Silent History 126





光の鞭で壁が突き崩され、天井が崩れていく。
飛沫と煙幕に沈んでいくカリムナの間。
地脈に呑まれ、人としての形を失ったラナエの情動が地脈の霧に捲かれるラナーンの皮膚を抜けて染み込んでくる。
突き抜ける思いに胸が焼かれる。

カリムナの世界で地脈に触れて、痺れたはずなのに可視化した地脈の光は温かく、切なく、哀しい思いを運ぶ。
膝が崩れ、両腕を抱えて蹲りそうになってアレスに肘を引かれた。

「ラナエは本当に、イグザとラナウを愛してたんだな」
破壊されていく壁の轟音の中、掠れて濡れたラナーンの声にアレスは頷き低く言葉を返した。

「どちらも愛していて、でもみんな同じだけ幸せにはなれなくて」
「世界中誰もが幸福なんてあり得ない」
愛を語り合う人間と同じ世界で謗り合い争う。
愛する人を抱きしめる腕が他の人間の命を奪いもする。

「ラナエはこの道しか選べなかったのか」
すべてを壊して彼女は消えた。
人の枠型が解けた彼女の意識は地脈に溶けた。

「最善の選択なんてその時は分からない。後になって振り返って知るんだ」
背中で崩れていく天井に追われながら、ラナーンとアレスは逃げる。
周囲は阿鼻叫喚だ。
人は逃げ惑い、粉塵と混乱の中で方角と道を失う。
柱にしがみ付いてカリムナの名を呼ぶ者、走りながら知り合いの名を叫ぶ者。
彼らはみな、恐慌の中枢にカリムナがいたことに気づいてすらいない。
これは変革か崩壊か、歴史は事象を何と刻むのか。
アレスは袖口で自らの鼻と口を覆い、片方の手でラナーンを導く。

「しっかりしろ。ラナエの意識に中てられるな」
ラナーンの頭を庇いながら抱え込むように駆ける。
濁った視界でも方向と広いバシス・ヘランの地図は頭に入っている。
冷静に、正確に。
目に馴染んだ光景に囚われていない分だけ目標物を失っても、誤差は脳内で調整できる。
タリスとラナエの状況が頭を過ぎったが今は振り払う。
集中力を欠けば最悪の結果を招く。
アレスにはラナエの悲痛な思いは届かない。
ともにカリムナの海に沈んだラナーンだけが痛みを感じられる。
ラナエがずっとこの思いを抱えて生きてきたのかと思うと遣りきれなくなる。

光が見える。
白濁した混乱の中、筋を付けながら伸びる光の手に向かって顔を上げた。
息を吸い込むと気管に砂埃が張り付き、激しく噎せた。
アレスに強引に引き摺られながら、外に転がり出た。
外は外で人が溢れている。
呆然と姿を崩していくバシス・ヘランを見上げる男、腰を抜かして動けない女性、涙の跡に黒い埃を貼り付けて憔悴した顔の老女もいた。
長い回廊を抜けた最奥のカリムナの間から崩れ始めたこと、堅牢な柱がいくつも天井を支えていたため大量の死傷者を出さずに済んだことは幸いだった。
咳きこむ者や芝を握り込んで嗚咽する者の間をアレスとラナーンはすり抜けた。
砂埃塗れのヘランの衣服に包まれていたので目立たず雑木林の奥へと滑り込むことができた。

「どこへ逃げればいい。近くの街か、それとも」
「バシス・ヘランは壊滅状態だ。追手が発つには時間を要するだろう」
遅からずバシス・ヘランの人間はカリムナの暴走に気づくだろう。
国の根幹を支えているカリムナが傾国の種となる。
それが国内に知れれば国自体の存続が危ぶまれる。
ラナエが地脈を引き摺り出した事実はバシス・ヘランでも限られた人間しか共有できない極秘情報だが、だからこそバシス・ヘランは急いで火消しに掛かる。
カリムナは実質的には井戸の役目でしかなかった。
従順なカリムナを動かしていたのは、バシス・ヘランを支えていた基盤となる組織だ。
構成員がどんな集団だったのか、短い期間でアレスは把握することができなかった。
それだけ表立った組織でない上に、強固で密な組織であるということだ。
相手が見えないとなると厄介だ。
確定している情報が少ない。
点が少ないと立てられる予想図も曖昧になる。

いずれにしろ、客人で接触のあったあるアレスら三人の捕縛に掛かるのは間違いない。

カリムナ暴走の原因となった疑惑は濃厚であるし、何より一番知られてはならないカリムナの実態を握っている。
ラナエの紹介とカリムナが積極的に接見を望んだのも足場を固めている。

バシス・ヘランに踏み入れた時点で消すつもりだった可能性も十分にある。
さすがにカリムナの目の届くバシス・ヘランで手を出すことはないだろうが、ヘランを出ればどうとでも理由は付けられる。

組織はあり、準備もそれなりにというわけか。
後はカリムナの大暴走をどれだけ深く真正面から可能性にいれていたかという点だ。
それに応じて立ち上がりの時間が大幅に違ってくる。

