かう。

「誰にも追われず、隠れることもなく堂々と道を歩ける清々しさったらないな」
ステップでも踏みそうに軽やかなタリスを前にしていると気分も軽くなる。
このところ血生臭いことが続き過ぎて、神経が擦り減っている。

町角で姦しい中年の女性が夫や息子の話で向き合っている。
不幸に目の色が染まった猫背で痩せぎすの男とすれ違う。
通り過ぎたばかりの男を速足で追い抜いて行ったのは、颯爽と歩く髪の長い女性だ。
買物の途中なのか、手持ちの袋は膨れていた。
輸送車が町の大通りを抜けて行き、路肩に止めた荷台からは商店へと荷が流れて行く。
裏手が山ともあり、傾斜の激しい階段が上に細く伸びている。
階段先へと目をやれば、斜面に張り付くように家が連なっている。

「ああ、ややこしそうだ」
タリスが唸るのも無理はなく、番地も読み取りにくいような入り組んだ細道の先に目的の医者はいる。
私有地なのか道なのか、建物の隙間なのか判別できないような一角だった。

「建物が溶けてくっついたような町だ」
そう評したのはラナーンだった。
アパートメントと言えるほど家の形をしておらず、一枚の石をくり抜いてそれぞれの家を造ったように複雑にくっついている。

「蟻の巣か」
勇気を出して細道に踏み込んでからアレスが上下左右を見回した。
一度通っただけでは覚えきれない。

「こっち? いや、こっちだ」
壁に塗りつけられた青いペンキが番地だ。
指でなぞりながら進んでいく。

「ああどっちだ。アレス、頼んだ」
紙を押しつけて前後を入れ替えた。
方向音痴というわけでは決してないが、アレスもこの厄介な造りには少し参った。
こんな細い捩じれた道では車はおろか台車すら通れない。
医者ならば交通の便のいいところに構えるべきだろうというアレスの言葉は的を射ていた。
だがここにあると言われれば行かねばならない。

アレスに先導を任せて間もなく白い木の扉に行きついた。
看板も表札もない。
代わりに白い扉に直接名前が書かれていた。
呼び鈴もノッカーもないので、扉を強めに叩く。

中で物音もしなかったので、間をおいてもう一度叩こうと腕を振り上げたとき、扉がゆっくりと開いた。
西日で染まった朱色の光の海で、一人の男が顔を覗かせた。

「やあ。よく来たね」
人懐っこそうに微笑む男が扉を全開にした。

「ファラトネスの姫君は、と。ああ、君だね」
レンから聞いてるよ、とタリスへ目を向けた。

「とにかく中にどうぞ。いい時間だし、夕食でもどうかな」
こちらが名乗る前に誘い入れる。
警戒心がまるでない。
タリスの方が狼狽えてしまった。

「ええと。ファラトネス第五王女のタリスと言います」
「レンから聞いた。若いながらも目を瞠る行動力の姫君だと。それでこんなところまで?」
「いえ。いろいろと事情があって」
「だろうね」
「こっちの二人が、私の友人」
「兄弟?」
「いえ、ああ何というか。兄弟みたいに育った友人同士です」
「へえ。ああ、僕はラザフ。医者をしているんだ。とはいっても開業医ではなくて領主の雇われ医師だけどね」
細かい話は後で、先に風呂にでもどうだと言われ、素直に従った。
三十代かと思って話をしていたが、どうやら四十を越えているらしい。
驚いていると、童顔が気になって髭でも生やしてみようかと思っているところだと頭を掻いていた。

風呂へ入れ替わり入ったところで、談話室に医者の妻が現れた。
子供は一人おり、今は領主の屋敷に行儀見習い兼下働きに出ているという。
半年間という短い期間だが、システムはバシス・ヘランと似ていた。

食事ができたからと食堂へ案内された。
領主付きの医師ならば相当の地位のはずだが、家は広いとは言えず食卓も庶民的だった。
それが却ってラナーンたちには嬉しい。
温かい部屋の明かりの下、郷土料理を前にして胃袋が活性化する。

隣国ソルジスから山を越えてきた話から、これまで踏みしめてきた国々の話で食卓は沸いた。
食卓が片付き、場を談話室に移しても話は続く。
打ち解けてきたところで、デュラーン城の話にまで繋がった。

「僕もね、昔は城で働いていたんだよ。その時は若くて、大先生に付いて住み込みでね」
頻りに、懐かしいと目を細めた。

「もう二十年くらいになるかな」
城で務めた後に、領主の主治医だった父が体を悪くして引退するからというので、後を継いでここに戻ってきたという。
妻は故郷のサフィアスで娶った。

「デュラーンの王子様も生まれてこれからって頃だったな」
「そうそう、目の前にいるのもデュラーンの王子様だ」
タリスがラナーンの肩を叩いた。

「え? じゃあ、君がユリオス? それにしては若すぎるような」
「ユリオスは兄の方。こっちは弟のラナーン」
「弟?」
「けどデュラーンを離れたころだったらラナーンは見てないか」
「本当に弟だっていうのか」
「何を疑ってるんだ」
そんなに似てないか、とタリスが笑う。
だがラザフの顔は笑っていない。

「僕は王妃の医師をしていた。王妃の崩御も、聞いた」
駆けつけたかったが、ちょうど息子が生まれる時と重なってデュラーンまでの大旅行はできなかった。

「王妃のお体も、存じ上げている」
混乱した医師の発言に嫌な気配を感じ、アレスが止めようとする。

「あの方は、子を生せないお体のはず」
アレスが体を浮かせるより早く言葉は滑り出た。
残酷に、冷徹な言葉は鋭い刃先で切り刻む。

「ユリオス様の後、お体を」
アレスは体が冷えていくのを感じた。
疑念だった、曖昧だった記憶の霧が形を成していく。
幼い頃、宴の後でラナーンの父、ディラス王が口にした言葉。
酔い、闇、微睡の中、王はアレスに対してか独り言かを呟いた。

あの子を幸せにすること。
父の役目を果たさねば、と王はそれだけ口にした。

「どういう意味だ」
タリスが身を乗り出して詰め寄った。

「つまりお前は、ラナーンが」
「いや、あの」
ようやく現実に戻ったのか、ラザフは狼狽し言葉を閉ざした。

「ごめんなさい。この人今朝お勤めから戻ったばかりで、少し記憶が曖昧みたいなの。どうぞ、上の階でお休みください」
妻がタリスの背を押し階段を上って行く。

アレスは一点を見つめ震えているラナーンの肩を抱えながらそれに続いた。
一人残されたラザフは両手で頭を抱え込み、膝に顔を埋めていた。











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