Silent History 123





ヘランに同化したカリムナの姿がただ痛々しかった。
蛇のように下半身はうねり、水の中で根を張る。
上半身だけは人の姿のまま。
カリムナであり続けるために、人としての生を犠牲にした。
ソルジスの豊穣のためだけに、ラナウは未来を犠牲にした。
ソルジスは立ち直るには枯れ過ぎた。
枯渇した土地で、ソルジス人は生きてはいけない。
地脈を汲み取るカリムナという井戸がなければ死に絶えるだけだ。

「私は不正を働きました」
ラナウの意識とラナーンの意識が絡みながら落ちていく。
深く深く、カリムナの世界へ。
世界が沸き立つ。
漆黒の闇の向こうに流れる雄大な大河が荒れている。
光の帯が、奔流がうねっている。
以前目にした穏やかさはどこに消えた。

「不正って」
言葉が湧きあがる前に息苦しさが込み上げてきた。
肉体の存在しないこの世界で感覚が妙にリアルだ。






湿っぽい部屋に押し込められて、背の高い大人たちに囲まれて、圧迫感と緊張とで体が固まっていた。
これから起こることも、明日のことも暗闇の底では何も見えない。
ただ震えて小さく固まっているだけ。
すぐ側で怯えている小さな温もりと、手の届かない遠くで見守ってくれているあの人だけが頼りだった。
逃げ出したい。
何をしようとするの。
帰りたい。
帰る場所などもうない。
それでも、ここから飛び出して、二人一緒なら。
思いは錯綜した。
事態に混乱していた。
頭の芯が冷えていた。
逃れたくても逃れられない。
術もなければ願っても奇跡も起こらない。
それだけは幼い二人にも


息をするのにも小さな胸が震えた。
どちらかが泣き出したら、水が決壊して流れ出すように止まらなくなる。
酸素を求めて薄く開いた唇は乾き、歯はカタカタと音を立てる。

冷たくなった手を引かれ祭壇の前に据えられた。
二人の幼子が並んで、周囲を窺う。
蝋燭が焚かれた揺れる灯りの中で、大人たちは指示を出した。
子供らは言われた通りに目の前の台座に転がった黒い石を握り込んだ。
得体の知れない、恐ろしいまでに艶やかな漆黒の玉に触れるのも嫌だった。
しかし、従わなければどういう目に合わされるか想像もつかない。
二人の周囲を固めるのは、厚いフードと長いローブに包まれた会ったことも見たこともない老人ばかりだったからだ。

台座に玉を握りしめた拳を乗せる。
子供の手でも握り締められるのだからさほど大きなものでもない。
指先は固くなり、指先は痙攣したように震えが止まらない。
石の冷たさが気持ち悪かった。

指の隙間を抜けて光が散る。
その様子を固唾を呑んで老人たちが凝視する。
少女らの集中を掻き乱さぬよう、近づいて手元を覗きたい衝動を抑えて、壁際に控えていた。


オーロラのように波打つ光の帯は、指の股から手の中へと収まっていった。
二人はただ恐ろしく長く感じた時間の中で、光に当てられながら放心状態で玉を台座に離した。
酷く体が重い。
玉はもつれ合いながら台座を転がる。
隣に視線を滑らせると、青白く顔が浮いている。
小刻みに震えた顔に埋まる瞳は、並んで揺れる二つの玉を凝視しているようで何も捉えていない。
明るく気丈な彼女こそいざという局面では脆いのだと、生まれてから離れることなく側にいたからこそ知っている。
動けない彼女の隣で、手を持ち上げた。
手を離れてから目が追っていた僅かに陰の掛かる玉の上で一瞬止まり、鮮やかに輝く青緑色の玉に指を伸ばした。
ほらラナウ、台座に残った玉を手に取るように促して、ようやく彼女は現実に降りてきた。
目の前で動きを止めた一つの玉を握り込み、二人は揃って後ろへ振り返った。

手を前に出すように指示が為され、少女たちは玉を乗せた細腕を突き出した。
大人たちが怯える二人を取り囲む。
頭を寄せ合って群がる姿は異様な光景だ。
二つの玉を慎重に指で掴み、光に当てたり角度を変えてみたり回してみたりと長い時間をかけて検分を始めた。
やがて囁きが囁きを呼び声は高まっていく。
ラナエだ、ラナエになった、大人たちは慌ただしく動く。
裾をたくし上げ階上への階段を乱暴に昇っていく姿や考えこむ大人たちがラナエに輪を小さくしていく。
状況が捉えられていないラナウは騒ぐ波の狭間から引きずり出されて、あの人に抱えられるように壁際にいた。
崩れそうなラナウの肩を抱いているあの人と目が合う。
見つめ合い、小さく頷いた後ラナウとともに彼女を送り届けるため光の溢れる階段を上っていく。