「今この時点で周囲に気配はない。二つ先の街に行く。先回りされている可能性も大いに視野に入れて、だがな」
アレスは腰の剣に手を添えた。
大混乱の中の脱走劇だったが装備品は無事だ。
もしものときはこれが頼りになる。
人と人との殺し合いなどできればラナーンに見せたくはないのだが、守ることが最優先だ。

「涙は止まったか」
「もう、平気だ。それにあれはおれの涙じゃない」
詰まる鼻を空に向けてから、アレスを見つめた。

「タリスも同じように考えてるんだな」
「ああ、おそらく。目的は補給じゃない。姿を変えることだ」
いつまでもバシス・ヘランの服ではいられない。
木を隠すには森の中、だが今回は状況が違う。
大きいだけの街に逃げ込んでもバシス・ヘランから情報が回ればすぐに捕まる。

「先の街は『家』より距離を置く」
傷つけたくないものから離れようとする。

「いろいろ考えてみたものの、今俺たちが動ける範囲は限界がある。一に装束を変えること、二にタリスと合流だ」
「タリスは」
「心配しなくても大丈夫だ。ラナウが付いているはず。急ぐぞ」
幸い軽装だったので動きやすい。
旅の装備ではないので長時間外を歩くことはできない。
それに砂嵐がまたいつ襲ってくるかも知れない。

「街まではどれくらいかかるんだ」
「さあ、半日といったところか」
「半日」
灼熱の大地を歩き抜けるのか。

「そのあたりも、抜かりはない」
アレスが服の下から水袋を取り出した。

「後は努力次第といったところか」
頼もしい親友にラナーンは強張っていた顔を緩めた。






周囲が騒がしくなってきた。
普段床を滑るように動いていたバシス・ヘランの人間たちが、足音を荒立てて行き来する。
下から突き上げるように地響きがし、自身のような大きな揺れに足を足を竦ませた。
その横を壁と柱伝いに四つの影が動いた。
フードを目深に、外套は厚く、足早に部屋を抜けていく。
大混乱の中で冷静で無駄のない動きは違和感を誘うが、周りは
他人に構っている余裕はなかった。
貯蔵室に沈み、薄暗い部屋に仄明るい光だけを灯し、縦に並んで進んだ。
フリアは度々続くタリスらを注意して振り返り、殿をもう一人の側女が固めた。
壁が落ちて床に突き刺さる音が天井を震わせた。
ラナーンとアレスは大丈夫なのだろうか。
カリムナの間ということは、ラナエは。
不安が胃を突き上げて、気分が悪い。

「部屋を抜ければ裏の搬入口に出られます。林に紛れれば街に抜けることもできるでしょう」
壁に触れる指が乾いた音を立てながら進む。
バシス・ヘランを支えた食糧庫が第一、第二と続いて行く。
どこからか手に入れた鍵束を見事に繰りながら扉は開かれる。
潜り抜けて、差しこむ眩い光を見た。
搬入口の上下開閉扉は重く閉ざされている。
扉を引き揚げるため、フリアともう一人が扉に張り付き、取っ手に指を絡ませた。

「私はこれ以上は行けないわ」
「ここまで来て何を仰います、ラナウ様」
フリアが尖った声を上げた。
タリスは声が高い、と諌める言葉と息を呑んだ。

「タリスを無事に送り出せた。ラナエを置いてなんて行けるはずがない」
寂しそうに微笑んだ笑顔は、諦めのようにも見えた。

「私はラナエの元に戻る。連れ出してみせる」
「見え透いた嘘など吐いてどうするつもりだ。戻っても死ぬだけだ」
睨みつけるタリスの視線を切らずそのまま見つめ返す。
肝は据わっているようだ。

「ラナエ様はなぜ我々をお側からお外しになったのか、その意味をお分かりですか」
「側女を巻き込みたくなかったんでしょうね。ラナエを追い詰めたのは私の責任でもあるわ」
「わたくしたちにはお役目が残されていました」
低く腹に響くような静かな声で側女が口にした。

「カリムナの間を離れられぬラナエ様の手となり耳となり目となる。ラナエ様はラナウ様を傷つけたいとお思いになるはずがございません」
ラナエの思いの代弁者たろうとする決意がひしひしと感じられた。

「わたくしたちは貴女がたお二人をお連れする責任がございます。抵抗なさると仰るならば、力づくでもお連れ致しましょう」
殺意に似た緊張感が浮き上がる。

「私は、ラナエとともに」
ともに生きて、ともに死ぬ。
言葉を噛みしめたとき、突風が吹いた。
搬入口の外とは逆の、貯蔵庫鉄扉を軋ませた風だ。
カリムナの間から上階を巡り、貯蔵庫の天井を突き破った光の奔流が出口を求めてラナエたちの方へと向かってくる。
逃げ場はない。
搬入扉を押し上げている暇はない。

側女二人は搬入口に屈みこみ、タリスとラナウの体は搬入扉に叩きつけられた。

「ラナエ!」
壊れそうな音を立てる搬入扉を背にした青い大河の中、悲痛な叫びを上げた後呆然と顔を上げた。
固まったまま動こうとはしない。











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