Silent History 127





タリスは肩の痛みに手を這わしてよろめきながら立ち上がった。
側女の二人は、ラナウは。
突風に煽られるのとはわけが違う。
空気の塊に殴りつけられた衝撃だ。
まだ体が痺れている。
薄く開いた目は異様な光景を捉えた。
飾り気のない搬入口の箱の中、視界が青く染まっている。
薄い色水に浸ったようだ。
目を何度も擦ったが、目のせいではなかった。
煙のように斑のある青い視界の中、息を止めようとしたがすでに肺は青い空気で満ちている。

ラナウは無事かと隣に目を振れば、石の冷たい床の上に両手をつき体を起していた。
意識があることを確認し、ひと先ず安堵する。
両脇の側女たちは、搬入扉に体を低くして身を寄せていたのが幸いして、重く頑丈な鉄扉に体を押し付けられる程度で済んだ。

「おいラナウ、どうした」
「聞こえてる? タリス」
「何が」
「声よ」
「何も」
耳を澄ましてみるが、今や遠くなったカリムナの間から破壊音が痛々しく響き、バシス・ヘランの人間の逃げまどう悲鳴が耳につくばかりだ。

「いえ、これはラナエの思い」
向かい風に立ち向かうように、身を乗り出して目を細めるラナウの肩を側女の一人が強く抱きとめた。
奥へ行かせてなるものかと指を喰い込ませる。

「何てことを」
タリスの耳には捉えられない声にラナウが取り乱した。
目尻から本人もそれと意識していない涙が筋を作る。

「私のことなんてどうでもいいの。やめて、ねえラナエ」
指先が空を掻いた。
手を伸ばしても届かない片割れを求めようともがいている。
濃い青の光がラナウの頬へと纏わりつく。
ラナウの声に呼ばれたように包み込んでいく。

ラナウの乱れようは幻覚ではない。
煌めく風がラナウに声を運んでいる。

ラナウは突然目を見開き、虚空を凝視した。
唇が開いては閉じるが、声は喉に引っ掛かって出てこない。

「嫌よ、嫌。あなただけ行くなんて許さない」
暴れるラナウをタリスも体で抑えつけた。

「地脈が、ラナエ様の意識を飲み込みました」
年長の側女が息を乱しながらもタリスに伝えようと声を振り絞る。

「ラナウ様はラナエ様とともにカリムナの地脈に触れたことがおありだから」
側女は首を振って、紡ぐ言葉を躊躇う。

「ラナエ様は、人としてのお姿を失いました。地脈の一片となられました。そうして今、ラナエ様はラナウ様のお近くに」
形を失ったカリムナを感じているのは、今ラナウだけだった。
人としての器が納めていた、ラナエの痛みも苦しみも悲しみもすべて、ラナウと繋がっている。

「どうして潔く死ねるの! 償いなんて言わないで、罪だなんて思わないで。贖罪するなら生きてよ、ラナエ」
いくら叫ぼうとも手遅れだった。
器を失った意識はやがて地脈の中に溶けて散っていく。

「私はどこに帰ればいいの。私は、ラナエがいるからここに帰って来たのに!」
石の床を掻いて爪が割れる。
それでも構わず全身で叫び続けた。
喉が裂けるほど、何度もラナエの名を呼んだ。

「ラナウ様、わたくしたちは貴女がたをお守りするために遣わされました。ラナエ様のお心のままに」
側女が力を込めて肩を引き上げると、ラナウは顔を伏せ口を閉ざしたままだったが大人しく立ち上がった。






「気分はどうだ」
手渡された水を手にして持ち上がった顔は憔悴して青白い。
ラナエの肉体から解放された意識に当てられたのが原因だ。
バシス・ヘランを出てから二人で走り通しだった。
五分でいい立ち止まって息を整えなければ潰れてしまう。
身を寄せるいい場所はないかと視線を左右に振っていたところ、密集した木陰にぶつかった。

バシス・ヘランを離れるにつれ、視界が開けてくるのは大地が乾いてきているからだった。
カリムナの力は偉大だ。
ソルジスに根を張って生き、カリムナという支柱を立ててから数百年。
連綿と続いてきたヘランとカリムナのシステムは常に意見を割ってきた。
豊穣が齎されるのは神の手でのみあるべきで、人は人の力で以て、豊穣を勝ち取るべきだ。
カリムナの手で掘りだそうとするから土地は枯渇していく。
地脈とカリムナのシステムに危機感を抱いてきた賢人たちがいる一方、浸透しすぎてもはやカリムナに依存してしか乾いたソルジスの地に生きられなくなったのは事実だった。

