Silent History 124





いつもより長い祈りの時間を終え、ゆっくりと目を開いた。
目が覚めれば側女たちに声をかけ、指示を与える。
カリムナの力が及ぶ範囲内の現況を側女を通して情報を得ていた。
そのカリムナが今日に限っては祈りから覚めてもまだ、意識は祈りの海に体を半ば浸しているような、ぼんやりとした様子で口を開こうとはしなかった。
控えていた彼女たちは互いに視線を重ねて、声を掛けようか目で相談していたところでようやくカリムナが唇を動かした。

「髪を、梳いていただけませんか」
唐突の申し出に側女たちは言葉に戸惑った。
フリアが立ち上がり、間もなく化粧箱を提げて戻って来た。
他の側女たちも帳を上げて座を整えた。
一人が床にまで伝う長い髪のひと房を持ち上げる。
木の櫛に油を薄く吸わせ、側女がそっと根元に櫛を挿した。
絡むことなく滑らかに櫛はカリムナの髪の間を流れる。
自然に広がったカリムナの服の裾に触れないよう気を付けながら、慎重に梳かしていく。




カリムナの湯浴みにはどこからか、湯女と呼ばれる白装束で身を固めた女がやってきた。
目深に頭巾を下ろし、面差しはおろか年の程も知れない。
単身カリムナの間にやってくると、側女らを帳の際に追いやってしまう。
持参した純白の浴衣を手早くカリムナに捲きつけると、その下で体を清めてしまう。
その間カリムナの素肌が浴衣の切れ目から覗くことなどないし、浴衣を剥いだときには着物は新しいものに変わってしまっている。
その動きはまるで神業だ。
側女らが揃えた道具で髪を丁寧に梳き結い上げてひと仕事終えると、さっさと退出する。
側女の誰ひとりとして湯女と言葉を交わした者はおらず、湯女について詳しく知る者はいなかった。
舌を切られているだの、声帯を失っているだの、正体不明で口を開かない湯女に纏わる恐ろしい噂ばかり流れていた。
カリムナの間と続きの間の往復ばかりの側女もバシス・ヘランの中では浮いた存在だったが、誰とも関わり合わない湯女はバシス・ヘランの中でも異質の存在だった。

今やカリムナに直接触れることができるのは湯女かイグザくらいのものだ。
久しぶりに触れたカリムナの髪は変わらず滑らかだった。
年長の側女は懐かしさの裏に哀しさも噛みしめていた。
服の袖から覗く細い手首も、結い上げた髪の襟足の白さも昔と変わらない。
以前よりも少しか細さが増したようにすら思える。
顔容の似た双子の姉妹を比べてしまう。
巡廻士をしていて活力溢れるラナウはカリムナより一回り大きいように思える。
二人並べば年の違う姉妹のようだった。
カリムナは自分の望みを口にしない。
個を滅して、民と国の繁栄に身を捧げるのが務めだからだ。
望もうが望むまいが力があればバシス・ヘランに上げられる。 誉だと崇められようが、カリムナの間という箱に入れば外界と隔離される。
祈りに拘束されて、カリムナの座に束縛されて一生を送る。 それはあまりに辛すぎる。

櫛を通す度、カリムナを不憫に思う気持ちはこみ上がってくる。
俯き加減に頭が下がってきているのに気がついて、側女がカリムナに呼びかけた。

「少し顎を上げてください」
一瞬浮かび上がった頭は、またすぐに稲穂のように首を垂れる。
細く途切れる声がラナエが唇から洩れる。
侍っていた側女がラナエの口元に耳を寄せて声を拾った。

「ごめんなさい」
予想もしない、また思い当たる節もない一言に側女は瞬きを繰り返す。

「私は、あなたたちに何も差し上げることができない」
「何を仰るのです。わたくしたちはこうしてラナエ様にお仕えできることが幸せなのです。だからこそ、数多の側女らよりわたくしたちをお選びいただいたのでしょう?」
きちんとラナエを思う側女だけを残した。

「ラナエ様がお心安らかにお過ごしいただけるよう、わたくしたちがいるのです。どうぞお使い下さいませ」
俯いたまま、袖に爪を立てて黙っていた。
白く小刻みに震える指先をフリアは見つめていた。

バシス・ヘランの他の人間よりは近くにいて、カリムナのことを知っていたつもりが改めてフリアは実感した。
カリムナも人間だ。
自分がカリムナだったら、恐れ多いことだが思いを重ねてみた。
密閉された部屋に閉じ込められ、ただ祈り、個の自由も望みも喜びも捨ててただ生きる。
そんな終わりの見えない生活に身震いした。






夕闇迫るころ、ラナーンの元に召喚の使いがやって来た。
見たことがある顔だと思えば、ラナエの側女の一人だった。
丁重にカリムナとの接見を申し出た。

「よろしければご夕食をご一緒にとカリムナが」
「おれだけなのか?」
ラナーンに用意された寝台に遠慮なく寝転がったタリスへ、ラナーンが気にかけて視線を流した。
寝台の隣にある机の上には地図が広げられており、先ほどまで椅子を占領していたアレスは調べ物をしてくると言って部屋を出て行ってしまった。