カリムナは私、私が次代のカリムナ、そしてあの人を繋ぎとめるのは私。
迫る天井を振り仰いだ。
周りの雑音などもう耳に入らない。

肉体も魂をもバシス・ヘランに捧ぐ、その楔となるカリムナの器。

「私は幸せでした。あの人と一緒にいたいと願い、思いは叶いました。罪を負ったことを悔いたことはありませんでした。けれど、ラナウには申し訳なくて。ラナウだってイグザを愛していたのに」
身を切られるような痛みを、肉体の殻を離れたラナーンとラナエの意識を共有していた。
ただ言葉の上で話を聞いていただけでは受け取れなかった苦しみは、ラナエの記憶を追体験でなくそのままなぞり、体感した。

「ねえ、ラナーン。本気で誰かを愛したら、何も考えられなくなるのです。私はただ、イグザを愛した。失うものが多くても、罪を重ねようとも」
波打つ大河に煽られる。
吹き上げる風はラナーンとラナエを容赦なく殴りつける。

「ラナエ、戻ろう!」
「ラナーン、あなたは誰かを愛したことはありますか? 心の底から、誰にも奪われたくないと執着したことはありますか?」
音にかき消されながらも、はっきりとラナーンへと問いかけた。

「それは時に残酷で、時に罪深い」
瞬きをする間に、意識は肉体の器に収まった。






二人は嵐の中で目を開いた。
風が渦巻くのは確かにカリムナの間、声も出せないようなどこから噴き出しているのか分からない風の中で青い光が混じる。
可視化するはずのない地脈がなぜ地上にまで現れる。

床に身を伏せながら弱々しく顔を上げた。
幾重にも重ねられた衣装の裾が帳のように広がる。
長く垂らされた髪も宙を舞う風に流される。
この場で頼れるのは地脈の世界とこの世とを行き来してきたラナエだけだ。

「現実に侵食している、こんなのは」
そのラナエがあり得ない目の前の驚異に言葉を失っている。

ラナーンは名を呼ぶ声に重い体を引き起こした。
幻聴かもしれない。
この嵐の中で声が聞こえるはずがない。
だが、呼び続ける声はラナエの耳にも届いたようだ。

「ラナーン! いるんだろう!」
力強く投げつけられる声を風の壁の向こうに聞いた。

「あの方は、アレス? こんな場所に来てはあの方の方が」
「アレス、来るな! ラナエは無事だ! おれも」
吹き荒れる風を掻きわけるようにアレスが迫る。

空気の塊がアレスを殴りつける。
青の光が電流のようにアレスを打ちつける。

「アレス、下がれ!」
ラナーンの言葉を聞くはずもない。

「ラナエ、何とかならないのか。頼むから」
彼女にもどうすることもできなかった。
ただ口を閉ざし、アレスへと向き合って彼の動きを見据えていた。

一筋の太い光の帯がラナーンらの背後から吹き抜け、アレスの頬を掠るように飛び去った。
それで満足したのか風は徐々に勢いを緩めていく。
帳をなぎ倒し、髪飾りを吹き飛ばした風にラナエの髪は乱れた。
空気を孕んで広がった彼女は頭を押さえることもしないまま、真っ直ぐな目でアレスを見上げた。

「あなたは」
問おうとした唇を、ラナエは引き結んだ。

「呼ばれ、引かれた力か、他に要因が」
ラナーンにも聞き取れない小さな声で呟いた。
目蓋を深く閉ざし、再び開いた時には吹っ切れていた。

「どうかお早めにソルジスを後になさってください。私は、流れに身を任せましょう」
ラナーンにはそれ以上口を開きそうにないラナエから、彼女の言葉の意味を聞きだすことはできなかった。




平静を装ってはいるが、気になる様子のアレスにラナエと接触してカリムナの世界に沈んだこと、地脈が荒れ狂っていたことは話した。
ラナエが犯した過去の罪については、伏せておいた。
今は話すべきではない。

「ソルジスの問題であって、俺たちには関係ない。そう割り切ることもできるだろうが、お前には無理なんだろうな」
アレスがラナーンの肩を慰めながら叩く。

「気になるんだ、ラナウとラナエが。だからもう少しだけ見ていたい」
「この先どこに行けばいいのかまだ決まっていない。調べたいこともあるし、もうしばらくはいるつもりだ」
アレスの声が心なしか堅い。
ひとつだけ聞きたいことがある、そう前置きしてアレスは足を止めた。
長い回廊の前後、人影はない。

「カリムナが何かお前は知ってるのか。ラナエの服から覗いた下半身、あれは人間のものじゃない」
横倒しになり、乱れた服の下から覗いたのは足ではなかった。
混乱の中、アレスの目は確かにそれを捉えていた。
ラナーンにアレスが満足する説明ができるのか、不安ながらもカリムナの果てを口にした。











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