「神はなぜ、カリムナに人の分を超える力を与えたんだ。人は人として生きればよかった。水を引き、地を耕し、天を読み祈り種の芽吹きを待つ。カリムナに力がなければ、悲劇は生まれなかった。ラナウとラナエが別たれることなどなかったのに」
両手の中に顔を埋めた。
泣いたところで始末に困り、今更何になろうはずもない。
カリムナの側にいたのはラナーンだったし、止められたかもしれない。
頭で理解はして悔みはしても、感情も思考も絡み合い頭の中は混乱している。

「生命や存在の意義と同じく、すぐに答えなどでるはずもない。悲しくはあっても、選んだ道が不幸だったのかはラナエしか分からない」
慰めには程遠い言葉だと思いながらも、アレスは立ったまま顔を伏せるラナーンの頭を優しく叩いた。

「ラナエは、どうしてバシス・ヘランを破壊したんだ」
「混沌としてる。イグザと別れたくなかったってこと、体を木の根に蝕まれていく恐怖」
動かなくなって神経すら枯れていく体の一部。
足先から徐々に感覚は失われていく。
皮膚や肉は人ならざるものに変異し、行きつく先を想像し絶望する。
その時、意識はどこに行くのだろうか。
姿は失われるのだろうか。
カリムナとしての力は消えるのだろうか。
誰も問いかけに答えられるものは存在しない。

熱い空気を大きく吸い込み、肺に貯めこんでゆっくりと吐き出した。

「ラナウを解放したかったんだ。ラナエはバシス・ヘランを動けない。ラナウはバシス・ヘランに縛られたまま、生き続けることになる。自分のために、ラナエはそれが辛かった。命をかけてすべてを解き放った。それが、贖罪のかたち。でも、そんなの悲しすぎるだろ」
ラナーンは荒い岩肌から背中を浮かして、砂埃を薄く被った袖で目元を拭った。

「街までどれくらいあるんだ」
「三時間もかからない。途中歩きながら休んで、暗くなる前に着ければいい」
心配なのは突如襲い来る砂嵐だ。
ラナウがいれば風も読めるが、アレスには経験不足だった。
水の補給は済んだかと確認し、ラナーンから受け取ると生温い水を口に含んだ。
地図は頭に入っている。
方角も間違いない。
あとはこれからますます乾燥地帯になっていく中、どれだけ体力を削らずに前に進めるかだ。

外套で頭から覆い、日差しを避けつつ走り出した。
ソルジスに入ったばかりのころ歩きぬいた砂の大地を思い出す。
どこまでも続く平野にうんざりしたものだが、それに比べればまだ道らしい道が続いている。
丘陵を越え、林の側を走り、消えそうな小川に足を浸した。

幸いにしていまだ追手の足は届いていない。
観察されている気配もなかった。
高さを下げていく太陽に追われるように街に飛び込んだ。
明るいうちに人探しも兼ねて一通り歩き、街の構造を把握する。
思ったより広い街だった。
手頃な服屋に上がり、埃っぽい服を頭から足まで入れ替えた。
汚れた手足と顔は街を流れる水路で清める。
袖を捲りあげて露わになったアレスの皮膚の傷をラナーンは見つめる。
カリムナの間、暴れまわる地脈で負った傷だ。
腕だけに留まらず全身に浅く深く残していた。
この体で何時間も走り通してきた体力に尊敬と謝罪の念が浮かぶ。

ラナーンの気持ちを知らず、アレスは首筋を濡れた手で拭った。
ラナウとタリスの足ならば、同じくらいに街に着くはずだと水路に足を浸している向う岸で、外套を脱ぎ棄てた少女たちの一団が水辺に駆け寄ってきた。
冷たさに顔を綻ばせ、視線を上げたところでアレスとラナーンたちに気づく。

周囲の目を咄嗟に気にし、橋の上から水路を回り込むとラナーンに抱きついた。
声を落として、小さく低く呟く。

「無事で、よかった」
「タリスも、会えて本当によかった」
何が起ころうとも、もう平気だ。
そう思わせる安堵が心に満ちた。
泣けそうに胸が詰まり、タリスは強くラナーンを抱き締める。
よく見知ったラナウと一緒だったとはいえ、やはり二人と別れて不安で心細くて堪らなかったのが今になって噴き出してきた。

「怪我もなくて、よかった」
砂が付いたタリスの背中を宥めるように叩きながら、肩口に埋めた顔を上げた。

「あの二人は」
「そうだ、側女だ。ラナエの」
水路を渡りこちら側に移ってきた側女の一人、フリアがアレスの前に跪く。

「お預かりしておりました宝剣、確かにお返しいたします」
丁寧に腰に結わえた剣を解いて両手で戴いた。
アレスも丁重に受け取ると、ラナーンに手渡す。

「しっかり腰に提げておけ」
タリスは先ほどまでの不安を吹き飛ばしたように気丈な空気を取り戻した。

「私たちも服を揃えてくる。アレス、食糧、水を含めた必要物資の補給を頼む」
身を改めてから再び移動となりそうだ。
どちらにしろここにも長くはいられない。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送