「ゆっくりとお話をお伺いしたいと申しておりました」
他の二人の夕食も用意できているという。
ラナウは今夜の夕食の席には同席してくれるらしい。

「行ってきたらいいじゃないか。さすがにカリムナの帳の中でこの人数が食事を広げるには窮屈だろう?」
タリスが寝台の端まで転がったところで床へと跳ね起きた。

「アレスももうすぐ戻ってくると思うから、伝えておくよ」




「食事、進んでないね」
「ああ、そうですね。お話をしていたらつい」
「カリムナって食べたい物を出してもらえたりするのか」
「願い出れば、もしかしたら」
「好きなものってないの?」
「好きなもの、ずっと以前はあったように思いますが、今は特に」
「嫌いなものも?」
「出していただいたものは頂きます」
ラナエと向き合っていて、話が途切れて気まずくなることはなかったが、話をしながらラナエがしばしば集中を途切れさせていた。

「祈りのことが気になるのか」
大きくうねり、津波のように押し寄せる地脈の異常性はラナエ自身が指摘した。

「私はサロア神のようにはなれません。祈りの眠りにつき、民を守り続ける。私は神にはなれないのです」
「なる必要はないよ。ラナエにはみんないるじゃないか。ラナウやイグザや側女だってラナエの側にちゃんといる」
食事に手を付ける様子はなく、ラナエは代わりに水を口に含んだ。

「ラナーン、あなたはどうしてここにいらしたのです?」
「いろんなものを追いかけて。夜獣(ビースト)だったり、神を追いかけたり、それを拝する一団の軌跡を追ったり。それでラナウに出会って、今ここにいる。人の繋がりって不思議だ」
「本当に、不思議ですね」
「前に言っていたけれど、どこか遠い島国にもカリムナのように豊穣を与える人がいるんだろう? そうすれば、その、脚のこととかも分かるかもしれない」
「ありがとうございます。あなたは本当に、お優しい」
ラナエが片手を胸元に持ち上げ、そのまま膝の上に乗っていたラナーンの手に重ねた。
伏せられていた手の下に、硬い物をねじ込む。

「これは」
持ち上げたラナーンの右手を、ラナエは両手で握り込んだ。

「以前、ラナウに貰ったもの、私の宝物です。どうかラナウを」
ラナエの純粋な微笑みが周囲の景色と共に歪んだ。
目眩を起こしたように体に掛かる重力の感覚が狂う。
水音が周囲で湧き起こり、体が下へと押し付けられるように引き寄せられる。

まずいと思ったが遅かった。
祈りの中に沈んでいく。

「ラナエ、戻ろう。ここは、危険だ」
遠くに見えていた地脈が隆起し光を散らしながら目の前に壁のように立ちはだかっている。

「呑まれる!」
ラナーンの悲鳴とともに下から突き上げられた。
祈りの境界を破り、現実に噴き出した。
カリムナの帳を吹き飛ばしただけの以前とは比べ物にならない。
現実世界にまで侵入を果たした地脈はカリムナの間の隅まで暴れまわる。
騒ぎを察して飛び込んできたのはイグザと側女たちだ。
あり得ない光景に息を呑んだがイグザは構わずカリムナに向かってにじり寄る。
側女立ちは顔を互いに合わせて後、散っていった。






「なんてこと」
目を見開いて立ち竦んだ。

「ラナエ様」
お救いしなければと飛びだそうとしたとき、最近の珍しく頼りなげなカリムナの姿を思い出した。
あの方はあるいはこの事態を予測していたのかもしれないと直感が叫んでいた。
今荒れ狂う青の光の中飛び込んで行っても何もできない。
カリムナの、いやラナエ様の側女としてできることを、今。
揃った他二人の側女と顔を合わせた。
意見は一致した。

「ラナーン様以外のお客人は」
「ラナウ様とタリス様がご夕食を。アレス様は先に席を立たれたようでお部屋に」
「ラナウ様とタリス様をお客人の部屋へお連れしなさい」
いつもにない鋭く沈んだ声で指示が飛び、受けた側女は了解の意で腰を軽く曲げ、足早にカリムナの間を後にした。
教育されており、緊急事態でも彼女らは足音も姿勢も乱さない。

「部屋でアレス様に、早急に荷を纏めるようにと。後は、頼みます」
フリアが躊躇して、袖に縋った。

「そんな、ここは危険です。貴女は」
「わたくしはカリムナが即位なされた時からあの方を見守ってまいりました。最後まで見届けさせていただくのが私の役目」
「いけません。それならばわたくしも」
「こんな場所で青臭いことを申している暇はないのです。フリアにはアレス様を守る役目を与えました」
嵐に捲かれたラナーンが身動きできずにラナエを抱えながら座り込んでいた。
その渦の中心にイグザが突き進んでいく。

「行きなさい」
決意を汲み、フリアは言葉に深く頭を下げカリムナの間から伸びる回廊を進んで行った。
荒れ狂う風を遮る熱い扉を、側女は背中で押し閉めて扉を守った。











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